金魚

「遅かったのう」

 室長は、昨日のヒモくじ屋跡地の縁石に腰掛けてた。屋台は撤収して、休憩用に開放されていたのだ。

「同じクラスの半夏はんげにつかまっちゃって……あーっ」

 彼女はりんごアメをなめていた。自分が毒味する前に、素性の知れないものを買い食いするなんて!と思ったら、わりと離れたところに、響さんが同じものを食べながら、こっそり自分にVサイン。

 ナイス警備。なにしろ南蛮のような怪しいヤツが徘徊してるんだ。警戒は厳にして過ぎたるはない。

 響さんの今日の格好はだいぶラフで、上はTシャツ、下はジーンズだ。これだと、銃も警棒も持ってないだろうね。

「アメくらい先に食ってもよかろう」

 おぬしも舐めるか?とアメを突き出してきて、自分が慌てふためくのを楽しんでいる。

 だんだん室長の性格がわかってきた気がするぞ。

「で、どうじゃった?」

 そう言いながら立ち上がった室長は、浴衣の模様が昨日と違う。黒地に赤い牡丹のような花柄がプリントされていて、ずいぶんと大人びてみえた。

「うん、かわいいんじゃない?」

「いや、わたしのことでなく……な」

 今度は室長が口ごもりながら、そっぽを向く。

「自分は浴衣のことを言ったんですよ、お嬢様?」

「くぅ……っ」

 りんごアメの割りバシを折れんばかりに握りしめ、

「このわたしを愚弄するとは百年早い。ほれ、罰としてこのアメを食え」

 とグイグイ押しつけてくる。

「わ、た、し、は、おぬしの家屋のことをだなあぁぁぁああ」

「だーっ、わかってます、すみません、おぜうさままま」

 それ食っちゃったら五味子さんも同じくらい恥ずかしい自爆技だとわかってるのかな。

 とにかく彼女は、攻めてるうちは強気だけど、守りが弱いと証明された。

 からかってきたら、からかい返すのが有効だ。


「お嬢さんお坊ちゃん、今日も仲がよろしいこって」

 声のするほうを向くと、白衣姿の南蛮がいた。夜の間に屋根を伏せていた屋台を、また組み立て直しに来たのだ。

「おお、南蛮。今日は昼から商売か」

 むかっ。

 室長がパタパタと楽しげに寄っていくじゃないか。

「へい、ちょっとヤボ用がございやして。あと小一時間もすれば店を開けますんで、またお寄りくだせえ」

「そうか。今日は残りの縁日を制覇する予定じゃ。このまま神社までたどりつけたら、帰りにまた寄ろうかの」

「どうぞご贔屓に」

 あいかわらず涼しい顔で、腰低く対応している。どうにも香具師っぽくないんだよなあ。

 ちょっと、勉強の成果を試しつつ、情報を引き出してみよう。

「あのさあ、南蛮さんは薬に詳しいの?」

「薬ですか」

 一瞬だけ細い眼をしたが、またいつものさわやか笑顔に戻る。

「ええ、ええ。一家をさかのぼれば、生薬からガマの油、絵描きさんには丹砂たんさまで商いしておりやしたが、あっしは不調法でして。おいおい勉強していこうと思いやす」

「そっかー。白衣がずいぶん似合ってるんで、心得があるのかなと思ったんだ」

「おそれいりやす。なにしろハッタリが肝要な商売ですんで」

「ハッタリ。たとえば商店街で、水の販売とかやってた?」

「水ですか。いえ、あっしは不器用者でして、七味一本でやっておりやす」

 七味一本ねえ。

「昨日、神農本草経の名前を出してたけど、それって丹砂を上品……つまり無毒で素晴らしい薬ってとこに分類してるそうじゃないですか。いまに伝わっている本は、内容が怪しいんじゃないですかね」

