秘密の丸薬

 最近、夢をよく見る。

 たぶん、いろんなことが続いて疲れてるからだと思う。


 今日の夢では、室長が自分にいろいろ食べさせようとしている。わざと、おかしなものを食べさせる毒味プレイだ。

 自分を裸にして手足を縛り、透けて見える内臓の変化を、あの艶っぽい視線で観察してるんだ。

 縄抜けを模索しながら、しかし彼女にもてあそばれているも嬉しいという複雑な状況の自分。

 彼女はいたずらをしながら、いろいろ身の上話を語っていた。

 そんな夢を見て、自分はまた夢精する。


「薄い」

 目覚めたときに、こっそりパンツの中をのぞいて、はじめに浮かんだ感想がそれだった。

 最近、朝食も、味気ないと感じる。

 食後のコーヒーも、どこか粉っぽい。

 退院したばかりで、まだまだ体調は回復していないようだ。

 こんな状態で、彼女を守れるんだろうか?


「なあ、れきっち。俺とお前は、ずっと親友だったよな」

 教室で半夏 はんげが疑いの目を向けてくる。

「少なくとも自分はそう思ってる……けど?」

「だったら、この状況を納得できるよう説明する義務が、れきっちにはあると思うんだ」


 このボクシング部員は、やたらフェアプレー精神にうるさく、地元びいきのジャッジや、レフリーに隠れての反則をことさら嫌う。

 そんな彼が、自分の首に腕をまわして、あたかも自分が不正をしているかのように問い詰めるのだ。

「なにが起きてるのか、むしろ自分のほうが聞きたいんだけど」

 いまはお昼の休憩時間。

 いつも通り男子どもと弁当を食ってる自分なんだけど。

 その中に、ひとり女の子が混じって、自分の正面に机を寄せている。

 誰だと思う?

 もちろん室長だ。


 ずっと昔からここが自分の定位置だと言わんばかりに、至極当然といった落ち着きで、そこに座っている。

 机の上には、重箱がひとつ。取り皿もずらりと。

「多めに作ると旨くなると聞いたのでな。つい作りすぎてしもうたのじゃ」

 つまり料理長の銭氏 せんしさんが作ったのではない。

 室長のお手製、夢にまで憧れた手弁当である。


「えっと……なんで急に?」

「手弁当は婦女子のたしなみにして憧れ。通過儀礼の一種であると聞くぞ」

 ああ、いまクラス中の視線が自分に集中しています。

 だいたい二割が困惑、残り全部が憎悪と敵意って感じで。


 自分は前から、室長のファンクラブが水面下の活動しているのを知っていたけど、文化祭の男女別に分かれた議論が円満に解決したせいで、前以上に室長の信奉者が増えてしまっていたらしい。

