再会
どすん!
衝撃で足を跳ね上げると、自分はベッドの上だった。
長い長い夢を見ていた気がする。妙にリアリティがあって、生々しくって。
いま見上げているのは、真っ白い天井だった。
どこか懐かしい、昔から知っているような風景だ。
そうだ。親父と一緒に小学校をサボって旅をして、その先々でこんな感じのホテルに泊まっていた気がする。
白くて、清潔で、天井から銀色のアームが伸びていて、カーテンレールを吊るしているんだ。
ってことは、それじゃあ自分は、旅行先で目覚めたのだろうか?
誰かと縁日で遊んだり、クラスでなにか大切なことを決めた気がするけど、それも全部夢だったんだろうか。
いや、それは現実だったはずだ。
だんだんと記憶がよみがえってくる。青竜さんちで自分はケーキをつまみ食いして……そっからの記憶が曖昧だ。
どうして自分はこんなところに?
窓がないから、外の様子もわからない。どうも屋敷ではないようだ。
自分の鼻には大きなマスクが乗っていて、それが邪魔だった。
左手がしびれたように重くて動かなかったので、右手で取っ払った。息苦しさが少しは改善された気がする。
いまは何日何曜日だろう。時計が見当たらない。
そろそろ学校に行かないと遅刻するんじゃないか。
何度か目をパチつかせてるうちに、ぼやけていた視界が明確になっていった。
ここは病室だ。
生まれてこのかた大病の記憶がない自分が、どうしてこんなに病院に懐かしさを感じるだろう。
不意に、かつての室長の言葉がよみがえった。
『おぬしには……わたしと同じように、身体から薬品の匂いが漂ってくるのじゃ』
なんてこった。
今思い返せば、幼少の自分が会ってきた旅先のホテルの人たちって、みんな白衣を着てたんじゃないのか?
なんとなく割烹着だと思いこんでたけど、それは違う。自分はさんざん全国各地の病院で検査を受けてたんだ。
なんのために?
きっと、この特異体質のせいに決まってる。
口がカラカラに乾いている。
そこで、ようやく左側に誰かいるのに気付いた。
長い髪の小さな子どもだ。
自分の左手が感覚がないと思ったら、この子のせいだった。
頭しか見えないのは、自分の腕を枕にして寝入ってるからで、先ほどから室内のシュコーシュコーという音にまざって聞こえてくるのは、彼女の寝息だったんだ。
「室長?」
そっと声をかけるけど、反応はない。
「五味子さん?」
制服姿なのは、きっと学校から帰ってきて、ずっと看病してくれてたからだ。
というのも、自分の魂が奇妙な臨死体験を味わってる最中、身体は、病院内の医者や看護師のやりとりを覚えていたのだ。
魂と体が別々の体験をし、いま目覚めてから記憶をすりあわされている最中。
だから、自分が倒れてから一週間近くが経ってること、室長が毎日学校から病院に寄って、夜遅くまで自分のそばにいてくれたことをだんだんと思い出しつつあったのだ。
きれいな長い髪が、ベッドがあふれて、こぼれおちている。
なんとか右の半身を起こし横臥すると、右手でそれをすくいあげてみた。さらさらと気持ちいい。
でも、手にぴりっとした違和感がある。毒性は低いが、体には異物だ。この成分は、前にも触った記憶がある。そうだ――
「毛染め剤」
よく観察すれば、無防備にさらけ出された彼女の頭頂部がみえて、つむじの生え際がわずかに金色になっている。
そこで、はじめてピンときた。
彼女のお母さんは、外国の人だったんだ。
そりゃそうだろ、日本政府が国家の
そしてインジウムの算出国といえば……授業でやったはず。かつては日本、あとは確か中国と韓国だっけ? 中国は環境問題で採掘量が減ってるらしく、おかげで価格が急上昇してるって、地理の先生も言ってた。青竜さんって、中国の古典にも詳しいから、お母さんが中国系の人だっていう可能性は高い。中国で金髪って西方の人かな?
そして、書斎の肖像画を思い出す。あの金髪の女性は、室長のお母さんじゃないのか?
あの顔、あのたたずまい……だいぶ画家の趣味か手くせで改変されちゃってるけど、自分が知ってる人に、似ている気がする。
誰だ? 誰だ?
