会議
火曜日の六限からは、
教壇に立った室長は、青白い肌と、秀でた額、長く伸びた艶やかな黒髪をもち、崇高さすら漂わせていた。
そして毅然とした面持ちで、クラスメイトたちを見渡した。
いや、毅然……というか……
――実は緊張している?
いつにも増して、顔は血の気が薄い。かすかにヒザが震えているかにも見える。
教壇のわきに控える自分を、室長が見た。「根回しは大丈夫」と、大きくうなずき返す。
彼女の右手が開かれる。そこにはカンニングペーパーなんてなかった。昨日の一字がうっすら残っていただけだ。
それがぐっと強く握りしめられた。
「まず、残念な知らせじゃ」
静かに語り始める。
「クラス担任の
えええーっ。
教室内から不平の言葉が出る。この短期間でよくもそこまで嫌われたものだ、という先生だったので、同情の声は皆無だった。
「だが」
室長が言葉をつなぐ。
「だが、実行委員会や生徒会の努力もあり、現段階では、強行開催できるところまで、説得が進んでおる。ゆえに、この文化祭は、開催意義のある、進学校として恥じることのない内容にしなくてはならない」
どういうことだ?と雲行きを怪しむ者が何人が出始める。男子の主張した食い物屋台と、女子の推すトークイベントは、どちらもエンターテインメント性を重視しているからだ。
「この学校側からの方針圧力に加え、いまクラスは二つの企画で大きく分かれている。しかるに、クラスから委任を受けた二人で話し合った末に、妙案を考えた。男子女子のどちらもコケず、両方のメリットを生かすやり方じゃ」
教室内に小さな
「まず、女子が希望していたトークイベントじゃ。教室内にひな壇をつくって、芸をする。ここからそのあたりまで、イスをずらっと並べてな」
「やったー!」
女子が立ち上がって喝采を送る。
「ただし」
自分がさえぎる。
「出場する人は、厳選する。きっちり練習してもらって、それなりのレベルにまで芸を高めてもらうよ。あと、やりたくない人にはやらせない。これが男子側の譲歩できる条件だ」
女子たちが顔を見合わせる。何人かが男子の顔をうかがうが、彼らはみんな文句を言わず、壇上の室長と自分の説明に耳を傾けてくれてる。
「そしてじゃ。同じ教室内に模擬店を開く。トークイベントの客たちには、模擬店でいろいろ買ってもらって、その場で飲み食いしながら、芸を鑑賞してもらうのじゃ」
書記が黒板にだいたいのイメージを描いてくれる。さすが美術部。うまい俯瞰図だ。
「男女案の折衷ってやつか」
「特色はたしかに出しやすいな」
男子も事前に根回しをしているから、意図をしっかり理解してくれたようだ。
「人間ってのは、食事中に別のことをしてると、満腹を感じにくいそうじゃ。とくに楽しいことに集中してるとな。軽妙なトークイベントで客を笑わせておけば、模擬店の収益はかなり期待できるじゃろう」
どうじゃな?と室長は教室をみまわす。ここまでは男子も女子も依存はないようだ。
「人間、嚙む回数が少ない方が満腹にならない。たくさん食わせるには、ひとくちメニューが良いじゃろう。教室は狭いから、匂いがきつくないものがよかろうて」
「この方式のデメリットは言うまでもなく、よその二倍大変になるってことだよ」
だが相乗効果も十分見込める。
「次に学校側からの要求を満たす案じゃが、女子のトークイベントには、エスプリを効かせた演目で企画書を提出してほしいのじゃ」
どのみち女子のトークショーは、時事問題をからめた痛烈な風刺コントをする予定だったそうだから、問題ない。
「男子も、屋台には
「わたしたちからの提案は以上じゃ」
「みんなはどう思う?」
クラスの連中は、しばし両隣や前後の仲間と小声で話し、あるいは、自分でいろいろ想像して、頭を巡らせているようだ。
考えようによっては、男子と女子の分業や縄張り争いで、さらに溝が深まる恐れもあった。
「この方針でよいか決を……」
室長がいいかけたとき、半夏が挙手をした。
「においが少ないほうが良いっていうけどさ。廊下にだったら、におい漂わせたほうがよくね? 焼きトウモロコシとかさ。客引きになるぜー」
「いや、まだ店をやるとすら決まって……」
自分がいったん止めようとする前に、他の生徒が立ち上がった。
