【巻4】はじめての共同作業が成功するのこと

一、根回し

同伴登校

 月曜の朝。自分は朝の鍛錬に参加している。ひょこひょこと室長もくる。

 彼女はまだ包帯を巻いたままだが、化膿はしていないし、痛くもないという。

「どうじゃ、ムレムレだぞ。嗅ぐか? 嗅いでみるか?」

 朝から絡まれた。

「少年は集中力に欠けるようですね」

 指導にあたる女性警備員の響さんの怒りが、こちらに向けられた。

 ひたすら組み打ちをやらされ、なんども芝生を味わうことになる。

「いま、どうすれば勝てるか考えましたね?」

「そりゃ、考えますよ」

「あなたが勝てないのは、ただの修業不足です」

 響さんが冷たく言い放つ。

「歴山、わたしと組み手をやってみようぞー」

「少年は反応が遅い。踏み込みが足りない。体重移動が甘い」

「歴山、きいておるのかー」

「無心に基礎鍛錬だけ励みなさい。それはRPGの経験値稼ぎのように、ある日突然、少年を強くする」

「委員長キック!」

「ぐぼぁあっ」

「いまはただ、よく食べ、よく動き、よく学びなさい」

 薄れゆく意識のなか、おいしそうな朝食のにおいが鼻孔をくすぐっていた。


 料理長の銭氏さんとメイドの甘麦さんと、そして自分とでの三人が厨房に会する。すっかり定着した、最初の朝食だ。

 ここで毒味をすませておくという魂胆ながら、表向きは、みんなで食事をしたいという甘麦さんの頼みをきいた格好だ。

 その甘麦さんが、朝からぼーっとしていた。

「昨日の紫雪さんと何か関係あるの?」

 小声でたずねる。

「そそそんなこと~ありませんよ~」

 挙動不審に否定するところが、ますます怪しい。

 それでも甘麦さんは、食事が終わるや、メモを確認して「よし」とか気合いを入れ直してる。

 力になってあげたいけど、深入りは遠慮すべきか……。

「さて~お嬢様たちのお食事の準備をしないと~」


 そして自分は、すぐさま二度目の朝食となった。銭氏さんの料理がおいしいのと、響さんの鍛え方がハードなおかげで、おなかにはまだ若干の余裕がある。

 室長のお父さんは、昨日からすでに海外出張に出ている。

 なので、この広い食堂を、室長と自分だけで向かい合って座ることに。

 ときどき執事長がお茶を注いでくれるほかは、誰もいない寂しい空間。会話をしないと間が持たない。

「室長は、ちゃんと朝食をとる人なんだね」

「食べねば、授業中に腹が鳴るからのう」

 そして目の前に置かれている奇妙な物体は……食前酒!

 透明な小さなコップに、琥珀色の液体が注がれていた。これは、さっきの毒味食にはなかったんだけどなあ。

「これがないと、朝は食が進まないのじゃ」

 とろりと甘い梅酒だった。

「ざっと三〇年ものじゃな」

 すごいな。梅酒がこんな色になるなんて。古酒ってやつ? 深みのあるコクと甘みに、この家の歴史がそのまま染みこんでいるようだった。

「わたしの父親が産まれた日から、祖父が誕生日ごとに一ビンずつ漬けていったそうじゃ」

「もう一杯」

 これは旨い。一滴一滴に歴史が刻まれているかのようだ。

「いけるクチじゃのう。だが、今日から学校じゃからのう。残りは晩酌というこうぞ」

 さすが室長、話がわかる!


 こうした複雑なプロセスを経て、ようやく登校となる。

 なにぶん新生活での登校は今日が初めて。だからわからないことだらけで、頭が爆発しそうなのだ……が、ほろ酔い気分になってしまい、わりと心は軽やかだった。

「問題は、例の負傷事件のせいで、文化祭そのものが中止になりかねないことじゃ」

「って、いつの間に自分、室長の車に乗ってるのッ!?」

 たしか自分だけ自転車を借りたいとお願いしてあったはずなのに。

「あ、防已 ぼういさん、このへんで停めてください。自分歩きます」

「そうか」

 なぜか彼女も降りてきた。

「確かに健康的じゃの。酔いさましには丁度よかろう」

 これじゃ意味がない!

「同伴登校なんて、いろいろマズイに決まってるよ! ただでさえお屋敷に住まわせてもらってるのに、それがみんなにバレたら、室長がなんて思われるか」

「それのどこが困りごとなのじゃ?」

 小首をかしげる彼女をとにかく先に歩かせて、自分は相当に距離を開けて学校へ向かう。

 室長って気さくにすぎるというか、わりと天然なところあるよね。それとも、わざと? ねえ、わざと?