 そんな状況下で、このアイドル様が、食中毒ごときで倒れた自分のために毎日病院に通っていたというのが、なにせ小さな町だからバレバレになっていた。

 あの黒塗りの車は目立つし、親が警察病院の医者だ、看護師だ、という生徒も少なからずいたからだ。


 退院してようやく今日に学校に通い始めた自分を、半夏などの仲が良いクラスメイトは歓迎してくれたのだが……とくに女子の視線は痛かったのを覚えている。


「どうした食わぬのか」

 これを素直に食べたら、みんなからの嫉妬はピークに達するだろう。

 食べなかったら、それは侮辱だと、またみんなに恨まれる。

 どうしろっての。

 そして、すました顔をとりつくろいながらも、室長からは緊張が伝わってくる。

 夢で見たような、実験動物への眼差しとは違う。

 ああ、これは彼女なりの真剣勝負だ。

 断れるわけがない。

「あ、ありがたく頂戴つかまつる」

 かしこまって、謎の黄色い物体をひとついただく。

 とたん、衝撃が舌から口腔内に満ちて、導火線のように脳にまで火花が走った。


――不味 まずい。すさまじく不味い。というか、これ毒レベルじゃないだろうか。自分の身体に流れる神農の血が警告を発している。


 ソースは、シャンプーをかけたような刺激があるし、白米に至っては数秒間は味覚が失われた。

 こみあげてくる吐き気を我慢し、それでも数口を放り込む。

「うん、お……おいしいよ」


 それを聞いて、ふうと彼女の小さな口元から長い息がもれる。あれだけいきり立っていた肩が、なで肩に戻った。

「そうか、わたしは味覚がニブいからな。ミリグラム単位で正確にレシピ通り作ったのじゃ」

 一体何を入れたの。


 しかし、おかずをまんべんなく一口ずつでも先に食べなければ、毒味にならない。

「ほれ、あーん、じゃ」

 謎物質その二を尽きだしてくる室長。

「いや、自分で食べるから!」


「なあ、れきっち。なんですごく仲がいいのかなぁ?」

 と男子ども。

「そりゃ、まあ、文化祭のあれこれで一緒に作業したから」

 言い訳をするも信じてないっぽい。


「青竜さま、こんな男に手弁当なんてもったいなさすぎます。

 と今度は女子がひどいことを。


「歴山、実をいうとな、俺は『みこみこファンクラブ』の会員でな」

 半夏がカードを見せる。

「みこみこ……なにそれ」

「『青龍いつみこさんを陰から慕うファンクラブ』だ。まもなくお前、公認の敵対生徒と認定されるぞ」

 公認ってなに!?


 針のムシロのような一日を終え、へとへとになって自分は校門を抜ける。

 隣には当然のように室長が並んで歩いてるもんだから、いまや下校中の生徒の視線が自分ら二人に集中している。

 ムシロの針がそのまま飛んできたかのようだ。


 間の悪いことに、黒塗りの高級車まで停まっている。女性SPの響さんが後ろの扉を開けて待っていた。

「んあー」

「ほれ病み上がりじゃろ。送ってやるぞ」

 聞こえよがしの室長が先に乗り込んで、自分を手招きする。

 これもう、一緒の家に住んでるのがバレるのも時間の問題かもしれない。


 車は走り出し、助手席の響さんが書類封筒を室長に渡す。

「分析結果です。紫雪しせつさまの研究所は避けました」

「ふむ」


 どうやら自分が盛られた毒についての資料らしい。室長も十分に、あの叔父さんには警戒してくれているようだ。

「おぬしも読むか?」

 手渡された資料は、A4用紙で数枚程度のものだったが、難しい用語や数字がびっしり並んでいる。


「甘麦のポケットから、プラスチックの試料ビンが見つかってな。中身は、まったく未知の毒物じゃった」

 かいつまんだ説明を室長がしてくれる。


「資料を見るかぎり、おそらくは新種のキノコじゃ。はじめドクツルタケやカエンタケが疑われておったが、DNAが違ったようじゃ。毒素はまだ特定できておらんが、熱でも変成せず、乾燥にも強い。人間の半数致死量は一ミリグラム以下との推定じゃな」


 淡々と室長は語っていたが、時々声のうわずるのがわかった。ぶっ倒れた自分は覚えていないけど、彼女は人の死にかけたさまを目の当たりにしたのだ。

 トラウマになっていてもおかしくない。


「大丈夫、自分は生きてる」

 室長の片方の手をそっとにぎると、室長は「ふぁっ」と変な声を出す。

「待て。かえって心臓に悪い」

「あ、ごめん」

「いや、びっくりしただけじゃ。そのまま握っていてほしい。すぐに落ち着く」

 いちいち反応が可愛いな。


「かなり強い毒じゃったが、毒の要因がすぐに医者に知れたことが幸いした。この毒がキノコ由来とか、肝臓を破壊するというのは、他でもない。倒れたおぬしが、ほとんど譫言 うわごとのように救急車に同乗した医師に語っていたことじゃ」

