14

 黒風の翼フェーレ・ラフィミア・エイルーダ


 その機体に初めて触れたのは十一の月、二十日の朝だ。牽いてきたのはティルクだった。


 美しい流線型を描く機体は更にほっそりと風に寄り添う形状となり、正面を覆うグランス鋼は厚く、フェークライト鋼とシヴォライト鋼を二重に塗布したクレル塗装へと変化している。そして、新たな機能も取り付けられていた。隠密性を上げる為、魔力噴出孔から吹き出す風の翼を、闇属性の皮膜のようなものが覆い尽くす構造になっているらしい。従って補充する魔石の種類は二つに増えたが、魔石動力部分にも改良が加えられ、従来のものよりも更に軽く、丈夫で大きな補充空間となったようだ。勿論、風魔石と闇魔石を補給する口は別々であるから、それを取り違えれば飛び立つことが出来なくなるので、注意が必要である。その為、補給口の蓋には術式文字が浮彫で刻印されていた。


「研究所が開発した最新機体だ、乗ってみるか、ラナ?」


「……いいの?」


 彼女は風の翼フェーレ・エイルーダで事故を起こしている。それを知っていて尚、おじは当たり前のように訊いてくるのだ。


「ああ、事故を起こしたらしいな、あれはフェーレスのせいだと俺は聞いた……安心しろ、怒るつもりはない……だが、見ての通りお前は五体満足だし、腕輪を持っていないならおそらく問題はないだろう……ラナ、お前もサヴォラで行くことが決まっている、操縦が出来ないのは困るぞ」


 ティルクは行き先がどこだとは言わなかったが、それは間違いなく帝都だ。


 アーフェルズはアルジョスタ・プレナの一斉摘発と同じ日に動くことを決断している、十二の月の一日は眼前に迫っていた。反乱を起こした領地を助けるように反乱軍は手を貸し、隣国から支援を受けた武器や魔石などの物資を様々な方法で流している。


 スピトレミアで招集された軍が帝国軍を迎え撃つのは、エイニャルンの西へ半刻程歩いた地点、巨大な岩石が幾つも転がる見通しの悪い岩山地帯だ。二日前にラナもその現場を見に行ったが、巨石の隙間に追尾式の魔石動力槍が設置され、術士は皆、魔石の精製にありったけの時間と力を注いでいる、その中を、風魔石動力付きの脚部装甲をつけた何人もの若者が行き来していた。学舎で見た顔が何人もいて、視線が合えば、彼女に向かって温かく笑いかけてくれた。


 その戦いが始まる前に、彼女はティルクやアーフェルズ、エレミア、他何名もの中隊長格の者と共にエイニャルンから離れる予定であった。アルジョスタ・プレナの指導者との間で交わした秘密の約束を抱いて、彼女はシルダ宮の全ての扉についている魔石認証鍵を開け放ち、下層、上層の関係なく帝都の民を招き入れるのだ。


「……大丈夫かな、また、夢でも見たりしたら」


「これは何となく分かることだが」


 ティルクは腕を組んで彼女を見つめた。


「この間のあれで終わりではないかと、俺は思っている」


「……初代皇帝が出てきた、あれ?」


「ああ」


 おじは首肯してから何かを考え込むように顎に手を当てた。少し伸びた無精髭を邪魔そうに撫で、顔を顰めて、剃らないとな、と呟くのだ。


「根拠は?」


「ないが、何となく、だ……次がいつ来るかは分からないが、あの夢が何を訴えてきているのかわかった、とアーフェルズが言った、もう終わりだろう」


 だが、今まで見てきたその記憶の中で、クライアが結局どうしたかったのか、彼女はまだ見ていない。見ていたとしても、その記憶のどこにその真意があったのかが全くわからない。先程からの断定的な口調でティルクは何かわかったのだろう、と思ったりはするが、ラナは煮え切らないものを感じて首を傾げるのだ。


「アーフェルズは、何て?」


「守りたいものの為に、クライアという女が……俺達の先祖だが、何をしたのかというと、自分の身体を歪めてまで剣を打ったことだ、その歪みが、その女の記憶を、夢として俺達に見せているのかもしれない、と……あいつはそういう見立てらしい」


 彼女は思い出すのだ。記憶の中、治癒されていく傷の隙間から入り込んできた言葉に表し難い何か大きな力が、身体の中で血の結びつきを創り変え、どこかをこじ開けていくのを。だが、クライアはその変化を望まなかった。全き別の何かとして生まれ変わる筈であったその身は、途中まで何かが変わって終わってしまった。その変化は、子孫である二人に彼女の記憶を夢として見せることだけなのだろうか。


