暗躍の影

 駅前の商店街を通る。

 縁日の屋台があった神社とは、駅を挟んで反対側だ。

 数日と間を置かずに訪れているのに、住処 すみかをかえたせいか、ずいぶんと懐かしく感じる。


 学校も、自分の家があったところも、みんな古き良き南口の、ちょっと低まった一帯にあるわけで。

 低地ゆえに、昔から水はけが悪い。大雨が降ると、ゴミ袋がぷかぷか流れていくような道を歩き、ヒザまで水につかって家についたものだ。

 おかげで土地も安いんだけどさ。


 そのまま線路沿いに進めばスーパーがあるんだけど、いまの上げ膳据え膳の生活じゃあ、しばらくは自分で買い物なんて必要ないんだろうなあ。

――でも、離れには冷蔵庫も簡単なキッチンもあるから、自分で軽い調理もできるんだよな。


 そんなことを考えていたせいで、他校の生徒が歩いてくるのに気づき遅れた。

 特徴あるジャバラ制服は、タクロク高校だ。一昨日の件もあるので、見つかる前にやり過ごすべく自分はあわてて横道に入った。

「ありゃ、この店とうとう潰れたか」

 そこのあったはずの店が、知らない間に変わっていた。ここにはずっと店を閉じたままの韓国料理店があったのだけど、いつの間にか看板が取り外されていたのだ。

 そのかわり閉じたシャッターに、なんだかわからない図柄のA4ポスターが何枚も貼られている。

 見上げると、二階の窓にも同じものがベタベタ。

 洋楽のポスターだろうか。にしても、妙に気になる図案だな。

 洋楽好きといえばクラ友の半夏 はんげなので、明日にでも学校で聞いてみよう。スマホを取り出したとき、階段を降りる音が聞こえてきた。

 とっさに、建物の脇にかくれたけど、おいおいおい、降りてきたのは見覚えのある人物だったよ。

――南蛮!

 昨日に出会った、あのトウガラシ売りである。上はジャケット、下はジーンズという私服姿で、白衣は着ていない。さすがにあっちは、商売用の衣装だったというわけだ。

 道路に降りるや、手にした茶色の紙袋を無造作にポケットに突っ込み、外階段の裏側をのぞきこんだ。それがもう、いつもの習慣って感じの自然な動作だった。

 すると、どうやら誰か寝ていたらしい。こんな時間に酔っ払いがまだ寝ているのも変な話だから、ホームレスのおっちゃんが定宿にしてるのかも。

「おやおや、兄さん。こんなところで寝てちゃカゼをひきますぜ」

 気づかれないギリギリでのぞきこんでいると、引っ張ったり、ゆさぶったり、そんな感じで声をかけてた。首すじに手を当ててるのは、脈を確認してるのだろうか。手慣れた仕草は、応急措置の経験を感じさせた。

 では医学生、または救命救急士なのだろうか?

 それは考えにくい。

 たしかにテキ屋は学生のバイトをよく使うけど、仁義を切ってるからには南蛮はいっぱしの親分のはずだ。となれば、看護や福祉の大学生が、やんちゃをやらかして退学になり、なんの因果かテキ屋家業に転がり込んだ可能性もあり得る。

――介抱スリってわけじゃあなさそうだな。

 南蛮が違和感のある動きをしたのは、ここからだ。

 ポケットから小さな器具を取り出し、あたりを見回し、今度は寝ている男の指をつまんで押し当てた……ように見えた。

――いま、何をした?

 あれと同じ器具を、自分はこの商店街で見覚えがあるんだ。思い出せないけど、とにかく場違い。寝ている人に使うものじゃない。

 うちの学校だと、保健室や体育館には、指を挟むだけで血液の酸素を測る機械がおいてある。

 生徒が自分で体調をチェックできるんだけど、数字が出るのに数秒はかかる。あんな一瞬で数値は出ない。


 彼は結局、起きない男を寝かせたまま立ち去った。はたから見れば、面倒見のいいヤツってことだ。

 酩酊者がいるってことは、看板こそないものの、二階は会員制の酒場なのかもしれない。

 このまま南蛮を追うべきか? それとも店舗を調べるか?

 自分の目の前に、二者択一の時間制限つきフリップが現れた。

「いやいやいや」

 自分は探偵じゃないんだよ。どっちも必要ない。

 シャッターのポスターの写真だけ撮って、自分は当初の目的である自宅参りへ足を進めた。

 午後からの委員長との縁日デートがわりと気になってたしね。


 土日の作業だったというのに、家の解体は、ずいぶん進んでいた。

 空き地と隣接する三方の壁だけを残して、二階まで跡形もなくガレキと化していたわけで。

 骨を拾うつもりで来たけど、破片はどれも大きすぎて、骨壺どころかリュックだって入らない。

 ショベルカーみたいなクルマが、鋼鉄のカニのハサミで、木の柱をさらに細かく砕いている。あれなら、いけそうか。

「水こっちこっち」

 舞い上がる数十年分のホコリが、ホースの水で清められ、現場内には虹が浮かんでいる。

「おう、坊主」

 自分に声をかけてきたのは、金曜の晩に会ったおじさんだ。現場監督だったっけ?

