Ep.1.5

追憶

「ネレン」


 呼ばれ、首だけで振り返ると、そこには見慣れた男がいた。


 肩甲骨の辺りまで伸ばした美しい金髪を後頭部で括っている。平民らしからぬ優美な顔立ち、澄んだ明るい緑の目と口角には、穏やかではあるが食えない微笑みが浮かんでいた――それだけで彼の出自や育ちがそれとなく伺える程に。


「手短に頼む」


 そう返せば、口角に浮かべられている笑みがますます深くなった。


 岩肌を削り、粘土で均し、腰の高さに相当する位置から天井を全て白く塗った壁。光魔石の照明一つで事足りるように設計した部屋の中は、昼夜問わず光を反射しており、明るい。だが、目の前に立つ男の弧を描く唇に、環境光が戦って勝てるわけなどないように思えた。


「駒が見つかった」


 そう。薄く開いた口の奥、腹の中では、間違いなく、底知れぬ闇とそれに相反する自己犠牲を伴う一条の光の如き決意が、互いを喰らい合うかのように渦巻いている。初めて会った時からそれは変わっていない……そして、それは自分も同じだ、目的を成し得んが為、盤の遊戯に興じる人と同じ表情で、人の形をした駒を動かす。


「あんたが前に言っていた婚約者候補に相当するものか」


「それが、婚約者候補本人……ティルクからの報告だ、よくやってくれたよ」


 彼は喜びを口にするような声色で語り、何かを隠すように下を向いた。さりとて、何年も前に目の前の彼自身から聞かされた彼の立場、出自を思えば無理からぬことではある……己よりも、もっと。そう思いながら口を開いた。


「証拠は」


「腕輪」


「そうか……見込みがあるなら婚約者候補を連れてきて仕込め、なんなら俺の権限でサヴォラ免許くらいなら発行してやる」


「それは有り難い……軍の若衆を百人差し出してもおつりがきそうだね、随分前に聞いた話はとても有益だったようだ、彼にとっても、私にとっても、貴方にとっても」


 決して情がないわけではないのだが、美しい笑顔を振り撒きながら背筋の寒くなるような思考をする男だ。尤も、他人のことをとやかく言えたものではないことは、自身とて、自覚している。


「そうだな、頃合いを見計らって帝都で励む親の元に戻す……婚姻が成れば、如何様にも使って解体させることが可能だ……と、ここまで読んだだろう、あんた」


「流石、スピトレミア領主、ネーレンディウス様……私をよく理解していらっしゃる」


「……いや、あんたには敵わんよ、アーフェルズ」


「どうだろう、先代どののアル・イー・シュリエの件を鑑みるに、貴方も大概じゃないかな?」


 アーフェルズが面白がるような表情になった。光魔石の照明を受けて、それはとても明るく見える。見えるだけだ。


「……あんたと一緒で、自覚はある」


 十三年前、先代がスピトレミア領主であった時のことだった。領主の館、立っている部屋の執務机の左側の引き出しにある小箱に保管された三通の密書。そのうちの一通に書いてあった切れ目の年に、先代の命に依り、彼の地で目の光を失った者を幾人か捕らえ、その様子を電子画に残し、一人をラ=レファンス魔法研究所に、もう一人を帝都に護送したのは自分である。研究所からの便りは、アル・イー・シュリエ地方の人々が我を失った要因を記す、というものであったが、その報告が来る前に私は同じ内容の書かれたもの、小箱の中の二通目を受け取っていた。そしてその後、住民全てを集めてのアル・イー・シュリエ村落の焼き討ちという出来事が起こる。それは、病故に床に臥せっていたファールハイト帝の代理として政治を行っていた宰相キウィリウスの返事であった。国内外問わず、この事件は日報紙やシルディアナ放送で報じられた――目から光を失った者達は、わが身が傷つくことをも恐れずまるで傀儡のように、皆が同じ方向、帝都を目指していた、術を介して人的に生成された何らかの疫病だろう、早急に研究を行い再発防止に努める、と。


 他ならぬこの、自らの手で拓いた道だ。


 それ以前にも、積み重ねられた出来事と偶然は数多。


「何人死んでも、もう一緒だからね」


「俺は……先代の、それも過ぎたこと……だが、あんたはこれから起こることだ」


「どちらも変わりないよ、貴方の背負う過去だ、そして、私も」


 スピトレミア近辺は暑い地方だ。だが、アーフェルズの言葉を聞いて、己の背筋に薄ら寒いものを感じた。


 自身とて、常に陰謀を巡らせてはいるが、その前に一地方の領主である。百年以上前にミザリオス帝の侵略を受けて以来、スピトレミア地方はシルディアナ帝国に与した。それは、ひとえに民の命と、その命綱となっているエイニャの涙――湧き水を守らんが為の、先祖の決断である。


 それはスピトレミアの民にとって腹立たしく、悪いことであったかもしれないが、少なくとも間違いではなかったと自分自身は思っている。憤る者達に良き捌け口を用意するのも、上に立つ者の重要な仕事だ……先祖や自身にとって、それは術力を持つ若人達を学舎へ導き、ラ=レファンス魔法研究所への遊学を勧めることであり、三十年前に起こった動力革命の恩恵を受けてからのサヴォラ開発であり、ラ=レファンスに勝るとも劣らぬ先端技術の発達であり、周辺諸国への技術協力であり。全てにおいて、得られる利潤ではなく、民の過不足ない暮らしを最優先してのことである。


 だがしかし。目の前の男は、数多の命がどれだけ犠牲になろうと己が信ずる道を突き進む、というのか?


