二、リベンジ縁日
パンツの朝
日曜も、朝の五時から鍛錬だった。昨日と違うのは、ストレッチの最中から、室長が参加していることだ。
昨日は縁日をじっくり歩きまわりすぎて、彼女も相当に疲れたはずだ。さすがに、すごく眠そうで。
自分も眠くてたまらないんだけど、「早起きは三文のトク」とはよく言ったもので、女の子が眠そうに目をこすってる仕草は、まっこと眼福だ。ふにゃふにゃして、いつも以上に柔らかそうな状態に、男子はむしろカタくなってしまう。
そして、ちょっとでも緊張を途切れさせると、すうっと意識が遠のいて、昨日の室長の手の感触がよみがえってきて、声が出そうになる。
こんなに挙動不審な有様の自分に気付いたら、彼女はまた「してやったり」という笑みを浮かべるんだろうな。
どうして彼女は、自分をそこまでからかうのか。
なんで自分は、からかわれて悪い気がしないのか。
ところで昨日は、「
なんとなれば、響さんは今や、室長へのマンツーマン・レッスンにいたくご執心であったのだ。
響さんの学んだ武術は、室長が学んだ護身術とは体系が異なるらしい。なので室長も感心しながら響さんのレクチャーに従っているのだが、ちょっと響さん、べたべた触りすぎじゃないですかね。うらやましい。
とはいえ、一人でできる基本練習をふたつみっつ教えてもらったので、自分はとにかくそれを自主練している。
ちょっとでもダレたり集中がおろそかになると、すかさず響さんの指摘が飛んでくる。
「少年、掌はもっと反らせて。基礎鍛錬ですから、痛くてプルプルするくらいでないと、意味がありませんよ」
見てないようで、しっかり気づいてるんだなあ。
昨晩も、人混みをつかず離れず、絶妙な距離感で見守ってくれて、おかげで安心して縁日を満喫できたんだ。射殺すような視線がずっと突き刺さってたのは勘弁してほしかったけど。たしかに、あのシチュエーションだったら、自分と室長のデートにしか見えなかったはずだけど、響さん事情知ってるじゃん。
なんてまたボーッと考え込んでると、突然、眼前を拳がかすめた。
「いい反応です」
思わず避けていた自分の目の前で、響さんの
自分が避けられたのは、相手の攻撃をかわす「
開き身といっても、アジの干物みたいにパカーっと両手両足を広げるんじゃない。片足を軸にして、真横を向くってやつ。自分で説明して気づいたけど、「扉を開く」動きだから「開き身」なのか! なるほど!
気づけばもう七時。自分は一時間くらいずっと同じ動作を繰り返してたことになる。
「思ったより集中力があるんだな……ってより、逆にぼーっとしすぎか」
「お二人とも疲れていますね。休むのも修業のうちです。今日の練習はここまでにしましょう」
昨晩は屋敷に戻ってからも、あれこれいろいろあったせいで、やっぱり眠いのだ。
「うむ、よい運動になった。明日からも頼むぞ、響」
「ええ、手取り足取り、じっくり指導いたします」
「よろしく頼むぞ。ふあぁあ」
室長は「口が苦いのじゃ」と、終始、唇をもにょもにょさせながら部屋に戻っていった。
このまま二度寝しちゃうんじゃなかろうか。
そして響さんは、自分のほうには、かなり厳しい口調になる。
「少年は、ヒマさえあれば、とにかく先ほどの動きを繰り返しなさい」
「開き身をですか」
「そうです。あれは最も基本的な動作のひとつですが、それだけに奥が深く、どれだけ練習しても足ることはありません」
響さんの言ってた退屈な武術という意味が、なんとなくわかってきた。これは飽きる。
「今の少年の体格では、生半可な当て身技を身につけたところで、屈強な大人たちに勝てません。ひたすら避ける動きを磨くのです」
なるほど、もっともだ。
「筋トレもしたほうがいいですか」
「オススメしませんね。動きに必要な筋肉は、練習で身につきます。それ以外の筋肉は、未熟なうちは過信や雑念、力任せの動きを招くだけです」
これは手厳しい。
そして、思っていた以上に、昔ながらの武道の香りがした。
それが良いのか悪いのか、始めたばかりの自分にはわからない。だけど、この人の室長を思う気持ちは本物だから、わざと無意味なことはさせないと思うんだ。
「余計な練習は、疲れを残します。必要な練習にだけ専念してください」
厨房での朝食までには、まだ時間がある。
先にシャワーでも浴びておこうと自室に戻ったところ、玄関の鍵を開けてすぐ目に入るカゴには、脱ぎ捨てた寝間着が消えてるかわりに、真新しい着替えが置かれていた。
「甘麦さんも早起きなんだな」
あれ!?
