第7話

 ぐるぐる、人差し指の先を動かして円を描く、《機械》は滑らかに輝くリングになって頭上を旋回していた。《機械》はどんなふうにも変化した、それは飛び道具として使うことすらできる。ゼロシキは指の動きを止め、今度は腕を回して旋回のスピードを上げていく、どんどん広がるリングは巨大な蜂の羽音のようなうなりで空気を震わせ、頭上で命令が下されるのを待っている。遠くに、三匹の死神が固まっているのが見えた、ゼロシキはゆっくりと狙いを定め、鷹匠のようにかざした手をその死神たち目がけて突き出す、と同時に、リングは雷鳴のような音を発して、空気を裂くというよりもむしろ叩き割りながら飛んで行き、一瞬で三匹の死神の体を真っ二つにしてしまった。ブーメランのように戻ってきたリングを小さくすると、また指先でぐるぐる円を描く。ザコの死神と戦うのはとっくに飽きてしまっていた、荒野の上の石に腰掛けて、ほおづえをつきながら指先で飛び道具を作り出すと、ふらふらと飛んでいる死神たち目がけてそれを投げつけている。


 「退屈そうだね」


 顔を上げると、タチバナが横に立っていた。片手には前回のように《機械》の槍を構えている、妙に凝ったデザインで、複雑に絡まる何本もの刃が流線形を描いて広がり、柄の部分には装飾的なトゲが付いていて、まるで巨大なバラの花でも抱えているように見える。たぶん、本人の遊び心に加えて、防御にも使えるようになっているのだろう。


 「ザコの死神なんか相手にしてもつまんないだろ。ひとクセあるやつが出てくるのを待ってるんだ」


 「ザコ……ね。普通のコたちにとっては、それの相手が精一杯だけど」


 「それぞれの能力に応じて戦えば良い。俺はもう少し楽しめるヤツの相手をしたいんだ」


 「まあその通りだけど。でも、私たちがこんなふうに話してるの聞いたら、他のコたち怒るかも」


 「怒るのがおかしいんだよ。自分より優れた人間に対する妬みなんか、この世でもっとも無意味な感情だ。そんなのはマイナスの効果しかもたらさない。他人に嫉妬することを恥ずかしいと思えない人間はこの世から消えてしまえばいい」


 そう吐き捨てて、ゼロシキが鼻で笑う。


 「屈折してるなあ……」


 「ん? 何か言ったか」


 「何でもない」


 その言葉に首をかしげるゼロシキを見て、タチバナが笑っていた。ゼロシキは意に介さないといった態度で向き直り、相変わらずほおづえをつきながら指先でリングを回す。今度はもう一本指を立てて、二つのリングを作り出してみせる。指先を動かすと、二つのリングはそれぞれの軌道を同じペースで旋回し始めた。そんなふうに遊ぶようにしながら、ゼロシキはぼんやりと東京ヘブンズゲイトを眺める。


 「なあ、タチバナ」


 「ん?」


 「あそこには、いったい何があるんだ?」


 つぶやいて、ゼロシキが東京ヘブンズゲイト目がけて指先でリングを飛ばす。その先にいた一匹の死神の体を切断しつつ、リングが塔の方向を指し示すと、タチバナはそれを目で追い、そして同じ様に東京ヘブンズゲイトに視線を向けた。


 「分からない」


 「何も、知らないのか?」


 「うん。何があるんだろうね。たぶん、死神がいっぱいいるんだろうけど」


 「死神の製造装置みたいなのがあるんじゃないのか」


 「まあ、あれだけ無尽蔵に死神が出てくるんだから、そんなのもあるのかもね」


 「手がかりなしか」


 「手がかり……、はたぶんないけど、聞いた話はあるよ」


 「聞いた話? うわさみたいなもんか?」


 「まあ、それに近いかな」


 「どんな話だ?」


 「出るんだって」


 「何が」


 「幽霊」


 あきれたように、ゼロシキがため息をつく。


 「いかにも、うわさ程度の話だな」


 「そうだよ。でも、誰もまともにあの塔に入り込んで調べた人間はいないから。派遣された調査団も、ことごとく全滅させられてるみたいだし」


 「ふうん」


 再び、ゼロシキは東京ヘブンズゲイトを見上げる。塔の頂上にはいつの間にか太陽が重なり、突き刺すような光が目に飛び込んでくる。しかし、ゼロシキは目を細めながらもそこから目を離そうとしなかった。