「丹砂――つまり水銀でごせえやすね」

 硫化第二水銀のことだ。これは日本史でも化学でも教科書なんかに出てくるから、高校生でも知ってておかしくない。

「水銀にも、毒の性質に高低がございやす。辰砂は量や使い方さえ間違えなければ、立派な薬になりやす」

 きっぱり言い切った。なるほど、そのへんの知識はちゃんとあるんだ。カマをかけてみよう。

「うわぁ、よく知ってるねえ。本当はお医者さんだったんじゃないの?」

「からかわないでくだせえよ、お坊ちゃん」

 まんざらでもない顔をする。

「自分らにまで敬語は使わなくていいってば。そんな言葉づかい、どこで覚えたのさ?」

「へい、元は静岡の遠州なまりでございやしたが、親分の元で修行してるうちに、口調、符丁が板につきやして」

 腰が低いのは、ヨソモンだからと釈明するわけか。

「うん、ありがとう。昨日の七味おいしかったから、また寄るかも」

「よろしくお願いしやす」


「どうしたのじゃ、あの男が好かんのではなかったか」

 何事もなかったように縁日を散策する自分に、室長が小声で問いただした。

「ちょっと真剣に薬の勉強をしようと思ってね」

「昨日の進路話なら、あまり気にするでない」

 それがもう、とことん気になっちゃってるんだよなー。

「自分もあの男には興味がわいてきたんだ」


 昼前に自分が見かけた店は、結局ハーブのショップだったんだ。半夏の説明では、貼られていたのは、やはり洋楽のバンドのポスターらしい。

『マリファナを推奨するような歌詞で、しょっちゅう炎上してるぜ。あのポスターが貼られてる店は、たいてい危険ドラッグも売ってるって話だ』

 それが半夏の説明。

 その店こそ、最近取引されてる白い粉の販売元締めじゃあないかと疑ったね。そんな場所に出入りしてる南蛮って、何者?

「臭いね」

「そ、そうか?」

 なぜか室長が浴衣のたもとを嗅ぐ。

「うん、ぷんぷん臭う」

「す、すまぬ。屋敷にもどってシャワーを」

 かすかに顔を赤くした室長が、きびすを返したので、あわてて引きとめる。

「違う違う、五味子さんじゃない。むしろ五味子さん、いい匂い」

「そぉいうことを! 大きな声でっ!」

 涙目になった室長が、自分の胸ぐらをつかんで引き絞る。

「わたしはっ、嗅覚があまりっ、……なんじゃ。本当に……からかわんでくれ」

「ご……ごめん」

 つかまれた胸が、内側から痛くなってきた。

「でも、歴山のにおいなら、わりとわかるぞ」

 すんすんと胸元をかがれた。

「だーっ、そういうの、自分だって恥ずかしいからっ」

「よいではないか、よいではないか」

「痴女だっ、痴女がいます!」

 さらに引っ付いてくる室長の頭ごしに、響さんの異常なほど「にこやか~」な笑顔が見えていた。

 あー、明日の鍛錬は本当に死んだかも。

 ……自分たちの縁日は始まったばかりだ!


「血液がサラサラになる水って信じる?」

 神社までつづく屋台。そこで買ったまぐろの串焼きを食べながら、自分らは歩いている。

「なんじゃやぶから棒に」

 はむはむと魚のカタマリに果敢にかじりついてるのは、背格好は小学生ながら、実は高校の同級生たる五味子さんである。

「駅前の商店街で、『血液のドロドロを調べます』っていう白衣姿の連中が何度が出没してたんだけど」

「あまり自分で買い物をせぬからのう」

 なにしろ地元随一のお嬢様だから、学校は車で送迎があるし、一般庶民にまじって買い物などもしない。

「だから、こういう縁日は楽しいぞ。自分のほしいものを、自分で選べるからな」

「じゃあ、文化祭で屋台をやるのも賛成……?」

 同級生に見つかったらデートと疑われかねない危険なこの散策も、元はといえばクラスの出店 しゅってんを判断するための下見調査である。二人ともほとんど忘れかけてたけど。

「それとこれとは別じゃ。公私を混同するでない」

「公私の問題かなあ」

「で、その白衣連中は何をしたかったんじゃ。保健所の回し者か」

 彼女は家族や親戚が医療関係の事業をやってるせいで、こういう話に食いつきがいい。

「顕微鏡で血の拡大写真とって、赤血球がひしめているのを見せてるんだ。『おやあ、あなたの血液ドロドロですよ~? 脳梗塞や心筋梗塞にご注意!』って、持ってきた特別な水を飲ませるんだね」

