強敵

 時間が経つのは早く、春の日暮れもまた早い。

 夕日があたりを赤く染め上げる時間帯になると、人は本能的に「もう帰らなきゃ」なんて気分になってくる。でも、

「次はどこじゃっ。腹は、まだまだ余裕じゃぞ!」

 室長 この子だけは、帰る気なんてサラサラなさそうだった。

 混雑防止のためか店が置かれず、ちょっとだけ休憩スペースになってる一角があり、自分たちは縁石に腰掛けて、氷中からピックアップしたばかりのコーラなんて飲んでる。はたから見れば、仲のよい兄妹か、歳の差カップルに見えたかもしれない。

「けふー」

 わざわざゲップを声に出すあたり意外に子どもっぽい室長。誰がどう見ても上機嫌だ。

 休憩中に日はすっかり沈み、人出はいよいよ増えてきた。

 立ち上がってノビをすると、響さんらしき女性が、遠くビンゴボールの店で楽しんでるのがチラリとうかがえた。木製筐体のパチンコみたいなやつで、いいところに入ると、お菓子がもらえる。

「次はアレじゃ、アレ!」

 室長が自分の手を、両手で引っ張る。

「はいはい、いかようにも」

 行った先は目の前のひもクジ屋である。

「あーこれは」

 また、やっかいなものを。

 売り台はなく、ビニールの幕だけをめぐらせ、床はブルーシートを敷いてある。幕内には、有名ゲーム機に似た名前のオモチャや、モデルガン、電子手帳、カードゲームなどが飾られていた。

 どれも綺麗にラッピングされて、色温度の高い照明の下、きらきら輝いてみえる。

「どうじゃ、よくは知らんが、あれは最近流行りのゲーム機であろう?」

 たぶん秋葉原のシャッター前とか、中国あたりで大人気のね。テレビで宣伝してるようなゲームは動かない。それに、

「あれは当たりません」

 夢をぶちこわして申し訳ないけど、ここは断言しておく。

「なぜじゃ」

「外箱がないってことは、ずっと同じ商品を使いつづけて壊れちゃったってことですよ、お嬢様」

 つまり当たりくじが入っていない。

「あれは、テキ屋世界では許されることかの?」

「明らかにアウト。バレたら詐欺で逮捕です。鶏鳴親分が知ってたら許しません。ここのルールを気にしないってからには、モグリでしょう」

 どっかの暴力団員が紛れ込んでるのかもね。

 あれは大半が博徒系の団体なので、テキ屋とはまったく流れを ことにするグループなのだが、どうにも最近は若手が稼ぎシノギを求めて、テキ屋の領域にも潜り込んでいるようだ。

