二、毒くわば皿まで
ケーキ
屋敷に帰ってみると、玄関口に甘麦さんが、ぼーっとして立っていた。
「甘麦、いま帰ったぞ」
室長の声にも反応が薄い。
「甘麦さん?」
「ああ~お嬢様~歴山さま~おかえりなさいです~」
スイッチを入れた人形みたいに、急に動き出した。
響さんによれば、昨日あの男……
「前にも話したが、あやつはもともと
食道で紅茶を飲みながら、室長が説明してくれる。
二人で着替えもせず、お祝いのケーキを待っているのだ。
なんでも学校行事の記念だから、学校の正装たる学生服のままで祝いたいらしい。
「でも未成年を働かせるなんて、そういうの、法的にありなのかなあ」
「おじは少々、狭量での。人を追い詰める気質のせいでな」
「ああ、それで参っちゃったのか。えっと、APFSDSとかいうやつ?」
「よもや
「あー、それそれ。甘麦さんのお父さんはどうしたの?」
「それが行方がわからぬ。そもそも、誰なのか知らぬ。なので母親が病で死んだあとは、甘麦は天涯孤独じゃ。よるべのないあやつがこき使われておったのを、思うところあって、わたしが強引に身請けした」
「身請けって、いつの時代……」
「医学の世界ではわりとある話じゃ。たとえば防衛医大は学費はタダじゃから優秀な苦学生が集まるのじゃが、自衛隊に入らねば学費を返す義務が生じる。ところが医師志望の男は、他の医大の娘とくっつくことが多くてな。嫁の両親が自分の病院を継がせたがったり、自衛隊勤務に反対したりだと、かわりに学費をみてやることがあるのじゃ」
「たしかに、それも身請けの一種だね。男女が逆な感じだけど。しかし、よくあの男が手放したもんだね」
自分の見たてでは、あの男の貪欲さは底がしれない。
それにいろいろ、しつこそうだからね。
「代償はそれなりに。父親の研究所から、特許をいくつか譲渡した」
そこまでしたのか。彼女のために。
「あ、ちょっと銭氏さんに用事あったんだ」
カバンの中から、タッパーに入れた唐揚げを取り出す。やはり今日も唐揚げを盛ってきていた半夏から、無理矢理に奪った貴重な一個だ。
厨房を覗くと、甘麦さんが一人ぱたぱた走り回っている。
「あ~歴山さま~いまケーキをご用意してますからね~」
最後の仕上げとして、トッピングを載せている最中だった。
「お嬢様が前から食べたがっていた~、もろとふ屋のケーキを、再現してみたそっくりさん~なのです~」
でもこれ、見た目がなんだか、ウエディングケーキなんだよなあ。小さいとはいえ、よくこんな手のこんだの作ったもんだ。
そこでホームルームでの室長の言葉が思い出された。
――初めての共同作業だな。
彼女なりの
なにしろ、リボンを巻いたナイフが、トレーに用意されている。
純真な
「味見していいですか?」
「だ、だめです~!」
ものすごい剣幕で拒否された。
「これは~お嬢様のための~超スペシャルにデコレートしたケーキなので~、最初に食べるのはお嬢様なのです~」
作ったクリームをギリギリまできれいにぬりたくって、たしかに、どこか削っていただくというわけにはいかない。
でも、ダメって言われると、よけいに食べたくなるよね。
震える手で、イチゴを盛りつけてる甘麦さんはいつになく真剣な表情で、ちょっと怖いくらい。
プレッシャーが半端なさそうなんだけど、彼女は室長からどんな説明を受けているのやら。
あまりに緊張しすぎてイチゴがころりと、クリームを大量に載せたまま落ちた。テーブル型の冷蔵庫の上だけど。
「あっ」
この世の終わりかというくらいの表情で甘麦さんが悲鳴をあげる。
「大丈夫だよ、洗えば使えるから」
自分がイチゴを拾い上げる。たしかにこのコールドテーブルは年季が入ってるけど、いつも丁寧に掃除と除菌をしてるんだから、ちっとも汚くない。
甘麦さんがポリ袋を取り出す。
「そ、そんなのダメです~! 捨てますから、こちらに~!」
「捨てるくらいなら食べちゃうよ」
ひょいと口に入れた。
少しくらい洗剤が多少残ってたとしても、自分の能力なら我慢できる。
はず。
だった。
「歴山様ァ!」
のどに詰まる。
がぁがっがはっ! 吐き出そうとして間に合わず、食道へ落ちていく。
「なんだこれ、クリームムム? それともいちごごご」
言葉が出なくなっている。
「歴山様っ、歴山様っ」
気づけば自分は厨房の床に崩れ落ちていた。
甘麦さんの叫びがどんどん遠くなっていく。
ああ死んだな、こりゃ。
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