 青竜家にくる救急車って、医者が乗ってるのか。

「そのへん、あまり覚えてないなあ」

 死んでる間、いろいろ薬の名前が飛び交ってた記憶があるんだけど、あと一歩の所で、思い出せないのだ。


「見舞いにきた加味とかいう男も言っておったが、『神農の血』とやらが、おぬしの知識以上のことをしゃべらせたのだろう」

 臨死体験のせいで、死後世界にいる神農大帝と、自分の意識がつながったのかもしれない。

 あれ以来、自分が書架の専門書を読むときの理解度が、格段にパワーアップしてるのは確かなんだ。

 南蛮からもらった本は、あいかわらず良くわかんないけどね。


 書類には、主な処置が、胃洗浄と輸液と書いてあった。

 これは、ジャブジャブと洗濯機で胃を洗ったのだろうか。

「うむ、輸液は静脈あたりに点滴を施したのじゃろう。胃洗浄は、薬剤で胃の中身をごっそり洗い出すことじゃ」


 のぞきこんだ室長が、自分の視線の先を読み取って説明してくれる。ほとんど自分の右肩にもたれかかる形になったので、ふわりと良い香りがただよう。

 いや待て。これただのシャンプーだから。シャンプーの香りであって、室長のにおいじゃないから。

 そこで響さんが咳払いをする。

 あとが恐いぞ、これ。


「胃洗浄も万能ではない。毒で倒れたと分かっても、その正体がわからんでは処置できぬものじゃからの。たとえば毒が少量では、すでに体内に吸収されて対処のしようがないし、刺激の強い薬を飲んでいた場合は、洗浄時に食道や口腔を焼けただれさせてしまう危険がある」

 ほえー。

「おぬしの場合は、半透明 トランスルーセントに内臓が見えておったそうじゃな。おぬしからのアドバイスもあったし、医師どもには、成分がまだ胃に残っていること、口はただれておったが、挿管には問題ないことが判断できたのじゃ」

 措置中に撮られた写真が添えられてたけど、自分の身体が人体模型みたいな写りになっていた。

「なにより医師どもが驚愕しているのは、その快復力じゃな。肝臓が壊死しかけておって、全摘も考えて外科手術の準備をしたとある。じゃが、胃の中身を吸い取ったあとは、みるみる修復していったようじゃ」

 うわ、自分の身体すごい。

「おぬしの生き肝を食らえば、さぞかし万病に効くのであろうなあ」

「百草をなめて生きた神農大帝でも、さすがに肝がなくっちゃ生きられなかったと思うよ」


 苦笑いをしながら報告書を読み進める。

 あらかた室長が説明してくれたから、難しい用語が並んでいても、だいぶ理解できる。

 わかり始めると、ずいぶん面白い。


「その報告書は、おぬしが持っておけ」

「えっ?」

「おぬし、いま勉強したくてたまらんという顔をしておるぞ」

 はは、お見通しか。

 ほんと彼女は、上に立つ人間なんだな。昔から知ってように、人の心を言い当てる。


 ……あれ?

 前に室長、自分のこと、ずっと見守ってたみたいなこと言ってなかったっけ。気のせいかな。

 だったら、自分がいま何をしたがってるか、言わなくても通じることも多いわけだ。


「勉強に身を入れるのは良いが、無理はせぬことじゃ。おぬしは病み上がりで、他にどんな後遺症が残ってるかもわからぬ」

「すぐに飽きるから大丈夫だよ。ところでこの書類、毒についてしか書いてないけど……警察からはなにか連絡あった?」

「警察からはめぼしい情報はない。しかし、あのようなレアな毒など、一介のメイドが手に入れられるはずがない。どうせ叔父が役員をしている製薬研究施設から、試料をちょろまかしたに決まっておる」