「後は、ラライーナの女……名前は何といったか忘れたが、あいつが今、アル・イー・シュリエに調査に行っている、そろそろ戻って来る筈だ、何か聞けるかもしれないな」


「……アリスィア?」


「そんな名前だったな、あいつがアーフェルズに協力しているのは大きい、大陸で一番力を持っている個人だ……アリスィアと共に、竜族も共にこっちの味方に付いた」


 彼女は思い出すのだ、竜の声を――小さき子、その高潔なる魂よ、迎え入れん、ラル・ラ・イーの眷属に――彼女の耳の中で始原の森に棲む竜の言葉が木霊している――されば、さだめの下に、力を与えん。


 触れそうで触れられないところに答えがあって、もう少しでそこに行きつけるような気がしていた。だが、あの記憶が何と結び付けられるのか、全くわからない。ラナは溜め息をついた。


「順当に行けば、この戦いは俺達の勝ちだ」


「……アーフェルズも言っているね」


「ああ、あいつ曰く、皇帝は此方に対して折れるつもりらしいが……」


 ティルクと目が合った。その青空のような視線が気遣うように細められたのを見たくなくて、彼女は黒風の翼フェーレ・ラフィミア・エイルーダの方へ一歩踏み出す。


「ラレーナ・キウィリウス・サナーレはもういないよ、ティルク」


「……お前」


「心配しすぎだよ、おじさん、私はもういいの」


 ラナはおじに向かって無理を取り繕った笑みを向けた、その下に秘密の使命を隠して。そうやって笑えば、彼は渋い顔で溜め息をついてくれるのだ。彼女は、いつも真っ直ぐに想ってくれて少し鈍くて、至極優しい微苦笑を向けてくるこの人が、大好きだった。


「……その呼び方はやめろ、って、何回も言っているだろう、ラナ」




「久し振りね、ラナ、アーフェルズが貴方に会ってこいって言うから、伝言と一緒に来たわ」


「いらっしゃい、アリスィア」


 アリスィア・レフィエールがエイニャルンに帰還したのは十一の月、二十二日だった。ティルクと一緒にサヴォラで飛行する訓練をやり直している最中のラナの部屋に姿を現したそのラライーナは、相変わらず蛋白石の装飾と前合わせの服に濃い色の腰帯、飾り袖を身に纏っていたが、今日は何故か背に布で覆われた棒のようなものを背負っている。それが気になって仕方がなかったが、もてなすのが先だ。彼女は立ち上がった。


「お茶を淹れるね、ケイン糖と牛乳、いる?」


「あら、ありがとう、たっぷり欲しいわ、大丈夫かしら……あと、ここに座ってもいい?」


 アリスィアの涼やかで落ち着いた声に、彼女は是と返す。


「うん、大丈夫、一杯あるから……座るところは何処でもいいよ」


 すると、椅子を動かす音が聞こえた。ラナは、水魔石動力機械を取り付けた冷蔵保管箱から、ケイン糖の入ったグランス鋼の容器と牛乳の入ったフェークライト鋼の筒型容器を取り出す。その奥に、暇に任せて大量に作った焼き菓子と、スピトと果実のゼリー寄せが、皿の上にグランス鋼の蓋を被せて保存してあった。


「……あと、ゼリー寄せかお菓子、食べる?」


「……あるの?」


 振り返れば、部屋の真ん中で、鳶色の両目がきらきらと輝いている。


「私が作ったものだけど、よければ――」


「食べる、欲しい!」


 わかった、と言えば、アリスィアは満面の笑みを見せるのだ。ただの女の子である。


 甘味を作りすぎたせいで皿が余っておらず、彼女は切り分けもせずゼリー寄せと焼き菓子をそのまま一皿ずつ出して持っていった。「竜の角」で働いていたおかげで、両腕に皿を乗せ、両手にフォークや筒型容器、グランス鋼の容器を持っても、何にも問題はない。


「器用なのね、貴方」


「多分「竜の角」で働いていたおかげかな?」


 腕に色々と乗せて、更に両手に色々なものを持って登場したラナに向かって、アリスィアは感心したように言うのだ。「竜の角」のことを思い出しながら返せば、興味津々といった表情で見つめてくる。背負っていた棒のようなものは、いつの間にか机に立て掛けられていた。


「どうしてまた、酒場だったのかしらね」


「何が?」


「貴方のお母様が貴方と一緒に来た場所よ」


 ラライーナは焼き菓子の屑と一緒にそんな言葉を零した。


 そうだ、と気付いたすぐ後に、何かから逃げてきたのだろうか、それとも出て行ったのだろうか、とラナは思った。それまで父――グナエウス・キウィリウスだ――の邸宅で生活していた筈だったが、十三年前に一体何があったのだろうか、しかし、彼女は母のティリアからは何も聞かされていない。形見の腕輪も、今はここにない。今、彼女はまた“ただのラナ”に戻っていた――アーフェルズの望みと自分の望みを叶える為に。


