一、紛糾のクラス会議

白い報奨

 クラス担任が殺された。

 なにそれ、意味がわからない。

 たしかにクラス担任の乙字先生は、あまり生徒に好かれてはいなかった。むしろ嫌われ者だった。口を開けばイヤミが先に出て、やることなすこと、デリカシーのかけらもない中年男。

 四月に自分が経済的な理由で貸与式の奨学金(ただの出世払いの借金ともいう)をダメ元で申し込んだときも、

「おう歴山、奨学金の件だけど、ダメだったわ」「中学の評定平均がこれこれ必要だったんだけど、おまえ少し足りなくてな」「先生、頑張って頼んでみたんだけど、やっぱダメでな」

 などとクドクドクドクド、しかも、教室で! みんなの前で! 説明しはじめたもんだから、めっちゃ恥ずかしくて死にたくなったことは忘れようもない。いや、死にたくなったというより、明確な殺意を覚えたね。

 「ダメ元でわかってますから」「もうわかりましたから」と言い続けてるのに、延々と自分の成績が足らないことを語り続けるって、どんな公開処刑プラス獄門首なんだ。しゃべるたびにツバとぶしさ。

 誰に対しても分け隔てなくそんな感じの先生だったから、とにかく皆から嫌われてたんだけど、まさか本当に殺されるとは。因果応報、神の挽き臼は何とやらだ。

「で、悪い話ってのはなんだ」

 これら過去の回想に一秒で蹴りをつけ、自分はハンゲに問うたとき、

「殺されておらんし、死んでもおらん!」

 気合いの入った声が別方向から届いた。

 見やれば、教室の入口から、ちっこい女のコが両手を腰にあてて、ひとりプンスコいきどおっている。

「室長より俺のが情報は早かったようだな」

 ハンゲが勝ち誇る。

「正確さも大切だよ」

 室長というのは、ようするにクラス委員長のことだが、この学校では自分のクラスだけが、そう呼んでいる。

「乙字教師は、生徒指導室の窓から落ちただけじゃ。ただの事故じゃし、命に別状はない」

 クラスのみんなに言い聞かせる彼女の口調は、古風というか高校一年生に似合わぬ。ゆえに、あだ名のごとく、すぐさま定着してしまった。


 名は青竜せいりゅう五味子いつみこ。そう、この地元では知らぬ者なき名家・青竜家の長女で、バリバリお嬢様だ。

 腰まで伸びた長くて艶やかな黒髪が、いっそう古式ゆかしい和風美人の雰囲気を醸し出している。

 なんでそんなお嬢様が、田舎の公立高校にいるのかって? こういう田舎だからこそ、公立のほうが知名度も偏差値も高かったりするんだ。地元の名家は、地元の名門に進むのが当然って風潮が根強いのも理由として付け加えておこう。


「じゃあ六限目のホームルームは中止だな」

 ハンゲが指を鳴らす。

「それは助かる」

 僕も同意する。夕方からスーパーの特売があるのだ。

「たわけ。月金のロングホームルームは授業の一環じゃ。早退できるわけがなかろう」

 ギロリとした目で射すくめられる。

「学校をなんじゃと思うておるんじゃ」

 これも同意だ。

 青竜さんがここにいるより、むしろ自分みたいな平民劣等生がこの学校に通えてるほうが不自然なわけ。

 事実、入学そうそう彼女はなにかと自分に突っかかってくる。背丈が中学生の低学年くらいしかなさそうなのに、その気迫に圧倒されることもしばしばだ。室長としての責任感がそうさせるのか? いや、実はもっと私的な理由がある。


「隣のクラスのタケハに進路指導してる最中、いきなり突き落とされたって話だぜ」

 それがさも快挙のように語るハンゲ。

「そういえば乙字先生、一年生の進路指導主任だったね」

 この特進クラスの担任なんだから、一応はエキスパートなのだろう。

「タケハくんってのは、竹の葉っぱと書いて、竹葉? ハンゲと同じ部活の」

「そうそいつ。さすが、れきっち、すでに目を付けてたか」

 同学年の生徒の顔と名前はだいたい把握している。大事なお客さんだからね。

「あいつは、やるときはやる奴だと信じていたぜ」

 そんな不謹慎なやりとりを、室長はシャーペンをカチコチしながら、まだ何か言いたげに睨みつけている。


 いま彼女が手にしているシャーペンのノック部分は金魚の和金わきんという品種をかたどっている。最も知られ、もっとも標準的な金魚、それが和金だ。すべての金魚の品種はこの和金から派生しているので、金魚の宗家、金魚の家元とも言えるだろう。

 そして、これこそが自分が室長に嫌われている最大の理由だ。

 彼女のカバンのキーホルダーには真っ黒なデメキンがぶらさがり、ルーズリーフと下敷きはパンダ金魚のイラスト。スマホの壁紙はランチュウらしく、うわさによれば制服の裏にも金魚の刺繍があるとかないとか。つまり金魚激ラブっ子である。

 自分の親父が金魚すくいをもっぱらとするテキ屋だというのは、クラスでも何人かが知っている。この町のテキ屋は、顔役の親分が人徳者ということもあって、わりと好意的に受け入れられているのだが、室長だけは違った。愛する金魚を商売の道具とし、虐待を生業とする自分の家は、まさに不倶戴天のカタキに等しいのだ。


「おぬし、歴山よ」

 ほらきた。

 思わず胸元のお守りをシャツごしに握るほどの気迫だが、ずかずか歩いてきた彼女は、しかし距離をあけて立ち止まる。彼女は背が高くない。真正面から自分らを見据えるため、いつもこれくらいの距離をとるのだ。

「なにが可笑しい」

 しまった、顔に出ていたか。

 ちっちゃいくせに、ますます眼力に磨きがかかっている。思わずイスごと後ずさる。すると、メデューサの邪眼を身代わりに受けたかのように、ぶちっとヒモの切れる音がして、お守りが胸元からすべり落ちた。

 すとーん。

 ぱさり。

 神農さんが床にいらっしゃった。あわてて拾い上げようと手を伸ばしたタイミングと、彼女が詰め寄ったのが重なった。

 ごりっ。

 踏まれた。

 ばさっ。

 なにかアタマにかぶさって、暗くなった。

「な、なにをする!?」

 それはこっちのセリフだ。地味に手が痛い。

 脚をあげてくれと顔を上げたところに、神々しくも白く輝くおぱんつが見えていた。いや、実際は暗くて色までわからなかったんだけど、おそらくたぶん無地の純白であった。

「フランス有名ブランドの高級ショーツ。ときどき、ニセモノがバタかれてる」

「な……ふぁ」

 室長の声が上のほうから聞こえてくる。どうやら自分は、彼女のスカートにアタマを突っ込んでしまったらしい。

「し、しし痴れ者がッ! そこをどけい!」

「室長が手を踏んでて動け」

 言い終わる前に、ヒザが飛んできた。

 片手をロックされたままで避けようもない。思い切りアゴに食らって、首がビキィと音を立てた。

「ちょ……タン」

 右手を押さえつけられたまま、床に突っ伏した自分は、彼女を見上げる格好で話しかけるも、

「見るなと言うに!」

 今度は顔面を踏まれた。

「ちょ、やめ」

「見るなと! 言うて! おろうが!」

 上履きの底でぐりぐり横顔をこすられるたび、視線は上を向いたり横を向いたり。天上の至福がちらちら視界に入ってしまい、さらにまた室長の攻撃が激しさを増す。


 そしてチャイムが鳴るまで、激しい足踏みマッサージは続くのであった。

 あ……意識が遠のく。

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