それはともかく、うちの学校、わりと服装とか髪型に厳しくはないんだけど、彼女はわざわざ黒く染めてたんだなぁ。
いつから染めてたんだろう。もし子どもの頃からなら、この薬剤は身体に良くない。彼女の眼の痛みや、傷の治りの遅さとか、そもそも彼女の背の低さすら、この毛染め剤のせいじゃなかろうか。
「
自分の左腕にかかる握力が強まった。
「行くな……行ってはならぬ」
寝言か。
「はいはい、どこにも行きませんよ。自分が、これからも守ってやるから」
そんな職業病みたいなことを考えながら、彼女の髪を指先でいじってると、いつのまにか彼女が顔を起こしていた。
すごく気まずい。女の子の寝起きを見ちゃって、しかも勝手に髪を触っていたのだ。
ぽけーっとしていた彼女が、よだれでぬれる自分の左手をつかんだ。
――あ、殴られる。
「本当に起きておる! いぎがえっだのじゃ~!」
自分の左腕を、ガッチリ前腕を胸に引き寄せて、声をあげて泣きじゃくりはじめた。壊れた雨樋のように水があふれ出ている。
「うええええん」
泣き方が、まったくもって子供っぽい。
「ほら、すぐ泣く」
このとき、ようやく断片的だったすべての記憶がつながったんだ。
小六時代の祭りで、わんわん泣いていた金髪の女の子が、ここにいた。
「わたしは、歴山の前でしか、泣かぬのだ」
しゃくりあげて声にならない。
「五味子さん……手が痛いよ」
痛かったのは腕よりも、胸のほうだ。こんなにも彼女を心配させてしまったことが、心臓を締め付けていた。
ようやく泣き止んで落ち着きを取り戻したあとも、彼女は「ぷんすこ」と音が聞こえそうなほど頬をふくらませていた。
「歴山、そこに座れ」
絶対安静の患者に、こりゃまた無体なことを。
「わたしは怒っておるのじゃ」
「見ればわかるよ」
「なぜ黙っていた」
室長は時々鼻をすする。目はまだ赤い。
「なにを?」
「おぬしが、わたしの毒味役だったということじゃ」
あちゃー、響さんあたりがバラしちゃったのか。
「知られたら、犯人に裏をかかれちゃうでしょ」
それに、警護対象が本当に彼女だったのかも、はじめは怪しかったのだ。
SPの響さんから受けた座学では、「ブラックボックス・セキュリティ」という、警護対象がわからないままの警護もあると聞いていたから、なおさらだ。
「おぬしが父になにか仕事を引き受けて、それゆえ毎回二食を腹に詰め込んでおったことくらい、さすがに気づいておったわ。しかし、それはおぬしの遠慮がなくなるよう、父が無理くりにヒネリ出した形ばかりの手伝いだと思っておったのじゃ」
まあ、自分も半分そんな気がしてたんだけどね。
でも実際に死にかけた。いや、一度、死んでるのかもしれない。
「わたし守っていると思ってたのに、じつは守られていたなど、羞恥の極みじゃ」
「恥ずかしいの?」
「恥ずかしいとも。役に立っていると一人で舞い上がって、実は空回りであったとは」
「空回りなんかじゃないよっ」
うっかり声が大きくなり、室長がかたまる。
「ごめん。えっと、空回りじゃないんだ。あのとき、途方にくれてた自分を救ってくれたのは、五味子さんじゃないか」
「む」
「あの時は、本当に嬉しかったんだ。今でも感謝してる」
「そうか」
顔をそむける彼女の肩は震えていた。
「それは……良かっ……た」
これ、顔がにやけるの我慢してるのかな?
「それより、さっきの件だけど」
「さっき……じゃと?」
ちらりと横目で自分を見る。
「なんのことじゃ、なんのことじゃ、わたしは寝てるだいに何もしておらんぞ。寝おきで幻覚でも見たか歴山」
「あのとき手を引っ張ってくれたのは、五味子さんだね」
「あのとき……?」
「うん、いま思い出した。それだけじゃない。毎日、見舞いにきてくれてた」
室長がイスから飛び上がった。
「なんで知っておる! それは幻覚じゃ! わたしは、なにもしておらんぞ!」
うは。あわてふためく室長かわいい。
って、寝てる間に何かされたのか自分。
「いつも看ててくれたんだね。ありがとう」
ついつい自分も顔がにやけてしまう。
「おぬしは何か幻覚を見たとしてもな……あれは目覚める呪いだとかで、甘麦がそそのかしたのじゃ。他意はない!」
え、甘麦さん?
「甘麦さんは、どうなったの?」
「知らぬ! 知らぬぞ!」
自分の声をさえぎりながら彼女はナースコールを押す。
「どうかしましたか」
天井から女性看護師の声。あ、スピーカーがついてるんだ。
「歴山が、目を覚ました」
「すぐうかがいますっ」
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