「ならば捨ておけんな。あれを遊んでやるぞ」

「自分の話を聞いてたの!?」

 かまわず室長は、店のおっちゃんに金を渡す。

 おっちゃんは頭がパンチパーマで、服はボンネル素材のジャージ姿。ものすごくチンピラ臭がする。

 室長がヒモを引く。

 はずれ。

 さっきより多めに金を渡し、ヒモを何度か引く。

 おいおい、空くじ多すぎだろ。せめて、メンコくらいおくれよ。

「ずいぶん残りのクジが少ないようじゃの。ひい、ふう、五〇枚といったところか」

「おいおい、ねぇちゃんよう」

 この男、室長が子どもと思って油断したな。

「全部買うから、その飾ってある商品を全部よこすのじゃ」

 自分のサイフから万札をとりだす室長。

 室長は人が悪い。わざと先に遊んでおくことで、詐欺の言い逃れができないようにしたんだ。

「お、お嬢ちゃん。クジを全部引いちゃったら、他の人が遊べなくなっちゃうよ」

「つまり、当たりが出ないことを、知られたくないのじゃな」

 あちゃー。

 自分は思わずひたいに手を当てる。

「なんでわざわざ、ケンカを売るようなマネを」

 いきなり店主がぶち切れた。

「このアマぁ、なに言いがかりつけとんじゃ、ど素人 トーシロがァ!」

「はいはい、プロなら素人 ネス相手に怒らないでね」

 すかさず自分が割って入る。

 店主との間に売り台がないから、室長がいつ危害を加えられるかわからない。

「なんでい貴様」

「この子の保護者です」

「保護者だあ? だったら詫びぃ入れてもらおうかい」

 こりゃ思った以上に頭の悪いヤツだ。

「待て歴山、人を子ども扱いするな」

「じゅうぶん子どもでしょっ」

 背中ごしに、ぎゃーぎゃー言うのは無視して、ここは無難に収めよう。あとで鶏鳴親分に任せるべきだ。

「えーと、詫びとは何でしょう?」

「誠意だよ、誠意」

「誠意。お金でしょうか?」

「わかんねーのかテメエ、頭わりぃな」

「歴山、そんなやつにビタ一文渡す必要はないぞ!」

「ちょっと黙ってて! あ、あなたに言ったわけじゃなくって」

 釈明する前に、男の拳が飛んでくるのが見えた。

 ああ、こりゃ一発受けとくかと石頭の角度を調整したとき、誰かがその腕をつかみ取った。


 警備の響さん……ではない。

「お客さんに手をあげるたぁ感心しませんぜ」

 五分刈り頭に、白衣という奇妙な出で立ちの男だった。

「なんでぇテメぇ」

 パンチパーマの店主が、標的を変える。つかまれた右手首を強引にふりほどこうとするが、白衣男の腕力がよほどなのか、動かすことすらかなわない。

「な、お」

 人の腕には可動域ってのがある。手首も、ヒジも、肩も、動かせる角度、方向が決まっている。

 それを熟知してると、手首ひとつを制するだけで、身体の動き全体を支配下における。響さんの早朝レクチャーで、さんざ身をもって叩き込まれた人体の基本だ。そのとき自分は薄れゆく意識のなか、くねくねと変形する知育パズルを脳裏に浮かべていたのだが。

「ほう、あれは大したものじゃ」

 自分のかたわらから顔を出した室長が感心する。

「ええ、すごいですね。右手首をああやって握っただけで、あの店主、動けないんですよ」

 響さんの関節技を思い出す鮮やかさだ。

「あれは肩まで極まっとるの。体重は右足にかかったままじゃから、歩くこともできまい」

 白衣を着てるからには、柔道整復師がマッサージの出店でもやっていたのかもしれない。彼らは関節を熟知してるし、自分の知る限りでは、柔道や空手、はてはボクシングといった格闘経験者が多いのだ。

「歴山なら、どう逃げる?」

 室長が問う。

「自分だったら、降参するしかない気がするんだけど……あえて、下に転がるとか?」

「じゃな。しかし、あやつの膂力が手首を離さぬし、転がった瞬間、踏み殺されそうじゃ」

 どうやら室長は、自分よりはるかに武道のなんたるかを知っているようだった。響さんの手ほどきかな。

「じゃあ、あの手首をふりほどくには、どうするでしょうね」

「そうじゃな。歴山、わたしの手を握ってみよ」

 と、室長が右手を差し出す。対峙する二人を放置して何を言ってるんだろうと、とりあえず握手をした。

 うわ、小さい。しかも、体温熱い。

「違う、握るのは右手首じゃ!」

 ああ、そういうことか。

 自分が左手で彼女の手首を軽くつかむと、「もっと強く」と注文が入る。

 これ以上握ったら、ひねり潰しそうなくらい細いんですけど。

「はようせい」

 仕方なく自分がぎゅっと力を入れた瞬間、彼女の腕が動いていた。

「お」

 自分の左手は、へんな格好に向いてて、握っていたはずの手首はない。

 彼女の右手は、いま自分のほおをペチペチ叩いてる。

「わりと基本じゃ。明日の朝にでも修練しようぞ」

 いやはや、どんなトリックを使ったのやら。


「しかし、まだ続いてますね」

  くだんの二人は、まだ「手を離せ」「離さぬ」と持久戦の様相を呈している。

「あの店主が根負けして、ケンカっ気がうなれば終了じゃな」

 白衣の男は、やろうと思えば店主をねじ伏せられるはず。

 だが、不法行為をしているとはいえ、大事な同業者オトモダチに恥をかかせまいと、店主があきらめるのを待っているのだろう。しかしパンチパーマ男は「舐められたら終わり」との思い込みが強すぎるのか、引き際が見えていない。

 やはりヤツはテキ屋じゃないな。だから仲間の気遣いを悟れないのだ。

「へいへい、なんでもないんですよ。楽しんでくださいよ」

 だみ声が聞こえてくる。足を停めがちな野次馬をさばきつつ、とうとう縁日を仕切ってる鶏鳴けいめいさんがやってきたのだ。あいからずの着流し姿で、草履履きだ。うしろには親分の手足となる若い衆が何人かついてくる。

