第4話

 七十四、七十五、七十六……七十七!


 ゼロシキは数を数えていた、体を切り刻まれ、ぼろきれのようになって消えていく死神の数を。機械は巨大な鷹の翼のように変形し、羽のような一枚一枚の刃が隆起して、はばたくように振り回すたび周囲の死神をからめとってバラバラにしていった。初めての戦場、ゼロシキはその才能をこれでもかというくらいに誇示し、どの少年たちよりも鮮やかに、ケタ違いの勢いで死神を滅殺し続けている。死神には通常の兵器はいっさい通用しない。死神は物体であると同時に虚無であり、物理的に破壊することは不可能なのだ。ただ、虚無と想像力で駆動する特殊な兵器、量子力学と認知科学の専門家であるクロガネが開発した《機械》だけが、死神を「殺す」ことを可能にしていた。


 戦場、そこは東京に建てられた高さ1868メートルの塔の周辺に広がる荒野を舞台にしている。かつて、塔の1603メートルの以高の位置には東京ヘブンズゲイトと呼ばれる空中都市が存在していた。日本の最大手デベロッパー数社が国を巻き込んでの一大プロジェクトとして富裕層を誘致すべく開発し、法外な価格で敷地が売買され、相当な税制優遇もあり、しかも知的水準や洗練度など厳格な審査に合格した人間しかそこに住むことができなかったため、自ずとそこには日本の最高レベルの特権階級的富裕層が集中し、史上最高のゲイテッド・コミュニティとして君臨することになった。そこは文字通り地ベタに徘徊する下民を見下ろす、勝者の天国だった。が、しかし、ほんの十年前に地獄と化すことになる。突如として大量の死神がイナゴのように塔の頂上に発生し、そこに住む人々を一人残らず惨殺したのだ。以来、そこからは際限なく死神が発生しては地上に降り立ち、人々を殺し続けている。なぜ、そこから死神が発生するのかは解明されてはいない、何度も調査隊が派遣されたが、全て死神に皆殺しにされている。激しい戦闘が繰り返されたために周囲の建物はことごとく破壊されて瓦礫となり散乱し、もはやそこは何も無い、ひたすら虚無が渦巻く地獄のような光景が広がっているだけの世界だった。


 ゼロシキは駆け巡る、戦場の端から端へ、荒野を蹴り飛ばし砂ぼこりを上げて、轟音を発する《機械》を縦横無尽に操って、死の絵筆のような大鎌を振りかざす死神たちを、さらに深くて濃くて鮮やかな死で塗りつぶす。吹き飛ぶ死神たちの、断片、砕けた顔が飛び散って、虚無と死にまみれながら、ゼロシキは快感と武者震いで咆哮を上げていた。《機械》はその度ごとにめまぐるしく変形し、獰猛な獣の口のように牙を突き立てたかと思えば食虫植物のように死神をからめとって飲み込み、次は拘束具のようになって死神の頭を捕えると、アイアンメイデンのようになってその頭を無数の棘で貫いて破壊する。あるいは杭で串刺しにして、あるいは無数の円盤で手足を切断し、あるいはネジ式に回転する器具となって首をねじり取り、ゼロシキの想像力はありとあらゆる処刑道具を現実世界へと召喚し、色とりどりの殺戮を繰り広げていく。ただ、殺しても殺しても死神は無尽蔵に発生した。だから、《機械》を身につけ兵士となった少年たちが、数時間ごとに入れ替わりながら、しかし絶えることなく送り込まれ、きりのない戦いをずっと続けるのだ。いったいいつまで戦えば良いのか分からない、ただ、死神を殺し続ける以外に人類を救う方法はなかった。殺さなければ殺される、これ以上ないシンプルな理屈だけが、この世界の全てなのだ。


 他の少年たちは、あっけに取られて、ただ、ただ、ゼロシキの戦いぶりに見とれている。有能というよりも、それは異常であり、非現実的とも言えるほどの戦闘能力だった。皆が必死に想像力を使って《機械》をサーベルなどに変え、足元をふらつかせながらも必死になって重量感のある《機械》を動かし、一匹一匹の死神と互角に近い戦いを死に物狂いで行っているのを意にも介さず、自由に飛び回りながら自分の手足同然に軽々と《機械》を操作して、ハエでもたたき落とすように死神を駆逐していくゼロシキは、もはや恐怖の対象ですらある。