 セーフというか危機一髪だったのか、最初の信号で早くも彼女は女子たちに囲まれていた。

「青竜さま、おはようございます」

「青竜さん、今日は歩きなのですね」

「青竜室長、文化祭の例の件いかがですか」

 室長の対応はかなり素っ気ないのに、それでも大人気だ。むしろ、あのサバサバしたところがいいのかな。


 結局その女子包囲網のおかげで、室長に話しかけられもせず、自分は自分の席につくことができた。ほっと胸をなでおろす。

 月曜朝は、講堂での朝礼と相場が決まっているのだが、今日は職員会議が長引いて中止になった模様だ。

 担任はまだ病院だろう。クラスを代表して、室長と誰かが見舞いにいくとか、そういう段取りになるはずだ。

 それも心配だけど、文化祭が中止になるかもってのは、ちょっと問題だな。たぶん学校関係者から室長にリークがあったんだろうけど(なにしろ青竜家は教育委員会に顔がきくらしいし、室長は一年生ながら早くも生徒会に出入りしている立場だし)。


 なぜか今日は、クラスメイトが依頼案件を持ち込んでくることもなかったので、心を落ち着かせて、目下の課題に思考を巡らせる。

 たとえばハーブ屋の外階段で寝てた男。半夏はんげからの情報から察するに、あれはハーブをキメてた馬鹿野郎に違いない。

 トウガラシ売りの南蛮がわざわざ、あんな場所をのぞき込んだのは、あそこで人がよく倒れてるのを知っているのだろう。

 やつが使ったのは、おそらく使い捨ての採血器具。パチンとやるだけで、血が一滴採取できるヤツだ。

 自分の胸から下げてる神農のお守りにも、こっそり腹痛の薬くらいは入れてあるけれど、さすがに採血器具なんてのは持ち歩かない。

 あいつと、ここいらで流行っている違法薬物との関係を明らかにできないものか。


 とか考えていたものだから、室長がそばに立っているのも気付かなかった。

「なにを、ぶつくさ言っておる」

「うわぁ……あ、五味子さん……じゃなくて室長。おはよう?」

 あやうく下の名前で呼んでしまうところだった。

「なにが、おはようじゃ。朝から一緒じゃろうに」

「わー! わー!」

 声をあげて打ち消すのも間に合わず、クラスメイトの視線が一気に集中する。

「お前……なに仲良くなってんだよ」

「裏切り者か」

 さっそく男子からの辛辣なコメントいただきました。

 そうなのだ。文化祭の出し物で、男子と女子の意見がみごと真っ二つになってる最中、女子の意見を代弁する室長と仲良くするのは、流れ的に大変にまずい。

「わたし……見間違えじゃなかったら、歴山くんが青竜さんの車から降りてくるのを見たのだけど」

 サプライズ的なタレコミに、教室内がどよめく。

「それって、もしかして」

「そ、そんなことないよ! ね、室長?」

「うむ、文化祭の打ち合わせをしておったぞ?」

 なんで、あっさり認めちゃうの!

「打ち合わせを理由に、青龍さまとご一緒登校ですって? 因業姑息もいいところね!」

「卑怯者っ」

 女子から口々に非難の声と殺意を浴びる。これはクラス全員を敵にしたのか?と思われたその時、

「互いの意見をすりあわせていただけじゃぞ」

 そう、室長がきっぱり言い切った。

「二人で相談しろと言うたのは、クラスの衆らじゃ。なんら恥じることもあるまい」

「うん、そうそう。室長忙しいから、途中で待ち合わせて登校前にミーティングしたんだ」

 まさか一緒の敷地に住んでるとか言えるわけがない。

「それなら……いいんですけれど」

 女子が、しぶしぶ納得する。

「まあ。仕方ねえよな。俺たちが押しつけたようなもんだし」

 気色ばんでいた男子も勢いをそがれる。

「でも俺たちゃ、譲る気ないからな」

 このまま引き下がれば、男がすたるとでも思っているのか、かなりムキになっている。

 うんうん、みんなが納得できるような落としどころを必死に考えてるとこだよ。


 いや、それよりも、室長がまた、みんなを敵にまわすような発言をするんじゃないかと、ドキドキしている。さっきは、うまく誤魔化してくれたけど、そのときの室長の目を見たか? あれは明らかに、例のいたずらモードだった。この自分が慌てふためくさまを見て楽しんでいるわけで。

 おかげで午前中はずっと、室長が何を言い出すものかと、仕草や発言のひとつひとつにドキドキしまくっていた。

 ええ、自分は「気になる女のコをついつい見ちゃう思春期男児」かってーの。

 そんなこんなで、授業にも身が入らず、慎重に機会をうかがったまま迎えてしまった昼。

「でな、そのまんじゅうが美味すぎて、ほっぺた落ちそうだったんだ」

 色白の太め体型のヤツが、ごはんつぶをこぼしながら熱く語る。たしかこいつは柔道部だったな。

「そうそう、コーチが言うには、右の拳をほおにくっつけとけばガードは下がらないってんだ。右ストレート打つときも、拳を打つ直前まで話さない。ほおを引きちぎる感じで打てってさ」