「あいや、しばらくしばらく。事情はしっかり聞くから、ちょいと収めてくれねえか」

 大親分とはいえ、上意下達のヤクザと違って、あくまで互助会の会長みたいなもの。一喝して頭ごなしに場をおさめることを鶏鳴親分はやらない。

 それでも貫禄の違いがありすぎるので、白衣の男はあっさり手を離したし、パンチパーマも急におとなしくなった。

「ほうほう、あの二人の子たちがねえ……」

 ちょっとだけ自分らを見たので、目礼をする。あらかた騒動の経緯を理解したらしい。

「で、こっちの親分さんだが……申し訳ないねえ。クジを改めさせてもらっていいかな」

「ぐ……」

 この縁日の庭主、場所割り ショバワリの元締めたる鶏鳴さんには、さすがにパンチパーマの向こう見ずも逆らいがたいようだ。

「当たりクジがねえっての、立派な詐欺。見せてもらえねぇなら、警察のご厄介になっちまうんだが」

「う、疑われたままじゃあ、気持ちよく仕事はできねえ。今日で店じまいだ」

 パンチパーマが折れた。

「すまないね、場所代 ショバだいは返すよ」

 あわただしく店を片付けるのを横目に、鶏鳴親分、こんどは白衣の兄さんに話しかける。

「店の前じゃアレだから、そこの空き地で話そうじゃないか」

「へい」

 格好は妙ちきりんだけど、この青年、わりと折り目正しい。

「うちはここの庭主をやってる、鶏鳴ってもんだ」

「へいっ、おひけぇなすって!」

 とたん、青年はいきなり腰を低めた。

 突拍子もなかったが、よく見れば大した構えである。

 腰を落として、太ももは大地に一体化したように水平である。

 左手は武器一つをもたず、左手は左ナナメ前に置き、赤心を示す。

 右手は前に差し出す。

――こいつ、できる。

 いまどき香具師の大半は、名刺で挨拶を済ますってのに、昔ながらの作法で仁義を切るってのは、見上げたものだ。

 なにせこの挨拶、わずかにでも言い間違えや作法の誤りがあれば、さんざんコケにされ、昔だったら仲間オトモダチを騙るニセモノとして、ブスリと刺されても文句は言えない。

 さらにこのお あにぃさんのこの構え。この右手。

 自分の親父や、ここいらの親分さんがたの流儀とは違って、手の平を完全に上に向けていない。指をきれいにそろえて、小指が下で、親指が上。手刀みたいな形。武器をもたず、敵意はないと見せつつも、いつでも腰の刀を抜いてみせるという、油断も隙もない型とお見受けした。

 いつもなら「そこは簡単にいきましょう」と流しているはずの鶏鳴さんの目が光った。

「さぞや名高い親分とお見受けします。まずは客人よりお控えください」

 ないがしろにはできぬと判断したのだろう。同じく腰を低めて、構えをとったんだ。

 しかし白衣の青年もよくしたもので、先に控えるなんて無礼はしない。

「東海道は、お江戸の日本橋より下りやす。上手 かみての東京の かたからお控えくだせえ」

 なるほど、これは上手いことをいう。鶏鳴さんも納得して、

「ありがとうございやす。なるほどごもっともで、手前これにて控えさせていただきやす」

 といって、青年から先に挨拶するのを承知した。

「さっそくながら、ご当家、三尺三寸を借り受けまして、稼業、仁義を発します」

 とうとうと男が仁義の口上を述べていく。自分も親父の傍らで何度か新参者の挨拶を見たことあるけど、たいてい誰しも意味もわからず丸暗記なんだ。いい加減な日本語が飛び出して当たり前。でもこの男は違う。明らかに がくがある。

