選ばれた二人
自分と室長の確執は、高校生になったばかりの四月早々に始まっていた。
数日で打ち解けた高校生たちは、空き時間さえあれば男子は男子、女子は女子どうし、まったりダベっている状況であった。
「れきっちー、世界戦のチケットどんな状況だー?」
寝起きの自分を揺すって話しかけてきたのは、ボクシング部のハンゲだ。なぜかコイツとは、しょっぱなからウマが合った。
「ぅあ、とれてるよ?」
「うわっマジで本気でウソいつわりなく!?」
「S席だけど……さすがに、なんとかリングサイドってのは無理だった」
ヨダレとかついてないかなぁとハンカチで顔をふく。
「ああ、SRSなんてハナから無理無理。Sで十分。ありがとサンクス大感謝! ででで、ナンボで幾らの御料金?」
「二枚で、こんだけ」
学校で金額を口にするのもアレなので、メモを見せる。
「さすが二代目、すまん恩に着る。しかし本当にこんなに安くていいのか。定価まんまじゃん」
もちろん多少の手数料はもらってる。世の中、誰かが欲しがってるブツが、どこかではダブついてるもんだ。自分はその
「ダフ屋じゃないから、ボッタクリなんてないよ。そのかわり」
「ゲーセンの景品なら任せとけ。ねーちゃんの彼氏が社販で買えるってさ」
よっしゃ交渉成立。隣クラスのあいつが狂喜するだろう。どうせ彼女にプレゼントって話だ。
「れきっち、おもろいものあるー?」
こんどは、別の生徒に声をかけられる。
二代目とか、れきっちとか、どれも当時の自分のあだ名だ。他にも、こよみとか、うっしーとか、名称は様々だ。
高校に入ると、人間関係が様変わりして、一気に世界が広がった。地元一番の進学校ともなれば、親もまた一流企業に勤めていたり、そこそこ知られた芸術家であったり、すごいとこの先生だったりする。
たまたま新しもの好きもクラスにいて、株主優待だとかでもらった私鉄の乗車券を分けてくれるから、自分は親父の仕事にひっついて小旅行に行くことが増えた。そして、行く先々で手に入れたものを、スポンサーに安価で売りつけるのである。
「これ、茨城で買ってきたヤツ。シャーペンのココが液晶になってて、メモが一万字まで記録できる」
旅先で見かけたオモシログッズを紹介して、勉強ばかりの高校生活に彩りを与えるのも、自分の大切な役目だ。
「うそ、テストんとき超便利じゃね?」
「やめとけ。何だったら、この人相見の本を売る」
「人相見がテストにどうなるんだよ」
「鏡を見れば、勉強するだけムダかどうか判断でき……うそうそ。教師の性格がわかって、次のテストの出題傾向もばっちりだ」
「マジか」
「おちつけ」
「じゃあさ、今日の英語テスト、何が出るか教えてくれよ」
「しゃあねえなあ」
突き出された教科書を奪うと、ひょいひょいと付箋を付けていく。
大まじめにそれをメモっていく数人の自分以上の劣等生。どいつも難しい入試をくぐり抜けてきたはずなのに、春先のテストはさんざんだった連中だ。
ちなみに、人相見なんてハッタリだ。昨年のテストをかき集めて過去問データベースを作ったり(だいたい同じ問題を出すからね)、教師たちから、あの手この手で情報を引き出しているだけだが、それは伝えないでおこう。
なにせ夢が壊れるからね。
「なんぞ、あの人だかりは」
リクエストの山を処理している雑踏のなか、妙に老けた物言いが聞こえてきた。
「あ、
全部聞こえてるぞ女子ども。
うちは貧乏なんだ、この儲けが今日の晩メシになるんだ。ちったあ許せ。
「歴山君のお父さんが
「香具師じゃと? 香り袋でも売るのか」
「お祭りなどで屋台を出す仕事です」
「なるほどテキ屋のことじゃな」
はいはい、その通りですよ。自分が二代目と呼ばれるのも、そのせいです。
にしても、オヤジが現役なのに二代目を襲名できるわけない。まったく見当違いのニックネームだ。
「さすが青竜様、下々の言葉にも通暁していらっしゃる」
とりまきの女子がきゃいきゃい群がっている。
たしかに室長たる
「文化祭のクラス展示で、男子どもが屋台での出店を推したのも、そういうことです」
「縁日……気乗りせんのう」
「ですよねー!」
女子どもが我が意とばかり盛り上がる。
そう、クラスを二分した「文化祭・出し物決定大戦争」の前哨戦は、すでにこのとき始まっていたのだ。
はい、回想ここまで。
かくして意識は現代に戻る。
「なにそれ、悪魔? どっかのバンド?」
さんざん蹴られて踏まれた後遺症でクラクラしていたのも構わず、後ろの席のハンゲが、肩越しに乗っかかってきて、お守りの刺繍をのぞく。
頭に牛の角を生やした裸のオッサンが、マズそうに草をかじっている図案だ。
