料理長の秘密

「少年……」

 うめき声で、ようやく足下に黒い服をきた女性が倒れているのを発見した。

「響さん! なにがあったんです!」

「SPの防已ぼういがお嬢様をさらって……」

 あの人も、紫雪の差し金だったのか!


「わたしは大丈夫……です。毒を打たれて動けないだけで……。すぐに別室の加味遠志かみおんじに連絡してください。所轄の警察では……対応が遅れる」

 頭が真っ白になりかけてた自分は、言われるがままにスマホを出していた。

 幸い、加味さんはすぐに電話に出てくれた。

『わかった、危険だから動かないで。すぐに警察から機動捜査隊を送る。鑑識もだ。きみは何も触るな。危険だから、絶対に犯人たちに関わっちゃいけない』

「き、救急車もお願いします」

『病人は一名? わかった、すぐに手配する。誘拐犯はまだ館内にいるかもしれないから、警察か救急車が来るまで、その部屋から離れないで』


 よく考えれば、救急車くらい自分で呼んだほうが早かったかもしれない。でも、とにかく混乱してたんだ。

「響さん、もうすぐ救急車が来ます。意識はありますか?」

「私は……大丈夫です。この毒はすぐ抜ける……」


 屋外に音がして、窓の外で、八百屋が使いそうなホロ付きの軽トラックがエンジンを動かしていた。

 対応しているのは、銭氏料理長だ。

「まさか、あれが! くそっ」

 響さんを放置するのは心苦しいが、自分は部屋を飛び出し、転げるように階段をかけおりた。


「お嬢ちゃん見つかったかい?」

 料理長がのんきに聞いてくる。

「今の車は!?」

「あれは、ただの八百屋だよ」

 胸元から小さな封筒をとりだした。

「請求書を届けにきたついでに、うちにクズ野菜を引き取ってもらっただけさ」


 たしかに軽トラのほろのなかには、小さなダンボールしか見えなかった。

「じゃあ、室長はどこにやったんですか」

 タイミングを考えれば、事件の露呈を仲間に知らせたのは、さっきの料理長の電話に違いない。

 さっきのトラックが無関係とすれば、室長と防已さんは、この広い屋敷のどこかにまだいるのだろうか。


「それは、さらった人間に聞いてくれよ。あたしゃ、ついさっきまで、あんたと話してただけだし」

 誘拐そのものは否定しないのか。

「彼女をさらって、なにをする気ですか」

「あの子が死ねば、すべて、まるくおさまるんだってさ」

「じゃあ、なんで部屋で殺さず、わざわざ誘拐したんですか」

 部屋にいる彼女をその場で殺せば話は早かったはずだ。

「家の中で殺したら、言い訳が面倒だろ。さらっちまえば事故死だろうと病死だろうと、どうにでも偽装できるからね」

 なんでこの人は、そういうことをサラサラ口にできるんだ。


「それに紫雪はさ、あの子にちょいとばかり懸想してたんだよ。死んだあの子の母親に似てるから、遺されたあの子にずっと言い寄ってたんだよ。ほんと、殺したいのか妾にしたいのか、今の今まで、どっちつかずだったんだよねえ。で、そういう愛憎ぐちゃぐちゃな男が、いたいけな女の子を拐かしたとあっちゃあ、するこたぁ、もう、わかりきってるじゃん?」

 どうして、そんなおぞましいことを……長年親しくしてきた人の不幸を、平然と語れるんだ。

 吐き気がこみ上げてきた。

 紫雪とやらも、銭氏さんも……胃がむかつくほど最低なやつらだ。


「もうすぐ警察がこの屋敷を取り囲みます。あなたは逃げられない」

「それは、ないねえ。あたしゃ仙術を修めてから何百年も生きてるんだよ。人間ごときに捕まえられるわけがないじゃないか」

「仙……人?」

「あれ、そこまで分かってんじゃないのかい。こいつぁ面倒くさいね。じゃあ、紫雪の野郎が仙人になりたくて、会社の金をつぎこんで仙薬研究してたってのは理解してるかい?」

