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 魔石動力に関しては取り扱いに注意が必要である、というのは、ラナ自身も中等学舎の頃にしっかり学習したことである。


「魔石そのものは、一定以上の衝撃を与えると魔力を放出するというのは、諸君にとっては周知の事実かと思う」


 中等学舎、再受講の組の講義が始まって暫く。三十人程がゆったり座ることの出来るすり鉢状の講義室で、彼女は退屈することもなく、一年前に一度受けた講義をもう一度噛み締め、時々植物紙の帳面に覚書をしながら聞いていた。


 フェークライト鋼の箱の中に魔石を閉じ込めてから一定の衝撃を加えて魔力を生み出した場合、精製された鋼を伝って造り出された魔力が放散してしまうという結果が、帝政初期の動力革命期に導き出された。


 シヴォライト鋼は、試行錯誤が重ねられていた動力革命期に発見された、魔力を一切通さない金属である。だが、風魔石であれ何であれ、シヴォライト鋼はフェークライト鋼と比べると硬さに劣り、やや割れやすいという特性を持つ。鉄や銅、フェークライト鋼など、魔力の放散が観測される金属であれば損傷することはないのだが、シヴォライト鋼はそれが見られない故に大事故に繋がるのだ。


「一定以上の衝撃をシヴォライト鋼の魔石動力に与えるとどうなるか、アルデンス」


「爆発します」


 ぼさぼさした短い赤毛のアルデンスという男子生徒が、部屋の中央に設置されている台の上に乗せられた魔石動力模型に触れている教授の問いに答えた。撫でつけた短い鳶色の髪には白いものがちらほら混じり、指導をする立場を表している深緑のローブと首から下げている学鎖は大分草臥れ色褪せていて、教授歴が長いことを示している。真ん中に立つその人は、今度は青灰色の目でラナを見た。


「そう、平たく言うとそうなるな、もうちょっと詳しく……どうだ、ラナ」


「サヴォラの動力同士が衝突した時だと、シヴォライト鋼にひびが入り、本来一定量ずつ消費されている筈の風魔石全てに衝撃が伝わり、膨大な量の魔力放出が起こって、衝突したもの同士や周囲のものを全てずたずたにします」


 彼女がそう答えると、教授が真顔になった。


「……詳しいな、見たのか?」


 ラナは首を振った。


「いえ、凛鳴放送でちょっと聞いたことがあるだけです」


「帝都周辺地方限定の放送か」


「……はい」


 周囲の生徒がちらちらと彼女を振り返る。居心地の悪さは僅かにあったが、そんなに気になるわけではなかったので、ラナは取り敢えず話を聞く体勢のまま手元の帳面に視線を落とすに留めた。


「帝都でのサヴォラ事故の話はいつだったかな……シルディアナ日報紙にもあったな、サヴォラ免許も関連してくるから、ここでの例はサヴォラにしよう……先程ラナが言った通りだ、サヴォラに搭載されているシヴォライト鋼製の魔石動力同士が衝突すると、シヴォライト鋼に亀裂が入って、動力内に投入されている風魔石ほぼ全てに衝撃が伝わり、膨大な量の魔力放出が起きる、そして半径約十メトラムを巻き込んで全てを切り裂く……破片は約四十メトラム四方に飛び散ることになる」


 四十メトラム四方といえば、広さにして帝都の大型集合住宅一軒分ぐらいの大きさである。竜の角とその隣の建物を合わせた面積ぐらいだろうか。そう考えてから叫びだしたくなったが、ラナは耐えた。既にあの日から数日経っていたが、空を飛ぶ夢と師匠を手当てする夢の間に血と悲鳴がちらつくようになっている。あまり眠れていなかった。


 だが、ここで悪夢を齧りながらぼうっとしている場合ではないのだ。彼女には心に決めたことがある。


「衝突を避けるのは当たり前のことである、と諸君には認識しておいて欲しい……砂漠燕程度の速度を出して飛ぶサヴォラが互いに衝突しても魔石動力の損傷が起こらない技術も、衝突時の安全脱出装置も、スピトレミア領主ネーレンディウス様の計らいで開発中ではあるが、こうした事故は起こさないのがサヴォラ乗りの常識だ」


「教授」


「どうした、スピシア」


 既に習った知識ではあるが、サヴォラ乗りの心得として、また復習として心に刻み込んでおく必要がある。ラナはこの後に騎士課程の初講義も控えているから、やらなければならないことは多いし、覚え直したいことも多い。他の生徒が手を挙げて質問する内容についても決して聞き逃してはならない、と決めていた。


「衝突速度によって魔力放出の威力も変わりますか?」


「いい質問だ、物体が飛ぶのが速ければ速い程、威力は増す……砂漠燕形態の翼はサヴォラの高速飛行を可能にするが、事故の危険性も高い……サヴォラは、安全面に関してはまだまだ発展途上にある……年老いた私はもうサヴォラの後部座席にしか乗れないが、長年操縦桿を握ってきたからな、スピトレミアで魔石動力を覆う衝撃緩和材の開発にも携わっているぞ」


 帝都の中等学舎とは違った話を聞くことが出来るので、非常に有意義でもあった。居眠りなど勿体ないことこの上ないが、ラナのすぐ前に座っている生徒は頭を抱えて沈没している。彼らがいるのは再受講の組だ、一度受けた講義だからと油断しているのだろう。


 ラナは十四歳と半年頃から十六歳になる直前まで南街区の学舎へ通っていたが、講義の進みはその時の二倍の速度だ。座学に関しては全て受講し終わっていたのが救いである。スピトレミアだからこの速度なのか、はたまた再受講であるから飛ばすのか、と思ったところで、学舎の中庭に設置された鐘が五の刻を奏でた。


