策
薄氷を踏む思いの学校を終えて、わりと緊張の下校時間。自分は室長につかまらないよう、そそくさと帰り支度をする。
「む、暦山はどうした」
背後に室長の声が聞こえて、自分は足を早める。
「さっき急いで帰ってったよ。ほら、あっち」
「なんと! 待っておれと言うたのに」
ぱたぱたと追いかけてくる足音が近づく。おいおい、一緒に帰ったら、またいろいろ疑われちゃうだろ!
自分がさらに足を速めると、ぱたたたたと室長は走り出した模様。
「青竜さん、どうしたのかしら?」
「明日の打ち合わせだろ」
「どうせ歴山くんが、青竜室長に全部丸投げしちゃったんでしょ」
かすかに聞こえてくる級友どもの声。
なんとでも言ってくれ。そのかわり、いつまでも、その
「さ、さきに先に帰るとは、薄情、じゃな」
「く、車を、呼ぶぞ」
急に走ったせいか、横並びの室長は左脇腹を押さえている。
こういうときは、右手と左手、どっちを持ち上げればいいんだっけ?
迷った自分は、室長の背後から両手を持ち上げて「ばんざーい」させたかったけど、それはかなり変質者っぽいことに気付いて自重した。
「自分は歩くよ、高校生なんだから」
「そ、そうか」
つばを飲み込む音。
「なら、わたしも、歩こう」
「気を遣わなくたって」
「気を遣ってなどおらん!」
さすがにかわいそうなので、立ち止まる。
彼女はその場にしゃがみ込んだ。
「歩くのはわりと平気なのじゃが」
そういや今日の体育も見学してたらしいね。
「短時間に身体を酷使するようなのは、やはりダメじゃのう」
車通学はてっきり警護の都合かと思ったけど、あの距離を歩くのも難しいんだね。なんか、ごめん。
「そうじゃ! 自転車で通うのはどうじゃ」
「いきなり二人同時に自転車で通いだしたら、よけいに疑われちゃうよ」
「さては、おぬしが我が家の客分であることを知られたくないのか」
今頃わかってくれたらしい。
「おぬしの体面もあるし、家族の恥をさらすことにもなるか。これは配慮が足らなかった。許せ」
「いや、そっちのほうより、室長のほうが」
クラスの男と一緒に住んでるとかウワサされて、不利益になるのは室長のほうなんだけどなあ。
「ならば、わたしの自転車で二人一台の相乗りじゃ。おぬしが途中で降りて、わたしがそのまま自転車を駐輪場まで運ぶのはどうじゃ」
「ぐっ」
女のコと自転車で二人乗りだって?
なんと素晴らしき青春の一ページ! BGMは「青い山脈」か「冒険でしょでしょ?」あたりか。
「って、いやいや、ダメだダメだよ。それこそ、よけいな風評を立てられて即死じゃないか」
「なぜ死ぬのじゃ」
ほんとこの子は、人の心を揺さぶる無防備発言をクリティカルに連発するなあ。
「とにかく室長は車でお帰りください」
「室長?」
久々にギロりとにらまれる。いや、家に帰るまでが学校じゃないの?
「……いつみこさん」
「よろしい」
満足そうに、にっこり。
くっそ、かわいいなぁ!
なんやかんやで、結局自分も車に乗せられて家に帰りつく。
「このあと時間はあるか?」
離れに向かう自分を、室長が呼びとめた。
「明日の打ち合わせもあるし、今日の授業の復習と明日の予習もあるじゃろう。わからぬところは教えるぞ」
「じゃあ、夕食後に。今は調べたいことがあるんで」
「勉強熱心じゃのう」
感心感心。
そんな表情だった。うん、最近、室長の思ってること、だいぶ読み取れるようになってきたぞ。
制服から着替えると、すぐに自分は厨房に向かった。
「やみつきな唐揚げ?」
「ええ、細かい緑色のノリみたいのがふりかけてあって」
夕食の準備中だった
「でも味はノリじゃない?」
「もっとエグみがあるというか、風味が強いっていうか、青臭いというか」
「そりゃあ、アレさね、
麻? しぶめの服につかう植物?