 すると不思議。水を飲んで数分待ってから再び採血すると、今度は血液がサラサラになっているのだ。

「その水がすごく高い。きっとペットボトルのラベルを貼り替えたとしか思えない、ただの水がね」

「飲料会社のOEM オーイーエムじゃな」

 また知らない横文字を。

「さて、種明かしはなんだと思う?」

「水分を補給すれば、血だって潤うものじゃろ」

「なるほど」

 ソレもアリだな。

「そもそも顕微鏡の操作で、いくらでもインチキができよう。血の濃きも薄きもムラがあろうて、写す場所を選べばよいのじゃ」

「カバーグラスをかけると、赤血球の隙間が広がって見えるそうだね」

「それもアリか。なんともセコい手を考えるものじゃな!」

 室長が憤慨する。

「そもそも採血は誰がするのじゃ。あれは医師の仕事じゃが、詐欺に荷担するとは思えぬ。よもや素人仕事ならば、採血器具の使い回しも危うい。肝炎の恐ろしさを知らぬのか」

 すらすら突っ込みが出てくるのが、さすがというか。

「それにしても、やはり、おぬし。もともと知識があるではないか」

「そうでもないよ?」

 食べ終わった串を手渡されて、自分は手持ちのビニール袋に回収する。一瞬、「食べ残しちゃもったいないでしょ」と、こないだの仕返しがてら、串にしゃぶりついてやろうかと思ったのは秘密だ。

「ふー、食ったのう。ぽんぽんが、ぱんぱんじゃ」

 歯磨きできないのが業腹だとかボヤいてる。

「これだけ物売りがあって、サニタリー屋がないとはのう。口の中が苦くてかなわん」

 朝もそんなこと言ったっけ。甘辛いものしか食べてないんだけどな。

 とはいえ、昨今の屋台はたしかに食い物屋ばかりになって、生活雑貨を売っていた店が軒並み姿を消している。

 雑貨を売るのは、話術がキモだから、誰でも儲けの出る食い物屋が増えるのは、ある意味、仕方ないかもね。

「水あるよ。口ゆすぐ?」

 自分の飲みかけだけど。

「その程度ではこの苦みからは救われぬ。正直、一日何度も強烈ミントで歯磨きやら口腔衛生の処置をしておるが、いつも一時しのぎじゃな」

「それ磨きすぎで逆効果なのかもよ」

 恵まれた境遇に見えてても、実際はずいぶん難儀のデパートだなあ、このコ。

「わたしは、もともと少食なのじゃが、これだけものを食えたのは不思議じゃな。味付けの問題かのう」

「なにかに気を取られてると、なかなか満腹しないんだよ。とくに楽しいことはね」

「たしかにわたしは楽しんでおるからな」

 となぜか自分を見る。

「そろそろ神社が見えてくるよ。食べ物はひかえようか」

 ちょっと上り坂になって、手にした袋がガサゴソしはじめる。二人の食べた串や割り箸がごちゃまぜになっている。

 これって広義の間接キスにならないだろうか。なりませんね。すみません。

 思うに、感染のリスクがないものは、口づけとは言えないのだ。

 そう、恋とか愛というのは、毒や病原菌と一緒だ。実際にかじって、ようやくその危険性がわかる。

 そして常に、リスクをはらんでいる。

 ああ、なにを言ってるんだろうな、自分は。

 坂道で息が上がって、ちょっと心も調子づいてるらしい。


 目的地は入口が激混みだったので、ちょいと時間をおこうってんで、自分らは境内のすみっこで一息を入れていた。

「この神社は、小さなわりに、作りがよいのう。年季が入っておるようじゃ」

 よくぞ気付いてくれました。

「平安時代のデザインらしいね。もちろん何度も火事で燃えて再建してるはずだけど」

「能舞台まであるとは驚いた。とくに、あの背景の……鏡板というのか。松の絵が良い。いまどき風呂屋の壁絵でも、あれほどものはあるまい」

「銭湯に行ったことあるんですか、お嬢様」

 そして、くだんの能舞台は、祭りの際にはたいていカラオケ大会に使われているものだ。

 まあ、今日にかぎっては、奉納品を並べたり、寄付金の目録を飾るステージになっていたけど。

「ときどきは能やら狂言も上演してるらしいけど、わざわざ遠くから見に来る人もいるらしいよ。こういう文化財は、守っていきたいよねぇ」

「いつになく殊勝な話をするの」

 室長が怪訝な表情をみせる。

「まあ、たしかに……わたしの家でもこの神社のことは、よく父が話したものじゃ。江戸時代には、初夏に疫病が流行 はやることが多く、この神社の境内によく重病人が連れてこられたそうじゃの」