「商売の神様だよ」
身を挺して護ったってのに、御利益といったら艱難辛苦ばかりで、いまだ顔のあちこちがヒリヒリする。いや、これってある意味、縁起がいいかもしれない。クラスどころか学年、いやさ、学校一番の注目生徒から、じかに足蹴にされたっていうのは、今生一度きりの貴重な体験ではなかろうか。
「これはテキ屋の守り神、神農さん。聞いたことくらいはあるだろ」
「知らん」
ハンゲは言下に否定した。
「でも、座って何だかをかじってる様子は、コーナーポストで、グローブのヒモを口で締め直してるボクサーみたいで、かっこいいぞ」
いかん。こいつには何を説明してもボクシング変換されてしまう。
そもそも、リングでヒモがゆるむってどういう状況だよ。公式の試合って、ひもにテーピング巻いたり、ベルクロのグローブつかったりするんじゃなかったっけ。よく知らんけど。
神農さんは中国の古代神話に登場する神様で、道端に店を並べて「市」をつくり、人間に「交易」というものを初めて教えたという。だから商売の神様としても祀られている。
自分も今日は市場で肉を買って帰るつもりだ。神様、仏様、神農さん、安くて良い肉が手に入りますように。
ひそひそ話してるところにチョークが飛んできて、びしいっとハンゲの後頭部を打ち抜いた。いや、突き抜けてはないか。
「そこ、傾聴せい!」
教卓わきの室長が、さらに数本のチョークを手にして自分らに狙いをつけていた。
黒板を見ると、「模擬店→食い物屋→お好み焼き」という流れと、「教室演劇→」というのが赤で強調されていた。
文化祭のクラス参加を決めるホームルームは、いつの間にか勢力を二分するオオゴトになっていたようだ。
「このまま多数決で決しても禍根を残すであろう。もっとよく意見を交換するのじゃ」
ようやく室長の目線がクラス全体に向いて、自分は金縛りから逃れた。
「殺されるかと思った」
冷や汗をシャツの袖口でぬぐう。
「うちの女番はマジであいつだな」
ハンゲが背中に話しかけてくる。女番ってことは、男の番長もいるのか、この学校。
「歌って踊って面白いトークしてさー」とは女子の意見だ。
「誰が素人の歌とか踊りとかコントで楽しめるんだ。オマエらよその高校の文化祭を見たことあんのか。ダダ滑りだぞ」
「バラエティ番組でなあ、芸人がダラダラ喋ってラクそうだけど、あれプロだからそう見えるだけやぞ」
「そうそう、あれはやってる側だけが勝手におもしろがってるの」
男子の反論には、一理も二理もある。
「そんなの、やってみなくちゃわからないでしょ」
昨日から男子は飲食店っぽいのを支持しており、演劇やらは女子の圧倒的な応援を受けている。どちらもまず好き嫌いが念頭にあるので、議論は平行線だ。
たかが文化祭の出し物だってのに、どうしてここまで熱くなれる。自分と違って部活やってるやつも多いはずだぞ? そっちの準備だって大変だろうに。
「そもそも、なんでお好み焼きなの!」
「儲かるからだ!」
ハンゲが立ち上がって声をあげた。こいつ粉モノのメリットを知ってやがる。
「焼きそばとか、たこ焼きとか、どのクラスもやりたがるわよ。儲かるわけないでしょ」
「そこんとこプロの意見を」
急に自分の背中をつついてくる。
「自分が? やだよ、めんどい」
変な抗争に巻き込まないでくれ。学校の外でもいろいろ面倒ごと抱えてんだから。
「喫茶・
「コーヒー牛乳も」
「……ちっ、しかたねえ」
「一リットルのパックだぞ」
「わーってるって!」
まったく割に合わないが、交渉は成った。
「発言を許可します。歴山くんどうぞ」
書記係の女の子が、ストップウォッチを押した。
「儲かるかどうかって聞かれたら、そりゃ儲かるよ」
おおっと男子がざわめく。
「食い物屋だったら、利益は大きい。スーパーの特売をねらえば原材料費はほとんどいらないし、電気代は学校持ち、人件費はただ同然。八割は儲けになるだろう」
「競合したらどうすんのよ」
「屋台なんて、どこも同じこと考えてるわ。お好み焼き屋ばっかになるわよ」
そうだそうだと黄色いヤジが飛ぶ。
「ネタかぶりは文化祭実行委員会が調整してくれるんじゃないかな」
実際のテキ屋だったら、屋台の配置はみんな親分の
あったらそれは見習い子分の屋台だ。親分と同じネタで店を出す。経験がないぶんお客さんがつきやすい場所に置かせてもらえるってわけ。あとは遠くからふらりとやってきた客分くらいか。
そういう恨みっこなしの差配ができるのが、鶏鳴さんの勘と経験と、なんといっても貫禄ってやつだろう。