 ――甘ったれた連中め。


 他の少年たちをちらりと見やって、ゼロシキは呟く。なるほど、なぜクロガネがあんなに感動していたのかがよく分かる。ゼロシキとは違い、他の少年たちはみな人間臭い表情をしていた、戦いながらも死神に怯え、膨らむ恐怖心に耐えられずに、かつて幼いころに自分を守ってくれていた親の幻影を頭の片隅で思い浮かべてしまうのだ、多かれ、少なかれ。少年たちは戦いながらも、どこかで逃げ出したいと思っているのだ、逃げて、逃げて、柔らかくて温かい親の胸に抱きしめてもらい、安らかに眠る、そんな夢を、どこかで捨てきれずにいる。他の少年たちは、親を失い家族を失った虚無を完全に受け入れ我がものとすることができていなかった。ゼロシキの目からすれば、彼らは全く戦場に立つ資格のない甘ったれでしかない。


 ――馬鹿な、もはやそこにないものに、しかも、あったとしてもいつ無くなるか分からないものに、いったい何の意味があるというのか? 俺にはそういう感情は全くない、そして、それは全く正しい姿勢なのだ。それなのに、いったいなぜこいつらはそれに気づかない?


 「ひぃいい!」


 真横で、死神に弾き飛ばされた少年が転んだ。少年は死の恐怖にすくみ上がり、涙を浮かべながら震えている。死神は空洞になっている目の闇を揺らして喜びを表しながら、大鎌を頭上に構えてゆっくり近づいていく。その瞬間、ゼロシキと少年の目が合った。少年は完全に戦意を喪失していた、無力感をどうにもできず、絶望に何の抵抗も試みず、向かってくる死に凍りつくばかり、ただ、憐れな己を恥じるプライドもなくて、少年を見下ろすゼロシキに救いを求めていた。《機械》の重みで動かなくなった片手をだらりをぶら下げて、もう片方の、幼い子供のような血色のピンクの手をこちらへ伸ばし、無様に、助けを期待していた。


 「勝手に死ねよ」


 ゼロシキの口から吐き捨てられた言葉に、少年の目が驚きで広がる。冷たいつららのような絶望と拒絶に両目を貫かれ、あふれる血のような涙が不条理なほど頬を濡らし、少年は絶叫する、恐怖で狂い、親に捨てられた赤ん坊のようにわめき散らす。何ということだろう、この少年は戦場に来ていながら、つゆほども自分の死が現実になりうるのだということを想像していなかったのだ。あとはもう、崩壊した現実に雪崩のように突っ込んでくる死に弄ばれながら、パニックになることしかできない。喉がかすれてもなお、少年は絶叫した、死が、死が、途方も無い隕石のように少年の存在を押しつぶす、大鎌が閃き、少年の首と体は真っ二つに切断されてしまった。首はバスケットボールのようにきれいな放物線を描いて宙を舞ったが、地面に落ちてもバウンドはせず、ぐしゃっ、と鳥肌が立つほど不快な音をさせて潰れた。


 りい、りる。りい、りる。りる。りる。りる。


 鈴の音が、聞こえている。死神が、笑っている。まるで、その鈴の音が死神の笑い声のように聞こえる。


 りい、りる。りい、りる。りる。りる。りる。


 死神は大鎌を振り上げ、ゼロシキを見つめていた。ひらひらと踊る白装束、その下で、少年の潰れた首がひしゃげた鼻の穴からどぼどぼと血を噴いて転がっている。ゼロシキは遊んでいるかのように《機械》を様々なイメージに変形させながら、死神の様子を伺う。死神は独特の殺意を持っている、通常の、相手を突き刺すような殺意ではなく、蟻地獄に引きずり込もうとするかのような、暗い、陰湿な、そういう殺意で、向き合っているだけでどうしようもなく気持ちが悪くなった。見れば見るほど、さっさと始末したくなる。ゼロシキは湧き上がってくる自分の殺意をその蟻地獄を埋め尽くすほどの勢いでぶち込むかのように、瞬時に龍の口のように《機械》を変形させる、そしてそれを死神に向かって突き出し、その牙で食い殺そうとイメージを増幅させていく。うなりを上げて突っ込んでいく龍の口は、死神の体を覆い尽くすほど大きく開き、逃げ場のないように上下からはさみ込むと、そのまま牙を突き立てる――しかし、その瞬間、自動車事故のような、巨大な金属の塊が猛スピードで衝突する轟音が炸裂し鼓膜を激しく打った。


 ――何だ?