 自分はうなずく。

「要は隔離じゃ。家族にも見捨てられた死に赴く民を、この神社は最後まで人として看病しつくした。どんな貧しき者にも」

「そう、その話」

 そこまでは、地元の小学生は、みんな一度は、地域学習で学んでいる逸話。遠足で神社に来たら、まず聞かされる耳タコ話だ。

「この神社は、人を守るためのお金がほしかったんだね。でも、ただ寄進を求めても、そうそう集まるもんじゃない。だから、テキ屋たちに頼んで、盛大なお祭りを開いてきたんだ。今日みたいな出店が、昔も、ぶぁーっと街道沿いに並んで大賑わい。アガリの一部が、神社の収入になるんだけど、これがシャレにならない金額だったんだ」

「おぬしも、よう知っておるのう」

 地元のテキ屋たち……親父や、親分さんたちから、さんざん聞かされた自慢話だからね。

 俺たちがこの神社を護ってきたんだって、そりゃあ誇りに思ってたもんさ。

「戦後は、この街道に露店が並んでた。それこそ三寸屋台じゃなくって、ゴザを敷くだけの商売人が大勢いたそうだよ。おかげで、ドラ息子をもてあました親は、みんなテキ屋に修業に出したんだ。それで修業をつけて、いっぱしの商売人になって帰ってくる。この町出身の社長さんには、テキ屋出身がわりと多いって話も聞いたなあ」

「ああ、つまりテキ屋は世の中の役に立ってきた、そうイメージアップ戦略をわたしに展開してるわけじゃな?」

「うん、そう」

 あっさりバレていた。

「博徒連中から身を守るためにつくった神農系の集団が、今では暴力団と呼ばれておるな。そりゃそうじゃの、昔から刃物を片手に、背中にはイレズミじゃった。それに今では、博徒系の大組織から杯を受けた一家も少なくない」

 なんてこった。

 てっきり室長は、イメージだけでテキ屋を悪く見ているかと思ってたけど、実際はおそろしく事情に詳しかった。

 むしろ大所高所からの視点で、考えていた。庶民で劣等生の自分とは、まるで普段から触れてる世界が違っていたのだ。

「で、でも、鶏鳴 けいめい親分のとりまとめてる火徳会は、博打 ばくちもダフ屋行為もさせないし、イレズミなんか皆無だよ。いちばん違うのは、指定暴力団との関係がないってことかな。大手の傘下には入らなかった、いまどき珍しい地方の互助団体なんだ」

 しまった、キャッチトークが守りに入っている。

「そう、珍しい。この町のテキ屋だけが例外なのじゃ」

 自分の弱々しい言説を、彼女がぴしゃりと止める。

「それにのう、歴山。わたしは、『テキ屋のイメージが悪いから店を出すな』とはひとことも言ってはおらん」

 え、そうなの?

「寺社の催しで、出店 でみせが大切なのは、ようわかった。今回の縁日は、年甲斐なくわたしも楽しんだものじゃ」

「じゃあ、文化祭は……?」

 どれ人混みが切れたぞと、室長は立ち上がって拝殿に歩き出す。


 二礼二拍一礼。

 そそくさと神社をあとにする自分ら。といっても来た道ではなく、さらに細々と店が並んでいる方向に興味をもっただけだ。

 そっちはテキ屋は少ない。神社そばの飲食店やコンビニが、今日だけのメニューを店頭にならべているので、屋台を出せないのだ。

「で、なにを願ったのじゃー?」

 しっぽがあったらピコピコ動いてそうな顔で、室長が尋ねてきた。彼女、こんなふうに詮索好きなところがあるんだよね。

「別にぃ」

「別にということはないじゃろう」

「他人に言ったら、効果がなくなります」

「そうか、わたしは歴山にとって他人なのか。なんとも水くさいのう。日を置きすぎて、塩素が抜けてしまったのじゃなあ」

「人をくみ置きの水道水みたいに」

 めんどくさいイジケ方をしてきたので、はぁーと大仰にため息をついてみせる。

「お礼を言っただけですよ」

「お礼?」

「親に捨てられ家を失ったけど、五味子さんに拾われて、すごく楽しくやってます。病気もせず、毎日おいしいものが食べられます。もろもろ含めて、ありがとうございますって」