「これが麻の実を粉にしたやつさ」
チャック式の袋に、緑のキナコみたいな粉末が入っている。
「あ、こんな感じの粉末でした」
「あと、唐揚げなら、
ちょうど唐揚げを準備中だったらしく、料理長が揚げたてに小瓶の黄緑色の油をたらした。
「オリーブオイルみたいですね」
味もだいぶ近づいてきた。
「麻の油ってのは、わりと料理で使うものなんですか」
「そうさねえ。健康意識の高いお金持ちにゃ人気はあるね。有機栽培の野菜ばっか食べてるような、さ。でも、赤松みたいな庶民スーパーにゃ絶対に売ってないよ」
そう言いながら料理長は、オイルの並んだ冷蔵棚を見せてくれた。そこには、いろいろなガラスの小瓶が並んでいる。いちばん目に付くのは各種オリーブオイル。あとは、ごま油をはじめ、ココナッツオイル、グレープシードオイル(ぶどうの種?)、チアシードオイル(なんかの草っぽい)などなど。とにかく、いっぱいだ。ラベルに植物の絵が入ってるけど、そのどこから油を絞るのか、自分にはさっぱりだ。
「これ全部試すって手もあるけど、あたしゃ、あんま油っぽいの好きじゃなくてね」
「太っちゃいますからね」
はっはっはと料理長が笑う。
「たしかに、あんたみたいな若い子は、油モノのほうが食が進むからね」
なんでも油そのものは、大して脂肪にはならないそうだ。
「あたしはアッサリしたものが好きでね」
あんたはすぐカッカしそうだから、油が似合ってるとまで言われた。
「人には体質があってね。あたしゃ水蛇だから、逆に火や油は天敵なのさ」
水蛇? そんな誕生星座あったっけ。蛇遣い座ってのは聞いたことあるけど。
「要するに、
「地水火風みたいな」
四大元素だっけか。ゲームで聞いたことがあるぞ。
「五行だったら、
「銭氏さん、やっぱ漢方に詳しいんですか?」
「わりとね。前のこの屋敷の当主とは、よく酒を飲みながら、伝統医療について談義したものさ」
えーと、つまり室長のお父さんのお父さん。室長のお爺さんのことだね。
「その漢方の知識をぜひ。さっきの麻の実パウダー、あれはあれで、おいしいですけど、もっと、なんかこう、昼のカラアゲはやばい感じがしたんです」
「ってーと、隠し味だね」
「病みつきになる、隠し味」
「麻は麻でも、麻薬入りかもしんないってこと」
病みつきすぎる! 文字通り病気だ!
「中国でケシの実の殻入りのラーメンや鍋料理が摘発されてるってやつのは知ってるかい?」
うちは貧乏だから新聞はとっていなかった。
「もちろん麻にも麻薬の成分はあるね。実のほうは普通に食べられるけど、葉っぱや花のほうは注意しないと」
「ん、麻?」
ふと気づいた。
「そういえば、七味トウガラシにも麻の実が入ってますね」
七味でいちばん大きな丸くてゴロゴロした穴にやたら詰まる黒いやつ。
「ああ、あれは麻薬成分がほとんどないから大丈夫。それに、丸ごと入ってるやつは、熱処理して芽が出ないようにしてるから、そっから栽培するのは根気がいるだろうね」
そっか、南蛮の野郎が屋台で売ってたんだ。
この町で起こっている事件や騒動が、どれもアイツに関係してるように思えてきたぞ。
「あんたも
「ちょっと薬学部でも目指そうかという気になって」
「へぇ、まさかお嬢ちゃんの影響で?」
「ちっちちがいますよ、たぶん」
「え~歴山様~そうなんですか~わたしのこと飽きちゃいました~?」
洗濯物をとりこみおわった甘麦さんが、不意に会話に割り込んできた。
「人聞きの悪いこと言わないでください。……でも銭氏さん、ほんと漢方くわしいんですね」
「昔取った
「昔って、なにやってたんですか」
「知りたいかい?」
「お差し支えなければ」
「仙人さ」
自分は思考がとまった。
「こう見えても仙術をおさめて不老長寿でね。あたしいくつに見える?」
あ、これやばい質問だ。
「……二十五歳くらいでせうか」
「あっはっはっは」
誤魔化された。
でも仙人というからには、数百歳ってこともありえるな。
「え~クイズですか~歴山さま~わたしは~?」
「甘麦さんは未成年ですよね」
「うふふ~本当にそう思います~?」
え、だって資料にはそう書いてあって……。
「もしこの世界に生まれ変わりがあるとしたら」
銭氏料理長が、ポキリと棒ニンジンをかじった。
「生まれ変わった子の歳って、どこから数えりゃいいんだろうね?」
なんだか意味深な発言だった。