「それじゃあ」

「今回の叔父の計画は潰えた。当分はなりを潜めるじゃろうが、しかし司直の手が及ばぬ限り、再びわたしは狙われ続けるじゃろうな」

「はいはい、わかってますよ」

 自分もずっとそばで見守っていますから。

 その言葉を、今は飲み込んだ。

 今後も自分がどこまで役に立てるかわからない。

 あくまで自分は国が特別な警備要員を派遣してくれるまでの「つなぎ」なのだから。

 それに、助手席の響さんから、すごい殺気が漂ってきてたしね。



「神農の血で読み解けってもなあ」

 夕食後、自分は早々に自室に引き上げて、南蛮からもらった本「神農大帝本草注釈」と格闘していた。


 ちなみに、夕食は一回に減っていた。

 この館の主人である青竜甘草 かんぞう氏がまだ海外出張中だったので、室長と二人でだだっ広い食堂に向かい合っての食事であった。


 形だけの毒味は続いており、自分が先に口をつけた料理を、一歩遅れて室長も食べている。

 毒味してるってことは、終始、料理長の銭氏さんにはナイショのままだ。

 自分のつくった料理が疑われてるとか、気分がよくないだろうからね。


 今は甘麦さんが入院中だから、食事につきあう必要がなくなった。

 厨房で一人まかない飯を食べる銭氏さんが、ちょっと可哀想だった。


 閑話休題はなしをもどす

「しかし、読めん!」

 これはもともと「神農大帝本草」という現存しない(と思う)書物を解説してる本である。

 しかし原文がちゃんと引用されてるので、原典がなくても意味は通る……はずなのだが、そいつがなにしろ漢文である。

 もうほとんど読めない。


 幸い、後ろには漢字カナまじりの文が続き、そちらは何となく読める……はずだが、これがまた意味がわからない。

 授業でも思い知らされたけど、漢文ってのは漢字一文字に込められた想いや意味が恐ろしく濃いのだ。

 圧縮された言語とでもいうのか。

 そのまま読むと内容が簡潔すぎて、どう解釈すればいいのかわからない。

 これ本当に注釈本かよ。

 注釈本の注釈本がほしいよ。

 無理ゲーですよ。


 ああ、わかった。わかった。

 これって課金すれば、もっと情報が手に入るんだ。

 コンビニで、プリペイドなのを買ってくればいいんだっけ?


「それでも、臨死体験で神農に会ったせいか、わりと読み進められてる気がするぞ。うん、読める読める」

 自分に言い聞かせる。

「信じて読めば、なにかが得られるはず」

 なにかって?