 予想外の抵抗を感じ、ゼロシキは警戒しながらもゆっくりと《機械》を元の大きさに戻す。すると、そこには不気味に笑う死神と、その横でそびえる柱のような盾が姿を現した。


 「なるほどな」


 確か、クロガネは死神にはクセのあるヤツもいる、と言った。それはつまり、こういうことだったのだ。


 ――死神の大鎌ってのは、一種の《機械》なのか。


 ゼロシキは納得して呟く。あの大鎌は、戦闘能力の高い一握りの死神ならば《機械》と同様に自在に変形させることができるというわけだ。盾に変形した大鎌の陰で、死神は笑っている、自分を仕留めることに失敗したゼロシキをあざ笑うかのように。


 「その胸クソ悪い笑いをやめやがれ!」


 叫び声とともに、ゼロシキは《機械》を風車のように変形させて、高速で回転させると、死神の盾を弾き飛ばそうと叩きつける、分厚い風車の刃が、回転の勢いに乗って死神の盾を連打しにかかった。すると、死神は素早く反応して盾の表面を粘液のように変形させる、粘液は打撃をぐにゃぐにゃと受け流しながら、重く強い粘着力で風車を絡めとってその回転を止めてしまう。また死神が笑う、勝ち誇って、易々と攻撃をかわされるゼロシキをからかって。続けざま、ゼロシキは《機械》を液状にして粘液をすり抜けると、そのまま巨大な手へと変化させ、直接死神の盾につかみかかった。手が、猛烈な力で盾を握りつぶす、死神の盾が弾けるように砕け、破片が飛び散る。


 「ざまあみろ」


 ゼロシキが笑う、だが、死神も笑っていた。盾は潰れたのではない、殺傷能力をもつ鋭利な破片へと変化したのだった。ギラギラと光る切っ先がゼロシキに向かって飛んで来る、紙一重、それに気付いたゼロシキは《機械》を盾へと変化させ、その破片を弾き飛ばす。


 「こざかしい野郎だ」


 舌打ちをしながら、反撃しようと盾の陰から様子を伺う、しかしその目の前、ぬうっと滑り込むように、死神の顔が現れる。


 ――しまった!


 一瞬、ゼロシキは寒気のするような死神の殺意にすくみあがってしまい、そのせいで反応が遅れた、死神は手を伸ばし、破片を凝集させると、それが大鎌を形作っていく、そしてそのまま、ゼロシキ目がけて大鎌を振り下ろす。激しい衝突音とともに、ゼロシキは地面に向かって叩き落とされる、《機械》の盾は死神の大鎌を完全には防ぎきれず、その先端がゼロシキの腕をかすめて血が流れだしていた。荒野の上で、痛みにうずくまるゼロシキの頭上から、ゆっくりと死神が降りてくる。戦場は、いつの間にか夜を迎えていた。死神との戦闘では役立たずに甘んじている自衛隊が用意したライトが、夜の戦場で明かりを確保している。真っ白い光が、少年たちと死神との戦いを、地面に数多転がる死骸残骸を鮮やかに照らし、全てが凍りついたような冷たさで浮かび上がっていた。死神の背後から当たる光が、長い長い影を作り、それがゼロシキの体を覆い尽くして伸びる。さっき殺された少年と同じ様に、ゼロシキにも、死が、迫ってきていた、まるで、ゴキブリの、ぴくぴくと動く触覚のような動きで、死は、犠牲者の現実を侵食してしまう。死神は笑っている、憐れで、無力な少年の顔を再び見ることができたことを、虚ろな心の底から喜んでいるのだろう。ゼロシキは、震えてはいなかった、自分で思っていた以上に恐怖を感じることもない、感情を消して、向かってくる現実を冷静に観察すること、それはゼロシキに備わった、特殊能力に近い資質だった。死神が頭上に構えた大鎌の、はるか遠くに月が見えている。死神の大鎌とは違い、妙に直線的で、ほとんど反っていない三日月が、東京ヘブンズゲイトの真上で煌々と、しかしひどく陰鬱な輝きの、光を放っていた。ゼロシキはじっとそれを見つめていた。今から自分に死を与えようとする大鎌よりも、その月のほうに、心を惹きつけられていた。


 ――俺は、あの月を知っている。


 突如、記憶にかかった膜を切り裂くように、その月が頭の中に現れた。今まで家族を惨殺された光景しか残っていなかったはずなのに、妙に鮮明に、家族の姿よりもはっきりとした現実感を持って、その月が記憶の中で光り始める。ゼロシキは、間違いなくその月を知っていた。どこかで、はっきりと、全く同じ月を見たことがある、それは間違いなかった。


 ――でも、いったいどこで?