「どうせ教室でトウモロコシを食えないなら、いっそ、廊下でしょうゆ焦がすだけで十分じゃん」
「だまされて、ブンブン寄ってくるかもな」
「それってズルくない?」
「これがダメなら、トイレの芳香剤だって詐欺だろうよ」
どういう理屈だ。
「食べながらだったら、あたしらの練習が足りなくても、わりと場がもつかもね」
「お団子や、しっとりしたクッキーなら、音もうるさくないし、作り置きできるわよ」
「あたためるだけなら、ガスもいらないよな。コンビニのドーナツみたいに、ヒーターか電球で照らしてさ」
なんだか具体的な意見交換が始まってしまってる。
「これは、なんというか」
と自分は室長を見る。
「決まった……ようじゃな」
「うん」
拍子抜けするほど、あっさり議題は前に進んでいった。
これも室長のおかげだ。
企画の思いつきといい、根回しの分担といい、彼女とタッグを組まなければ、絶対にかなわなかったことばかりだ。
そのとき室長が、ぽそりと「初めての共同作業じゃな」と言った気がした。
「え?」
「なんでもない」
でも書記係がしっかり何やらノートに記録していた。
放課後、校門を出ると、危惧していたように、黒塗りの車が停まっていた。
運転手の
響さんは車から少し離れた場所で、周辺に注意をはらっていた。
「歴山、疲れておろう。乗るがいい」
いや、しかし……。
「わたしは疲労困憊じゃ。今日は歩いて帰れぬ」
「はいはい、わかりましたよ」
自分もすっかり疲れていたから、これ以上駆け引きする余裕もなく、すぐに折れて車に乗り込んだ。
生徒がこちらを指さしてざわめく声は、防已さんが扉を閉めるとぴたりと聞こえなくなる。
「ふはははは、見おったか、生徒たちの慌てふためいた顔を。ケッサクじゃったのう」
あーこれ絶対、楽しんでいるなあ。
「風評を立てられて一番困るのは、五味子さんなんだよ?」
「『君子は
「また難しい言葉で煙にまく」
「言うな。緊張から開放されて、言葉を選ぶ余裕がないのじゃ」
緊張? 室長が?
「わたしは大勢の前で離すのが大の苦手なのじゃ。気が遠くなる。とくに今回のようにもめておると、どうしてよいか途方に暮れるところじゃった」
そこで初めて、彼女の声が震えていることに気づく。
ずっと気丈にふるまってはいたけど、相当なプレッシャーを感じていたんだろう。
「頑張ったね、五味子さん」
「おぬしの……おかげじゃ」
彼女の広げた右手には、「合」の字がすでに消えかけていた。よほど強く握りしめていたのか、ツメのあとが残っている。そこにポタポタと水滴が落ちた。
「恐かった」
なんで気付かなかったんだろう。
室長は誰よりも、正義感や責任感が強い子なんだとは思ってたけど、それはつまり人一倍、人の痛みがわかる子なんだ。
だから、平気で怖い人にも(特に響さんがいるときは)ケンカ腰で突っ込んでくんだけど、同じくらい本人も傷つきやすく、プレッシャーも感じやすい。しかも、すぐに自分を追い込んじゃうタイプなんだ。
それに彼女は、中学校でいろいろトラウマを抱えてるっぽいじゃん。今日みたいにクラスメイトみんなに注目されるのって、かなりツラかったんだろう。
「大丈夫。今日でまとまったから、明日からはうまくいくよ」
こくこくと何度もうなずき、響さんのハンカチで目を押さえてる。
響さんがサングラスの奥から「なに泣かとんじゃ」とにらんでいた。えっ、自分のせいですか。いや、そうだよな。自分がかわりに説明すれば良かったんだ。いや、ダメだろ。男子はともかく、女子は室長の話しか聞かない雰囲気だったよ。
「そ、そうじゃ。屋敷に戻れば、ちょっとした祝宴を準備しておるのじゃ」
涙をごまかすように、つとめて明るくふるまう彼女。
「なんの?」
「おぬしの誕生日と、ついでに今日のミッション成功を記念してじゃ」
おっと誕生日! 土曜がそうだったんだけど、ドタバタ続きで、すっかり自分で忘れてたよ。
「特製ケーキも用意させておる。今宵は楽しもうぞ。わたしはな、いま最高に良い気分なのじゃ」
涙のせいか、いまの室長の顔は、いつにも増して
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