「初耳です」


 自分はよっぽどキョトンとした顔だったのだろう。

「おいおいマジなのかい。そこまで含めて、潜入したんじゃないの。おまえさん、誰に言われてきたんだよ」

 料理長は湯飲みを二つ取り出すと、ポットのお茶を注ぐ。

「まあ、そんな怖い顔すんな。飲め」

 渡されたお茶を、ちろりとなめた。毒はない。


「行き違いがあったら、あたしもこの業界で生きちゃいられない。ちょっと確認させておくれ。まず、仙薬ってのは、飲めば不老不死、仙人になれる薬だ。わかるか?」

 自分はうなずく。


「よし次。調合にはえらく金もかかるし、材料によっちゃ今の時代じゃ手に入らない。絶滅した生き物とか、すっかり流通しなくなった植物とかあるからね。だから、効果の同じ代用品を研究しなくちゃならない。いろいろ作ってるうちに、怪しい薬もいろいろ副産物で生まれて、それが外部流出しちまった。最近ちまたに流行ってる危険ドラッグは、誰かが不備の多い設備で作った劣化版さね」

「なるほど」

 いや、その誰かって誰だよ。しかし、その他の情報は、不自然ではない。


「あのドラッグは、不純物なしに精製すれば、人を暗示状態にさせられる。紫雪が甘麦ちゃんに飲ませて言いなりにしてたのは、もっと純度の高いやつさ。これをさらに正しい方法で作れば、自分で自分に強力な暗示がかけられる。仙人になれると信じる力がさらに強くなって、仙術が使えるようになる。そうさ、仙人に必要なのは、まずは信じる力なのさ」

「鳥は飛べると思うから飛べるわけですしね」

「そう。でも、材料が足りないので、ちゃんとは完成してない」


「で、おまえ、お嬢ちゃんと、もうやっちまったか?」

「やったって! なにを!」

 思わず、声が大きくなった。

「とぼけんなよ。まあ、甘麦ちゃんが邪魔してたし、そのあとは、それどころじゃなかったしね」

 甘麦さんの夜這いって、策略の一部だったのか。

 紫雪のおっさんへの憎しみがまた一段アップした。


「でさ、まだ手に入ってない材料ってのは、処女の生き肝なんだわ」

「!?」

「人間ってのは、他の生き物と同じで、一度でも生殖行為をすると、それだけで一気に老化が始まるのさ。だから、処女でなければダメなんよ」

「いや、そうじゃなくて、生き肝って」

「拒否反応ってのがあるから、紫雪の親戚筋から調達するのが無難さね。つまり標的はお嬢ちゃんだ。肝さえあれば紫雪は仙人になれるし、お嬢ちゃんという跡取りがなくなった青竜家の会社も、なしくずしに乗っ取れる。どうだい、効率的だろ」

 室長を病死させて、病院で肝臓を摘出。

 それが叔父の紫雪と、この料理長が描いた絵図だったということか。まがまがしくも準備万端だな。


「ところが、あんたが屋敷に転がりこんできたせいで、紫雪は焦っちまったんだよ、お嬢ちゃんを、あんたにとられるって。だから、 さらう気まんまんで、ずっと準備してあったってわけ」

「え、自分の……せい?」

「ああ、そうさ」

 おそろしいほどのドヤ顔で料理長は言い切った。

「あんたが来たせいで、紫雪が血迷って、計画が早まったんだ。あたしが、じっくり病死を演出するはずだったのに、あの野郎が甘麦ちゃん使って、毒を仕込ませたんだよ」

 え……?


「うわあああああッッ!」

 気がついたら、叫んでいた。


 自分のせいだ。

 みんな自分のせいなんだ。

 自分の家族がどっかに離散したのも。

 甘麦さんが毒を盛らされたのも。

 室長が誘拐されたのも。

 みんな、みんな、この自分一人のせいだったんだ。


「ああああああああああああああ~」

「本当に、なにも知らなかったんだね。なら部外者ってわけだ。安心だ」

 自分は涙と鼻水が止まらない。

 床にくずれおれ、拳で床を叩いていた。

「ってーか、あんた完全にヤブヘビだったんだね。あたしも蛇みたいなとこあるけど、あはは」


 料理長の声は、どこか遠くから響いてくる、こだまのようだった。

 彼女が何を言ってるのか、もう頭には入らず、怒りすら湧いてこない。


「さあさあ、どうする? 早くお嬢ちゃん見つけないと、彼女、けがされちゃうよ? ああ見えて、あのコ純情だから、ショックで死ぬか狂っちゃうかもね」


 死ね、死ね、死んじゃえよ自分。

 自分はもう、何一つ、彼女に関わってはいけない。誰とも関わってはいけない。

 何をしても、やることなすこと、すべてが裏目に出るんだ。


「あたしに師事したからにゃあ、処女の生き肝さえ使ったら、それこそ天仙になれるね。あ、でも、あいつが欲望を遂げたあとだと肝が汚れちゃう。せいぜい地仙どまりかな。それを知ってながら、それでもあの男は、お嬢ちゃんを手籠てごめにするだろうさ。ま、こっちもそのほうが都合がいいんだけどね」