「ってことは……もしかして甘麦さんって、若返ったりしてます?」
「うふふ~」
「もしかしてこの屋敷で働く前は猫だったとか?」
「歴山さんは~おもしろいですね~」
自分はわりと真面目に質問を続ける。
「室長の親父さん……
「あの絵ですか~? わたしも時々~旦那様にお聞きするんですよ~」
おっ、新事実が。
「でも、わたしを見ながら~いつも哀しそうな顔をするので~」
「聞けずじまいなんですね」
結局、誰なのか、わからないままだ。
「今度、その唐揚げを買ってきてごらん。ひとくち食べたら、たぶん隠し味がわかるよ」
「ぜひ、お願いします」
自分の住み処は敷地内といっても離れの建物なので、防犯上、インターホンもあれば鍵もかかる。
夕食後、学校授業の予習もせず、本棚にあった漢方の辞書で調べ物をしていたところ、ガチャリと鍵を開ける音がした。
室長だ。
手にはキーが握られている。
「あの、せめてインターホンくらい鳴らしてもらえないかな。年頃の男の子なんだし」
室長があとで打ち合わせでくるとは聞いていたから、まあ人目をはばかる行為はしてなかったので大丈夫だけど。
「また甘麦が迷惑をかけておらんかと思ってな」
なるほど、それで抜き打ち検査ですか。
「室……五味子さんが鍵を持ってるんだから、入ってこれないでしょ。あ、そういえば」
そこでパンツの件を思い出す。
「自分の洗濯モノ、室長が洗ってくれてるって聞いたんだけど」
「ん? 洗濯は甘麦じゃろう。玄関のカゴに入れておけば、そこまでは甘麦も入れるからのう」
「いや……その……下着を……ですね」
「シャツも甘麦が洗っておるが」
「いや、その、出し忘れたパンツがあるけど……」
「お、おう、そのことか! あれは、そうじゃな」
室長が手を打つ。
「なにやら腐乱臭がしておったので捨てた」
ごめんなさい!
「なかなか起きてこないから入ってみれば、面妖な香りがするのでな、おぬしが死んでおるかと心配したわ」
「ごめん。ほんとごめん。あと人間はこの季節、そんなに早く腐らないと思う」
「まあ、下着くらい幾らでも買い足せるからのう」
鼻が悪い室長でもわかるって、どんだけ臭いんだ、自分の下着は。
「さて、予習にするか? 復習にするか? そ・れ・と・も」
なんだか新妻みたいな質問が飛びだして、自分はごくりとノドを鳴らした。
それとも!?
「明日のホームルームの打ち合わせかのう?」
ですよねー。
「自分はちょっとした考えがあるんだけどな」
「奇遇じゃな、わたしも良い案が浮かんだのじゃ」
「じゃあ、お先に」
「いやいや、わたしのは我ながら良い案でな。それを聞いたおぬしが自案を取り下げてしまっては申し訳がない」
「へー、ずいぶんな自信じゃん。でもこっちの案もすごいよ。先に言ったら五味子さんにマネされないか心配だね」
「青龍家の者がそのようなセコき策を弄するものか」
「じゃあ、それぞれの手に描いて、同時に見せるってのはどうかな」
三国演義、諸葛亮と周瑜の故事にならってのことだ。
「よかろう、受けてたとう」
「勝負じゃないんだけどね」
二人それぞれが、背を向けて水性ペンで案を書く。
自分が手を広げた瞬間、彼女の手が合わせられた。
小さな手だったが、妙に自信に満ちていた。
親指は親指、小指は小指。五本の指がそれぞれ重ねられていた。
きゅっとその指がにぎられると、自分の心臓がわしづかみにされたような衝撃が走った。
「わたしは知っている」
「な、なにを?」
「おぬしとわたしが、同じ想いであることを」
なるほど。
こちらも軽く握りかえす。指どうしがからまる。
互いの手が熱くなるのがわかる。
汗ばんでいる。
心臓が握りつぶされそうだ。
どれだけ時間が経っただろうか。
「そろそろ……じゃろ?」
その声で我に返って。どちらからともなく手が離れた。
彼女は自分の手のひらを眺めて、こころなしか口元をゆるませている。
「同じじゃ」
「字が裏返しになるとか考えなかった?」
「まったく」
自分も手を確かめる。
室長のぶんが写って、少しだけ太くなった漢字一
合
その意味するところは、男子の屋台と、女子の舞台演技の企画をくっつけて、合同で開催してしまおうという案だった。
自分も室長も、同じ文字を、それも左右対称のこの文字を書くだろうと、なぜか確信していたんだ。
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