第6話

 兵舎の壁は研究所と違って灰色だが、同じ様に無機質な造りになっている。ただ、少なくとも少年たちが暮らすここにはいくらかの生活感があった。《機械》を操る兵士としてのみ存在意義を与えられた少年たちは、ほとんど無表情のまま過ごしている、それぞれのシフトに備えて睡眠を取り、食事を取り、軽いトレーニングを行い、そして戦場へと送り出されていくのだ。互いに会話をすることもない、遊ぶこともない。別に禁じられているわけでもなかったが、誰もがそんなことに興味を示さないのだ。食堂には、決まった時間にいっせいに集合した少年たちが席に座り、それぞれのテーブルについたハッチから、ロボットが調理した食事が配膳されてくる。きちっと整列した少年たちは、無言のまま、それを口に運んでいくのだ。食堂には、カシャカシャという食器とスプーンのこすれ合う音だけが響く。その少年たちに混じって、ゼロシキもまた黙々と食事を口に運ぶ。だいたいいつも、四つくらいの皿が出てきて、それぞれに違う色の四角い固形物が乗せられている。必要な栄養を摂取することだけを考えて作られており、赤や黄色や緑だったりするが、全て大きさは同じだった。食感は繊維質のある羊羹といった感じで、味はスナック菓子に似ている。誰もが別に美味いとか不味いとかいうことは考えない。ただ単に、出されたものを食うだけだ。食事の時間は十五分用意されているが、全員が十分以内に終える。みんな食事が終っても座ったまま何もせずにいる、そして十五分が経過して食事終了を知らせるブザーが鳴ると、少年たちはいっせいに起立して、ほとんど整列状態を保ったまま食堂を出ていくのだ。


 「ねえ」


 最後尾を歩いていたゼロシキは、食堂を出たところで呼び止められる。正直、ねえ、という言葉が何を意味しているのか分からなかった、ここでは誰も他人に呼びかけないし、だからその言葉を聞いたのは初めてだったからだ。数歩、前に進んでから、ようやくその呼びかけに気づいてゼロシキが振り返る、そこには、長い髪をした少女が立っており、じっと、ゼロシキの目を見つめていた。


 「確か、戦場で――」


 「そう。覚えてくれてたんだね」


 答えて、少女はゼロシキに微笑みかける。ごく自然で、明るい微笑みだったが、そのことが余計に、ゼロシキに警戒心を抱かせた。ここでは、誰も微笑んだりしないからだ。この少女は、兵士として無表情に生きている他の少年たちとは明らかに違っている。


 「何か用か?」


 バカげていると思いながら、ゼロシキは聞いてみる。ここでは、他人に対する用などあるはずもない。少年たちの間に、そんな交流が生じることはないのだ。


 「特別な用なんかないけど。でも、この前の戦いでさ、スゴイ活躍してたから、ちょっと興味あって」


 「興味……?」


 妙なヤツだ、とゼロシキは思う。ここにいる少年たちのうち、他人に興味をもつ人間がいるというのはちょっと信じがたい。ゼロシキを含む誰もが、自分のことだけを考えて生きているはずだった、あるいは、自分自身のことすら考えずに生きている。


 「そう。ちょっと普通じゃなかったでしょ。あんなふうに《機械》を操れる人間がいるなんて、みんな驚いたはずだよ」


 「俺は、そんなふうに他人に話しかける人間がいることに驚いたが」


 「別に、問題ないでしょ」


 「確かに、問題はない。けど、お前みたいに他人に話しかけるヤツもいない」


 「みんなそうしないから、それが普通になってしまってるだけだよ。あ、私の名前はタチバナ。だから『お前』じゃなくてタチバナって呼んでね」


 どうでもいい、と思いながらゼロシキはうなずく。


 「あなたの名前は?」


 「……ゼロシキ」


 「変な名前」


 タチバナがくすりと笑う。それを見たゼロシキは、やはり不愉快というよりも奇妙だという感覚を持った。どうもおかしい、この少女――タチバナは、気味が悪いほど人間くさい。誰もが能面のような表情しか持たないこの兵舎に、こんなヤツがいるというのはただただ驚きでしかない。