「手前生国と発しますは、静岡でござんす。

 静岡といっても広うござんす。

 次郎長親分一の子分、石松が故郷、遠州森。

 石松っつぁんは博徒侠客ながら、あっしは香具師の渡世を選びまして、渡って参るは越すに越されぬ大井川――」

 なんだよおい、いろいろ因縁を語り始めてるよ。

 口上は、自分の素性を証する暗証番号や手書きサインみたいなもの。いや、生体認証というべきか。

 だから挨拶すべき親分が二人いたら、それぞれ個別に、一言一句違えず、伝えなければならない。ゆえに、みんな無難で短めな挨拶を用いるものなんだ。

 なのに、この男は……。

「神農大帝の御心受け継ぎ、百菜をなめるがごとく七味に工夫こらしましては、姓は五苓 ごれい、名はかつら、渡世の名を、七味唐辛子売りの南蛮と申します」

 実に堂々たる口上だったので、作法違いなどにも気にならず、その場にいた香具師テキヤの誰もがシンと静まりかえった。

 これまでに相当の場数を踏み、おっかない親分たちの前でトチらず仁義を切りつづけた大ベテランでなければ、こうはいかないだろう。

 鶏鳴親分も作法通りの挨拶を返す。

「当世、名刺ですませるご時世に、丁寧なご挨拶痛み入ります。諸事万端、オトモダチにお任せください」


「トウガラシを売るために、わざわざ静岡から来たのか」

 助けられた礼もそこそこに、室長は白衣の男、南蛮さんに質問攻めだ。

「へい、静岡の遠州森町 もりまちといえば、最近新しい高速道路ができやしてね。道を覚えるついでに、ちっと遠くまで勉強に来てみようってんで」

 静岡から来たとなれば、多少のルール違いもうなずける。

 テキ屋というのは、東と西で大きく作法が異なるのだが、その境界線が静岡なのだ。

 ゆえに静岡だけは、両者の慣習が混ざってるどころか、東でも西でもない独自の所作や因習があるとも親父に聞いていた。

「トウガラシ売りが、なんで白衣なのじゃ」

「話せば長くなりやすが、よろしゅうござんすか」

「よろしいとも!」

 この白衣男、腕っ節も強いだけでなく、顔もなかなか端正だし、なにより言葉の端々から教養が見てとれた。

 要するに、自分よりずっといい男なのだ。

 そんなヤツが、室長と仲良く話してるのを見ると、なんだかモヤモヤするというか気分が良いはずがない。

「お嬢様は、ずいぶんあの青年に関心があるようですね」

 背後から響さんの声がして、飛び上がりそうになる。

「……いつからいました?」

 むっとした声で、ふりむかずに問う。

「少年が殴られそうになった直後には」

 わりと前じゃん。

「お嬢様がお気に召しそうな景品があったばかりに、いささかパチンコに熱中しすぎました」

「そんな早くいたなら、なんで」

「少年に見せ場を提供したつもりでしたが」

 ぐっと言葉につまる。

「いえ、実際なかなかの勇気でした。とっさにああ剛胆に動けるものではありません」

 自分なりに最善はつくしたと思う。しかし、あの白衣男の前では、どれだけ自分が、無力で、無知で、人間的に見劣りするか思い知らされるのだ。


「というイキサツで、香具師やしという名もあるように、あっしらテキ屋の多くは生薬を売り歩いていたわけで」

 白衣の南蛮は、ことこまかに香具師の歴史を語っているが、ふん、それくらいなら自分だって説明できる内容だ。

「それが戦時の薬事法で御法度になり、戦後もどんどん縛りがきつくなり、あれまあクスリっぽいものは、もう七味しか売れない身の上になったんでさあ」

 南蛮の屋台は、ヒモくじのすぐ近くだった。

 促されるままに店の前までいくと、「なんで、こんなウリ文句をこさえやした」と、自分ら二人をサクラにして、口上を述べはじめた。

「良く見てご覧よ、どれも漢方、薬種効果にご期待ござる。

 遠州森町の七味唐辛子 なないろとんがらし

 そもそも香具師の始まりは、神農皇帝、百草をなめて毒を知り、道に市をつくって商いをなす。

 霊験あらたかな薬を配って、人々に癒やしを与えるを稼業として、親分子分の代々に生薬 きぐすりを売っておりやしたが、薬事法のなんとやら。

 お上から薬を売ることあたわぬと仰せ付けられ、困りあぐねて霊場巡りしたのが、あっしの親分だ。

 足が棒になってお寺の軒下を借りて眠ってるところ、ご本尊の十一面観音様が夢枕に現れ、ひらめいた」

 この男は、あやしい。

「唐辛子はもちろん、芥子 けしだ、 陳皮 ちんぴだ、胡麻 ごま山椒 さんしょう

 紫蘇 しそ海苔 のり青海苔 あおのり麻の実 あさのみ生姜 しょうが

 これに菜種 なたねも合わせて十一種。

 こっから七種を選んでくだされやあ、計って混ぜてお売りします。

 観音様をかたどった有り難い七味入れ。

 浅草の観音さんとこにだって置いちゃあいない、当店だけの縁起物だ」

 実に、うさんくさい。

「そこのお姉さん、お肌にいいのは麻の実だ。腸も健康、食欲増進。おおっと、ゴマちゃんだって老化にゃ効くよ。そこのマスクのおいちゃん、セキにゃあ陳皮を試しちゃいかが。すべての薬効は、中国でいちばん古くて正しい『神農本草経』の時代から折紙付きだぁ」

