一宿一飯の恩義

「私が五味子 いつみこの父で、青竜 せいりゅう 甘草 かんぞうです。いつも学校では娘が世話になっているようだね」

「ははーっ」

 思い詰めていた自分は、書斎に入るや、とっさにひれ伏していた。

「いやいや、やめなさい。クラスメイトにそんなことをさせては、私が娘にうらまれる」

 あわてて制する甘草氏は、仕事から戻ったばかりなのか、ワイシャツ姿のままだった。中肉中背のごく普通のオジサンといった感じで、身だしなみは整っていたけど、とても大金持ちには見えなかった。

「お世話だなんてとんでもない。自分のほうが数百倍は面倒をおかけして……」

「皮肉ではないよ、歴山れきざんくん。良い好敵手 ライバルを得たとばかり、娘も中学時代よりずっと生き生きしている。ずいぶん手強い人物のようだね」

 なんか知らない間にライバル視されてたようだ。

「まあ、座ってラクにしてほしい」

 そこで初めて自分はイスに座ったのだが、これがもう、フカフカのモフモフだ。腰が沈みすぎて、変な声が出そうだった。

 ようやく腰が定まると、室内を見渡す余裕が生まれる。

 書斎というだけあって、まっさきに目に入ったのは、壁に面した木製の大きな机だ。飴色の光沢が年季を感じさせる。

 その背後には、ガラス扉の本棚。書名はみえないが、ハードケースの大きさから、昔懐かしい百科事典の類いではなかろうか。

 次に目に入ったのは、真新しい額に入った女性の肖像画。号数で聞かれても答えられないが、えっと、わりと大きい。金髪の三つ編み女性が描かれているけど、もしかして甘麦さんだろうか?

「さて」

「はいっ」

 自分は視線を甘草氏に戻す。

「きみの家庭の事情や、困りごとは把握している。高校に入学してまだ一、二カ月、いきなり路頭に迷うとは青竜家としても見捨ててはおけない。これはきみ次第だが、卒業まで当家で世話することもやぶさかではないよ」

「ふえ……」

 てっきり追い出されるものかと思ったら、なんという拾う神様ですか。

 たしかに自分の家とは比べようもない大金持ちだ。貧乏人の子一人を養うなんて、血統書つきの犬を飼うほどにも感じないのかもね。

「でも、自分みたいな、素性のわからない人間を」

「娘の通う学校だ。同級生の人物調査は、始業式前にすませてある。とりわけ、きみは娘がよく会話に出すから、勝手ながらより綿密な調査をさせてもらった」

 綿密って、やっぱ興信所とかに頼んだんですかね。まさか……警察もまで?

「きみの保護者のこともすべて知った上で、衣食住、学費、どれも面倒をみようということだよ」

「ありがとうございます。冗談抜きに九死に一生です」

 でも。

 さすがに、その好意に甘えすぎるわけにはいかなかった。

「とても有り難いご厚意ですが、それで……こんな立場で言いにくいんですが、自分の家には家訓がありまして」

「ほう」

「働かざる者、食うべからず、です」

 自分の親父は、くさっても商人だ。家族は泣かすかもしれないが、仕事と仕事仲間オトモダチには誠実だ。自分も、人様の好意に甘えるだけでは立場がない。

「なにかお役に立てる仕事をいただけないでしょうか」

 甘草さん、少々考え込む。

「きみがそれで気が済むのなら、私に異存はない。というか、ちょうど実は私からも頼み事をするつもりだった」

「なにをすればいいんですか? 掃除? 洗濯? 靴磨き? あ、車の免許は持ってないです」

「もう一人、人を呼ぶけどいいかな。警備部の ひびき君からも提案があって、きみに向いていると確信した」

 机上の電話機のボタンが押された。

「加味君を書斎へ」


 入って来たのは、スーツにネクタイの二十代か三十代のやせぎすの男性だ。

「補室のカミオンジです」

 ほしつ?