掛け布団に隠していたパンツまで、もっていかれてた。
だってね、きれいな浴衣を着たきれいな女の子と、手をつないで縁日を歩くなんて、そうそう自分にゃあ体験できないんですよ。
なかなか寝付けないし、ようやく眠れても変な夢を見ちゃうし、目が覚めたら大惨事なわけですよ。
「そりゃまあ、パジャマそろってるのにパンツだけなかったら、ベッドメイキングついでに確認するよね」
とほほほ。
そこで自分は、厨房での朝食会で、こっそり甘麦さんに懇願したわけだ。
「あの……下着の洗濯は、自分でやらせてもらえれば」
「はい~? 今日は洗濯物はお預かりしてませんよ~」
意外な答えがきた。
「離れのマスターキーはお嬢様にとられてしまったので~」
「え、じゃあ洗濯物は誰が」
「それは~、たぶんお嬢様ですよ~。洗濯機の使い方を聞かれたので~」
なんで室長が! ナンデェ?
見られた? パンツ見られた?
わりと大好きなトリ胸肉の唐揚げが山盛りだってのに、ほとんど味がわからなかった。
そのすぐ後、室長と甘草氏をまじえた食堂での第二朝食だったんだけど、恥ずかしさが勝って、終始うつむいて箸を動かしていた。
「今日も縁日に繰り出すぞ。出発は午後一時じゃ。あのトウガラシ屋からスタートして、神社までたどり着こうぞ」
「う、うん」
室長はいたって平静で、動揺もない。むしろ朝より肌つやがよく、やはり練習後に仮眠をとったんだろう。
「あのさ、いつみこさん」
「なんじゃ?」
なにごともなかったように、真正面から自分を見据えてくる。
「……なんでもないです」
室長が自分のパンツを発掘したときには、すべてが乾いてた。そう信じておこう。
朝食を終えた自室のベッドの上には、新品のパソコンと、スマートフォンと、そのほか、種々雑多な書類が広げられている。
スマホ以外は、昨日、加味さんが持ってきてくれたんだそうだ。自分らの帰りが予定を超えて遅くなり、そのまま会えずに帰らせてしまったのは申し訳なかった。
パソコンは官公庁出入りのOA業者がいろいろソフトを入れてくれたらしく、あとは「指紋認証さえ通せばすぐに使える」とのメモ書きが。
「指紋なんて登録したっけかなあ」
書類のほうは、お毒味役の雇用契約書であったり、館内スタッフの情報だったりする。新品のパソコンを支給してくれたくせに、データの大半が紙ベースってのが、お役所って謎すぎる。
書類をいったん封筒に戻そうとしたら、突っかかって入らない。封筒の奥になにかある。
逆さにして落ちてきたのは、一枚の丸いディスクだった。ラベルテープで「神農大帝本草注釈」と書いてある。
「本草、本草。漢方薬のことだっけか。これで薬の勉強をしろということかな」
最後に、甘草氏が買ってくれたスマートフォンだけど、関係者の電話番号は登録済みで、すぐに使える状態らしい。
使い方がわからず、とりあえず分厚いマニュアルを開こうとしてたら、電話が来た。
おぎゃーおぎゃーと赤ん坊の泣く声。なんちゅう着信音だ。
どこを押しても受け取ることができず、あたふたしてるうちに切れてしまった。
「内閣なんちゃらの加味さんからか」
液晶に名前が出るってことは、すでに登録済みなのか。それとも、ファックスみたいに通知機能があるのか。
「着信履歴が……これで……」
マニュアルをあちこちめくって、どうにか使い方を理解すると、さっそく加味さんに電話をしてみる。
『そう、そのDVD-Rはさ、データ入ってるから、パソコンで見てよ』
「薬の本ですか?」