 立て板に水の啖呵売り。客に合わせてアドリブを混ぜている。見かけは若いが、相当のベテランに違いない。

 しかし、それゆえに気にくわない。


「どうじゃ、歴山もひとつ買っていかぬか」

 すっかり聞き入っていた室長が、興奮気味に自分をせかす。

「じゃあ、焼き鳥に合いそうなの見繕ってよ」

「へい、わかりゃあした!」

 七味を受け取った自分は、室長の手を引いて、すぐ先の焼き鳥の出店に入った。

 三寸屋台が二軒ぶんのナワバリを合体させ、ビニルで囲ったちょっとした飲み屋みたいな休憩所だ。

 夏だったら、スポットクーラーが冷気を充満させていたことだろう。

「ああ、ようやく落ち着ける」

 いいわけがましく言って、自分は幕を背にした丸イスに座る。となりに、すとんと室長も腰掛ける。

「そういえば、ずっと立ちっぱなしの歩きっぱなしだったのう」

 ちょっと強引すぎたか、室長は手首をなでさすっていた。正直ごめん。

「歴山よ、明日も来るぞ」

「ここの縁日、気に入ったんだ」

「気に入るもなにも、今日だけではまわり切れんでは、判断がつかぬ。それに」

 ポーチから紙切れを出す。

「あの南蛮という男、おもしろい」

 トウガラシ屋の名刺だった。

「室長は、えーと薬に興味があるの?」

 焼き鳥のスチロール皿の端に、買ったばかりのトウガラシを山盛りにする。

「そりゃあのう。わたしの家は半分くらい医薬品でもってるようなものじゃから、子どもの頃から薬の話ばかり聞かされておった」

 などと語りながら、室長は届いたばかりの「ぼんじり」を、せっせとワリバシでバラしはじめる。

「じゃあ進路は、大学の薬学部とか?」

「さあてのう。今は医学部も悪くないと思っておる」

 医学部か。地方の私立であっても、それなりに難関ばかりだ。しかし、学年トップの室長ならば、現実的な話だろう。

「おぬしは……歴山はどうする?」

 不意をつかれて、自分は面食らう。

「自分でふった話題で、それはなかろう」

「いや、まあ」

「おぬしも、医者とは言わずとも、薬学の方向に興味はあるのではないか」

 さてはお毒味役のことがバレたかと、一瞬焦った。

「おぬし、わりと薬品の知識があるように思えた」

「そう……かな?」

「昨日から今日にかけて、わたしたちの会話でどんな薬品や医療のことばが飛び出しても、すぐに理解した。まるで思い出すかのようにな」

「まあ、物覚えはいいと思うよ」

 かつてテキ屋で売られていた数々の手引き書・入門書と言えば、計算術バンソロ催眠術ミンサイ、そして記憶術キオクである。

親の商売を眺めても面白くないから、店の裏側で、近くの店から借りた記憶術ガイドを読んでた頃もある。そのせいで、今でもちょっとした暗記には自信があるんだ。でなければ、いまみたいな進学校の、しかも特進クラスになんて入れないよ。

 ちなみに、計算術ってのは眉唾だったね。店主が実際に客の出した数字をすらすら計算してみせるんだけど、これ、単に店主が暗算が得意なだけだったんだ。本人も「ソロバンやってりゃ、これくらい楽勝」ってバラしてたから、本の内容も、役に立たない記述ばかりだった。

「頭の回転だけではないように思える。おぬしには……そう、わたしと同じように、身体から薬品の匂いが漂ってくるのじゃ。身体に薬がしみこんでおるかのように」

 そうか、室長は小さい頃から身体が弱くって……薬品の知識も、一族の影響というより、病院生活でしぜんと身についたのかもしれない。

「おぬしも子どもの頃、病院で長く過ごしていたことはないか? おぬしは、いつどこで自分の力に気付いた?」

 問い詰められると、自分の幼少時の記憶がひどく曖昧に思えてきた。自分の信じてきた過去が、どれも両親の思い出話によって上書きされて、真実は封印されている。そんな疑念は鎌首をもたげていた。