 「来た」


 ゼロシキは呟き、その太陽目がけてリングを投げつける。タチバナがそっちを見ると、二匹の死神が塔の頂上の辺りから襲いかかってきていた。飛んでいく二つのリングは、空気を叩き割りながら死神たちのシルエットへと向かっていく。タチバナは槍を片手から下げたまま、そのリングが死神の体を真っ二つにするのを観察しようとしていた。しかし、その二匹の死神には慌てた様子がない、それどころか不敵に笑うようにしながら同時に大鎌を構えると、向かってくるリング目がけてその刃を衝突させてきた。


 「何?」


 激しい音と共に火花が飛び散り、リングが弾き飛ばされてしまう。それに反応したタチバナが慌てて槍を構える、この二匹の死神は、どうもクセのあるほうの死神のようだった。


 「妙なヤツが現れたみたいだな、それも二匹」


 弾き返されてきたリングを指先で器用に操りながら、嬉しそうな顔でゼロシキが立ち上がる。


 「違う、二匹じゃない」


 タチバナが槍の先で死神の足元を指した、その箇所を見ると、何と死神の腰の辺りから下半身がくっついて一体になっている、二匹に見えていたのは上半身が二つに分かれていたせいだった。


 りい、りる。りい、りる。りる。りる。りる。


 りい、りる。りい、りる。りる。りる。りる。


 奇妙にオーバーラップした死神の鈴の音は、よけいに不気味な印象をもたらす。


 「なるほど、一匹で二匹分なのか」


 「うわ、キモい」


 「タチバナはこういうヤツと戦うのは嫌なのか? タチバナも他の連中よりも高い戦闘能力を持ってるわけだし、こういうヤツのほうが戦いがいもあるだろ」


 「私は、普通の死神の相手をしてるほうがいい。言ったでしょ、私の戦闘能力にはムラがあるの。ときどき、瞬間的に鮮明な家族のイメージが頭をよぎるせいで、《機械》が上手く操れなくなる。だから槍をいつも使ってるってわけ、間合いを取れるほうが安全なの」


 「そういうことか」


 「そうだよ、だから、しっかりサポートしてよね」


 「あいにく……」喋りながら、ゼロシキは二つのリングの回転スピードを上げていく。「俺は他人の面倒はいっさい見ない!」そう言い終わると同時に、ゼロシキは二つのリングを変則的な軌道に沿わせて双頭の死神に投げつけた。激しい音が空気を砕き、周囲を震わせる、赤く焼けたように輝くリングは猛烈な重量感で、とても一本の大鎌で防ぎきれるようなものではない。双頭の死神は案の定二本の大鎌を振りかざしてそのリングを受け止めた、そして間髪入れずに、ゼロシキはもう一つのリングに命令を下し、そのリングが獣の雄叫びのような音で死神に襲いかかる。


 「思ったより楽勝……か?」


 ゼロシキはつぶやきながらリングの軌道を見守っていた。しかし、双頭の死神がそれぞれの上半身に付いたもう一方の腕で何やら操作をすると、二本の大鎌がそれぞれ突然二つに分かれて飛び上がり、大蛇のように刃をもたげた。


 「さらに二つに分かれちゃうんだね」


 タチバナはその様子を観察している。しかし鎌はさらに四つ、八つと倍々に分裂していったかと思うと、襲いかかるリングを易々と受け止めた。ほとんど燃え上がっているかのように見えるほどの火花を撒き散らし、双頭の死神はまたリングを弾き返してしまう。嬉しそうにしながら八つに分裂した大鎌を構えていたかと思うと、双頭の死神が今度はめきめきと関節を外して骨と筋肉を無理やり引き伸ばすような不気味な音をさせ、その上半身をそれぞれの方向へと引き伸ばしてきた。動きは妙に滑らかで、まさに二匹の大蛇が自由気ままに蠢いているような姿をしている。