 ボクシング部の半夏 はんげが応じる。

「なんでおまえら、それで会話が通じてるんだよ」

 半夏を中心に弁当を食い合ってる男子どもは、だいたい運動部の猛者もさたちだ。そこになぜか、自分がこうして融け込んでいるのは、登校初日のドタバタで「骨のあるやつ」と思われたせいだろう。

「あ、俺の唐揚げが消えた!」

 半夏が叫ぶ。残り一個だ。

「さっきから、あんなパクパク食ってりゃ、そりゃなくなるだろう」

「さては、れきっち、俺の すきをねらって」

「おまえのスーパー視野とハイパー動体視力をくぐり抜けて、そんなまねできるか」

 この男、どんな角度からのフックもよけられると豪語してるし、顧問の先生から聞いた限りは、大したディフェンス能力らしい。

「でも、このなかで俺の昼飯を狙いそうなのは、貧相な食生活のれきっちだけじゃん」

「たしかに、うちは貧相だが、そこまで落ちぶれちゃいないぞ」

 渇すれども盗泉の水は飲む気はないし、料理長の作った唐揚げのほうが、圧倒的にうまそうだからな。

「む、今日のれきっちの弁当、唐揚げはないけど他は豪華だな」

 しまった気づかれた。

 今日の弁当は料理長がこさえてくれたから、唐揚げはノリが巻いてあるし、ロールキャベツは可愛い楊枝が刺してある。ひと工夫もふた工夫も違うのだ。

「俺以外から、かすめとったな」

「その発想はやめい。たまたま週末、スーパーで安売りに間に合ったんだよ」

「種類もやたら多いなあ」

 たしかに煮物、あえもの、焼き物など、少しずつの料理が品数豊富にそろっている。

「親がテレビの小鉢料理をみて、気合いが入ったんだって」

 いつもの晩ご飯の残り物なんかじゃない。なにしろ、あの料理長が室長のために作った豪華メニュー(のレプリカ)である。ほとんどが野菜でヘルシーすぎるけど、どれも色づかいを眺めるだけでもヨダレを禁じ得ないだろう。

「そんなゴージャスな弁当、うちのクラスにゃいないな。やっぱり、れきっちオリジナルか」

 室長の弁当と見比べられないよう、とにかく話題をずらしていく。

「そういえば半夏は先週から、唐揚げばっかだな」

「ああやみつきだ。ひとつ食うか」

「最後のひとつだろ、いいのか?」

 うん、見かけは悪いが、味はそこそこうまい。

 しかし……食感がやばかった。

 これは新手の化学調味料?

 いや、おそらく天然だとは思うが、なんと邪悪な味。

 毒性は……ない……が……あきらかに摂りすぎは体によくないぞと、自分の血がささやいている。

 なんだろうな、これ。あとで料理長にでも聞いてみよう。

「まあ、話しながらだと、ついつい食べ過ぎちゃうんだよな」

 太めくんが、遅まきながら指摘をする。こいつの弁当箱は、自分の倍くらいの量があり、さらに売店で買ってきた炭酸飲料とカップ麺が横に並んでいたのだが、ほぼ平らげ終わっている。

「たしかに楽しいことの熱中していると、満腹を忘れるね。祭りだって、盛り上げるほど、食い物屋の売れ行きが違ってくるし」

 自分の説明に、周りの男子が静止した。

「へえ」

「ほう」

「なるほど」

 これは。

 ちらりと室長のほうを見やると、目があう。彼女も思うところあったのだろう。どちらからともなく小さくうなずく。

 よし、行動開始だ。

「ところでさ、おまえらにちょっと相談ていうか、文化祭の件で、話を合わせときたいんだけど」

「なんだよ、女子に譲歩しろってか」

「だから違うって。食い物屋をやるための策があるんだよ。おまえらの考えを一本化しときゃ、さらに有利に話を進められるんだ」

「ってことは、れきっち、あの室長を懐柔でもしたってのか?」

「少なくとも今は敵じゃない」

 おお、と声があがる。

 男子のリーダー格は目の前にいる半夏だ。こいつらの意見さえまとまれば、あとは室長とすりあわせて、女子への根回しも進めてもらえる。

「さすが、れきっち。勝算があるんだな」

 半夏がさっそく支持にまわる。

「男子の意見がまとまれば、明日のSHRショートホームルームにでもかけてみたい」

「善は急げだな。ちょっと聞かせてくれ」

 不思議なことに、この半夏が良いと言えばみんな「まあ、いいだろ」って気になるんだ。まずはこいつを納得させてみせる。

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