あっちの真のプロな人たちは生活がかかっているけど、たかだか高校の文化祭なら、話し方ひとつでいくらでも他のクラスとの調整はきくはずだ。
「金もうけが目的とは、ずいぶん志が低いのじゃな」
青竜室長が、おもむろに口を開いた。
「おおっと、女番の反撃か?」
ハンゲが余計なことをいう。
「高校生の文化祭で儲けを気にして、どうするのじゃ。得られた金は、必要経費を材料代をさっぴいたあと、クラス運営費に充当じゃ。それも規程の金額を超えたぶんは、福祉団体に寄付するのが習わしじゃろうに」
「えー」
「そうなのかよー」
男子から声があがる。
「報告書なんて、どうにでもできるだろ。それにクラス費があれば、最後に宴会できるんだぜ」
ハンゲが男子に向かって小声で不正をそそのかす。もちろん女子にはまる聞こえだ。
これに反応して、女子の激烈な反撃が始まった。
「そもそも紙のお皿なんて、もったいない。ちっともエコじゃないわ」
「じゃあ洗って使おうぜ」と男子が無茶をいう。
「だめだよ、洗い場が確保できない。保健所の許可がおりないよ」
自分がそう発言すると、たちまち「てめー、どっちの味方だ」とヤジが飛ぶ。
女子がますます勢いにのって、反対意見を続ける。
「あんたたち、模擬店がどれだけ面倒かわかってんの? わたしお姉ちゃんが去年に喫茶店やってて知ってるけど、保健所の申請とか保菌検査とか、もー準備で大変で、ぜんぜん期末の勉強できなかったんだから」
「ホキン検査ってなんだ」
「検便だろ」
「文化祭のすぐ後に模試があるのよ。わかってんの?」
すかさず書記が、手元のメモを見ながら「保菌検査(検便)」「保健所の許可」「食品衛生の講習会」「前日の仕込は禁止」「ビニル手袋が蒸れる、手が荒れる」「消毒」「冷蔵庫の確保」「食器は使い捨て」などと、ネガティブな要素を書き連ねていく。
おいおい、準備が良すぎるだろう。男子が模擬店をやりたいって正式に提案したのは、昨日に出た話じゃないか。
――ああ、室長のシワザか。
女子どもの視線でわかった。
理由は定かでないが、室長は模擬店に反対なのだ。だから、これだけ反論を用意し、あらかじめ女子にも言い含めていたわけだ。
「公園で弁当を売ってるねーちゃんたちが、いちいち保健所の許可をもらってると思うのか?」
手抜きにかけては知恵がまわるハンゲが、また無茶な発言をする。
いかにラクをして、おいしいとこだけ頂戴できるかばかり考えているらしく、ボクシング部の練習も、大変に要領がよろしいと伝え聞く。ロードワークやらないボクサーって聞いたことないぞ。
自分としては、そんなことに知恵を絞るほうが、よけい大変に思えるんだけどな。お前みたいのがいるから、人間は基礎代謝の二割を脳みそに費やすハメになったんだ。
「じゃあ面倒な食い物系はやめてもいいけど、お祭りっぽいのは、やりたいぜ。ラクして儲かるやつ」
ハンゲが譲歩を見せた。こいつ交渉術の心得もあるのか。
「こいつの親は、縁日で屋台やってるから、オモチャとか駄菓子とか、やっすいネタを仕入れるのはお手のもんだ。なっ?」
と、自分に振ってくる。クラスの男子どもも、「ありだな」と隣同士でザワつきはじめた。
「まんま金魚すくいとかどうよ」
ハンゲのまたもやの適当意見に、ぴくりと室長の細い眉が動いた。
「だめじゃ」
あれだけ騒がしかった教室が、室長のその一言で鎮まりかえった。
「そうよ、生臭……可哀想じゃない!」
気を取り直した女子が、その言にのっかる。
あー、室長は金魚好きだもんなー。ここで金魚だすのはまずいだろー。
キンコンカーン。
幸か不幸か、そこで古式ゆかしきチャイムの音色が鳴り響いた。
書記の子が、両手の時計をおいて、会議の終了を宣言する。
「時間もなくなりましたし、どうでしょう。男子の意見を歴山くんが、女子の意見を青竜さんがとりまとめて、お互いにすりあわせするのは」
「え、そこはハンゲに任せるとこじゃ……」
自分の反論を遮るように、
「異存ない」
そう室長が言い切ったせいで、あっさりとクラス会議は終わってしまった。
「部活ないからヒマだと思われたんじゃね。ま、よろしく頼むわ」
ハンゲが片手で拝む。
「心外すぎる」
まあ、会議が長引かなくて良かった。この時間なら、市場まで行かずとも、スーパーの特売にちょうど間に合う。
そそくさと教室を出ようとしたら、何者かにエリ首をつかまれ、ビターンと自分は尻もちをつく。
「わっ、なに」
見上げると、エリをつかんだまま自分を見下ろす室長の顔が見えた。
「打ち合わせを、せぬのか?」
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