第17話

 クロガネから連絡を受け呼び出されたゼロシキは、約束したとおり用意された調査団のメンバーと顔を合わせる。調査団を構成するメンバーは音響や心理学、脳科学の専門家らしき科学者たちと、その護衛を務める少年たち、そしてゼロシキ、そして――タチバナだった。一瞬、目が合う。ゼロシキはすぐに視線をそらして、調査について説明をしているクロガネの方を向いてしまう。タチバナは何か言いたげだったが、気まずそうな顔をして、ゼロシキの顔を一度ちらりと見てから同じ様にクロガネの話を聞く。クロガネはこの調査が大きな危険を伴うものであること、そして、死神の動きを止める歌の正体と東京ヘブンズゲイトから死神が発生する原因を突き止めることが目的だということを、ごく手短かに話し、健闘を祈る、と締めくくった。


 話が終わると、特にお互いの自己紹介などもなく、淡々と、極めてドライな雰囲気の中で案内役のような人間に導かれ、調査団は黙々と行軍を開始することになった。少しやりにくいな、とゼロシキはタチバナを横目にしながら思う。この間の戦闘で調子を戻したとは言え、まだ不安定なことには変わりない。護衛に借り出されたのはいずれも戦闘能力の高い少年たちだということを考えれば、この調査団のメンバーにタチバナが選ばれたのは不自然ではないが、よりにもよってという感じだ。それに、タチバナもタチバナで、東京ヘブンズゲイトに侵入した時に意識を失うようなことになったくせに、素直に参加しているのも解せないところだった。普段接していたときにはタチバナはごく単純な人間のようにも思えたが、この前の謎の会話といい、記憶のこと、そして今回の不自然な参加など、いろいろ裏がありそうなところもあり、それらがゼロシキの頭にひっかかったままで、ヒントになりそうなこともなく、ただ、ますます混乱させられるだけだった。ゼロシキはとにかく無関心を決め込むことにして、できるだけタチバナから離れた位置をキープしながら、東京ヘブンズゲイトを目指して歩いていた。




 死神の亡霊の群れを蹴散らすゼロシキに保護された調査団は、あらかじめ用意された装置を駆使してたやすくエレベーターのロックを解除し、全員が鏡張りの空間に乗り込んで行った。やはり、歌が聞こえている。その影響を受けないように、ゼロシキ以外の全員が特殊な耳栓をしていた。音響の専門家らしき男が、様々なデータを取りながら歌の解析を行なっている。


 「この歌は何なんだ?」


 作業に没頭する男に、ゼロシキが尋ねてみる。耳栓は特定の音だけを遮断する機能を備えており、普通に会話はできるのだ。


 「よく分からないねえ」


 男はシートパソコンの画面から目を離さずに、気の抜けた声を出す。


 「何も分からないのか?」


 「いや、少なくとも、この歌の音源はこの塔の最上階、東京ヘブンズゲイトの最奥部から聞こえてるというのは分かるんだ。音の聞こえ具合から、音源の座標を導くことができるのさ」


 「最奥部……。そこには何があるんだろうな」


 「昔、このゲイテッド・コミュニティで一番の大富豪が所有していた邸宅さ。もっとも、廃墟になってからは誰もそこに行ったことはないわけだし、今はどうなっているかを知る人間はいないよ」


 「誰が住んでたんだ?」


 「それが機密事項になってるのさ。あるいは資料がすでになくて分からないと一般的には言われてるんだけど、それもおかしな話だろ?」


 「情報を隠している人間がいるってことか」


 「それもよく分からないね。そんな情報、隠すメリットがあるのかどうか。当人は、もうとっくに死んでるはずだし。もしかしたら、出るのかもねえ」


 「出る?」


 「幽霊さ。死んだ人間が成仏できずに、何か怨念のこもった歌をうたってるのかもしれない」


 男はにやにやしながらシートパソコンの操作を続けていた、ゼロシキのことはちらりとも見ない。ゼロシキはどいつもこいつもくだらないことを言うと思い、あきれてため息をもらす。


 「あ、それとね」


 男が気を取りなおしたかのように付け加える。


 「何だ?」


 「この声はね、本当に人間が歌っている声に近いんだけど、やっぱり何らかの装置に人工的に作られた音だね」


 「録音された音が流れてるのか?」


 「いや、そうじゃないんだ。メロディは同じなんだけど、そのつど微妙にゆらぎがある。音量、声のトーン、高低のかすかなブレ、そういうものが全部、歌われるたびに違ってるのさ」


 「何でそんな面倒なことをしてるんだ」


 「意図的にかどうかは知らないけど、何らかの条件によって、発生する音が変化してるんだね。面白いけど、実際の音源を見てみないとこれ以上は何とも言えないなあ」


 そして男は会話を完全に終えてしまい、黙々と端末の画面に表示されたデータに見入ってしまう。エレベーターは相変わらず、ごくごくゆっくりとした速度で上昇していた。




 エレベーターが開く、そして、ゼロシキを除いた全員の顔が凍りつく。死体、死体の山、首のない少年少女の死体が無造作に積み上がり、今にも崩れ落ちそうなのに、危ういバランスを保ったまま固まったかのように、その空間を天井まで埋め尽くす。いったいどういう処理を施しているのか、その裸の死体は腐ってはおらず、蝋人形にしたような感じの青白い肌をして、においも全くなかった。誰もがその場から動けずにいる中で、すでに一度目撃していたゼロシキはたった一人、先んじてその空間へと足を踏み入れていく。そしてようやく我に帰った調査団は、恐る恐るではあるが、一人また一人とゼロシキの後を追い始めた。