 いま一番ほしいのは、強くなるための薬かな。

 室長を守るために、自分は強くならなきゃいけないんだ。

 毒での暗殺に失敗した以上、今後はもっと直接的な手段に訴えてくる可能性もある。

 刃物で襲ってきたり、銃を撃ったり、誘拐を仕掛けることだってあるだろう。

 響さんは学校まで入ってこられないから、その間に彼女を守れるのは自分だけなんだ。


 結局、夜明けまで、文字の一つ一つ、行間のシミまで目を凝らしていたけど、使えそうな薬の記述は見つからなかった。

 というか、薬の半分近くが長生きと精力剤ばっかなんですが。


 書架の本を拾い読みして得た予備知識では、昔の漢方医はことさら病気を細分化せず、「○○という薬の効く病気」として取り扱っていたようだ。

 「頭が痛かったらコレ飲め」「ダメだったらコレ試せ」的に、わりと大ざっぱだった模様。

 原因と結果を厳密に区別して考えるようになったのは、西洋医学のほうが圧倒的に早かった。


 あ、大ざっぱというのは失礼か。

 そもそも西洋医学と東洋医学は、最初の視点が違うんだからね。


 目玉の奥からシビれがある。顔を洗って鏡を見ると、すっかり目が充血していた。

 こんな状態で人前に出るのも恥ずかしく、冷やしたタオルを充てながら、椅子の背に身体を預ける。


「文字通り血眼だな」

 今日は学校がないから、ついつい無理をしてしまった。

 にじむ涙をふこうとティッシュを探す手が本に触れ、びりっとした感触が伝わる。

 その違和感に、涙目のまま本を開いてみると、なにかボヤアとした模様が見え隠れしていた。

 行間に、『反祖丹 はんそたん 下品 げぼん』という朱色の文字が浮かび上がっていた。


「これか!」

 行間を読めとはよく言うけど、本当に行間に隠し文字があったとは。

 もとの文章と増えたを合わせて読むと、説明がさらに詳しくなり、まったく別次元の解説が展開している。

 いま見たページは滋養強壮の説明だったはずが、反祖丹という肉体強化薬の記述に化けてしまった。


「神農の血で読めって、この充血した目のこと?」

 インド舞踊じゃあるまいし、読むたびに目をこすってたら、そのうち失明しちゃうんじゃないか。

 でもありがとう、神農様。

 処方が書かれてるけど、ほとんどの材料は入手できそうだ。

 ただ、最後に描かれている、「月の水」というのだけ意味が分からない。

 かぐや姫の話みたいに、月からとってこいってことかな。


「『月の水があれば、神のごとし』ねえ」

 単純に「月から降ってくる水=雨」というわけではないだろう。

 じゃあ、月まで飛んでいって汲んできたのだろうか。

 それこそ仙人にしか飲めない薬なわけで、書物に神秘性を持たせるためのハッタリかもしれない。


 そこで思いついたのが、月の泉と書いて「げっせん」。中華料理屋に多いので、薬膳のからみの言葉じゃなかろうか。

 あるいは消化腺などの「腺」の字を意味しているのではとも思い当たる。

 いかにも漢方に関係ありそうでしょ。

 料理長の手が空いてるときに、またちょっと聞いてみるかな。


「五味子さん、ちょっと手に入れたい材料があるんだけど」

 さっそく自分は、朝食のタイミングで生薬の入手を依頼する。

 乳鉢や薬研 やげん、調剤スプーンのような道具はすでに部屋にそろっていた。

 たぶん若い頃の青竜甘草氏が買いそろえたのだろうけど、どれも使った形跡がなかった。


「任せよ。あの離れにある薬箪笥 くすりたんすを、生薬で埋め尽くしてくれるわ」

 ボールペンでなにやら書き込んでいる。

 あ、ノックのとこ小さな金魚がついてるやつだ。

 以前部屋で見かけた金魚も、結局彼女が自分であのときすくった二匹だったそうだ。


「ほれ、ここにチェックしたやつは基礎的な薬じゃから、未開封のものが部屋にあるはずじゃ。他はすぐに調達する」

「あ、ありがとう。手間かけさせちゃってごめん」

 室長があまりの乗り気なので、自分は逆に引いた。

「なんの、惚れた男を支えるのは、女の本懐よ」

 臆面もなく言ってのけて、自分のほうが恥ずかしくなる。

「最近は甘麦のかわりに、料理長がやたらおぬしとの進展を聞いてくるようになってのう。わたしも巻きいそぎでいく所存じゃ」

 いや、だから、そういうのやめてくださいってば。

 先日の告白、断ったじゃないですか。


 部屋に戻ると、たしかに薬箪笥があった。

 といっても、自分が想像したスギやヒノキの引き出しがいっぱいあるやつでなく、ステンレス製の棚である。

 自分の解体前の家から救出されたダンボールの山に、クローゼットの扉が隠れていて、その向こうが、ひんやりした収納スペースになっていたのだ。

 透明のガラスびんに入った根っこや石のかけらが並んでいて、それぞれフィルムで封印がされている。

「これ、室長のお父さんが学生時代に買ったやつかなあ」

 生薬の有効期限なんてわからないけど、この保存状態なら問題なさそうだ。あとで舐めてみよう。


 しばらくゴソゴソ確認していると、玄関のチャイムが鳴る。

 モニターに写ったのは、箱をかかえた室長だ。

 手が空いてたら勝手に入ってくるつもりだったんだろうな。


「ど、どうしたの。いま散らかってるけど……」

「知っておる」

 勝手知ったる自分の家。

 彼女は上がり込んで、ベッドに腰掛けると、箱を開けた。


「残りの生薬が届いたぞ。支店長が自分の車で届けに来たわい」

「はや!」

 支店長ってどのグループ企業の?

 権力が炸裂すぎる。

「うう、申し訳ないなあ、その人には」

 せめて会って御礼を言いたかった。

「なんの、わたしに恩を売るチャンスができたのじゃ。嬉々としてかけつけてきおった。本当はいろいろ聞き出すために引き留めたのじゃが、重要な会議の途中だとかで、泣く泣く帰っていきおったが」