 昼の休憩だ。


 ラナは、エイニャルンの崖の部屋に一人暮らし。白いシヴォライト鋼の箱に詰めてきた昼食は自分で調理したものだ。彼女は現在ティルクの庇護下にあり、彼から必要なものを供給して貰っている。その中には衣服やサンダル、ブーツは勿論、柔らかい布や調理器具、食材、果ては女性用の日用品までと多岐にわたっていた。一番最後に関しては少々気まずい気分にもなったが、用意して貰えるだけでも有り難いものである。


 少し気分を上げていきたかったので、ラナは建物の外へ出ることにした。学舎の中庭は長椅子が幾つも設置されており、そこで昼食を取る者も多い。竜肉の米粉包みを齧る男子生徒、スピトゼリーをフォークでつつく女子生徒、学舎の外の屋台で売っている飛行ウミウシの甘辛串焼きを大量に持ち込んで大勢で分けている集団など。それを尻目に彼女は歩く。美味しい匂いに満ちた中庭の隅にまだ誰も座っていない長椅子を発見し、中庭で賑やかに休憩時間を過ごす生徒達から遠い方、左隅に腰掛けた。


 さて、今日の食事箱の中身は竜肉のワイン煮込みである。竜の角で出していたものと比べると使用した食材は少ないが、どうしても自分の手で再現したくて、ラナは草食竜の肉やワイン、煮込む野菜、鍋などの用意が面倒なものをティルクにねだったのだ。そうして完成した竜肉のワイン煮込みだが、箱に詰める前に我慢出来なくなって一切れだけ切って味見をしたのだが、中々に美味しかった。


「大地の精霊王がもたらす恵みに感謝を」


 いつも、この聖句は忘れない。


 早速ナイフで切り分けた竜の肉を一切れ口の中へ放り込んだ。ナグラスの作るもののように複雑な味は出せなかったが、長時間煮込んだ肉はあっという間に口の中でほどけた。脂身の甘みがソースと混じって十分美味しい。懐かしさと哀しみのせいで思わず涙が零れそうになって、左腕で目元を擦った。今度は人参を一口。歯に繊維が挟まらないくらい煮込んだおかげで、その甘味とソースの酸味が舌の上に広がり、心の中に幸福感が生まれた。


 美味しい。


 食べて、笑って、寝ろ――二百年程前のサントレキア大陸の英雄の言葉であるが、美味しい食事とは当に充実した生には欠かせない、それを自分で作り出せたのだから、少しだけ心も慰められたような気がする。ラナは口角を緩めた。


 その時である。


「美味そうだな」


 不意に聞こえてきた声に、心臓がどくりと跳ねる。一月前、その言葉で彼女に声を掛けてきた若者がいた――だが、声が違う。


「隣、座るぞ」


 ラナが振り返ると、そこには陽の光を受けて輝く長い金髪ではなく、ぼさぼさした短い赤毛の青年がいた。気が付いてみれば思い出すのは早い、再受講の教室で聞いた声である。


「……えっと」


「アルデンスだよ」


 目の色は澄んだ青だ。ティルクの色と似ている、などとラナは思った。


 アルデンスは言うが早いか、彼女の右隣にどさっと腰を下ろす。手に持っていた紙の包装を解いて竜肉の米粉包みに噛り付く横顔に得体の知れないものを感じたところで、流された視線が此方を向いた。


「お前も騎士課程?」


 口の中にものを入れたまま話し掛けてきた彼に対し、ラナはただ頷くのみに留めた。


「そんなに警戒するなって、俺も騎士課程落第でやり直しだから、工学難しすぎ」


「……私は落第じゃなくって、編入」


 一緒にされてはたまったものではない。


 アルデンスが口の中のものをごくりと飲み込んで更に話し掛けてくる。


「じゃあ別の地方出身か、何処だ?」


「……帝都」


「やっぱりそうか、サヴォラ事故の話でそうじゃないかと思った、エイニャルンじゃ見ない顔だしさっきから気になってさ」


 よく喋る青年である。ラナは自分の食事箱に向き直って食べるのを再開することにした。


「いつからこっちに来た?」


「……五日前」


「へえ」


 暫し双方、黙って食事を取るかと思いきや、アルデンスは沈黙を嫌う性質なのか、竜肉を頬張るラナに向かってまた話し掛けてきた。


「あんまり喋らないんだな」


 竜の角でイークの食事に同席していた時とは全く違う、と彼女は思った。


 ラナ自身の経験と心の状態のせいもあるのだが、様々な知識や雑談を自身の内側から拡げてその場にいる他者を会話の中に巻き込んでいくイークと違って、右隣の青年は最初からラナの事情に踏み込んでくる。回りくどいのは苦手なのだろうか。イークとはあまり性格が合わないかもしれない、などと彼女は思って、食事箱の蓋を閉めて立ち上がった。


「え、もう行くのか?」


「……お腹空いてない」


「騎士課程は早速訓練だぞ」


 ラナは右隣を向き、少し大げさに肩を竦めてみせ、努めて明るい声を出した。


「大丈夫、有り難う」


 彼女はアルデンスを残してそこから立ち去ることにした。作ってきたうちの半分程度しか食べられなかったけれど、居心地の悪い状態から抜け出す方が先である。それに、屋内でも食事は可能だ。第一、真っ直ぐ踏み込み過ぎるきらいのある人は苦手なのだ。彼女は妙に腹立たしい気持ちと清々した気持ちを同時に抱え、少々持て余しながら、そう思った。


 なので、ラナは知らない。アルデンスが米粉包みを齧りながらこう呟いたことも。


「あいつ、大丈夫かな……一発目から走るけど」

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