見舞客

 ほどなく医者がやってきて、自分を診察する。

 まだ容態を見守るとのことで、詳しい検査は午後に持ち越しらしいけど、手早く記憶や判断力のチェックだけ行われた。あとは、看護師が両方の腕から採血。

 化粧室に逃げていた室長が、寝起き顔を整えてきたときには、あらかた検査が終わってしまっていた。

 もともと血色は悪かったけど、すっかりやつれちゃったね。

「今日っていつだっけ」

「土曜の朝じゃ。おぬしは四日間も寝込んでおったのじゃ」

 ずいぶん長く寝ている気がしたけど、そんだけだったのか。もう少し向こうで勉強しとけば良かったかな。

「一度は仮死状態になったとは思えぬほど顔色も良いようじゃ。診察の結果によっては食事もできるかもしれん」

 土曜ってことは一年生は休日だ。なのに室長が制服姿ってことは……。

「昨晩はな、お前がすぐにでも目を覚ましそうな気がして待っておったら、ついつい寝入ってしもうたわ」

 だから、毎晩来てくれてたことくらい知ってますって。まあ、あえて触れないでおこう。

「学校はどうなってるのかな」

「お主は食あたりで面会謝絶ということになっておる。倒れた文化祭の準備は、別途に発足した準備委員会に任せてあるから、安心して静養せい」

 よかった。それに見舞いに来られるのは、どうにも恥ずかしくて苦手だし。

「どのみち見舞いに来るとしたら、クラス代表のわたしだな」

 違いない。

「でも誰か見舞いにきてくれた痕跡があるんだけど」

 青い小ぶりの花が並んでいた。

 意識のない重病人に鉢植えを持ってくるだなんて、いやがらせとしか思えない。

「数日前には、容態も安定しておったからな。土も使ってないし、まあ良かろうとのことじゃ」

 へぇと、のぞき込んでみる。

「スポンジから生えてるんだ」

「レストランの水耕栽培みたいじゃな」

 ?という顔をする自分。

「知らんのか? サラダ用に店内で水耕栽培をしとるのじゃ。蛍光灯を当ててな」

「そんな高級そうなとこ行ったことないよ」

「よし、回復次第、快気祝いにつれていってやろう」

 とたん、おなかが鳴った。

「しばらくは病院食じゃな。かなり肝臓がやられておったそうじゃから」

「肝臓が? なんでまた」

「なんじゃ、おぬしがうわごとで言っておったのじゃぞ。倒れた理由が毒であるとか、肝臓が破壊されてるとか。その見立てがなければ、治療が間に合わなかったじゃろう」

 うーん、そう言われてみれば、そんな記憶も。

「それにしても、この鉢植えはどうかと思うよ」

富貴菊 ふうきぎくは、格式ある鉢植えじゃから、見舞いにも遜色なかろう。わたしも小学校の卒業記念にもらったぞ」

「フウキ……そういう和名があるんだ。でも、タグにはシネラリアって書いてあるんだけど」

「……ふむ、それは殺害予告にも見えるの。それを持ってきたのはカミオンジという男じゃ。メッセージカードがあるじゃろ」

「あの人か。まあ、ちょっと変わった人だとは思ってたけど」

「何者じゃ」

「自分に毒味役の話を持ち込んだ張本人」

 そういえば、ハーブ店について連絡しとかなくちゃ。例の薬の流通と、あと南蛮というテキ屋の男を本格的にあらってもらわないと。

「なるほど、本件の元凶じゃな。今度あったら、しばき倒してやる」

「いや、おかげで命びろいしたのは室長ですよ?」

「……そうじゃな。わたしが本当に狙われていて……しかも甘麦の手で……正直、いまだに信じられぬわい」

 いままで考えないようにしていたのだろう。堰を切ったように室長は喋りはじめる。

「なぜじゃ、あの娘を叔父から救い出したのは、わたしじゃぞ。なぜ裏切った。なぜ裏切られた。のう、教えてくれ歴山」

「甘麦さんは今は?」

「この病院の、別の部屋じゃ。少しずつ事情聴取を進めてはおるようじゃが、どうにも記憶が曖昧というか、あのときは薬で判断が曖昧な状態だったようじゃ」

 検出されたのは例の薬。タクロク高校の連中が売りさばいていたやつとまったく同一だったという。

「あのドラッグは、人を暗示にかかりやすくさせるそうじゃな。つまり、誰かが甘麦にいらぬことを吹き込んだということじゃ」

「誰かって」

 叔父である紫雪氏しか考えにくい。

 昔から甘麦さんを虐待し、精神的支配下に置いていたのなら、今でも彼女はその束縛から逃れられないだろう。さらにあの薬で判断力を奪われてしまえば、たとえ人を殺すという大それた行為でも、従ってしまうことがあり得る。

 思ってた以上に危険な薬だ。南蛮という男も、さらに要注意度が増した。


「誰じゃ」

 ノックの音に室長が気付く。

 扉を開けてうなずくと、一人の男を部屋に招き入れた。

 私服だったので気付くのが遅れたが、なんとその要注意人物である南蛮ではないか。

「へい、ごめんなすって。おおっ、坊ちゃん、お目覚めですかい」

「あれ、なんで?」

「あっしも、こちらの病院には仲間がよくお世話になっておりやして。それで偶然、こちらのお嬢さんにお会いしたんでさあ」

「ここは警察病院じゃからな。地元でやんちゃをしでかしたヤツも、たいてい、ここに収容されるのじゃ。こやつ、実はすでに一度おぬしを見舞いに来ている」

「これはこれは、意識不明でお構いもできず」

「お、よく見ればこちらのお部屋も窓が防弾ですぜ。廊下にも警備の方がいらっしゃるし、さすがというか、なんというか」

 妙なところを観てるなあ。ますます怪しいじゃないか。

「おぬしと甘麦を診てる主治医が、あやつとも知り合いだったわけじゃ。世間は狭いのう」

 うん、そのお医者さんの身辺調査もすべきだよね。

「いやあ、本当に世の中は狭いもんでやすね。というのも昨日、坊ちゃんの枕元に鉢植えがあって、どこの酔狂かと思ったもんでさあ。ちょうど、あっしの知り合いに、見舞いでシネラリアを送る馬鹿がおりやして。おやと思ったら、カードに見えてる名前がまさにカミやんだったんで、ぶったまげたもんです」