『うん、この典籍は僕の知り合いが持っていた本でね。国文学研究資料館の土蔵で発見されたんだけど、箱には「神農大帝の血をもって読むべし」と封印があったそうだ。神農の
子どもの頃は、さんざん医者を避け、学校でも隠し通した自分の特異体質。それだけに、興味がないと言えばウソになる。
『書かれた時代は中国の後漢時代って話だけど、実際はバラバラだね。ひとつの流派の知識を長年にわたって集めたものらしい。最新の記述は清朝まで下る』
「え、じゃあこの本、中国語なんですか」
『そうなるねえ。まあ、漢文の知識があれば、そこそこ読めるんじゃない?』
「無理っす無理っす」
『きみが根城にしてるコテージさ、甘草氏が学生時代に使っていたって話じゃん。そのときの本とかも書架に置きっぱなしだって聞いたよ。わかんないトコはそれで調べられると思うから』
「あの、いくら地元では有名な進学校っても、自分まだ高一生ですからね」
『いますぐ読めってわけじゃないよ。これからじっくり勉強してほしいなってこと』
商売人の息子である。お客さんに「勉強して」と言われて、むげに断れるはずもない。
報告は毎日メールで送ることを約束し電話を切った自分は、すぐさま段ボールの残る書斎へと向かった。
小さな窓には、カーテンが敷かれて、直射日光はほとんど入らない。
奥には重厚な木製の机。その周りを囲むように、天井に届く高さの本棚が壁に埋め込まれている。
改めて背表紙を見直すと、ほんと医学・薬学関係の本ばっかりだな。幸いにして漢方書は、昨日めくった本以外にも、入門っぽいタイトルばかりが目に付く。
パラパラめくって、ついつい読みふけってしまう。崇敬する神農大帝の名を冠する「神農本草経入門」って本がとくにおもしろかった。
さっきもらった円盤は、この本が解説する原典「神農本草経」に対する注解書なのかな? 似たような本ばかりで、わけがわかんなくなってきたぞ。
「でも、こっちの入門書は、日本語でわかりやすく書いてあるから、まだ読めそうだ」
まさか自分が薬の勉強を始めるとは思わなかったけど、正直、あの南蛮への対抗心がないと言えばウソになる。一介の七味唐辛子売りが、どれだけ啖呵売りの寄せ集め知識があろうとも、体系的に学問として薬学を修めた者に勝てるはずがないのだ。
だから自分は、ちょっと本気で進路とか考えなくてはならない。
本を読みすすめながら、南蛮に問い詰めたいことが、いろいろ浮かんでは消える。
「うーん、ちょっと飽きた」
本を置いて背伸びをする。
午後イチで出発ということは、縁日のために昼食抜きにする魂胆だろう。
昨日の楽しみっぷりからして、今頃また浴衣に着替えているのかもしれない。
そして自分は、それまで、特にすることがないのだ。中途半端に余った時間をもてあます。
「しゃーない。家でも見に行くか」
解体された自宅を、ようやく確認する決心がついた。これまでずっと勇気がなかったけど、いつかは見送らなくっちゃいけないんだ。
小さな借家とはいえ、二階建てで庭もあり、物心つく頃にはもう暮らしていた、思い出のカタマリみたいな場所だ。
「あー外出するときは、誰に断ればいいのかな?」
室長と一緒に出入りしてたから、実はセキュリティとか全然わかってなかった。
スマートフォンのアドレスをいじっていると、すでにいろんな人の連絡先が登録されていた。そこに「
ただの五文字の感じの羅列が、つい先日までとは、まったく違って輝いていた。
「青龍……五味子……と」
声に出してみると、急に恥ずかしさがこみ上げてくる。
え、なんで? どうしてココで恥ずかしくなるの?