 ぽかんとしてた室長は、「あれこれ願ったわたしが、まるで俗物のようではないか」とぐちぐち文句を言いはじめた。

 ああ、これは照れてるな。

「五味子さんは、なにをお願いしたの」

「言ったら効果がなくなるんじゃろ」

 それはずるい。

「本当は聞きたいのじゃな?」

「別にいいです」

「知りたいのじゃな? 気になって仕方ないのじゃな?」

 早足で歩く自分に、室長がしつこく食い下がってくるので、すぐに店の並びの最果てにたどりついてしまった。


 締めを飾るのは、ワタアメの出店だった。

 これより先に、店はない。街灯もまばらで、縁日とは線を引いたように寂しくなっている。

 引き返すタイミングを忘れてここまで来てしまった人たちも、このまま薄暗い住宅街を通り抜けるなどして、思い思いの道から駅に戻るのだ。

「ここが縁日の終端。祭りの終わり。ワタアメの袋は、すぐツブれちゃうから、祭りの最後に買うものなんだよ」

「そうか。終わりか」

 寂しげな顔をする。

 店のおじさんに頼むと、人気キャラの描かれたビニル袋に、たった今の作りたてを詰めてくれた。

「ほれ、ふわふわの夢いっぱいのワタアメやで」

 彼女の気落ちっぷりを見かねて、おじさんも茶目っ気をきかせてくれた。

「『夢』ってのはフワフワして、とりとめなくって、ほんまワタアメみたいなもんや。 こんまい『希望』を鍋であぶってな、アツアツにすれば、こんなに雲みたいに膨らむんやな」

