二、料理長

室長の秘密

 日曜は朝から雨だった。

 気圧が低い日は、無意識に人を鬱々とさせ、出店の営業にも影響があるものだ。

 寝不足の自分はもとより、低血圧な室長にはなおさらキツいようだ。

 ダウナー系の雰囲気に引きずられてか、自分まで料理が味気なく感じられた。

「だるい……のう」

 甘麦さんが入院中なので、かわりに執事長の滑石 なめいしさんが料理を運んでくれている。


「昨日、がんばりすぎた……かな」

 自分のつぶやきに、なにを想像したのか滑石さんが一瞬固まる。


「が、頑張ったってのは、二人で薬の勉強をしてたことで」

「さようでございましたか」

 すみやかに訂正は受理されたようだ。

 いやあ、滑石さんも、ああいう緊張した顔をすることあるんだね。


 自分をさいなむ倦怠感は、昨日つくったその薬の副作用もあるはずだ。

 なにせ、たくましさとは無縁のこの貧弱な身体で、ひびきさん渾身の突きや蹴りを受け止めてしまったのだから、あとでシワ寄せがくるのは極めて当然の事態で。


「おぬし……今日は……何か……予定があるか?」

 だるそうな室長が、海藻サラダを、もそもそと口に運ぶ。

「とりあえず、勉強しようかな」

 自分もダラダラと答える。

 毒を食らって入院してたぶん、ちょっと遅れてるしさ。

 英語と数学は、途中をすっとばすと、あとになって大きく蹴躓けつまずくって話だし。


 文化祭の準備は、もうない。室長と自分とで方針を決めた後は、すっかり手を離れて、クラスの有志が主導してくれている。

「歴山が倒れたのは、学祭がらみの過労で弱ったところへ、まんまと貝毒に当たったのじゃ」と、室長がさりげなく偽りのウワサを浸透させてくれたのも大きい。

 貝なんて、ここ最近ずっと食べてないけどね!

 あー寿司たべたい。


「わたしは……明日の弁当でも準備するつもりじゃ」

 自分の身体がびくりと震える。

「今から? もう?」

 室長の料理のすさまじさは、一朝一夕にどうこうできるものではない。

 この世すべての食材に対し冒涜的な「何か」を、再び錬成しようというのか。

 ええもう、どうか、やめてください。


「まだ料理は慣れておらんからのう。下ごしらえだけで時間がかかる」

「なるほど」

 危機は、避くるべし。

「じゃあ手伝おうか。昨日の調剤の御礼ってわけじゃないけど」


「本当か?」

 がぜん両目が輝きだした。あれだけ暗かったのがウソのようだ。

「よし、さっそく厨房に征くぞ」

 立ち上がる室長。

「ごはん残さない」

「うむ、おぬしも手早く詰め込め。ああ、コーヒは厨房で飲めばいい」

 小さい口に無理矢理につめこんで、室長がむせた。


 子どもじみた行動に、しぜんと笑みがこぼれそうになる。

 こんな見かけでも、自分と同じれっきとした高校一年生。

 だからって、まだ死ぬには早すぎるよな。



 厨房にて、料理長の銭氏せんしさんの指導を見つつ、室長が料理に挑む。

 先日の弁当は、火加減などは変ではなかった。

 きっと味付けがおかしいのだ。


「どれ、味見をしてくれんか」

 目の前に差し出された小皿の上には、黄金色の煮豆が載っている。

 大豆を水につけ込んでから丁寧に中火で煮続けたものだ。

 自分なら絶対にやらない面倒レシピ。

 ひとつぶ食べて、自分は首をかしげた。

 味がしない。


「ちょっと……薄いかな?」

「そうか。レシピ通り作ったつもりなのだが」

 そういえば彼女、自分で味見してなかったぞ。

「おぬし。先週の弁当も、味付けが薄くはなかったか?」

 ぎくり。


「気づかなくてすまなかった。わたしはやはり味オンチのようじゃな」

 料理長のほうをチラリと見やると、肩をすくめてみせた。

 あんた知ってたんかい!