「やりたいことはわかる、その理由もわかる……だが、目的を果たす為には、それでいいのか」


 気付いたら、そのような言葉が自身の口から飛び出していた。我ながら驚いたが、それだけだった……一領主として言っていることは正しい筈だ、況してや、崩れぬ鉄壁の笑みを浮かべ続ける相手は――


「よくないね、だから……私は足掻くよ、ネレン」


 ――過去がどうであれ、アルジョスタの指導者であるのだから。


 利用はするけれどね、などとさらりと付け足すような男は。




 それが、遡ること一月前の出来事。


 岩音一つ響かぬ静かな夜だ。


 思うところあって、執務机の三通目の密書を探り、取り出して――綺麗に均された植物紙の表面は大分変色しており、これが尤も古いものだ――今一度、読み返す。至極丁寧な字は女のものだ。


 これを書いたのは、十三年前、帝国の宮殿に仕官していた者である。


 そして、自身は、彼女のことを知っている。


 まだ自身が幼い頃、三つの言語を混ぜて暗号にして遊ぶ、という、暇潰しにして最高の言語習得技を教えてくれたのは、叔母のアルフェリアであった。共にサヴォラに乗り、共にエイニャの涙に集まる精霊を捕まえて遊んだのは、アルフェリアが十五の年を迎えるまで。それから、もっと金を稼ぎながらスピトレミアの発展の為に色々な駆け引きを勉強したい、と、その人は帝都へ仕官しに行った。男よりも剛毅で、且つ挑戦的なその性格が羨ましい、と、何度思ったことか。


 だがしかし、帝都へ行ってからは当たり障りのない手紙のみを数通寄越すのみで、アルフェリアは一度も帰って来なかった。


 この密書は、アルフェリアからの最後の連絡だった。


 波紋のような西方のイェーリュフ文字や、石と草木文様の如し大陸共通文字、火山を想起させ野性味を感じさせる犬人文字を混ぜて文章が書かれている理由は、そこらの人間に読ませない為であることがあからさまである。この内容が非常に重要であると書き手自ら示しているも同然であるので、普通ならば密書とは言えない代物だ。一見すると、知恵の働かない者の特徴に過ぎない――内容ではなく、誰から送られたのかを明確にするものだから、これで良いのだ。差出人は間違いなく自分である、と主張している。


「これから送り出す息子を頼みます、アルトはいい子です、必ず貴方の役に立つでしょう」


 何とはなしに音読してみたが、何も得られなかった。得られる筈がないだろう。いつの間にか婚姻を結び、いつの間にか息子をこさえていたことだけが分かるだけだ。


 この言葉が来たすぐ後に、まだ青臭い若者であったアーフェルズによって、アルフェリアの訃報が届けられた。


 あの叔母が何を何処まで考えていたのかなど、本人が死んでしまっているから、もうわからない。少し遠い身内だった。だが、時折胸に手を当てて立ち尽くし、今でも岩山を駆けまわったり共にサヴォラに乗ったりする夢を見る程に、いつの間にか心の中に生まれていた様々な感情を持て余していた。憧れと恋と愛が臓腑のあたりで綯交ぜになっていたのだろう……きっと。


 起こったことを恨んでも、やり直せるわけではない。ありったけの、行き場のない哀しみや怒りをかき集め、込めて振り上げた拳を下ろす場所がいつの間にか分からなくなっていて、自身がたった一人の存在に引き摺られていることに気付く。誰の為にと問われれば間違いなく、彼女の為――彼女の夢の為、と即答出来る、今も。


 何の為にと問われれば、民。だが、己の器は、スピトレミアのみしか受け入れられない。


 来る筈だったアルトもいない。


 その代わり、今、自身の隣にいるのは、毒を秘めた蛇蠍如きよりも気高き白竜と形容すべき、アーフェルズという男である。彼はアルフェリアによく似ており、そのかんばせを目にする度、己の心に生じている隙間を風が駆け抜けていくような心地がした。この男が成年であった時から――出会った時から、今に至ってもずっと。彼は今、一つ目の計画を完遂させようと、帝都へと出ていた。夜明けに戻って来る筈だ――


「……あんたは、目的を果たす為には、それでいいのか」


 ――帝都にいる筈の大勢の仲間と共に、戻って来る筈だ。


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