「自分は……こういう体質だから、むしろ医者にかかるのは避けてた。それに、子どもの頃からほとんど病気をしたことがないんで」

「そういう話じゃったのう」

 室長はひと呼吸おき、またパクリと鶏肉を口にした。もぐもぐ。もぐもぐ。

「それとも親のあとを継いでテキ屋になるか? まあ止めはせん」

 食べながら話す室長の言葉に、自分は耳を疑った。

「なんでさ。あれだけ、さんざんテキ屋はヤクザだとか言ってたくせに」

「縁日がまこと楽しいものであることは、わたしも認めざるを得まい」

 それは、あっさり認めちゃうんだ。まあ、あれだけ楽しんでたら、そりゃあね。

「その演出に、テキ屋が一役買ってるのも、ようわかった。テキ屋はじつに……夢を売る商売じゃのう」

 その言葉がダメ押しとなって、自分を納得させた。

「そっか、わかってくれたんだ」

 縁日のすばらしさ、その仕掛け人であるテキ屋たちのことを。

「テキ屋にも、いろいろおるわな。そもそも、この町でいちばん大きなスーパーの赤松も、もとは戦後の焼け野原で商売を始めたテキ屋たちの市が前身じゃった」

「そうなのっ?」

 まったくの初耳だ。

「それに、さきほどの南蛮とやらも、わたしのような高一生ふぜいが語るもケッタイじゃが、利発そうな男じゃ」

 また、その男の話か。なーんかイライラする。

「白衣も着こなし、どこぞの研究者といっても通じそうじゃ。ああいう男がいるなら、テキ屋の世界も捨てたものではないと思うた」

「五味子さんがテキ屋を理解してくれたのは嬉しいけど、自分は、薬に興味がないと言ったらウソになるよ」

 室長を護るためだけでなく、あの男のエセ知識よりも上をいきたい。そんな子どもっぽい対抗心が芽生えていた。

「いい案じゃな。昨日見せたおぬしの能力 ちから、埋もれさせるは実に惜しい。わたしが急に医学に興味をもったのもな、少なからずソレじゃ」

「……え」

「昨日まで、わたしは親の会社を継ぐには経営学を学ぶべきか、それとも薬学を学ぶべきかと、そんなことを漠然と思うておった。そこに、ようやく将来の夢らしいものが現れた。おぬしの能力を知りたいという、純粋な好奇心がな」

 心臓が跳ね上がった。自分に興味があるって? 室長が?

「それって、どういう……」

 もっと具体的な言葉を引き出したい。

「おぬしを見ておるとな、毒でも飲ませて、裸にひん剥いてその影響を追い、勢い余って解剖してみたくなる」

「ふぎゃっ?」

 猟奇的な台詞だが、彼女の目は真剣そのもの。いますぐにも自分を刺したくて仕方がないのか、手に持った串がふるえていた。

「歴山よ。おぬしの穴という穴にすべて指を突っ込んで、じっくり中をのぞきたいと頼めば、それは可能か?」

「いつみこ……さん? 室長……?」

 心なしか彼女の息が荒い。自分の提案に想像を膨らませて、さらにハイになっているのか。

 それは例の危険ドラッグの症状に似ていた。あれを飲むと、頭は冴えているようで、実はおそろしく思い込みが激しくなる。

 学生主催の自己啓発セミナーで密売されているのは、そういう理由だ。

「室長っ」

 がくがくと両肩をゆさぶると、串が落ちる。

「いや……すまなかった。冗句じゃ。戯れ言じゃ」

 いやいや、いまのは冗談レベルじゃない。わりとブッ飛んでた。なんでいきなり。まさか、このトウガラシに何か?

 自分が食べてもなにも感じなかったというのは、経験のない未知の薬が混ぜられているとか?

 ともあれ、やはり、あの南蛮という男はウサン臭い。自分の勘が、そう言っている。室長を守らないと。室長を近づけちゃいけない。

「五味子さん、疲れてるようだね。今日は帰ろう」

「うむ……そうじゃな」

 店を出るころには夜の九時をまわっていた。まわりの出店はもう片付けを始めている。

「すっかり、暗くなってしもうたな」

 出店の照明が減ったせいで、夜空の星がよく見えた。

「さて」

 眼光鋭く、室長が見上げてくる。

 すっかり慣らされた自分は、その瞳の奥にいたずらな光が輝いてるのを見逃さなかった。

「わたしは夜目が効かんでのう」

「それではこの野生児めが、ご自宅までお送りしましょう」

 差し出した手を、彼女の指先が軽く握る。

 あまりに弱々しく、今にも彼女がどこかへ消えてしまいそうなくらい、遠慮がちで、はかなげな握り方。

「今度は、ゆっくりな」

「承知いたしました、お嬢様」

 手が離れてしまわないよう、ゆっくり一時間もかかって自分たちの家に帰り着いた。

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