 思い出せない、しかし、ゼロシキは心の底からマグマのように猛烈な勢いで湧き上がってくるものに体を震わせる。虚無――その月を見れば見るほど、どうしようもない、途方もない虚無がゼロシキの存在の全てを飲み込んでいった。震え始める、激しい音を立てて、地面を揺らすほどに、《機械》が震え始めていた。死神と、ゼロシキの目が合う。虚空、ゼロシキはその死神の目を通して、深淵をのぞきこんでいた。爆発したようなスピードで、《機械》が広がっていく、バケモノの胃の内壁のようなものが、どくどくと拍動しながら、死神とゼロシキをぐるりと取り囲んでしまう。何が起きているのか分からず、死神が戸惑うようにくるくるとその場で回って様子をうかがっている。しかし、それはゼロシキにも分からない、何もかも、ゼロシキにはよく分からなかった、たった一つ、シンプルなのは、死神を殺せばいいということだけ、殺して殺して殺しまくる、それは、きっととてもハッピーなことなのだ。


 「死ね」


 胃の内壁から、おびただしい数の触手が現れて、矢のように死神目がけて飛んでいく、全方位から襲いかかる触手を憐れで無力な死神が防ぎきれるはずもなく、たちまちにその体を貫かれてしまう。そして同時に触手は死神の体内を食い荒らしながら、ウジ虫のように中から外へ這い出し、そして再び中へと入り込んで、徹底的に侵しつくしていった。


 ごろん、という乾いた音がして、死神の仮面と大鎌だけが地面に転がった。《機械》はすでにゼロシキの手で元の大きさに戻り、静かに黒い輝きをたたえていた。ゼロシキは仰向けになったまま、大きくため息をついて、月を見上げている。もはや体が動かない、ぼんやりと、月を見ている、あの月をいったいどこで見たのか、ずっと考えている、決して、答えは出なかった。戦闘は終わらない、もうすぐ交代の部隊がやってくるはずだった。死神は途切れることなく襲いかかってくる、すでに、もう一匹の死神が、横になったゼロシキをはるか頭上から見下ろしていた。


 「今日は閉店させてくれ」


 皮肉に笑い、ゼロシキは再び《機械》を稼働させようとする。正直、体がぐったりして動きたくはなかったが、戦意を失えば死ぬだけだ。そのことを、ゼロシキは初めての戦場ですでに重々理解していた。ケタケタ笑いながら、死神が迫ってくる、大鎌が、月の光できらきらしていた。


 「雑魚が」


 明らかに戦闘能力が低い死神だった、仰向けになったまま、ゼロシキが《機械》を構える。しかしその瞬間、黒い塊が風を切り裂く音が聞こえ、そのまま死神にぶつかる。黒い塊は、槍のような形に変化した《機械》だった。死神は槍とともに地面に崩れ落ち、そのまま動かなくなる。ゼロシキは体を起こし、槍の飛んできた方を見る、そこには一人の少女が立っていた。長い髪をさらさらと夜風にゆらし、妙に強い輝きを秘めた目をして、ゼロシキを見ている。どうやら、《機械》を操る兵士の一人らしい。少女は、ゼロシキをじっと観察するようにしていたが、やがて槍を元の形へと戻すと、くるりと向き直り、まだ戦いの続いている荒野へと歩いて行ってしまった。


 ――何だ、あいつは?


 ゼロシキは少女の後ろ姿をじっと見つめていた。どうも、あの少女は他の少年たちとは違っている。目が、意思をはっきりと持っていることを示していた。絶望と虚無を抱え、命じられるがままに戦場に送り込まれている少年たちとは全く違い、あの少女は何かの考えを持って、《機械》を操る兵士になっている。何か、ゼロシキはそんなふうに感じていた。


 戦いは終わりそうにない、これからもずっと続くだろう。寝ている場合ではなかった。ゼロシキは立ち上がり、《機械》を真っ黒い翼へと変化させると、ふわっと宙へ浮き上がる。ゼロシキは、再び戦場へ戻っていく。唯一の居場所、唯一の幸福、それが、兵士となった少年たちにとっての戦場なのだ。

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