 ますます申し訳ない。


「というわけで、わたしからのプレゼントじゃ」

 満面の笑み(かわいい)で差し出された箱の中には、梱包材にくるまれた透明ガラスびん。

 棚のやつにそっくりだ。

「ありがとう」

「いまから調剤か? 手伝うぞ? むしろ、わたしのほうが上手いと思うぞ?」

 キラキラした上目遣いで見られて、これを断れる男はいない。

「あ、じゃ、じゃあお願いしようかな」

「任せるのじゃ!」


 かくして、神農大帝本草注釈から書きだしたレシピをもとに、二人の共同作業(あ、なんかデジャ・ビュ)が始まった。

 というより、ほとんど室長がやってみせたのを自分が真似する感じだけどね。

 はさみでチョキチョキした根っこや、手でちぎった草や、ハンマーでくだいた石みたいのをデジタル秤で調整する。


 材料は細かく粉末にしたいんだけど、乳鉢ではうまくいかないので、ここは薬研の出番だ。

 カヌーみたいな形をした金属製の入れ物に、車輪みたいのを両端の柄を握ってゴリゴリ押しつけるやつ。

 正直、この部屋にある漢方っぽい道具は、これしかない。


「なんかこれ、通販で売ってる筋トレの道具みたいだね」

 なかなか細かくならないので、わりと疲れてくる。

「製薬工場でも、こうやってパートのおばさんとかが大勢でひいてるの?」

「ふはは、さすがに工場では粉砕器を使っておるわい」

 ですよねー。


「あ、処方箋をもってくと調剤してくれる薬局とか……」

「だいたい製薬会社で調剤してアルミパックに封入したものを、そのまま売っておるな。自家製剤の薬局でも、調合・封入前のエキス製剤を、自前で混ぜているくらいじゃろ」

「エキス製剤?」

「煎じ液からエキスだけ抽出した粉末のことじゃ」

「あ、粉末も売ってるんだ!」

 だったら、わざわざ生薬から手作業で粉にしている自分らって……。

「エキス製剤は、いたって品質が安定しておるのじゃが、精油成分などが飛んでしまうのが難点じゃ」

「なるほど」

「それに、おぬしが初歩から薬を学ぶのであれば、加工前の生薬に慣れ親しんでおいたほうが良かろう」

「うん、確かにそうだ」

「古来より、よき薬師は、よき医師であり、またよき採集者であった。野山で薬草を見分けられなくては、一人前とはいえぬ」

「五味子さんは、ほんと物知りだなあ」

 自分が感嘆の声をあげると、室長は急に声のトーンが下がる。

「いや……すべて祖父からの受け売りじゃ。自分でも、古くさい考え方だとは分かっておる」

「それでも、ちゃんと自分の知識にしてるじゃん。教えを受けたことを誇っていいと思うけどなぁ」

 混ぜ合わされた粉末を練りあわせ、小さく丸めていく。丸薬が乾いたところで、デジタル秤を見ながら、ポケットになってるタイプの薬包紙に入れていく。


「よし、完成! かな」

「のう、この薬……生薬の内容からして、滋養強壮に効果がありそうじゃが」

「まあ、たしかに強化薬の一種かな。ちょっと自分で試してみるつもり」

「……む、もしやそれは、わたしの協力が不可欠な類か?」

 顔を赤らめてモジモジしはじめた。

「いや? ひびきさんに手伝ってもらうつもりだけど」

「な……響じゃと! たしかに、あやつは経験も豊富そうじゃし……な」

 なにか勘違いしてるような気がしてきた。