「加味さんと知り合い!?」

「そんな顔しなさんな。やつぁ、あっしの高校から大学まで同期という腐れ縁。今でも、しょっちゅう飲んでる仲でござんす。ああ、これで筋書きが見えてきやした」

 これは「おまえの背後はすべて把握済みだ」という、こいつ流の脅しだろうか?

「そのカードが気になったんで、世間話のふりでカミやんに電話をしてみたら、こっちの質問にゃあ答えず、あっしの持ってる本の話をしやがりましてね。もらったデータを学生さんに渡したってんですよ。カミやんは守秘義務だとかでそれ以上詳しく話さなかったんでやすが、あっしはお坊ちゃんのことだと確信しやした」


 南蛮は手にもっていた風呂敷をテーブルに置く。重箱でも入ってるかと思ったら、なんと中身はヒモ綴じの本の束だった。

 書かれたタイトルに見覚えが。

「もしかして『神農大帝本草注釈』?」

「へぇ、その通りで。今日はそれを持ってきたんでやす。カミやんの言うには、坊ちゃんは薬学の才能をお持ちとかで。だったら、あんなヘボな撮り込みじゃなく、本物をと思いやしてね」

「本物!」

 自分は警戒心も忘れてベッドの上に正座してしまう。あ、まだクラクラするな。

「かなり古いもんでやす。真贋はわかりませんが、神田神保町 かんだじんぼうちょうじゃあ、あっしの稼ぎの一カ月ぶんはするシロモノでさぁ」

 手にとって開くと、見返し部分には、小さな紙片がのり付けしてあった。古風な絵が印刷されている。たぶん蔵書票というヤツだ。初期の所有者が、自分のコレクションを主張するために貼ったのだろう。

 そのあとで図書館に渡ったのか、蔵書印が絵にかかるようにして無造作に押されている。

 この本が、いろいろな人の手を渡ってきたことを物語っていて趣深い。

 もう興味深かったのは、虫食いのすごさだ。ページを貫通するように、立体的にうねうね穴を開けられている。まさに縦横無尽というやつだ。

「カミやんに渡した撮り込みデータのほうは、どうしても光の加減で、薄い書き込みや、消した部分が写っておりやせんので、こうして虫食いの穴まで正確にわかる本のほうがよろしかろうと」

「そんな貴重な本をどうして」

「あっしが読んでも、字面ばかりの知識が増えるばかりでやすが、坊ちゃんなら、行間から得るものもあると思いやす。それと気になる書き込みがありやして」


 南蛮が表紙を開いて、鉛筆書きのメモを指し示す。言われないと気付かないほどかすれていた言葉は、こうだった。

『神農ノ血ヲモッテ読ミ解クベシ』

 その先に、追記がある。

『望ムトキ望メバ、望ム言葉ガ浮カビ出ズル妙典』

 という、謎の言葉。

「どういう意味?」

「あっしは、こう解釈しやした。読み手の力量によって、得られる知識もまた変化するものだと」

「読み手の……力量?」

「人は誰しも現実のすべてが見えているのではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていないのだ。――ジュリアス・シーザー」

 室長がなにやら格言らしきものを引用した。

「あっしには向いてなかったんでさぁ。ですから、これはお坊ちゃんに読んでいただきたい。もしお坊ちゃんが自分に必要ないと思ったら、また誰か別のお人に渡してもらえりゃあ、この本も報われるってもんでがしょう」

 南蛮がやたら真摯な目で真正面から自分を見る。

「快気祝いってわけじゃあないですが、受け取っていただけやすか」

 ぱらぱらめくる。毒が仕込んであるとか、そういう気配もない。

 この男は敵か味方か。悪か善か。

 いや関係ない。

 世の犯罪者というのは、なにも全人類を敵にしてるわけじゃあない。マフィアのボスだって自分の子どもや親戚には親切だ。独裁者だって、友好国の要人とは仲良く酒を酌み交わす。

 人とは多面的なのだ。ここは素直に好意を受け取るべきだろう。


「ありがたく、いただきます」

 深々と頭を下げる。

「受け取っていただき、ありがてぇこってす」

 なぜか南蛮もほうも頭を下げて返した。

「南蛮さんって、医学部か薬学部の人だったんですか」

 わだかまりがとけた気がして、自分は率直に尋ねた。

「医者になろうと学んだこともありやしたが、あっしは生まれついての浅学非才。それに開業できるほど先立つものもなく、手っ取り早く稼げる仕事に就いちまいやしてね」

 あとは言葉を濁して語らない。

「祭りの片付けも終わって、お嬢さんお坊ちゃんに会うのは、これで最後かもしれやせんが……一つだけご忠告を」

 南蛮のくだけた雰囲気が、少し改まった。

「薬に関わると、身を持ち崩して、法を外れた薬物に手を染めるやつもいやすが……それだけはご注意くだせえ」

「見てきたような口ぶりですね」

「周りにいろいろと」

「わかった、気をつけよう」

 室長が請け合った。

「これを最後と言わず、近くに寄ったら連絡せい」

「へい、またお会いできるのを楽しみに、稼業を続けさせていただきやす」

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