 「うわわ、マジキモい」


 タチバナは槍を振りかざし、注意深く双頭の死神の出かたを伺っている。


 「こいつはかなりクセがありそうだな」


 「ああああ気持ちワルい! 信じられない。何でそんなに嬉しそうなの?」


 「慌てんなよ」


 二人でそんなことを言い合っている間に双頭の死神が襲いかかってくる、まず大鎌の一撃、それをタチバナが槍で受け止めるが、やはり二つ、四つ、八つと分裂してきた。タチバナは素早く《機械》を操作して柄についているトゲを伸ばすと、くるりとそれを回転させて死神の攻撃を弾き返す。


 「へえ、やっぱりタチバナもなかなかやるじゃないか」


 ゼロシキは複雑巧妙にリングを動かしてもう一つの死神の上半身による攻撃を防ぎながら、声をかける。


 「冗談じゃないって、私はこれくらいが限界。遊んでないで何とかして!」


 なおも襲いかかる死神、タチバナは戦場を駆け巡りながら、執拗に分裂しては襲いかかる大鎌を必死でいなしている。


 「言ったろ? 他人の面倒は見ないって」


 笑いながら、ゼロシキは《機械》からもう一つリングを生み出す。そして二つのリングで死神の攻撃を受け止めながら、もう一つのリングをタチバナのほうへと飛ばしてやる。リングは死神とタチバナの間へ割って入り、盾となってタチバナをガードした。そのスキに、リングの陰に隠れながらタチバナはゼロシキの横へと走って戻って来る。


 「意外。結局助けてくれるんじゃん」


 「違うよ」


 「何が違うの? 素直じゃないね」


 「死神をぶっ殺すのを手伝ってもらおうかと思って」


 「あら、他人の面倒は見ないくせに、助けは借りるのかしら?」


 わざと嫌味っぽく言いながら、タチバナは笑う。


 「甘えるヤツが嫌いなだけさ。それに、この場合は共通の目的があるだろ? 面倒を見るってわけじゃない」


 「分かってるって。そんで、どうすんの?」


 「その槍、二つに分裂させられるか?」


 「できるよ」


 「それなら、俺があの死神の動きを止めるから、タチバナはあの死神に思いっきりその槍をぶっ刺すんだ」


 「そんなんでいいの?」


 「充分だ。ただし、フルパワーだぞ。必ず一撃で、しかもあの二つの上半身を同時にしとめるんだ」


 「分かった」


 緊張した面持ちになり、タチバナは槍を構え、《機械》を使って背中に翼を生やす。そしてゼロシキは三つのリングを旋回させ死神に向けて構えるようにした。


 「なるほど、二には三で対抗ってわけね」


 「三じゃない、三プラスXだ」


 言うと同時に、ゼロシキは三つのリングを絡みあわせて融合させ、ボロメオの輪を形成する。三つのリングが外れないように組み合わさり、中心にできたプラスXの空間を中心に三つのリングを回転させ始める、リングは巨大なハンマーでも振り回しているかのような、空気を揺り動かす重く低い振動音をさせていた。


 「さあ、行くぞ!」


 ゼロシキの合図に反応して、タチバナは《機械》の翼を羽ばたかせると、空へ、高く高く飛び上がって行く。双頭の死神もほぼ同時に反応し、ゼロシキ目がけて二つの大鎌を振り回し斬りつける、しかしゼロシキの操るボロメオの輪がその二つの大鎌を捉え、さらにその回転に巻き込んでしまう。双頭の死神もまた器用に大鎌を動かしてそのリングから逃れてみせる。しかし、それを見越していたかのようにゼロシキはニヤついていた。