「それとも、おぬしは、ああいう歳上というか、大人の女が好みなのか?」

「いやいやいや、これ精力剤じゃないから! そういう実地試験とかないから!」

 確かに漢方薬って、「病気を治す」ってより「身体を健康にする」ってアプローチが強い感じだからね。

「失敗してると恥ずかしいから、まだ詳しくは説明しないけど」

 決してやましくはないと、言外に含める。

「うむ、ならば無理には聞くまい。なんなら今すぐ響を呼ぶか?」

「だったら、中庭で。ちょっと身体を動かしたいって伝えてもらえるかな」



「少年、もう大丈夫なのですか」

 中庭にいくと、響さんがジャージ姿で待っていた。

 室長は、調剤で疲れたといって部屋に戻っている。

 薬の成否は、あとで報告しよう。


「正直いうと本調子じゃないです。だからこそ、この薬の効果を試したいなと」

「薬……ですか」

 あまり良い印象はないようだ。

 そりゃ、あんな事件があったばかりだし。


「薬といえば、スーパー近くで不良連中が持っていた薬の件、報告がまだでしたね」

「甘麦さんは、あの薬でコントロールされてたってことでいいのかな?」

「ええ、その通りです」

「室長にはまだ?」

「まだです。あれだけ信頼していたメイドに裏切られたのですから、機を見なければ」

 いまも、まだ心労が癒えてないはずだ。

「あの警察病院では、彼女の記憶は曖昧で、しかし時々妄想のようなことを口走るようです。短期間にほどこされたマインドコントロールは、短期間に解けるものなのですが、薬の後遺症が残っているようで……取り調べや治療プログラムに移行できるのは、まだ先のことでしょう」

「でも、裏で糸を引いてたのは、叔父の紫雪しせつさんしか考えられないでしょう」

「証拠がない以上、どうにもできません」


「となると、敵は今のうちに、室長の命を本気でとりにくるかもしれない」

「その通りです」

「だったら、室長は休学させるべきだ。学校にいる間がいちばん手薄になる」

「それはできません」

「なんで」

「お嬢様は、あなたと一緒に通学することをずっと待ち望んでいたからです。初めて出会った時から、ずっと。十年以上もの間」

 自分は言葉を失った。


「お体がよろしくないのはご存じでしょう。体格も華奢。名家の因果ゆえ、妬み怨みをぶつける者もいる。お家の面子 メンツで遠くの私立に通うことも許されない。それでもお嬢様は絶望しなかった。お嬢様を支えてきたのは、他でもありません。あなたと再会して、ともに学校生活を送る夢だけだった」

 淡々と語る響さんの両手は、堅く握りしめられて赤くなっていた。

「……と言えば、信じますか?」

 薄く笑って見せた響さんの目は、少しだけ潤んでいる。


 ああ、信じるしかないよ。だって彼女は、一度会っただけの自分を、ずっと想い続けてたと言ったんだ。

「でも、命を天秤にかけることじゃないでしょう。ことがおさまったら、いくらでも一緒に……」

「お嬢様は、もう自分は長くは生きられないとお考えです」

「な……ッ」

「主治医はまだ手のつくしようがあると言っていますが、お嬢様は信じていません。もって数年とみています。それくらい、あの方の身体は悲鳴を上げている。夜も満足に寝られず、暗闇の恐怖に怯え、何度私に涙を見せたことか」