 なかなか気のきいたことを言う。

「でもな、お嬢ちゃんにカケラほども『希望』がのうなったら、さすがに『夢』もふくらまん。 ほれ、いい年こいたオトナはワタアメを食わんやろ。タネが残っとらんからや」

 おっちゃんは寂しげに笑った。

「わたしは……希望はまだ持っておる」

「あたりまえや! あんたら、まだ若いんやもの、しみったれたこと言うなや」

 がっはっはと豪快な笑い声が、帰路につく自分らの背中を押してくれた。

「ほれ、ワタアメは縁日のシメや。楽しい祭りはこれにて終了。ワタアメの甘さにうっとりしながら、夢うつつでおうちに帰りなさいってこっちゃな」

 客の来ない端っこに陣取ってるということは、あの人も、それなりの親分ということだ。


 室長が人混みを歩くのは疲れるというから、自分らは駅への帰りに、ことさら抜け道っぽいルートを選んでいた。

「この綿菓子を持って帰れば……ずっと夢をみたままでいられるかの」

「どうかな。たぶん、じきにしぼんで小さくなっちゃうよ」

 そして、きらきら輝くザラメに戻るのだ。

「わたしは神社でのう。おぬしが……歴山がずっといてくれたらよいと、そう願ったのじゃ」

 一瞬、耳を疑った。

 でも、室長の気弱そうな横顔を見て、すとんと腑に落ちたのだ。

 ああ、この子はきっと寂しかったんだ。

 どれだけお金持ちで、どれだけ頭がよくたって、やっぱり普通の女の子なんだ。

 うまく感情を隠す訓練を積んできただけで、普通に傷つきもすれば、悲しむこともある。

 母親を早くに亡くし、父親は多忙。その身分ゆえか友だちも少ない。

 平気なわけないじゃないか。でも、そんな当たり前のことに自分はいままで気付かなかった。

 かつて縁日で、母親のかげに隠れていた内気な金髪の子と、なぜか室長の姿がダブって見えていた。

 あのとき外人の少女に願ったように、この室長にも笑っていてほしい。

――自分はずっといるよ。

 そんなことを言いかけて、言葉を飲み込む。

 そんな無責任な約束、気休めに言葉にしてはいけない。


「家に帰って、週明けのクラス会の打ち合わせをしようか」

「ぬ、スルーしおったな」

「願いを口にしたら効果がないからね。聞かなかったことにするよ」

 まあよい、と室長も気持ちを切り替えたようだ。いつになく弱気な発言を、彼女も無かったことにしたいのだろう。

「ずいぶん暗くなってきたの」

「縁日でこんな早い時間に帰るなんて、自分は久しぶりだけどね」

「歴山は縁日が好きそうじゃからな」

 ちょっと違う。自分はただ親父が店を片付けるまで、本を読んだりして待っていただけだ。そして、店じまいを手伝う。

 とくにここの縁日は道路を一車線つぶすから、いつも夜のうちに撤収が義務づけられていた。

 でも地元の警察やPTAが子どもの手伝いにうるさくなってからは、あまり手伝わなくなったなあ。

 オヤジもだんだん稼ぎのいい祭りを求めて日本中を飛び回るようになったし、思えば、あの頃からオヤジとのすれ違いが広がっていったのかもしれない。

「これ、少しは待たぬか。黄昏時は、見失いやすいのじゃぞ」

 すぐそばにいる自分が見えないのか、追いすがろうと踏み込んだ室長が、ざりっと砂に足を滑らせて転んだ。

「大丈夫!?」

「かすり傷じゃ」

 くじいたのか、なかなか立ち上がれないでいる。自分が差し出す手にも気付いていない。

 どこに隠れていたのか、すかさず響さんが駆け寄ってきた。

「車を呼びました」

「かすり傷じゃというに」

「万が一ということもあります」

 すべるように車が横付けされ、響さんが軽々と彼女を車に乗せる。

 車内灯に照らされた室長の顔は、少し熱っぽい。

 そういえば、体育も見学が多いって聞いていたんだ。あまり丈夫じゃないんだった。無理に二日も連れ回しすぎたか。


「自分がついていながら」

 そのまま車で屋敷に戻ったのだけれど、流れで室長の部屋までついてきてしまった。

 自分が今いるのは、初めて入る彼女の勉強部屋。その奥は寝室になっていて、シャワーもあるそうだ。

 響さんが傷を洗っている音がかすかに聞こえるなか、自分は正座をして待っていた。

 ようやく腕まくりをした響さんが出てきたとき、自分はずいぶん血の気のない顔をしていたらしい。

「そんな顔をしないでください。本当に、ただのかすり傷でしたから」

 室長のことになると鬼と化す響さんが、今日はずいぶんと優しい。

「そうです……か」

「でもお嬢様は、体質的に傷の治りが遅いので」

 上着を着直しつつ響さんは

「お嬢様がキズモノになったときは、少年にしかるべき責任をとっていただきます」

 真顔で言い切った。

「しかるべき!?」

 お仕置きも気になるけど、それ以上に治りが遅いというのが引っかかる。

 自分が考え込んでるうちに、着替えた室長が、少し足を引きずり気味に出てきた。

 寝間着の右足はヒザまでまくりあげて、包帯が巻かれている。

「仰々しくてなかわんのう。ああ、ただの液体ばんそうこうじゃ」

「へたに消毒するよりも、うるおいを保つのが早く治るコツですから」

「なら、歴山がなめておればよいのじゃな」

 籐のイスに座って、白くて細い足を差し出すものだから、自分はあわてて目をそらしてしまった。

「ね、ネコじゃあるまいし!」

「ふふーん? ネコがイヤなら、わたしのイヌにならぬか?」

