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「しかし、私は公表をするように異議申し立てを行ったのですが、宰相の娘御が生きていると、どうして不都合なのでしょうね」


 サフィルスを待つ間、シーカ・パラウスはこんなことを言うのだ。


 イークライトには何となくわかっている、もしもアルジョスタ・プレナにその身柄があるとして、戸籍登録のない状態にしておくことは、足がつかないように工作をしているということだ。そう、彼は幼い頃に通っていた宮殿の端で、まだ小間使いの姿であったアーフェルズに、天馬落とし、という名の盤上遊戯を教授されたことがある。シルディアナの伝説を基にして作られたそれは、竜族と人族の王国に分かれ、秩序の象徴である天馬の形をした駒を囲んで奪い合い、王が落とされれば負けとなる。竜と人間、どちらにも姿を変えることの出来るどちらでもない種族の駒が各陣営に一つずつ存在して、その後の動かし方によって何にでも使える優秀な飛び道具になるのだ――まるで彼女のような。


「それは「精霊のいとし子」だろう……私の推測に過ぎないが、もし生きているとするならば、そういうことである可能性が高い、我が皇妃は色々と訳ありであった故」


「……成程、天馬落としの種族不明の駒ですか、陛下」


「そうだ……そうだな、気分転換にサフィルスが来るまで一戦やるか、シーカ」


 精霊のいとし子。口にした瞬間、彼の想いがヴァグールの纏う炎の如く、渦巻いた。人生の中でほんの少しだけと言っても間違いではない、彼が彼女と過ごしたのは僅かな時間であったが、忘れられぬものを大きな傷跡として残している。


 ラナ。風は彼の心を引き裂いた。


 天馬落としの盤は座り心地の良い長椅子の横に置いてあった。イークライトとシーカは低い机の周囲に配置された長椅子に、対面するような位置取りで座る。皇帝は盤面を持ち上げて机の上に置き、その向こうで取調局第五課班長は右手を左肩に掛けた。


「恐れいります、陛下」


「よい、この盤面の設定は私しか知らぬからな」


 彼はそう言いながら、竜紋の渦巻くクレル板の蓋を開き、駒を取り出す。歩数を刻む為に枡目が付いた盤だが、そのものが箱になっている。精緻な造りの美しい光魔石の駒は相当古く、シルダ家に代々受け継がれてきたものだ。人族の歩兵の駒に相当するのが竜族の翼なしの駒で、一歩ずつ進むことが出来る。騎兵は馬に乗り、強脚である大型草食竜と相対し、双方とも機動力に優れているので三歩進むことが可能だ。将軍及び属性持ちの竜は術を使用出来るが、詠唱すると決めた自分の番が去り、相手が駒を動かした後にそれが発動するので、その間に倒されてしまっては堪ったものではない。相手の駒のいる場所に自分の駒を動かして盤上から落としていくのだが、死んでしまった駒を三回だけ復活させることの出来る宰相は王の横に控え、王は全ての駒に割り振られた役目をこなすことが可能だ。


 そして、精霊のいとし子は、その姿を術によって変える不定形の駒だ。宰相の復活を享受することは出来ないが、動かすと決めた時から相手の順番が三度巡るのを待てば、その時点で天馬を手に入れられる。


 その背に翼を抱く美しい馬を取り囲むか、相手を全滅させた方が勝ちである。竜側を操るシーカはなかなかの使い手だった。イークライトが強脚竜の猛攻に顔を顰めながら将軍で屠っている間に、歩兵が良い距離を保ちながら隙間なく攻めてくるのだ。歩兵の使い方が上手い者は良い将軍となる、皇帝はこの盤上遊戯を教わった時に、幼いながらもそれを知った。