 わかっていたけど傍にいるのが辛かった、愛している。彼女は、母のその言葉だけをはっきりと覚えている。


「……何も聞いてないから、わからない」


「言えない何かがあったのかしらね」


 これ美味しいわね、貴方最高よ、などと合間に言いながら、アリスィアは曖昧に頷いた。


「うん、貴方はラナよ、あの人の願いを叶えるラナ」


「……そうだ、アーフェルズから伝言って」


 その言葉に、ラナは思わず顔を上げた。アーフェルズの願いを叶える、ということを、このラライーナは知っている。おそらく反乱軍の指導者が一体何者であるのかを知っている、或いは、言われていなくても既に見当がついているに違いない。


「……知っているの、アリスィア?」


「アルー・ウ・ゲル・オースタ、プレナ……二番目に光を支えるもの、あの人も曖昧な存在」


「……三人だけの秘密?」


「……ちょっといい響きね、それ」


 少しおかしくなって、二人は笑った。三人だけが知っている秘密。


「秘密といえば、何処かの洞窟で前に貴方に向かって言ったような気がするわ、私には壊さなきゃいけないものがある、って」


「……うん、聞いたような気がする」


「あれね、宮殿にある覇王の剣なの」


 その途端、ラナの脳裏に蘇るのは、クライアの記憶だ。


「……どうして?」


「私の夢の中で竜が言ったの、新しく眷属に迎え入れようとした者はそれを途中で拒んで、その代わりに力を欲したから、期限つきで力を貸した、って」


 その時だ、彼女の中で、誰かが、失せものを探し当てた。


「……じゃあ、期限が終われば、どうなるの?」


「……十三年前、アル・イー・シュリエで疫病が起こったことは、貴方も知っているわよね、ラナ」


 ラナは息を呑む。まさか、と思った。


「まさか、待って、じゃあ、私やティルクはどうして元気なの?」


「それはね、貴方達が帝都に引っ越していて、その場所にいなかったからよ……私ね、行ってきたの、そこに……今日、これを持って帰ってきたの」


 お菓子とお茶に覆いをしておいて、と言って、アリスィアは徐に立ち上がった。茫然としたままのラナが食べ物と飲み物に覆いを被せるのを待って、ラライーナは立て掛けていた棒のようなものを手に取り、覆っている布を手早く外していく。巻かれた布が床に落ちるにしたがって、何か言いようのないものがはらはらと舞った。灰だろうか、しかし、そこには翠を抱く苔も含まれているように見受けられる。


 やがて中から現れたのは、黒く煤けた鎚であった。


「私ね、これも、夢で見たの」


「……何、これ」


「クライア・サナーレの鎚よ……覇王の剣ケイラト=ドラゴニアを、打った、鎚」


 どうして、と訊かなくても、想像がついた。


 これで破壊するのだ。


「触っちゃ駄目よ、ラナ!」


 アリスィアの大声に、ラナは我に返った。


「――どうして」


 いつの間にか手を伸ばしていたことに気が付いたからというよりも、何も考えていなかったことの方に驚いた。硬い表情のラライーナは慌ててそれを布で覆い直し、更に自分自身の飾り袖も使ってぐるぐると巻き、彼女から遠ざけるようにして、足で踏むように、床に置いた。


「ごめんね、見せなきゃよかったかも……ラナ、貴方はね、術に掛かっているの」


「……術?」


 夢を見ているようだ、と思いながら、ラナは訊いた。


「そう、生まれた時から」


「……だから、夢を見るの?」


「……それは、わからないけれど、もしかしたら、そうなのかも」


 アリスィアは少し自信のなさそうな顔になる。そういう仕草を見ると、同じ年頃の女の子だ、と、彼女も思うのだ。だとしたら仲良くなれるだろうか、などと関係のないことが脳裏に閃いて、流星のようにあっという間に消えていった。


「もしかして、私が、剣を破壊するの?」


 ラライーナはぶんぶんと激しく首を振った。切り揃えた髪が左右に振り回され、その表情は憤りと哀しみに満ちている。凛と響く美しい声は掠れた。


「いいえ、駄目よ、触っちゃ駄目……そんなことしたら、貴方が……破壊するのは私……ラル・ラ・イーの眷属の、レフィエールの子の役目よ、夢を見たの、破壊せよ、っていう、お告げを、私は受け取ったの」


「……それ、レフィエールとか、ラル・ラ・イーって、なあに? 私、どうなるの?」


 自分がどうなるというのだろう、まさか、かつて疫病と呼ばれたものに身体が侵されるのだろうか。その想像に茫然としたまま、ラナは尋ねる。


 アリスィアは大きく息をついた。


「私を見ると、皆はこう言うでしょう、ラライーナ、って……その語源になっている、ラル・ラ・イーって、約束を守る者、っていう言葉なの」

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