 なんだよ、それ。

 そんなこと全然聞いていない。

「だから、いまは一瞬でも一時でも多く、あなたと一緒にいたくてたまらないんですよ」

 そうだった……のか。


「わかりました。通学は続けましょう」

 ならなおさら、室長の守り方を考えなくては。

「毒味の能力はともかく、自分は襲撃者から人を守れるほど強くない。危険察知のスキルもないし、なにより護身術がからきしです」

「そうですね。スポーツで体幹さえできていれば、短期間でも形になるものですが」

「そこで、考えたんだ。中国秘伝の薬でドーピングしちゃえば、一時的にでも強くなれるかもって」

 とりだした薬包紙。さっき作った丸薬だ。

「本で見つけた。反祖丹っていうんだ。人間の本来もってる力を引き出す薬で、まだ未完成だけど、体を鋼のようにして、筋力も増大するらしい」

「たしかに人の体も一瞬だけなら鋼よりも硬くできますが……」

 パンチを打った瞬間や、攻撃を受ける瞬間、気合いを発することで、威力や防御力が飛躍的に高まる。

 中国拳法の達人が鉄の棒で殴られても平気で、むしろ棒が曲がってしまう映像を見た記憶がある。

「その薬が本物であるなら、おそらくリミッターを外してしまうのでしょう。理論的には可能ですが、体への負担が無視できません」

「死なせるよりはずっとマシでしょう」

「……ですね」

 すでに一度死にかけた命だ。後生大事に使おうなんて思わない。

 宵越しの命は惜しまず、あぶく銭はじゃんじゃん使っちゃう性格でね。

「そこで今から、どれくらい威力があるか試してもらえますか」

 結局、月の水というのがわからず、ペットボトルのミネラル天然水で流し込んでみた。


「なるほど硬気功のようです。かたいですね。そして熱い」

 響さんがシャツごしに、自分の腹筋をなでている。

 なんだかドキドキしてきたぞ。

「意識すれば、硬軟を切り替えられるようです」

 拳でコツンと殴られる。

「痛いですか」

「まったく全然」

「では蹴ってみましょう。いいですね?」


 ぐるっと横を向いたと思ったら、ゴンという衝撃とともに自分の身体は吹っ飛んでいた。

「なるほど硬さはハガネ並でも、体重はもとのままですね」

「い、今のなんて技です!?」

 自分のシャツにはクッキリかかとのあとがついていた。衝撃でしたたかに背中を打ったようだけど、全然痛くはなかった。


「ただの横の突き蹴りですが、痛いのもイヤなのでカカトで押し込みぎみに蹴りました。相手を突き放すような蹴り方です」

 自分を片手で引き起こすと、響さんはすぐに構えをとる。

「その天然ボディアーマーの特性をもう少し調べてみましょう。少し蹴り方をかえてみます。少し前傾姿勢になってもらえますか」

「こんな感じ」

 心持ち前かがみで。

「はっ」

 短い気合いが発せられて、スコーンとこきみよい音がした。

「おうふ」

 一瞬だけ息が止まった。


「どうです?」

「ダメージが……背中から抜けてったみたいです」

 速すぎて足なんか見えなかった。

「ということは、あなたのその鎧は、表面だけ強化されていて、内臓はそのままのようですね」


 これがこの薬の限界か、それとも材料が足らなかったせいか。

「刃物のへの守りは心強いでしょうが、銃に対しては心許ない。拳銃の弾丸は、貫通を防げたとしても、衝撃もかなりのものです。敵に特性を悟られず、うまく使うべきでしょう」

 まだまだ肉体修行も必要のようだなあ。


「私も可能な限りあなたをサポートします。残り短い期間かもしれませんが……お嬢様をよろしくお願いいたします」

 自分はゆっくりとうなずいた。


「五味子さん、これ護身用の薬」

 響さんの言葉が気に掛かり、自分はあのあとすぐ室長の部屋を訪ねたんだ。

 部屋に入るのは、これで二度目だ。

 水槽では、あの日の金魚がぽこぽこ泳いでいる。

 おまえら、ご主人様より長生きするつもりか。


 室長は、突然の訪問に迷惑顔をするどころか、あまりの喜びように、全然自分の説明を聞いてくれない。

「この丸薬を飲めば、女の子でも、わりとすごく頑丈になる。腕力も強化されるから」

「おぬしからの初めてのプレゼントじゃな!」

「いや、そうじゃなくて護身用に」

「いや、金魚から数えれば二度目か。もちろん大事にするぞ!」

「いざってときは、ちゃんと飲んでよ!」


「そうか、つまりは初めての調剤が成功したってことじゃな。見事なものじゃ」

 まるで自分のことのように喜んでくれているので、これ以上は何も言わない。

「調剤はほとんど五味子さんが教えてくれたんだからね」

「わたしは思い出すのを手伝っただけじゃ。あの手さばきは、もはや生まれる前から調剤を知っておったとしか思えぬ」


 かもしれない。

 かすかな記憶では、自分は神農大帝に薬のイロハを教わっている。

 でも、あの臨死体験そのものが、自分の眠っていた血を呼び覚ましたようにも思えるのだ。


 そして自分は、室長と夕食の時間までずっと話をしていた。

 薬のこと。

 文化祭のこと。

 勉強のこと。

 互いの家族のこと。

 進路の話になっても、室長は自分の夢を大いに語る。


 でも時々、さびしげな光を目に宿す。

――もし、本当に室長の命が残りわずかだというなら……自分の神農の血でどうにかできないだろうか。

 もっと知識を。

 もっと技術を。

 焦りを感じるばかりのさなか、事態は予想外の方向に、急展開を迎えるのだった。

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