 ご飯のはいった容器を想像する。いや、それはおひつか。

「まあ、本室ではなく、分室のほうですけど」

「ホン? ブン?」

 名刺を渡され、ようやく「内閣官房副長官補室」の「分室」で働く「事務官」という肩書きの人だと判明した。

 青竜さんは室長なので、この人よりも偉いってことか(違う)。

 さっぱり意味はわからないけど、住所が「永田町」になっているので、おそらく政治家がらみの人だろうか。

 フルネームは、加味 かみ 遠志 おんじ

「国家レベルの問題をどうにかする部署でね。とくに僕の担当は資源の調達なんだ」

 この顔は……石油ではないな。

「鉄鉱石とか銅とか?」

「惜しい。レアメタルだ」

 話が全然見えない。

「さて、こちら青竜甘草氏の長女である五味子さんは、この家の後継者だ。甘草氏に何かあったら、他の親族とともに、実に多くの財産を引き継ぐ責任がある。有価証券だけでなく、会社や団体の経営も含めて、ね」

「重要な人物ですね。だから、いつもボディガードがついている」

「その通り。いまどき身代金目当ての誘拐なんて日本では考えにくいけど、ちょっとした事故に巻き込まれる可能性はわりとある。そして、それが国にとって憂慮すべき事態に直結していることも。というのも、彼女の母親が、鉱山経営者の娘さんでね。最近になって純度の高いインジウムが採れるようになって……インジウムわかる?」

「いえ」

「工業製品に大いに重要な金属だよ。で、こいつが安定供給できれば、日本全国は万々歳。忘れ形見である五味子さんの健在こそが、鉱山主の心証に直結しているんだ」

 忘れ形見。

「彼女のお母さんは、死んじゃってるんですか」

「ああ、娘が中学生の頃にね」

 甘草氏が答える。

「そうでしたか」

 なぜか後ろめたい気持ちになった。いくら恵まれた経済環境でも、母親に逝かれて、父親も不在がちというのは、さぞ辛いことだろう。

「家内に会ったことはないかな」

「ええ。五味子さんとも高校に入っての初対面ですし」

「あ、そうなんだ」

 加味氏が驚いた表情を見せる。

「甘草氏の口ぶりでは、ずいぶん昔からのお知り合いって感じでしたけど」

 甘草氏はあいまいに笑う。

「はは、彼女は自分を、前世からの因縁だとでも思ってますよ」

 と、自分は頭をかく。

「本当に、会ったことないの?」

「自分は商売人の息子です。一度でも会った人なら、忘れっこないですよ」

「そりゃ凄いスキルだ。なおさらキミにぴったりの仕事があるんだ」

「なんか小出し小出しですね。自分にできるかどうか、まず判断させてください」

「仕事は簡単だが、続けるのは難しい。勇気と精神力が問われるからね。問題は、きみが引き受けるかどうかだよ」

 加味氏がはぐらかすので、甘草氏がつけくわえる。

「一種の警護だよ」

「なるほど」

 腕っ節はさっぱりだけど、見慣れない人間の判断は、わりと自信がある。

 加味氏は続ける。

「青竜家は、きみをあっさり敷地内に招き入れてしまったくらい鷹揚な家柄だから、前々よりセキュリティ意識に疑問があったんだ。彼女の安全を保障するために、国が全面的に支援することになった。じきに警視庁の警備部が担当者を寄越すだろうけど、きみにも一枚からんでもらおうと思う」

「門番なり、警備室のモニター係なり、なんでも」

「それも適任だろうけど、もっとふさわしい仕事がある。きみには特別職『公儀お毒味役』に就任してもらいたい」

 え、コーギー……やっぱイヌになれって?

