三、神農大帝
紫雪
自分が頭突きでノックすると、扉が内側に開かれた。
裏切りのSPである防已さんが立っていた。自分から顔をそむけている。
「お仕事、ご苦労様です」
声をかけると、彼のノドが鳴った。
何もかもがどうでも良くなった自分には、今さら彼に怨みも何もない。
彼には彼の立場がある。そう思って、声をかけただけなのだが、皮肉にとられてしまったようだ。
地下シェルターと聞いていたスペースを見回すと、そこには数人の男達がいるのに気付いた。
「クソガキが」
そう毒づいて真ん中にいるのが紫雪。
まわりにいる数人の男たちは、自分に拳銃を向けている。
自分が室長の姿を求めて見回してると、ずかずかモルタルの床を鳴らして紫雪が近づいてきた。
「貴様のせいで、ワシは……!」
いきなり殴られた。
さらに殴られた。
なんだこの爺さん、めちゃくちゃ強ぇ。
一発ごとに意識が飛ぶ。
そうか仙人の修業してるんだ、身体のつくりがもう人間じゃないんだな。
両手を後ろで縛られてるから、避けようがない。
殴られまくって、身体が腰から沈むのを感じた。
雨。
ぽつりぽつり。
雨だれが石を穿つ夢。
目が覚めると、真正面に室長の顔があった。
「泣かせに来たんじゃないんだけどな」
仰向けに転がされているところに、にじり寄った室長が自分を心配して見下ろしていたようだ。
睫毛の長いその瞳には、涙がぼろぼろあふれていた。
シャワー中に襲われたせいで、彼女は裸で座っていた。やはり後ろ手に縛られている。
申し訳程度に、誰かのジャケット(たぶん防已さんの)を肩からはおっていたが、乳房もあらわで、しかしそれを隠すこともできないでいた。
「ごめん」
目を背けて自分はあやまる。
「なぜ、おぬしが謝るのじゃ。悪いのは全てわたしなのじゃ」
「浅はかな選択だった」
とにかく彼女を見つけ出したくって、しかし無為無策だった。二人でつかまって、どうするってんだ。
「もう目が覚めたのか」
しぶといガキだと、紫雪が毒づく。
そら神農さんのご加護があるぶん、人一倍、丈夫なんでね。
「まあよいわ。まもなく儀式の準備が整う」
紫雪は室長にひどく不気味な笑顔を向ける。芽だけが笑っていない。
「
近づいてくる紫雪の背後には、どこから運び込んだのか、ステンレス製の手術台があった。
まるでここは処置室のようだった。カチャカチャ並べられてるのは、たぶんメスやらの手術道具だ。
「彼氏の前で犯されるのは楽しみか? 燃えるだろう?」
室長の身体がこわばるのがわかる。
「だが必要なのは、処女の生き肝でな。先に肝臓をすべて摘出する。簡単な止血くらいはしてやるが、そのあと死にゆくおまえを犯す。冷たくなるのを感じながら、ゆっくり、ゆっくりとな」
下卑た口調で、紫雪が手順を語る。おいおい、料理長の言ってたのとちょっと違ってるぞ。
室長は震える声で、それを反芻する。
「彼氏……じゃと」
とたん、室長はとろけた表情になる。
「そうじゃな、彼氏じゃな。ぐふふ」
「青竜さん、そこ反応するとこじゃない」
もがいてみたけどテープがきつくて自由に動けない。
くそ、気絶してる間に、足まで縛られていた。
あがく自分を見て、紫雪は嬉しくてたまらないようだ。
「五味子や。身も心もワシのモノになれば、そやつはもはや過去の男にすぎん。五味子の命と引き替えに、その男の命くらいは助けてやろうか」
いやいや、そんな話誰が信じますかって。
「興味深い提案じゃな」
「青竜さん、もっと気を確かに」
まずい。室長の心が揺らいでいる。
「まだ準備に十分かそこらはかかるだろう。二人で最後の時間をすごしておけ」
無慈悲な残り時間が、宣告をされた。
自分がこの地下シェルターにやってきても、ほとんど時間稼ぎにはならなかったようだ。
警察はもう屋敷に突入しただろうか。響さんは助かったのだろうか。
必死にいろいろ考えてるのに、室長はまったく別の話題をふっかけてくる。
「おぬしに初めてを捧げられなかったのは後悔するが……その前におぬしの本当の気持ちが知りたい。それだけで、わたしは悔いなく純潔を散らし、死に赴ける」
真顔で問われる。そのあまりの真剣な表情に、自分は返事をためらってしまう。
「こんな近い場所にいるのが分かっていれば、強化薬を飲んでおけばよかったよ」
つい話をそらしてしまった。要するに自分は逃げたのだ。
「あの薬か? ピンチのとき飲めといったアレか」
「うん。料理長に見つかって捨てられちゃったんだ」
「あるぞ」
少女がつぶやく。
「とっさのことであったが、脱衣カゴにしがみつくふりをして、ポケットから取り出したのじゃ」
「いま……どこに?」
彼女は人間ポンプの特技でもあったのか。縁日の金魚を飲み込んでは、元にもどすという。
そうか、彼女の金魚好きが思わぬ伏線に……!