「自分でも何がうまいのかわからない。レシピを忠実に守って、ミリグラム単位で量ったはずじゃが」

 まるで試料を量るような真剣さだったのは、そういう理由ですか。

 材料がもとから持ってる味とか、個体差とかあるから、材料の特製を知らない人がそれやっても、いろいろ難しいと思うよ。


「苦みだけは分かるぞ。いつも口の中が苦いからのう」

 そういえば前も、口の中がもにょもにょするとか言ってたっけ。

「ん? 主治医に聞いても、体質だから仕方ないというが」


「治せるよ、きっと」

 自分は慰めの声をかける。

「治せる? 何年かかって? それまでに、わたしが生きていると思うておるの……」

 言いかけて口ごもる。


「わたしは今……何を口走った?」

 彼女にとって、自分の余命が幾ばくもないという情報は、誰にも言えないトップシークレットのようだ。

 自分は親父さんから密かに伝えられてるけど。


「すまん、忘れてくれ!」

「忘れられないでしょ、そんな大切なこと」

「おぬしには関係ない!」

 テンパった室長は、換気で開けてあった勝手口から、サンダル履きで外に飛び出してしまった。


「あーあ、なにやってるんだかね、あの子」

 銭氏さんがニンジンのスティックをかじりながら頭をかく。

「ほれ、そこのカサ持って追いかけな。ついでに着替えさせてくるんだ。料理はこっちで適当にやっとくから」

「すみません」

 自分も残ってるサンダルをはいて勝手口から追いかける。

 うわ、女性用だ。つま先しか入らない。


五味子いつみこさんっ」

 濡れた芝生で盛大にコケていた室長を確保すると、ほとんど背負うように、手近な入口から屋敷に連れて入った。

 ああ、ここは正面ロビーか。

 じたばたする室長を、来客用のソファーに投げ込むと、自分も真横に座り込む。

「離せ、離してくれ」

 肩に手を回して、立ち上がるのを阻止。


「なんで逃げるのさ」

「そんなのわかるか!」

 なんだか、恥ずかしさとか申し訳なさとか、いろんな感情がいっぺんに彼女のなかで起こっちゃった模様。


 どこで聞きつけてきたのか、すぐさま響さんが駆けつけてきた。

「あとは私が」

 たしかに室長はずぶ濡れだ。シャツから下着が透けて見えそう。

 眼福……じゃない。すぐに部屋で着替えてもらわないと。


 彼女の部屋で、お気に入りのバスタオルで髪をわしわし拭いているのを横目で見ながら、小声で響さんが耳打ちする。

「こんな気だるい雨の日ですと、お嬢様は、ご母堂様の亡くなった日を思い出してしまうのです」

 そうだったのか。

「先の事件の心労も抜けていません。病院に泊まりこむなど、だいぶ無理をしましたから」

 毒を食らって死にかけた自分よりも先に参ってるのが、なんだか彼女らしい。


「もうすぐ梅雨に入って、毎日こんな天気が続くでしょ。身体がもたないんじゃあ」

「わかっていますが、こればかりは」

 響さんは、サングラスの奥で悔しそうな目をする。


「仕方ない。一か八か、手っ取り早く片付けてきます」

「片付ける?」

「大本と話をつけてくるんです。響さんは五味子さんを頼みます」

「はあ」


 自分は二人分のカサとサンダルを持って、勝手口から調理場に戻った。

「さっきは、どうもすみませんでした」

「お嬢ちゃんはもういいのかい?」と銭氏料理長。

 煮豆には深皿にうつされ、軽くラップがかけられていた。すでに味付けは終わったらしい。

「響さんに任せました。で、その室長の件で、相談が」

「あたしにかい?」

 料理長は、きらきら光る薄い食材をかじって聞き返す。


「なんで室長……五味子さんの食事って、栄養が偏ってるんですか?」

 料理長の動きがとまる。

 プロに口出しをするとは、いい度胸だ。そういう目つきで自分を見ていた。


「……そうかい? わりと野菜を中心に、バランスよく献立を考えてるんだけどね」

「そうです。野菜が多すぎる。自分も同じものを食べて実感したんですけど、亜鉛が全然足りてないんですよ」

「亜鉛?」

 料理長はファイルを取り出して、献立を確認するそぶりをみせた。


 自分は彼女に歩いて近づく。

 ゆっくりと。

「そもそも亜鉛が食材にほとんど含まれていないし、いっぱい盛られた野菜の食物繊維、大豆、海藻、食後のコーヒー。どれも、むしろ亜鉛の吸収を妨げるものばかりです」

「へぇ」


「五味子さん、ちょっと背が小さいじゃないですか。発育不良で、体力もない。ケガも治りにくい。嗅覚がおかしい。夜目が利かない。それに味覚オンチで、口の中に苦みを感じている」