「やるな、シーカ」


 取調局第五課局長が、自陣で厳重に守った精霊のいとし子を発動した。駒が燦然と盤上で光り輝いている。だが、当の本人は微妙な表情でこんなことを言うのだ。


「サフィルス・ランケイア殿はまだですかね」


「好かぬか、この盤上遊戯は」


「……パラウスの家では幼い頃より徹底的に叩き込まれます」


 イークライトは将軍と歩兵を配置した向こうで、光精霊を撒き散らす駒をを取り囲む護衛を騎兵で蹴散らしながら、思わず笑った。突破する算段はついているのだ。


「得手ではあるが、好かぬか」


「兄や姉に散々打ち負かされて、良い思い出が残っていないのです……ああ、ほら、陛下の方がお強い」


 順番が二巡りする間に、美しい竜翼を抱いた人型の駒を皇帝の手が浚い、光は失われた。シーカ・パラウスは軽く息をついて口を開く。


「……ここまでにしておきましょう、陛下」


「まだだぞシーカ、囲め、囲め」


「サフィルス・ランケイア、馳せ参じました、イークライト・シルダ皇帝陛下」


 と、呼び付けた人物の声がする、振り返ればきっちりと近衛の正装に身を包んだサフィルス・ランケイアが右手を左肩に掛けて礼をしていた。いつの間に居室の中に入ってきたのだろうか、天馬落としに夢中で気付かなかったらしい。シーカは驚くこともなく肩を竦めてみせただけだったので、気付いていたのだろう。


「すまぬ、暫し待て、サフィ、もうすぐで決着だ」


「……天馬落としですか、陛下」


「シーカの方の精霊のいとし子を取ったのだ」


 言いながらイークライトは気付いた。怪訝な表情をしている近衛騎士に向かって微笑みかければ、僅かに首を傾げられる。


「だが、囲んでしまえば終いだ……ほら見ろサフィルス、シーカは歩兵を動かすのが上手いだろう、これは民だ……似ていると思わぬか」


「陛下」


 諫めたのはその場で全てを見守っていたレントゥス・アダマンティウスだった。


「シーカ・パラウス、対局を中止せよ」


「……ですが、アダマンティウス将軍」


「呼び出した者は来た」


 シーカは皇帝に対して一礼をし、その席から下がる。イークライトは喋りすぎたと思ったが、どうしてか、それさえも愉快に思えた。代わりの者など幾らでもいるからだ。


「サフィ、座れ、其方と続きがしたい」


「……ですが、陛下」


「構わぬ、其方ならば容易であろう」


 アダマンティウスは何も言わない。取調局第五課班長ではなく、最も若い近衛騎士ならば構わない何かがそこにあることを悟って、彼は小さく笑った。長椅子に腰掛けたサフィルスの胸当てとマントを留めている鎖が触れ合う音を立てるのをやめ、篭手を嵌めた指が迷いなく美しい竜の宰相を摘まんで残り一回となっていた復活を強脚竜に使った時、皇帝は口を開く。


「して、姉御は元気か?」


 その指がぴくりと震えた。合った視線が鋭い。


「……何のことでしょうか」


「そなたも隠し事が下手か、姉御や兄御がいると家を背負う必要もあまりないとは思えるが、ここに……皇帝の居室にいるということの意味はわかっている筈だろう、色々なやり取りをしていて少し忘れていたか? 伝手があると言っていたではないか、サフィルス、其方、私に向かって……忘れてしまったのか、あの日、其方の誓いに私は勇気付けられたのだ」


 サフィルスは無言で強脚竜を動かし、竜王を追い詰めようとしているイークライトの兵士を屠りながら、そっと微笑んだ。


「例えこの身が消え失せようとも、私は陛下の御側におります、このランケイア氏族のサフィルス」


 盤の上では将軍が竜の宰相を追い詰めている、皇帝は精霊のいとし子に触れた。人型が変形して美しい竜翼を抱く剣を象り、輝きを増す。


「時には剣に、時には盾に、時には全てを押し流し、迷う船を導く、激しくも優しい水の流れとなりましょう、全ては陛下の御為に、それが私の至福に御座います」


 近衛騎士は真っ直ぐイークライトを見ている。その指が将軍を倒し、光を纏う竜王の像をそこに置いた。気付いてみれば、中央に配置された天馬を、八体の竜がぐるりと取り囲んでいる。


「私の勝ちです、陛下」


「……そのようだ、手加減もなしとは、流石だ」


「陛下は手強かったですよ」


 サフィルスは微笑んだ。真意は見えない。


「先に謝罪申し上げます、御無礼をお許し下さい、陛下」


「後ろめたいことでもあったのか?」


「いえ、そうではなく」


 穏やかな晴れの日のような双眸がイークライトをそっと受け止めていた。するりと落ちてくる太陽色の髪は天馬落としの駒の放つ光を受けてきらきらと輝いている。


「陛下の担当に配属されてから二年が経ちましたが、弟が出来たようで嬉しかったのです」


「……弟」


 彼は予想だにしていなかった言葉に不意を突かれた。てっきり、宮殿を脱走した後に待っている長ったらしい説教のようなものがその口から飛び出してくるのだろうと思っていたからだ。自分を供に付けてくれとサフィルスが進言するのはいつものことだったし、秘された皇帝である彼はそういった窮屈が嫌で、徐々に目立つ外見での隠密行動を上達させていったのだが。