「いわゆる政府直属の食事検査官だ」

「ああ、ご公儀……って、そんな、時代劇じゃあるまいし」

「そう思うのも無理はない。だが、かつてこの職は、徳川幕府から明治政府に受け継がれ、戦前まで多くの要人を護りつづけた職務だ。そして、今でも純然たる国家公務員だ、報酬はでかい。きみのご両親の借金どころか、キミがなにか商売を立ち上げる資金すら稼げるだろう」

 お金? お金がもらえるの?

「だが」

 甘草氏が言い置く。

「毒を盛られていたら、きみが死ぬ」

「ちょっと、待ってください!」

 自分は立ち上がっていた。

「気分を害したのなら謝る。これは……」

「室長……青竜五味子さんが誰かに命を狙われてるんですかっ?」

 自分で顔色が変わってるのがわかる。顔の血管がぴりぴりして、部屋の空気が冷たく感じられた。

「ああ、その疑いが濃くなっている」

 甘草氏が眉根を寄せた。

「具体的な情報があるわけじゃないよ。もともと五味子君は、体が弱いって聞いてる。ほら身長も平均よりずっと下だし。健康面で甘草氏が心配するのは仕方ないんだ」

 だが、加味さんの説明に甘草氏は付け加える。

「系列の病院には毎月通わせていて、健康上の重大な問題はないという。だが、私には日に日に、娘が弱っている気がしてならないんだ」

 それは自分も感じた。彼女はいろいろな体調の不調を抱えている。その原因はおおかた性格や高校入学というストレスから来ているはずで、毒を盛られているとかは、発想が飛びすぎだ。

 第一に、誰に似たのやら、あの生真面目な性格がまずい。自分に厳格で、しかも我慢強すぎるんだ。自分はそれを、お爺さんの影響だと疑っている。

「食事の毒味だけじゃない。この家屋敷の周辺、学校周辺で、娘に害意のある毒草、有害ガス、昆虫類、そのほか諸々の害を発見し、報告する。そういう仕事だ」

「歴山くん、これは断っても構わないんだよ」

 甘草氏の言葉に、加味さんが慌てる。

「ちょっ、青竜さん!」

「正直、娘と同じ年齢のキミに、こんなリスクもわからない仕事を押しつけるのは心苦しい。はじめから無茶な話だ。断ったところで、誰もキミを責めたりはしない」

「ああもう、打ち合わせと違いますよ」

「もちろん、受けても受けなくても、きみはこの屋敷に住んでもらって構わない。卒業まで面倒を見るし、進学するにせよ就職するにせよ幾らでも相談にのるよ。ただ」

 甘草氏は絹のハンカチで目頭を押さえた。

「これからも娘の良き友人でいてほしい。こんな家に生まれたせいで、誰もがあの子を恐れ、対等の友人でいられなくなってしまう。娘が私に紹介したのは、きみが初めてなんだ」

 やはり、彼女は孤独だった。

「……やります。お毒味役」

 絞り出すように自分はこたえた。

「しかしきみの命も」

「自分がやりたいって思ってるんです!」

 なんだか凄く腹が立っていた。怒りで身体の震えが止まらない。

 誰かを殴りたくて仕方なかった。

 悲しくて泣きだしたいくらいだ。本人の気持ちと関係なく、いつの間にか国家の重要人物に仕立て上げられ、恨みをかったわけでもなく命を狙われている。

 そんな理不尽なことがあってたまるもんか。

「落ち着いて、歴山くん。顔が真っ赤だよ」

「これが憤らずにいられますか!」

 彼女はなんの見返りも期待せず、純粋にクラスメイトだからと、自分を助けてくれた。

 すごいじゃないか。

 眩しいじゃないか。

 自分は思わず中腰の姿勢をとって、右の手の平を二人に向けていた。この仁義の構えは、ウソ偽りのない赤心を示している。

「不肖、歴山潮、一宿一飯の恩義に報いるため、国家公務員特別職・公儀お毒味役、謹んでお引き受けいたします」

 作法としてはデタラメだが、自分の決意には、これっぽっちも偽りはなかった。

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