 料理長は笑いも怒りもせず、だまって自分を見ている。

 いやな汗が滲み出してきた。

 もしかして自分は、とんでもなく見当違いな言いがかりをつけてるんじゃないかと心配になる。

 やはり、もっと証拠を集めてから追求すべきだったか。


「髪が黒くないのは、お母さんの血だと思ったけど……もしかして彼女、先天的に亜鉛が欠乏する体質じゃないんですか?」

「あたしゃ医者じゃないから、そう言われてもねえ」

「管理栄養士の資格をもって、漢方にも通じてる銭氏さんなら、とっくに分かってたんだと思うんですけど。少なくとも、酸性に傾いた体液から、彼女に亜鉛が足りてないことは明白です」

「体液だぁ?」

 要するに唾液のことだが、どうやって入手したかとか、自分がどういう能力を持っているかを、この場で銭氏さんに説明しきれる自信はない。


「それに、主治医とやらのいる病院は、叔父の紫雪しせつさんの影響下にあるんですよね。医者と病院がよってたかって彼女や家族を騙しつづけてきた可能性がある」

 冷静に考えれば、亜鉛欠乏症なんてのは、まっとうな医者なら診ればすぐわかるものだろう。たぶん。

 なのにこれまで無視されてきたというのは、かかりつけの医者もグルに違いない。


「それじゃあ、あんたは、こう考えてるんだね。あたしや、紫雪や、甘麦ちゃん、それに長年主治医をたってるドクターたちが、みぃーんなでよってたかってお嬢ちゃんを亡き者にしたがってるって」

 雇い主の親戚まで呼び捨てって、ほんとこの人、怖い物知らずだなぁ。

「亡き者……そこまでは言ってませんけど?」


「まあ、確かに甘麦ちゃんの件は、あたしも驚いたよ。警察に持ってかれる前に、ケーキの残りをこっそり調べたんだけどさ。あんたが食ったのは、たぶん特別なキノコでね。中国は陝西省せんせいしょうの奥深くでしか手に入らない幻の毒キノコだよ。それを日本で入手できて、甘麦ちゃんに手渡せるヤツったら、そりゃ、あたしの他には、紫雪しかいないだろうさ」