「我が家の祖先は、行商人とは世を忍ぶ仮の姿。藩の隠密として、全国を巡って情報収集をしておったそうじゃ」
「え?」
「くノ一は知っておるか」
「女の……忍者だよね」
「その密書を隠すミッションでのう」
「あ、ごめん。わかった」
「うむ、いまのはダジャレなのじゃ」
「いや、そっちじゃなくて、隠し場所がわかったっての」
そもそも人間は
そのうち前陰か後陰に隠したということだ。
「で、どうやって、それを取り出すの?」
「ちょっと待っておれ……む」
少女が内股でもぞもぞしはじめて、自分はまた顔をそむける。顔が熱くなってる。
「慌てて入れたので、奥まで入って降りてこないのう」
困った。
「こう両手の使えぬまま取り出すには、ちょっとした呪文が必要よのう」
「呪文?」
背を向ける自分の耳元に、ウィスパーボイスで彼女がささやきかける。
「わたしを好きだと言ってくれ」
「こんなときに!」
「こんなときだからじゃ! いやなら、渡さぬ。渡せぬ」
「自分がどんな気持ちで、この気持ちを我慢してきたというんだっ」
「わかっておる。おぬしは
「いやいや、そんなひどいこと思ってないって」
「でもなあ、夢を最期まで見させてくれんか。幼い頃に親切にしてくれた金魚屋のおのこ。わたしに何年も朽ち果てることのない記憶をくれた少年が、実はわたしを好いてくれているという、そんな夢物語を」
夢物語なもんか。
「その思い出さえもらえれば、わたしは誰に汚されようと安らかに死んでいける」
だから死ぬとか言うな。
ああもう。彼女の決意は固そうだ。今までの誓いをムダにしちゃうけど仕方ない。
「す、好きだよ」
「はうっ」
彼女が大きくのけぞった。
「初めて……言うてくれた」
うるんだ瞳で自分を見つめてくる。もうやけくそだ。
「愛しくて、狂おしいほどだ。もう誰にも渡したくない。きみをこんな目に合わせた奴らを八つ裂きにしてやりたい」
びくんびくんとケイレンした彼女に内股の下に、どういうトリックか、薬包紙が落ちていた。
ぬれそぼった薬包紙は、すっかり赤茶けて鉄臭くなっていた。
これを飲めって?
「ああ……わたしは幸せ者じゃ」
もう一度いう。これを口に含めと? とんだ変態さんじゃないか!
「無理にとは……言わんぞ? ククク」
息も絶え絶えの室長は、しかし喜悦の表情だ。
「飲むよ。飲むから、もう少し横を向いてよ。室長のが見えちゃうから」
「見せておるのじゃが」
そういうのいいから!
目をつぶって唇で探り当て、舌でで薬包紙を開き、変形しかかってる丸薬を飲みこむ。
ドクンっ。
昨日飲んだときとは比べものにならないほどの動悸と息切れが、全身に襲いかかった。
ドクンっ。ドクンっ。ドクンっ。
連用による副作用か? いや、むしろ力がみなぎっている。
そうか。最後の調合に必要だった「月の水」ってのは女性の……。
次の瞬間、自分の中で、理性がはじけ飛んでいた。
「ヴォアアアアアア!」
血管が焼き切れそうになり、立ち上がって、その痛みに両手で頭を抱えた。
両手?