 「ホロコーストみたいだな」


 誰かが、ゼロシキの背後で呟いた。どこかで聞いた言葉だな、と考え、ゼロシキは遠い昔にそういう虐殺が行われたという話とその光景を撮影した写真を思い出す。うず高く積まれた死体の山、ある意味ではほとんどその再現と言ってもいいようなものが目の前にある。これは何かの人体実験だろうか、単に死神が死体を収集しているというのなら、これらの死体が特殊な処理をされているというのは筋が通らない。調査団は相変わらず口数少ない、全員がゼロシキの背後に隠れるように、歩きまわってみようとはせず、調査というより見物しているかのように、遠まきにその死体の山を見ているだけだった。みんなが青ざめた顔で、恐怖で唇を震わせている。


 「何か、分かりそうか?」


 ゼロシキはしびれを切らしたかのように、真後ろにいた脳科学の専門家らしき女に、少しは医学的な知識もあるのではないだろうかと思い尋ねてみる。女は医学系の大学を卒業しているはずで、死体を見た経験などいくらかはあるはずだったが、しかし目の前の光景はまた別次元のものだとばかりに首を振り、ほとんど逃げ腰になって後ずさりさえした。


 「……こんなのがあるなんて聞いてない」


 女がようやく絞り出したのは、肺病患者のようにかすれて消え入りそうな声だった。ゼロシキは首をかしげる、予想外のものを見出すというのは、調査の目的から言えば願ったり叶ったりじゃないのか、と言いかけてひっこめ、半ばあきれ気味に肩をすくめた。


 「そもそも」


 女は言葉をつなぐ、徐々に、後ずさりをしながら。


 「こういう死体の調査は今回の我々の目的ではないはずでは? 死神の動きを止める歌の分析、それこそが我々の使命だと認識していたけど」


 完全に怯えていたが、それでも虚勢をはって体裁を保ち、女が真面目な顔で言う。その言葉に、同じ様に怯え、かつ体裁を保ちたがっていた調査団のメンバーが賛同を示してうなずく。少年たちもみんなうなずいていた。一方で、タチバナは無表情でその死体の山を直視している。他のメンバーと違い、その顔に浮かんでいるのは恐怖ではなかった、むしろ、怒りや悲しみに近い、何かだった。不思議な感覚にとらわれ、ゼロシキは無意識のうちにしばらくタチバナを見つめていた。一瞬、目が合いそうになり、慌ててゼロシキは視線をそらした。


 「それでは、さっさと東京ヘブンズゲイトの廃墟を目指しましょうか」


 案内役の男が、脳科学者の女の発言の余韻が消えないうちに提案する。ゼロシキとタチバナ以外の誰もがそれに賛成していた。ゼロシキは、特に文句は言わない。この死体の山の調査はすべきだが、確かに、最も重要なのはこの歌の正体を突き止めることなのだ。そそくさとエレベーターに戻っていく調査団の最後尾を歩きながら、ゼロシキは耳をすましていた。歌が聞こえている、ある人は、それを鎮魂歌だと言うのかもしれない、ただ、それは子守歌だと言うほうが、もっとふさわしいような気がする。こっそり、ゼロシキは死体に近づいてみる。頭のない死体は、したたる羊水のような青白い光に透かされて、虚ろな幸福感を分泌しているようだった。肌は血の気を失って白く生命を感じさせるものではないが、保存状態はよく、やたらとツヤもあり、死体のそれと言うにはあまりに生々しい。切断された首を、ふとのぞき込むように、ゼロシキは断面を観察する。


 ――何か、付いてる。


 ゼロシキは呟き、機械でスライスされたハムのように滑らかな断面に顔を近づける、そこからは、赤いチップのような物がかすかにのぞいている。血が付着した骨かと思ったが、よく見るほど、それが何か人工的に作られたものに違いないと分かってくる。ゼロシキは顔を上げ、きょろきょろと他の死体も観察してみるが、やはりそこには赤いチップのようなものが、どの死体にも付いている。どこかで見たことがある、とゼロシキは直感する、だが、それがいったいどこだったのか、全く思い出せない。


 「おい、早くしてくれ」


 調査団の中の一人から、急いでエレベーターに乗るよう催促される。もう少し、観察してみたい気もしたが、死体の山を見たくらいでうろたえるこの臆病なメンバーと一緒では、ゆっくりすることもできなそうだとため息ひとつ、ゼロシキはしかたなしにエレベーターに乗り込むことにする。


 ――やっぱりあの死体は、何らかの意図によってここに集められている。


 ゼロシキは考えていた、この塔は、完全な廃墟ではないのだ。何者かの意思によって、まだ、この場所は生かされたままになっている。死体の山も、歌も、この塔が生きているという証なのだ。




 案内役の男がパネルに何やら特殊な操作を加えてロックを解除すると、エレベーターはさらに上昇を始めた。厳重なセキュリティに保護された、東京ヘブンズゲイトにいよいよ向かっているのだ。聞こえてくる歌はますます大きくなり、本当に誰かがその場で歌っているかのようにクリアな響きになる。ふいに、ゼロシキの頭にその子守歌を歌っている母親のようなイメージがよぎる、しかし、その母親には顔がない、その代わりに、死神の仮面をかぶり、空洞の奥で笑いを漏らしながら首のない赤ん坊をあやしている。

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