 「何なんだ、お前は」


 「私も兵士の一人だけど」


 「それは分かってる」


 「私が、他のコたちと違うって思ってるでしょ」


 にやりと笑い、当惑するゼロシキの様子を見て楽しんでいるかのように、タチバナがのぞきこむような視線を送ってくる。


 「確かに、私は他のコたちとは違うんだけどね」


 「どういうことだ」


 「別に、教えてあげてもいいけど」


 「もったいぶるなよ、めんどくさい」


 「まずはこっちの質問に答えてもらうのが先かな」


 このまま無視して部屋に帰ろうかとも思ったが、なぜこんな人間がこの兵舎にいるのかということも正直気になってしまい、ゼロシキはついうなずいてしまってから小さく舌打ちをする。他人に自分のことを聞かれるのは、うっとうしいだけだ。


 「それで、何が聞きたい?」


 「何か、特別なことがあるんじゃないかと思って。あんなふうに《機械》を使える人間は見たことないから」


 「残念だが、何も」


 「何も?」


 「ドクターによれば、俺の虚無は人並外れているらしい。そしてもう一つ――」


 「もう一つ?」


 「俺は、家族とかそういうものについて、いっさいの愛着を示さない」


 「……なるほどね。つまり、ただ単に虚無の強さが特別ってわけだ」


 「そういうことらしいな。お前……タチバナはどうなんだ? この前戦場で見たときは、他のヤツらよりも戦闘能力は高そうだったけど」


 「私? 私もかなりの虚無を抱えてるんだってドクターが言ってた」


 「家族への愛着は?」


 「それが、そっちも強いみたいね。両極端なの。だから戦闘能力にムラができてしまう」


 ふん、とゼロシキは小さく鼻で笑う。少しはできそうなヤツに見えたが、どうやら他とたいして変わらないらしい。時間の無駄だったと思いながら、ゼロシキは会話を打ち切るタイミングを考え始めていた。


 「そんなもの、捨ててしまえよ。そっちのほうが身のためだ。変なものにすがればすがるほど、死神のエジキになるだけだぞ。この前の戦闘でも、そんな感じのヤツが一人、俺の目の間で首を切り落とされたところだ」


 ゼロシキの態度に、タチバナは少し不快感を持った様子で、強い視線をむけてくる。


 「それは、そんなに簡単なことじゃない。それに、戦うのも正直好きじゃないし」


 タチバナの語気は少し強めだったが、ゼロシキはその言葉にいっそうあきれて、ほとんど挑発的に両手を上げて馬鹿にしたようなしぐさをしてみせる。


 「何を言ってるんだ? 外国の偏執的な人権団体みたいだな。相手がいくら死神でも殺し合いはやめましょう、みたいなことを言ってくる団体がいるらしいぜ。まったく、あきれた連中だ。殺意を持った相手が襲いかかってくる状況で、平和とかそんなこと考えられるわけがないだろう。平和がどうこう言えるのは、当事者じゃない連中だけだ。タチバナ……お前、自分がどれだけ馬鹿げたこと言ってるかわかるだろ?」


 うつむいて、タチバナは何も言い返さずに黙っている。すでに食堂から出た少年たちは全員部屋に帰ってしまっており、周囲には誰もいない、ゼロシキとタチバナ、二人だけがぽつんとしている。灰色の壁は突き放すような冷たさで、沈黙が深いだけ異様な圧力を感じさせた。タチバナが背にした食堂のトビラの向こうからは、ロボットが食器を片付ける音が小さく、細かいリズムで聞こえてくる。