 自分はもう何もしないほうがいい。

 存在そのものが罪なんだ。


「んん~っ。その絶望に満ちた表情いいわねえ。やっぱ最高。あんた本当に熱いわ。こっちも仙道業界が長すぎて、なかなかそこまでギッタンバッタンと感情を乱高下させられないから、新鮮だわ~」

「ひ……どい」

「ひどいだろ? ゲスいだろ? そうだよ、やることが悪辣なほど、やつの罪は深まる。たとえ天仙になっても、すぐさま誅殺できるほどの罪ができつつある。あいつがあたしに教えを請わず、自力で仙人になっちまってたら、ここまでの罪は犯さず、お目こぼしするしかなかったろうさ。でも、今回は、まんまと自滅の道を進んでる。これで仙界の序列を維持できるよ」


 わざと人を傷つけさせ、罪を背負わせるなんて。

「あんたら……勝手すぎる」

「甘ったれてんじゃないよ、ボウヤ。自分の居場所ってのは、力尽くで守るものなんだ」


 そうだ、力がほしい。

 今すぐこいつらをたたきのめせる、圧倒的な知識と技術を。


「くやしいか? だったら、あたしの場所まで這い上がってきな。そしたら、教えてやるよ。この世で、人の生き死により大事なものってのをさ」

「誰が……そんな汚い世界に」

「そうかい。じゃあ、死ぬまで地面を這いつくばってな。同じ場所に立ってないやつが何をわめいたって、あたしらの心には届かないんだ」

 冷たく放たれた料理長の言葉に、自分はさらに打ちのめされた。

 弱り切っていた精神を、奈落のどん底にまでたたき落とされた。


 しかし。


 絶望した人間だけにわかることが、一つだけ残されていた。


 それは、この世に絶望している人間の思考だ。

 料理長は言った。「同じ場所にいなければ、心には届かない」と。

 確かにその通りだ。

 自分には料理長の考えていることも、価値観もさっぱりわからない。

 しかし紫雪の考えてることは、なぜか不思議と、ちょっとだけ分かってしまった。


 そうだ。あの男は、いまの自分みたいに、この世界に絶望していたんだ。

 だから、仙人なんかになろうとしている。

 理由はわからないけど、とにかくそうなんだ。


 長い沈黙のあと。

「料理長……自分を、紫雪のところにつれてってください」

 ゆっくり身体を引き起こした自分は、料理長との交渉を始めていた。


「ああ?」

「紫雪は、五味子さんを横取りした自分を恨んでるんでしょ? だったら、自分の手で八つ裂きにしたくて、たまらないはずだ」

「なるほど。男同士、ゲスな考え方は理解し合えるのかもな」

 ゲスにゲスと言われてしまった。


 彼女は、どこかに電話をかける。

「ああ、あたし。いまどこよ? 例の子がいるんだけど、あんたに会わせろって。え、殺したがってる? ううん、逆、逆。あんたに殺されたがってるのよ」

 短い押し問答のあと、電話を切った彼女は、楽しげに語る。

「会わせてやろうじゃないか。両手を後ろに向けとくれ」

 自分は両腕をその場にあった透明な梱包テープでかたく縛られた。


「あと、スマホは没収さね」

 ポケットをごそごそ探られて、警察に位置情報を伝える術は奪われた。

「あと……なんだい、この薬は」

 しまった。ポケットの反祖丹まで見つかってしまった。


「あの、それ持病の薬なんだけど」

「これから死ぬってのに飲んでも仕方ないだろ」

 床にバラまかれ、踏みつぶされた。


 料理長は、食材の入ったダンボールをどけると、床にあった扉を開けた。

 地下収納庫への階段が見える。

「入りな」

 閉じ込めてるうちに、仲間が来るって寸法だろうか。

「突き当たりに扉があって、地下シェルターにつながってる」


 屋敷の地下に隠し部屋があったのか。

「このシェルターの存在は、紫雪と、あとは甘草のダンナくらいしか知らんだろうから、まあ、ゆっくりしていきな」

 自分が階段を降りている最中に、収納庫のフタは閉じられ、あたりは真っ暗になった。

「あんたが炎帝の力をちょびっと持ってるのはわかったよ。でも、それだけさ。安心したよ」


 扉の上になにかを乗せる音を聞き届けてから、自分はおそるおそる道を奥へ進んだ。

 裸電球だけが便りだった。

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