真夜中の訪問者

「疲れたー」

 食堂から無事に帰還した自分は、着替えもせず、灯りもつけずに、そのまま大の字になってうつぶせにベッドに寝転んだ。掛け布団のなかに身体が沈んでいく。

 サイズはダブルで、一人で寝るには大きすぎて落ち着かないほどだ。

 かつて小学生時代の修学旅行で、教師が二人用 ツインの部屋を予約するはずが、まちがえて全部ダブルにしてしまったことがある。

 たしかに語感は似てるけど、チェックインしてそれを目の当たりにした自分らは、もうお祭り状態だった。夫婦やカップルのためのエロ寝台だと思ってからね。

 結局、確認しなかったホテルが悪いってことでタダで簡易ベッドを追加してもらったんだけど、結局みんなダブルベッドのほうで寝たよ。キャンプで雑魚寝するより、ずっと快適だったもの。

 高校生になって、あれから背も伸びた。いま横になってみると、あのときほどの感動はなかった。うん、お金持ちにとっては単なる「一人用のゆったりサイズ」なんだろうな、これ。


「とりあず明日は、響さんのレッスンは受けてみようかな」

 室長の命が狙われているというなら、毒殺以外も警戒すべきだ。できるかぎりの対策はとっておきたい。

 あと、男性警備員の防已さんが車を出してくれるそうなので、早朝の鍛錬を追えたら、家が取り壊される前にめぼしい荷物を引き上げたいな。自分の高校は、進学校のくせに一年生は土日が普通に休みなので、幸いにして明日はヒマなのだ。

 などと予定を脳内整理していると、だんだん眠気が強まってくる。ああ放課後から、怒濤のイベント続きだった。いろんなことがありすぎた。

「シャワー浴びないと。でも着替えは……どうしよ……それから神農像に挨拶をして……」

 誰かに見つめられているようなチリチリとした視線を感じたけど、とにじゃく眠い。

 この部屋、もしかして何か憑いてたりしない? 妙に手入れが行き届いてるけど、見えない誰か住んでるんじゃない?

 そんな想いを描きながら、ぐったりしているところにノックの音が聞こえた気がしたけど、返事をする気力もない。

 ベッドもなんだか優しい香りがして、そのまま自分の意識は、布団に沈んでいったんだ。


 なにかが胸に乗っかる重みで、自分は目をさました。

「ネコ……?」

 ぼおっと目を開けた自分

「れ、き、ざ、ん、さ~ん」

「ふぁっ」

 耳朶に染みこむようなウィスパーボイスに、自分はのけぞりかけた。

 月明かりに写ったのは、メイドさんの顔。ガウンをはおってるようだけど、胸元から見えているのは……ネグリジェ?

「あ、あ、甘麦さん?」

「お返事がないので~お掃除用のマスターキーで開けちゃいました~」

 プ、プライバシー皆無!

「なんの御用……でしょう」

 口の中はカラカラだ。心臓の大鼓動が、自分の胸に置かれた手から彼女にはバレているはず。

「お嬢様にとられてしまって~あれから歴山さまとお話ができませんでしたので~」

「あ、明日もたっぷりお話しできますよ」

「じゃあ明日もごはん一緒に食べてくれますか~?」

「えっと、食事は……室長と一緒に……」

 すると甘麦さんは、ネコみたいに顔をすり寄せてきた!

「ご~は~ん~?」

 やばい、いい匂い。こちらの息づかいが甘麦さんに聞こえて、甘麦さんの呼吸も間近に聞こえる、超至近距離!

「あ、朝に響さんに稽古を付けてもらうんで、そのあとに軽く! いただけたら!」

「ほんと~?」と小首をかしげる仕草。うう、あざとすぎる。

「ほんと、ほんと。ですから、もうちょっと離れてくれると」

「え~離れるのはダメですよ~。遍歴の騎士さまを~もてなすには~城主の娘がお相手するのが礼儀なんですぅ~」

 いつの時代! どこの国! 自分は誰であなた様は誰!?

 抱きつきグセがある人だとは思ったけど、ここまで積極的だったとは!

「わたし~ずっと待ってたんですよ~白馬の騎士様が~とらわれの身から助けてくれるのを~」


 心臓がきゅっと締まった。

 自分は彼女の資料を見ている。そうだ、彼女は朝から晩まで、この屋敷で働き、めったに外に出ない。この屋敷だけが唯一の生きる世界だ。

 まだ十八歳なのに、同い年の友達もいない。家族もいない。

「わたしは~母親がメイドで~母子で暮らしてたんですけど~お母さんがどっか行っちゃって~」

 同じ母親を失った境遇を哀れみ、青竜室長がことのほか目をかけている。らしい。

 そんな彼女が、初めて気軽に接することのできる仲間を見つけた? それが自分?