 「……私がもし、他のコたちと同じだったら、きっと、ゼロシキが言ってるみたいにすると思う」


 顔を上げたタチバナが答える、その声はすでに元の調子に戻っていた。


 「どういうことだ? 」


 「言ったでしょ? 私は、他のコたちと違うの」


 タチバナの表情は、非常に複雑な感情を表現していた。それは、この兵舎にいるどんな少年も持ち得ないような、あまりに人間的すぎる彩りだ。ゼロシキは、少し当惑して、タチバナの言葉を待っていた。


 「知りたい?」


 「もったいつけるなって」


 「もったいつけたり、ほのめかしたり、私、つい、そういうことしちゃうから」


 タチバナはいたずらっぽく笑ってみせる。つくづく、ころころと表情の変わるヤツだと思い、ゼロシキは上手く反応できず、ずっと無表情のままでいる。


 「どうしよっかな」


 「何遊んでんだよ。約束しただろ、俺が質問に答えたらそっちも答えるって」


 タチバナはまた笑い、ごめんごめん、と言って両手を合わせる。


 「一つ、聞いて良い?」


 「また質問かよ」


 「記憶、ある?」


 突然、タチバナが真面目な表情になって顔を近づけ、声を小さくしてほとんど耳打ちするようにゼロシキに尋ねる。まるで、これから話すことを誰にも聞いて欲しくないといった様子だった。


 「記憶? 聞かなくても分かるんじゃないのか。ここにいる少年たちの誰もが、親を殺されたという以外の記憶なんかほとんど持ってないだろ。多少は家族のことを覚えていて、思い出してしまったりするらしいけどな。ちなみに、俺には全くない」


 タチバナは何やら考えながらうなずき、その話を聞いていた。


 「ああ、そうなんだ」


 「何がだよ」


 「ゼロシキは他のコたちとは違うみたいだし、もしかしたら私みたいなケースかなって思ったけど、違った」


 「ケース?」


 「そう、私みたいなケース。実はね、私――」


 タチバナがまた顔を近づけて、ゼロシキの耳を両手で覆う、今度は、本当に耳打ちだった。


 「私、記憶があるの」


 驚いた顔で、ゼロシキがタチバナを見る。


 「何だと?」


 「言ったとおりだよ。私、記憶があるの。子供の頃から今までのこと、何もかも覚えてる」


 「いったいどういうことだ?」


 「ごめんね、今はくわしく話せない」


 「もったいつけるなよ」


 「今度は違うよ。本当に、今は話せないの」


 不満顔のゼロシキに申し訳なさそうな顔になると、タチバナは長い人差し指を自分の唇の上に当ててみせる。


 「内緒だよ」


 意味ありげに微笑み、タチバナはゼロシキの肩をぽんと叩くと、じゃあね、と手を振って自分の部屋へと歩いて行ってしまった。いったい何がしたかったのかよく分からないと思い、ゼロシキは首をかしげながら、その後姿を見送ってしまう。記憶がないということ、それは兵士としての資質の一つだと思っていた、だからこそ、この兵舎の少年たちの誰ひとりとして、まともに記憶を持たないのだと。しかし、あの少女は記憶を持っているのだと言う。おそらく、それは本当のことだろうとゼロシキは考える。あの、ころころ変わる、妙に人間臭い表情は、おそらくそういうことと関係があるのかもしれない。そして、おそらくタチバナは、まだ何か重要なことを知っている。いったいこれがどういうことなのか、ゼロシキにはよく理解できない。いくら考えても、見当がつかなかった。また、あの少女に機会を見て問いただす必要がありそうだった。


 また、機会を見て――。




 この兵舎では、いや、金輪際、もうそんなことはないと思っていた。妙な「交流」が生まれてしまった、ゼロシキにとってそれは邪魔臭いことでしかない。静かな廊下に、ゼロシキの舌打ちが響く。戦闘が待ち遠しい、と思う。とことんまで、体を動かしてやりたい気分だった。



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