顔が火照るのを感じつつ、操作をすると、電話番号とメールアドレスが表示される。
同じ敷地内に住んでいて、連絡をとるのにメールというのも奇妙な話だけど、とりあえず何か送ってみよう。
ケータイは持ってなかったけど、クラ友の操作を見てるから「なにができるか」くらいはわかってるつもり。
だったけど……。
「なんだこれ、自分の知ってるキーボードじゃない」
使い方のわからない謎のキーが並んでいる。
「どうすりゃいいんだ。これ」
「いったん押しっぱなしにすれば、子音が出るのじゃ」
「なるほど……こうかな」
「もっと、ゆっくり」
「あ、できたできた……って、なんで室……五味子さんここにいるの!」
ベッドの上に横座りなった室長が、画面をのぞきこんでいたのだ。うるしを塗ったような長い黒髪が自分の肩にかかってこそばゆい。いや、くすぐったさを通り越して、ピリピリと痛いくらいだ。女のコの髪の毛って不思議だ。
「呼んだじゃろ?」
「えっ、まちがって電話かけちゃった!? ごめん。ごめん。とりあえず、メールはキャンセルする」
「なぜじゃ。せっかくの初メールじゃろ、どーんとこい」
頼もしいことを言われて、自分はまじまじと室長の顔を見る。
委員長がまた持ち前の対抗意識で、自分をにらみ返してきたので、しばらく無言で見合った形となり……十秒ほども見つめ合ってるうちに、思わず吹き出して自分の負け。
「なんじゃ失礼なやつじゃの」
「ごめん。ごめん」
だって室長、眼が疲れて涙が浮かんでるのに、意地を張ってこっちを凝視してんだもん。
「五味子さんがさ、そんな楽しい人だなんて、全然知らなかったよ」
思い起こせば、教室内でふざけている自分らには、いつも厳しい目つきだった気がする。
「クラスのみんなは、室長を誤解してるね」
「わたしは楽しい人間とは思っておらんし、無理に他人に楽しまれようとも思わんが」
何を言ってるのだとばかり、怪訝そうに首をかしげる。
「うん、ちょっと言い方を変えよう。もっと親しみやすい人だってこと」
いまだって女子からの信奉はすごいし、男子だって一目おいてる。でもそれは、恐れ敬うって感じなんだ。
「歴山も男子に人気じゃの」
話をすりかえられた。
「男子にばかり好かれてもねえ。……とメール送信できました」
「いま読んでよいか?」
「うーん、ちょっと恥ずかしいけど、どうぞ」
「おおう、誤変換だらけで読めぬのう。うー、拝啓、五味子様、いつも大変お世話になっております……?」
オハヨウもコンニチハも気恥ずかしくて、つい改まった文面になってしまった。
「おぬしは古風じゃのう。これは電子メールというもので、もっとザックバランを旨とするメディアじゃぞ」
年寄り言葉を話す少女にダメ出しされてしまった。
「わかってるって。で、本題はその次」
「解体された家に行く、か。なら車を出そう」
「一人で歩いてくよ。歩きながら、気持ちの整理もしたいんだ」
「そうか。そうじゃな。つらかったら、すぐに呼べ。運転手の
その優しさに、ちょっと泣きそうになった。いい子だなぁ、室長は。
たぶん思いやりのある人たちが、彼女を育てたんだろう。甘やかさず、でも、まっすぐ育つよう見守ってたんだ。
「歴山の家は学校より向こうじゃからの。ここに戻ると手間じゃ。祭りは現地集合にするか」
「りょーかい。じゃあ自分のケータイ番号は……あ、さっきのでもう知ってるんだよね」
「ん? ああ、そういうことになるのかな」
曖昧な返事。
財布なら何やらを詰めたデイパックを背負い、自分は先に出発した。
行きは下り道だし、たかだか数キロ、ゆっくり歩いても一時間とかからないだろう。
貴重な一人だけの時間。
今の自分には、一人でぼーっと考えをめぐらせることが必要だった。
「あ、パンツの件、聞き忘れた」
でも、すぐに忘れることにした。歩きはじめたら、たいがいのことは、どうでもよく思えてくるもんなんだ。
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