「つまり、そのキノコを紫雪さんに渡したのが、銭氏さんですね?」

「いやいや、あたしゃキノコの自生地と、採り方と、薬にする方法を教えただけだよ。あいつはもともと、あたしの弟子筋だからね」

 それは前に聞いたような気がする。


「まあ、それはおいといて。しかし亜鉛なんてのは、そうそう不足するもんじゃないんだよ」

「この棚に入った『甘み』と書いてある調味料。いつも料理やコーヒーに混ぜてますけど、砂糖じゃありませんね」

 自分は容器に指をいれて、ペロリとなめた。

「正確な名前はわかりませんが、これキレート剤の一種でしょ。亜鉛を体外に排出させる作用があります。調味料として使うことはありえない」

「へぇ」

 料理長の目がすうっと薄くなった。


「この屋敷に来てから頑張って勉強したようだね。でも、なめて分かるだなんてハッタリ、あたしにゃ通じないよ」

「薬の名前はわからなくても、効果はわかるんです。神農の血が教えてくれるんで」

 自分はシャツをまくりあげて、内臓がすけてみえる胸元を示した。料理長がくわえていた食材を落とす。


「……炎帝……? そんなはずは……」


 人が生きるのに重要な栄養素「亜鉛」を徹底的に与えない。

 日に日に弱っていく彼女を、じわじわと死に至らしめる。

 ヒ素をつかった毒殺よりも気の長い方法だが、一見健康的な食事ばかりだから、まず足がつかない。


 気付いたキッカケは、朝のアレが少なかったせいだ。

 同じ食事をして、自分も急激に亜鉛が失われていた。

 もちろん、それは偶然だったかもだけど、一度亜鉛不足を疑ってみると、あれもこれも、つじつまが合ってしまったのだ。


「でも、お嬢ちゃんがこのままずっと背が小さいほうが、あんたの好みなんだろ?」

「ふざけるな!」

 つい声をあらげてしまう。

「毒の分析もすんでいる。自分の知り合いに、紫雪さんが怪しいってことも伝えるつもりです」


「あー、しょうがないわね。計画が台無し。あ、ちょっと待ってね」

 それでも料理長は余裕をくずさず、ポケットからスマホをとりだした。

「あら八百政さん、いつも御世話さまー。ああ、それがちょっと今、トラブっちゃってね」

 自分のほうを見る。

「こちらから持ってけそうにないんで、急いで集荷に来てもらえるかしら?」

 片手で野菜の入ったダンボールを引き寄せながら、気さくな会話を続ける。


「お待たせ。そっか、そか、あんたそーいう目的でこの屋敷に入って来たんだね。すっかりダマされたよ」

 スマホをしまったときには、笑顔までを浮かべていた。

 人を殺そうとしていたのに、それを暴かれたのに、なんでここまで平静でいられるんだ。


「良心の呵責とか、罪の意識とかないんですか。狂ってますよ。あれだけ五味子いつみこさんと仲良くしといて」

「前にも言ったと思うけど、あたしゃ何百年も生きてる仙人だよ。長く生きてると、そうなっちゃってねえ。むしろ、あんたみたいに、考えてることダダ漏れで、感情に真正直に生きてるほうが、頭がおかしく見えるのさ。あんたテキ屋の子どもなんでしょ? テキ屋は人をダマしてナンボだってのに」

 自分は彼女をにらみつけた。

「オヤジはいろいろ無茶をしたけど、根は正直者だった」

「そうだね、いろいろダマされて借金こさえてたらしいよね」

 料理長は、この自分をまな板で料理する気になったようだ。


「お嬢ちゃんが甘麦ちゃんに話してたから、あんたが生まれつき何かの病気だってのは、なんとなく知ってたよ。それを治すために、あちこちの病院に走り回って、役に立たない治療でぼったくられて貧乏してるってのも」

 親が自分のせいで借金を?


「まさか、あんたが神農体質だとは思わなかったけどね。いいじゃん。個性じゃん。実際、あんたの身体は、役に立ったよ。あたしも、こうやって追い詰められてる。でも、あんたのオヤジは、たしかに善良だけど無知な一般人だった。あやうく角をめて、牛を殺しかけてたんだ」


「お嬢ちゃんの亜鉛不足も、生まれつきの個性だよ。それで死んじゃったのなら、天命というやつさ」

「そう考えて、罪の意識から逃れようとしたんですか」

「あら。あんたにしちゃ、うがった見方だね」

 この人と話してると、なんだかイライラしてくる。じれったい。

「それで? 警察でも呼ぶかい?」

「まずは、彼女を別の医者に診せます。そのあと、あなたを料理長から解任してもらい、他の栄養士を呼びます」

「甘いねえ。悠長だねえ。せっかく作った料理を、いったい誰に食べさせるつもり?」

「誰って、五味子さんに……まさか、あんた!」

 料理長が、だらだらと話しかけてくる理由を悟って、自分は厨房を飛び出した。中庭を抜けて、いままで経験したことのない必死さで走った。

 ノックもせず、彼女の部屋に踏み込む。


「五味子さん!」

 いない。

「五味子さん、どこ!?」


 男子禁制と言われていた奥の部屋に踏み込んだ。ぐちゃり。床が水浸しだった。

 薄暗い部屋の中には、脱衣カゴがひっくり返り、服や下着らしきものが散らばっている。

 浴室の扉が開きっぱなしで、シャワーが音をたてて流れていた。

 スイッチを押して、明るくなった部屋にあらわれた異様な光景に、自分は驚愕した。


「なんだ……これ」

 部屋中に、自分の写真が貼られていた。

 どうやって撮ったかわからないけど、子どもの頃から、つい最近の写真まで、びっしりと部屋中に額装されて飾られていた。

 額のスキマには、A4サイズの報告書がピンどめされ、身長や体重、好きな食べ物、家庭の事情までが印字されている。

 さらには、五味子さんらしき筆跡で、いろいろ付箋も貼られている。

 いつ自分がどこの病院につれていかれ、どれだけ医療費がかかったか。

 自分のオヤジが、甘草氏とどんな話をしたか。

 それが時系列に、とてもわかりやすく、

   楽 し そ う に

 書き留められていた!


 奥にある机には、ヘッドホンにつながった黒くて物々しい装置。いくつものスイッチが並んでいるけど、これ映画で見覚えがあるぞ。まるで「盗聴解析」の機械?

「なんだよコレ、ストーカーじゃないか!」

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