「すっかり空っぽになっちゃいましたね」

「ああ、どんだけ丁寧に作っても、壊すときは一瞬だ。あっけないもんよ」

 砕かれた木材が、次々と産廃用のトラックに積み込まれていく。初めて見たけど、荷台だけ地面に降ろせるんだね。どうやって引っ張り上げるんだろ。

「休みの日まで仕事なんて大変ですね」

「そーなんだよ。日曜の朝っぱらからバラすのって、近隣対策あっから面倒でさあ。でも俺っちが説明に言ったら、みんな、どーぞどーぞと大喜びでな」

 どんだけ嫌われてたんだ、自分の家……。

「今回は日程的に土日しか空いてなくてな。残ってた荷物も、昨日ごっそり運び出してくれたんで、ラクだったわ」

 話をきくかぎりでは、運転手の防已さんと室長とで、あっというまに荷物を選別して積んでいったようだ。

「勝手知ったる他人の家っていうか、あの子なに? しょっちゅう泊まりに来てた恋人?」

「いえいえいえ、そういうわけじゃあ!」

 室長、優秀すぎるだろ。初めての家で、天井裏まで捜索してアイテムを確保するなんて、どこの特殊部隊なんだ。

「残った家具は、建物ごとつぶして昨日のうちに、ほとんど持ってっちまったな」

「まあ、こんだけ古いと、あきらめもつきますね」

「ひでぇときは、リフォームして一ヵ月もたたない家を、つぶしたことあったよ。あれよか、ずっとマシだな」


 話を聞く間にも、どんどん運び出される家の部材。ゴミ。ガラ。クズ。

 あの柱のシールは、小学生のときの雑誌の付録。

 あの小窓は、真夏に涼しい風が入ってきて、廊下で寝転ぶとすごく気持ちよかったなあ。

 クソ親父どもへの怒りで、ホームシックなんてありえないと思ってたけど、この家に罪はない。この場にいると、どんどん思い出がよみがえって、正直つらくなってきた。

 監督はまだまだいろいろ話したりなさそうだったけど、自分は早々に立ち去ることにした。

 なにかから逃げるように、どんどん早足になる。

 駅までくると、縁日のある北口へのコンコースで、クラスメイトに声をかけられた。

「おー、れきっち!」

「……半夏か」

 ちょっと今の顔は見られたくなかったな。

 しかし私服姿は初めて見るな。しかし、なんでクツを左右逆にはいてるんだ。

「あー、これ先輩たちがよくやってるから、マネしてみたんだ」

「その先輩ってのは、三歳児なのか。幼児退行がファッションなのか」

「いや、ボクシングやってると、結構多いらしいぞ」

「それは殴られすぎなのでは……」

「でで、れきっちも、買い物? 家が近いんだっけ?」

「いや、そうでもないんだけど」

 このままヒマそうにしてたら祭りに誘われそうだし、かといって祭りに行くんだとかいえば、つきあうとか言い出しそうだし。

 いま室長と一緒のところは見られたら、いろいろややこしいことになるぞ。

「そうそう、半夏に聞きたいことがあったんだ。なあ、半夏って洋楽に詳しいよな」

「最近のメジャーどころしか、わかんねーぞ。特に好きなのはデスメタルだけど、ジャズもそこそこ」

「ドラッグには?」

 とたん半夏の顔つきが変化する。

「なんだそりゃ。そんなジャンルあったか」

「音楽じゃない。薬のほうのドラッグだよ」

「そりゃどういう意味だ? コトとシダイによっちゃあ、れきっちでもブン殴るぜ」

 こりゃ何かあるな。

「好きなだけ殴っていいから、ちょっと質問に答えてくれないか」

「てめぇ」

 襟首をつかまれた。

 半夏は基本いいやつだが、一〇〇%の善人なんているわけがない。

 洋楽のポスター。

 あやしげな酩酊者。

 白衣のよそ者。

 高校生にまで浸透しつつあるドラッグ。

 それらを一つにまとめて説明できるピースがほしい。

 が。

「おまえ、ほんっと肝がすわってんな」

 あっさり半夏の手が離される。

「ドラッグがらみで知り合いがモメゴト起こした記憶があってさ。疑われたのかと思って」

「そりゃ悪かった。商店街で気になるポスターがあってさ」

 スマホの写真を見せようとして、一瞬、血の気が引く。

 ギャラリーに、撮った覚えのない写真がいっぱいあったからだ。

――ちょっ、これ室長の?

 室長の自撮り写真っぽいのが大量に見えたので、あわてて画面を切り替える。

「へえ、れきっちスマホ買ったんだ」

「あ、うん、そう、ちょっと操作なれてなくって。ほら、これ。このポスター」

「もっと近くで見させてくれよ。新品で触らせたくないのわかるけど……お、これはって、おい!」

 半夏の顔つきが再び険しいものに変わったのだった。

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