 「残念、王手だ」


 死神の動きに合わせてその体を取り囲むかのようにボロメオの輪が旋回し、大鎌が分裂できないように動きを封じながら絡みつき、そして中心のプラスXの空間が、双頭の死神のつながった下半身に食い込んでがっしりと捕えてしまった。それを確認してゼロシキは空を仰ぐ。


 「今だ!」


 太陽が輝く、その光をまとった翼がきらめき、タチバナが天から舞い降りてくる、バラのような槍からは巨大な二枚の花びらのような刃が分裂して鋭い切っ先を閃かせ、凄まじい加速度で双頭の死神の顔面へと突っ込んでいく。流星のように落下して、その勢いを乗せたままタチバナが雄叫びを上げる。翼が空気を切る鋭い音と、その叫びが荒野に反響して弾けた。狼狽してもがいている双頭の死神目がけ、タチバナはこれ以上ない正確さで、その顔面をぶち割るような力を込めて槍を突き刺す。双頭の死神の仮面が砕け、刃はなおも鋭く輝き死神の体を串刺しにした。死神は力なく動きを止め、ゆっくりと地面へ崩れ去っていく。


 「お見事」


 それに呼応するようにボロメオの輪で死神の下半身を八つ裂きにしたゼロシキが、肩で息をして地面に座り込んでいるタチバナに声をかけた。


 「私はやっぱり普通の死神の相手だけしておきたい」


 立ち上がり、やれやれといった調子でタチバナはため息をつく。


 「疲れたのか?」


 「もちろん」


 「まだ動けるだろ」


 「何かするつもり?」


 タチバナの質問に、ゼロシキが含みのある笑いを見せる。


 「何その笑い? イヤな感じ」


 ゼロシキはその笑いを顔に浮かべたまま、親指で東京ヘブンズゲイトを示す。


 「東京ヘブンズゲイトがどうかしたの?」


 「行ってみようぜ」


 「は?」


 「今ので確信したんだ。タチバナくらいの能力があれば、あそこに何があるか調べに行けるって」


 「何言ってんの? 危険だって」


 「俺が一緒なら大丈夫だろ」


 「あいかわらず自信過剰ね。実際に何があるか分かんないんだし、大丈夫な保証なんかないでしょ」


 「気にならないか? いったいあそこに何があるか。それに、タチバナは死神と戦うのが好きじゃないんだろ? だったら、この戦いを終わらせるヒントもあるかもしれないぜ」


 「でも……」


 「タチバナが行かないんなら、俺は一人で行くけどな。別に、俺としてはどっちでもかまわない」


 タチバナは、まだ少しだけ息を荒くしたまま、じっと東京ヘブンズゲイトを見つめていた。


 「分かった」


 「行く気になったか?」


 「行く。でも、ちょっとだけ休憩させて」


 「決まりだな」


 ゼロシキも顔を上げて、東京ヘブンズゲイトを見つめる。雲の霞にぼやけた廃墟が、いっさいを語ることを拒否するかのように陰鬱の中に内閉していた。確かに幽霊くらい出ても不思議ではない雰囲気を持っている。かつての、天空の王国、勝者の楽園、そして、悲劇の起源、虐殺の震源地。ゼロシキは常に心惹かれるものを感じていた。いつも、この光景を見ていた気がする、そびえ立つ塔、そして土星のリングのような円盤が1603メートルの位置に広がり、その上に重厚かつ滑らかな外壁が築かれ、そしてその中に残るかつての街の廃墟。死神、《機械》、記憶、全ての謎を解く鍵が、きっとあそこへいけば手に入るような、そんな気がするのだ。ゼロシキは目の前に《機械》をかざす。太陽の光を受けて《機械》は黒い艶を輝かせ、そして空気を切り刻むブレードのように震えている。


 「もう行けるか?」


 ゼロシキの言葉に、タチバナはうなずきを返す。塔へ向かって歩き始めた二人の視線の先には、大量の死神がうようよと群れている。幸い、いずれも普通の死神たちでしかない。ゼロシキは、震えている《機械》を肩の上に構える、その死神たちを、一匹残らず殲滅するために。

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