「でも、甘麦さんは城主の娘ではなくって」

「お嬢様はおぼこいので~メイドのわたくしで~」

「いえ、その、お世話になってる身分で、そこまでのことは! っていうか、こういうのは、もっとお互いのことをよく知ってから!」

 一宿一飯の恩義がありながら、館の使用人さんに手を出すなんて、とてもできない。

「だったら~今からお互いのことを良く知りましょうよ~」

 ううっ、ある意味正論。いや、ちょっとおかしい?

 ずりすり顔を近づけてくるのを必死にとどめたいんだけど、理性が。理性が。理性が。理性が。


 ゴホン!

 わざとらしい咳払いのしたほうに、自分らが視線を向けた。

 緑の誘導灯の下、そこには腕組み姿の室長が立っていた。

「あら~お嬢さま~?」

 室長はパジャマ姿にカーディガンをかけている。これで、まくら片手だったら「どこのラノベだよ!」と思ったんだけど、ひじにはトートバッグがかかってて。

「なんのつもりじゃ?」

 心なしか、室長の声が低い。もしかして、怒ってますか?

「ええと~メイド的な~夜這いなんですけど~」

 声の出ない自分のかわりに、甘麦さんがストレートに答えた。

「歴山は困惑しているようじゃが」

「初めは誰だってそうですのよ~」

「歴山は、疲れておるのじゃ。今宵はやめておけ」

 あ、今晩でなければいいんだ。

「しぶしぶ~」

 ベッドから未練がましく降りたメイドさんが、何度も自分にふり返りつつ部屋を出て行く。

「鍵」

「え~でも~お掃除が~」

「わたしがあずかる」

「しぶしぶアゲイン~」

 部屋のマスターキーをバッグに入れると、室長は入れ替わりで近づいてきた。

「すまんかったな」

 小さく目をふせる。

「え?」

「甘麦じゃ。ああいう奔放なおなごに育ってしまったのも、同情すべき理由があるのだ。責めんでくれ」

 すっかり自分も怒鳴られるものだと思ってたから、ずいぶん拍子抜けした。

「……なんじゃ?」

 彼女の姿を、雲から抜け出た月明かりが照らし出した。

 寝間着は上下にわかれたセパレートで、パステルピンクの無地。ずいぶんと子どもっぽく見えるが、きっと子ども向けの服しかサイズがあわないのだ。

 生地はおそらくガーゼ素材で、これまた、幼さを強調してしまっていた。

「あ、かわいい寝間着だなあなんて」

 しまった、なれなれしすぎた!

 言ってしまってから盛大に後悔したが、

「そうか、あまり人に見せるものではないのじゃがな」

 室長はいたって平然とその感想を受け入れてくれた。

「まあよい。打ち合わせをするぞ」

「え」

「文化祭の打ち合わせじゃ」

 持っていたトートバッグから、ノートや筆記具がのぞいている。

「あの、自分は疲れてると、さっき室長が」

 自分の躊躇も無視して、ベッドの端に彼女が座った。

「なにごとにも優先順位がある」

 長い黒髪が揺れて、シャンプーの香りがただよう。

「えっと、室長」

「室長じゃと?」

 横目で見られた。

「ここは学校ではないぞ」

 自分は、しばし考える。室長はなにも言わないで待っている。

「えーと、その……青龍さん?」

「それでは父親と区別がつかんのう」

 ダメ出しされた。

「じゃあ、青龍五味子いつみこさん」

「長い」

「お嬢様」

「こそばゆいわ」

 他にどう呼べと?

 室長は足をぶらぶらさせながら、ノートのページをあちこち読み返している。

 あー。

 はいはい。

 わかりました。わかりました。

 自分は大きく深呼吸する。

「……いつみこさん」

「よろしい」

 とたん彼女の顔いっぱいに、人なつっこそうな笑みが広がった。

 自分の息がとまった。

「今日の優先事項は、それだけだ」

 すべるようにベッドから降りると、そそくさと彼女は扉へと歩いていく。

「ゆっくり休め、うしお

 閉めかけの扉から顔を出したときは、いつものクールな室長だった。

「……なにしに来たんだ?」

 でも。

 たすたすと芝生を踏んで遠ざかる音と入れ違いに、自分の脈拍は耳が痛くなるほど強まっていた。

「あれは! あれは反則だろう!」

 うあ。

 うああああああ。

 遅効性の毒でも盛られたように、おそろしく時間差のある、そして強力無比な攻撃が自分を襲う。

「かわいすぎるんじゃー!」

 布団の上でもだもだと転がりまくって、結局自分はその晩まったく寝付けなかったのだ。

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