そう、両手は梱包テープを引きちぎっていた。両足のいましめもバラバラになっていた。
おそるべき
雄叫びに、紫雪の部下たちが拳銃を抜く。
「まだ撃つな、外れると跳弾するぞ」
ためらう間に、自分が大股で間合いを詰める。
破壊衝動によって拳を振るう自分とは別に、冷静にことのなりゆきを見守っている覚めた自分も同時にそこに存在していた。
まるで、あのときの臨死体験のようだった。
自分が三人を同時に殴り飛ばすと、武器を持っているのは紫雪だけだった。
残りは素手の連中と、せいぜい手術要員として呼ばれた闇医者ども。
彼らはメスを握るまでもなく、すっかりビビって壁際まで逃げて、あとはわめくだけだ。
「その身体……貴様も仙術を使うのか!」
紫雪がうなった。
「だが、青い!」
やつは自分の親指をかじって、びゅっと引き離した。血の糸が流れる。親指で額に字を書くと、ボンっと、やつの上半身の服がはじけた。
圧倒的な筋肉にあふれる上半身。もはや人間というよりは、熊か虎かの肉食獣に見えた。
呼吸法や精力剤で、少しだけ元気になりましたってレベルじゃない。
「ここからは、人を超えた壮絶な肉弾戦になるだろう! 力と力のぶつかり合いだ!」
やたら楽しそうに紫雪は叫んだ。衰えた肉体を薬で取り戻し、その力を存分にふるえる喜びが全身からみなぎっている。
太い腕でがっぷりとつかみかかってくる。
ドムッ。
無意識に、自分は蹴りを放っていた、
女性警備員・響さん直伝の、あの蹴りだ。
「かふっ」
紫雪の身体がくの字に折れ曲がり、口から白い空気が抜けた。
呼吸を完全に乱された紫雪の身体は、みるみるしぼんでいく。
彼はあわてて落ちていた拳銃を拾い、構え、そして躊躇なく引き金を引いた。
パン。パン。パン。
至近距離だったから、あやまたず全弾命中。
しかし自分は少々痛いだけで、すべて肉の壁がはじき、その場にこぼれ落ちていった。
勝手に言葉がほとばしる。
「火は金(銃弾)を
火は金属を溶かすもの。火徳をもって世を治めた炎帝が化身に、刃物や銃弾など恐るるに足らないのだ。
「炎帝……だとっ」
極度の狼狽が紫雪の顔に出ている。
「あーあ、撃っちゃっいましたねえ。これは重罪でごぜえやすねえ」
声がしたほうに振り向くと、スーツ姿の集団がわらわらとシェルターに踏み込んできていた。
手に手に銃を持っており、どいつも一見して
新手か。自分は身構え、咆哮した。
「ヴォモォォォオオッ!」
が。
紫雪と部下たちの様子がおかしい。
「どうしてキサマラ警察がここまで来られるんだ!」
「所長にはニセの情報を回したはずです」
防已さんが弁明する。
それを聞きつけた一人が、金色のバッジをつけた手帳を紫雪に示した。
「あいにくこちとら、県警じゃなくて厚生労働省でございやしてね」
「厚、労、省、だとッ? なぜ厚労省が銃を持ってるんだ」
まあ、人の生き死にを
「お初にござんす。あっしは、関東信越厚生局の
男達の腕には、黒地に金色で「麻薬取締官」と刺繍されていた。
荒事には慣れているらしく、次々と紫雪たちの部下を制圧し、腹ばいにさせ、手錠をかけていく。
「で、あんたが紫雪一角の旦那ですね。麻薬取締法違反、未成年者略取、暴行、殺人未遂その他もろもろの容疑で現行犯逮捕いたしやす」
さっきからどこかで聞き覚えのある声だと思っていたが、そのリーダー格の男を間近で見て自分は目を疑った。
「あんた、南蛮、さん!?」
「へい、お嬢ちゃん、お坊ちゃん、おケガは……って、こりゃあまだ、すげぇ格好ですねえ。服が焼け焦げてるじゃあねぇですか。上にモノホンの医者もつれてきてますんで、しばらくお待ちくだせえ」
「いや自分は平気だけど、彼女が」
「おおっと」
素っ裸の室長を見て、すかさず女性の取締官が上着をかけ、手足のロープも切りにかかってくれた。
「てめぇら、毛布もってこい」
「へいっ!」
屈強な男たちが、きびきびと動く。
「すごいな、麻薬取締官って武器を持てるんだ」
そんなことを考えてる最中、無理なドーピングがたたったのか、緊張の糸が切れたのか、不意に自分の身体がヒザから崩れた。
「はは、安心して、力が抜けちゃいましたよ」
「弾丸を跳ね返すたあ、どんなヤクをやったでやんすか」
「反祖丹。南蛮さんのくれた本にあった処方」
「はて、そういう薬は……? ああ、やっぱお坊ちゃんは、あの本から何か読めたわけですね」
「ええ、神農の血でね」
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