「ええ、何にでも興味を示して外に出たがる好奇心旺盛な弟です……陛下も御存知の通り、私はランケイア氏族直系の三男、末の息子で、下はおりませんので……最初はもう、前触れもなく突然いなくなられて、とんでもないお人だと憤ることが毎回でしたし、面倒だとも思いましたし、今も時々思うこともありますが……ある時、一年前ですね、覚えておいでですか? 後を追った先で、陛下が噴水の近くで自ら白石を手に、子供達へ学問を御教授なさっているところを、その時のお顔を、拝見してからは……尚更、貴方様を私が守らなければ、と思うようになりました」


 下等学舎の無償化と中等学舎の学費の減額修正の法が帝国全土で施行される前の話だ。その時も、サフィルスが大量の小言と一緒に迎えに来たような気がする、と彼はぼんやり思った。少しだけ視線を動かせば、何と、普段から殆ど表情を動かさないレントゥス・アダマンティウスが柔らかな微笑みを見せていて、驚いた。その後ろでシーカも微苦笑を浮かべている。


「誰が何と言おうと、貴方様はシルディアナの光です……帝国東部ではこのように言うのでしたっけ、私のステーリア?」


「……大切な人に愛を囁く時にそう喩えるのだと、ラナには聞いたが」


「身体の交わりなど必要ない、私にとっては大切なお人です、我が光の精霊王よ」


 不思議な熱が彼の身体を駆け巡っていった。


 盤上で追い詰められなかった為政者は、宰相と共に微かな燐光を纏いながらそこに並んでいる。クレル板に覆われた指が光魔石の王をそっと摘み取り、イークライトの目の前でそっと振った、その動作がとても優しい。


「イークライト様……陛下がお強いから、こうやって天馬落としでも生き残られた」


「……サフィ」


「姉も兄も了承済みです、私は、陛下の御側にいることを決めました……その為なら」


 近衛騎士は小さな王をそっと握り締め、目を伏せた。その視線の先には盤上から落とされた兵士が転がっている。


「私は、盤上から消えても構いません」




 キウィリウスが来たのはそれから一刻後だった。


 それに続いて将軍が皇帝の居室を訪れた。だがしかし、ガイウス・ギレーク竜騎士団長を筆頭に、飛空団長、海軍団長の姿が見当たらない。


「ウイブラ領主、竜騎士団のガイウス・ギレーク将軍との連絡は途絶えました、バルタール領のヨルハン・フィエテス飛空団長も同様に姿が見えません、離反と見て宜しいかと」


「ライマーニ領と外港に詰めている海軍団長デルピヌス・マーレンはどうした、キウィリウス?」


 イークライトが訊けば、眉間に皺を刻み込んだ宰相は貴族らしく黒虫を噛み潰したような顔で答えた。


「それが、外港付近での小競り合いが頻発しており、警邏だけでは抑制出来ず海軍を動かすことが不可能だ、との情報が入ってきております、デルピヌス将軍本人は健在とのことですが、それ以外は、何も」


「伝令を送る余裕すらないと見るか、小競り合いの相手さえ分かればと思うが……しかし、どちらにせよ、これでよくわかった」


 彼が軽く溜め息をつけば、将軍達は黙ったまま重々しく頷いた。そして、キウィリウスは決断し難いことを口に出すのだ。


「竜騎士団及びウイブラ領はどうされますか、陛下」


「そうだな――」


 軍の一部を向けて平定を図ってからの他領との併合、或いは新領主の派遣を頭に思い描きながら、イークライトが口を開いた瞬間だ。


 激しく扉を叩く音が聞こえ、その場にいる者の間に緊張が走った。


「――サフィ」


「はっ」


 彼はサフィルスを差し向けた。将軍達が各々の得物に装着された魔石動力機械の起動釦に手を掛け、いつでも刃を抜いて飛び掛かることが出来るようにと体勢を整えた瞬間だ。


 近衛騎士が開け放った扉から、兵士が転がり込んできた。


「伝令! 中央広場にて賃上げ要求が暴徒化しております!」

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