エピローグ

「すまなかった」

 事件を聞いて飛んで帰ってきた室長のお父さんこと青竜せいりゅう甘草かんぞう氏が、深々と頭を下げていた。

「私が南米出張の間、多少は男女の過ちくらいあるかもとは思っていたけど、いやはや二度も死にかけたとは、申し訳ない」

 いまどさくさ紛れに、とんでもないこと言いましたね?


「こんな大事件になっているなら、なぜ私に知らせてくれなかった。すぐに戻ったのに」

 とがめられた響さんが恐縮している。室長をかばって言い訳をしない。

「あなたのお仕事が、わりと国の趨勢に関わってるっぽいので、五味子さんも遠慮したんだと思いますよ」

 かわりに、なぜか自分が弁解していた。


「それより、五味子さんに大ケガをさせてしまって、自分のほうこそ」

「いやいや、あの子はきみに殺されるなら本望だと思うよ」

 さらっとまた、すごいこと言ったが、彼女の部屋を見てしまった以上、十分にあり得ることだと納得できた。

 彼女の愛が重い。重すぎる。


「じゃあ……今日は、自分だけ学校に行ってきますので」

「ああ、気をつけて。本当に警護はいらないかな?」

「ええ、まさか自分が誰かに狙われるってことはないでしょうから」


 徒歩だから早めに家を出る。


 でもいいんだろうか。


 紫雪はほぼ有罪が確定だ。いろいろ余罪が暴かれることだろうし、どれひとつとっても、そうそう刑務所からは出てこれない懲役が科されるだろう。

 出てからも厳しい監視がつくはずだ。

 つまり、もう危険は去った。

 室長が毒殺されるなんて可能性は、限りなく低い。

 なのに自分がこのまま屋敷に住まわせてもらっちゃうなんて……。


 考えながらの登校だったので、校門についたのは遅刻ギリギリの時間だった。

 教室に入ると、みんなが一瞬ざわめく。

「あれ、歴山のやつ、今日一人だぞ?」

「そっか、フラれたんだな」

「そりゃそうよねー。青竜さまとは不釣り合いだもん」

 声を低めるでもなく、勝手なウワサをたてている。


 ふふふ、そう思いたいのなら、そう思いたまえ。

 おかげで、今までの針のムシロ感が、少しずつやわらいでくれそうだ。

 そうだ、自分は五味子さんとは、なんでもないのだ。

 彼女にもあとで言い含めておこう。


 と安心して席についたのも束の間。


「あ、青竜さんおはようございます!」

 クラス中が歓迎の声をあげた。


 その先、教室の入口を見ると。

 制服の下から、痛々しいまで包帯が見えている格好で、室長が立っていた。両側に松葉杖までついて。


「きゃー青竜さん……」

「ええぇ!?」

 自分以上にクラスメイトが驚いている。


「そのおケガはいったい」

「この傷か。言うなれば愛の証じゃな」

 ちょっ!


「昨日は、歴山にあまりに激しく抱かれたゆえ失神してしもうたが、傷が痛むたびに、その愛を実感できる」

 ざわっ。

 教室の空気が一転した。


「待って待って、それ誤解だから! 違うんです!」

「激しくって……てめえ」

「いやあああ青龍さまあああ」

「いや、誤解だよ、誤解だって!」

「なにが誤解じゃ。歴山は、わたしの身体をすみずみまで……」

「なんだと!」

「なんでそのケガで素直に病院で寝ててくれないの!?」

「いやいや、おぬしの弁当はわたしが作ると約束したではないか」

 風呂敷包みの重箱が、どーん机の上に置かれた。

「おぬしの要望どおり、滋養強壮、精力激増に配慮した献立じゃ!」

 クラスのざわめきがさらに大きくなる。


「とくに亜鉛が十分に摂取できるよう、素材を選び抜いたぞ。季節はずれじゃが定番カキフライに、牛肉のチーズ巻き、煮干しに豚レバー。これだけ食べたからには……どうした?」

「なに言ってるんデスカ……室長サン……」

 自分の顔からはすっかり血の気が引いていた。


「なあ、れきっち。亜鉛って、どういうこった?」

「精力激増って?」

「あんた青竜さまとどういう関係なの?」


 クラスメイト全員が自分に詰め寄ってくるや、しだいに、小突き、はたき、首を絞め、泣きわめき、問い詰め、まさに教室内は阿鼻叫喚の様相を呈していた。

 おいおい、モップとかワックス缶を持ってきてどうするの。

 あ、あ、竹刀やめて。弓もやめて。

 痛い。死ぬ。やめ……。


 父さん母さん、神農大帝さま。

 今日も自分は、警護対象の手弁当で……絶体絶命です。


《完》

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公儀お毒味役だけど警護対象の手弁当で絶体絶命です モン・サン=ミシェル三太夫 @sandy

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