 やばい、からみモードだ。下手な対応をすれば、予定よりも早く響さんに殺されかねない。

「アーアー五味子サン。今日はずいぶん長く歩いたけど、いつも飲んでる薬とか大丈夫?」

 話題を変えようとして、クセでうっかり探りを入れてしまった。

「ん、寝る前に飲んでるくらいじゃが……なぜ知っておる」

「お嬢様が病弱な身であることは、少年に説明済みです」

 すかさず響さんがフォロー。

「もしや、わたしに外出を控えろという策略か? むしろ、そのような過保護さが、わたしの体力が衰えさせたのじゃ」

「いや、そういうんじゃないって」

「薬はともかく、エサはまだじゃったな」

「エサ?」

 片足を引きずりぎみに机のそばに寄ると、布カバーをとりはらったところに、水槽が現れた。

「でか!」

 水槽ではなく、なかの魚が、である。

 おそらく、それは金魚だった。

 模様や形は、典型的な和金 わきんなのだが、体長がゆうに三十センチを超えている。

 水のかげんと思ったけど違う。本当に大きい。

「金魚も、夜は胃が弱まるからのう。エサやりは、暗くなる前と決めておったのじゃが」

 よく考えたら、あれだけ金魚グッズでかためているんだもの、本当に飼ってても不思議じゃないんだよなぁ。

「もらいものじゃが、妙に成長が早くてな。おかげでエサはよく食うし、水槽もどんどん買い換えを強いられておる」

 困ってるような言葉とはうらはらに、楽しそうに語る。

「うん、巨大化したのは、まさにそれが理由だと思うよ」

「それは失策であったな。まあ、つまりだ。わたしは金魚の生臭さをよく分かってる。女子に押しつけたいとは思わない」

 あ、文化祭の話になってる。

「なにより、金魚を追い回し、弱らせるのは好かぬ」

「なんで、それをクラス会で言わなかったの」

「個人的な好き嫌いは、己の内に飲み込むものじゃ。それに、わたしがそれを言い出せば、金魚すくいを生業とする歴山の家を非難することとなろう」

 そこまでは考えてなかった。

「五味子さんは、いろいろ考えが深いなあ」

「おぬしのように浅慮で動く者が、なぜか最適解につながっていることこそ、感心するわ」

 これは褒め言葉に違いない。

「おぬしも毎日もりもり食べておれば、この金魚のように、どんどんでかくなれるぞ」

「うぇっ!?」

 エサを投げ入れながらの室長の言葉に、自分の全身から汗が噴き出した。

 もしかして彼女は、自分が朝晩二食とってることに気付いている?

「そ、その金魚は、誰にもらったんですって?」

 強引に話題をそらす。

「そうさな」

 思いがけず彼女の言葉がとまった。

「……たしか甘麦じゃな?」

 え、あれ? 甘麦さんと室長が知り合ったのって、ここ数年以内って話じゃあ。

「たしか……縁日でもらった……とか……」

 途切れ途切れに話す室長をよく見れば、不自然に首が上下している?

「お嬢様、お疲れでしょうから、今日はもうお休みなさいませ」

「いや……まだ……打ち合わせ……が」

 言い終わることなく響さんにもたれかかると、室長はすやすや寝息をたてはじめた。

 軽々と室長を横抱きにして、寝室に運び込んだ響さん、まじパワーありすぎ。あれも武術の成果だろうか。

 それとも室長が軽いの? 女の子って空気なの?

「あとで、室長の飲んでるっていう薬を自分にもください。できれば定期的に」

 廊下で別れ際に、響さんに小声で頼みごとをする。

「毒味用ですね。わかりました」

 いくら親族の経営する病院とはいえ、疑うにこしたことはない。


 離れに帰る道すがら、例の叔父とやらが車に乗るところを目撃した。

 例によってメイドの甘麦さんが頭を下げて見送っているところだった。

 ちらりと一瞥されたので、自分も軽く会釈。

 車が去ったあと、甘麦さんが異様に震えていたのに気付いて、自分は歩み寄った。

「どうしたんですか?」

「歴山さまを見て……紫雪しせつ様が……あれは何者かとおたずねに」

 緊張のせいか、いつもの癒やし系の口調がすっかり失せていた。

「お嬢様の友だちで、災難で家を失ったので、一時的にお泊めしているとだけ……」

 いや違うね。あの男の口の動きはもっと別だった。

 縁日で鍛えられたから、自分は雑踏のなかでも人の言葉を聞き取れる。

 あいつは確かにこう言ったんだ。

「あいつが、暦山か」と。

 不気味なセリフだ。

 甘麦さんは自分を気遣って説明をはぶいたのだろうけど、あの男を恐れる様子は尋常ではなかった。

 自分は自室に戻って、関係者のファイルを読み直す。


 甘麦 小麦(あまむぎ こむぎ)

  母親が紫雪氏の屋敷で住み込み勤務。

  彼女は屋敷内で生まれたため、特別に屋敷から学校に通っていたものの、母親の死をきっかけに高校を中退。青竜家に勤めはじめる。


「親が失踪して、そのまま学校に通わせてもらえてる自分は、かなり恵まれてるんだな」

 彼女が使用人の娘として、邸内でどういう扱いを受けていたかは、どれだけ確信があっても、あくまで想像にすぎない。

 なにかいろいろ引っかかる。

 重要なことを忘れてる気がする。

 紫雪さんとやらの資料も欲しいな。取り寄せよう。

 首筋がチリチリする。誰かに監視されているような、いやな気配がする。

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