公儀お毒味役だけど警護対象の手弁当で絶体絶命です

モン・サン=ミシェル三太夫

【巻1】一宿一飯の恩義で特別職に就任するのこと

序 神社と金魚と金髪少女

 自分が「テキ屋も悪くない」なんて思ったのは、小学生最後の冬休みだった。


 近所の神社の縁日は、俗に高市 たかまちというだけあって、境内に続く坂道に向かってググっと上のほうまで、昼間っから赤や黄色の提灯あかりをつけて、所狭しと屋台が並んでたんだ。

 空気はしゃっきりと冷たく、空は雲一つない星空で、人々の笑い声にまじって、祭り囃子の音色が鳴り響いている。

  トンテン テテテン

  ピーヒャララ ヒャラリーピー

  トンテ テテテン

 笛や太鼓は、子ども達の演奏を録音したエンドレス再生だけど、ざわめきと人いきれは本物 モノホンだ。

「俺が子どもんときの縁日ってのは、近くの神社仏閣で回り持ちのカレンダー作ってさ。週末はそれこそ年がら年中、必ずどっかで祭りをやってたんだけどなあ」

 町内会のタコヤキ器を持ち出して素人商売をやってるオッサンが、さっきから気さくに話しかけてくる。自分の親父と違って、まったくの素人ネスだけど、わりとカリカリなタコヤキを丸めているのは感心だ。

「戦後に神様の有り難みを学校で教えなくなってからは、とんと寂れたけどなあ」

「はぁ」

 自分は親の手伝いで、金魚すくいの店番をやらされてた。正月も明けたばかりの真冬の盛り。これから、さらに冷え込んで雪も降ろうってシーズンに、金魚なんて流行らないわけで。

 ヒマをもてあました親父は、場を仕切ってる親分さんに呼ばれて、ちょっとしたモメゴトの仲裁に店をあけてたんだ。

「だからこそ、この少彦名 すくなひこな神社の縁日は、数少ないハレの場ってことだよ。ああハレってのはね……」

 正月は、なけなし一年分の信心を使いきろうって熱心な参拝客でにぎわったけど、いまさらの縁日にやってくるってのは、三が日にずっとコタツにもぐってテレビばっか観てた大人とか、新聞の折り込みチラシを眺めながら、お年玉の投資先を探してた子どもたちだ。とにかく物欲と食欲がハンパない。無駄な屋台には一銭も使うものかと、ギラギラした目で足早に通り過ぎていく。

「縁日ってからには、つまり『縁がある日』。神仏の有り難い由来があるわけでね。むかしこの土地にやってきた偉い坊さんが、病気が流行ってるのを哀れんで……」

「はぁ、詳しいんですね」

 自分は人に話しかけるのは苦手だから、親父みたいに客引きの口上なんてやらない。だから余計に客はつかず、馴染みのテキ屋からもらった暗記本みたいな怪しげな本を読みふけりつつ、隣のおっさんの独り言に付き合わされる身に甘んじていた。

「あなた、なにしてるのですの!」

 そんとき現れたのが、PTAっぽいオバサンの二人連れだった。

 一人は人工林の杉の木みたいにガリガリひょろひょろ。鼻が低すぎるのか、細長いメガネが下がってきては手で戻してる。メガネが落ちないよう上向きかげんなものだから、まるで人を見下してるような目線になってた。

 肩掛けカバンに、首から巡視員がどうのと書いた名札をぶら下げて、せいいっぱいオシャレしました的なスカートをはいている。

 もう一人は、逆にすごい筋肉質のもりもりマッチョで、女子プロレスラーかと思ったよ。

「あなた、歳はいくつ」

「えーと、十八歳」

 老け顔なのでごまかせると思ったけど、さすがにサバを読み過ぎた。

「どうみても中学生くらいでしょ。こんな夜中に子どもに仕事をさせるとは不届き千万ですわですわ」

「あなた営業停止だから、お店をたたみなさい」

 ここで大人顔負けのタンカでも切ってべしゃくりまくれば歳のいくらかは誤魔化せたんだろうけど、さすがに練習不足だった。「門前の小僧は、今日も習わぬ」ってやつだ。

 自分は焦ったね。仕事ができなきゃ、食べるものがなくなる。身分不相応な庭付き一戸建ての借家の家賃も払えない。路頭に迷うから勘弁してくれっても、おばさんは「規則」の一点張りだ。

「あなたの親はどこ? これって虐待じゃないのかしらかしら?」

「早く帰りなさい。帰る家がないんだったら、施設に来なさいな」

 言い訳を考えても、あまりにベラベラまくしたてるもんだから、反論が追いつかない。それをいいことに、さらにまくしたてる二人に、自分は追い込まれた。

「なんだなんだ」

 通行人は、ちっとは覗いてくけど、ケンカじゃないから、誰もとめやしない。右と左の屋台は地元の人だから、PTAのうるさいオバサンから守ってくれる縁も義理もない。

「これは子どもと生き物への虐待ですわ虐待ですわ」

「いたいけな魚を追いかけ回して売り物にするなんて、インドの虎狩りみたいね」

 そんな空気を読まずに「オネガイシマス」と自分に千円札を渡してきた人がいた。

 見れば外国人のお姉さんだ。観光旅行かな、大きな日本製のカメラを肩から提げていた。肌は健康的な褐色で、髪はみごとな金髪。毛皮のコートなんて着てる。

 小さな女のコを連れていたけど、こちらも金色がかった髪を長く伸ばして、肌が雪のように白くて、まるでお人形さんみたいだった。

 お姉さんがカタコトの日本語で語るところによれば、日本の祭りといえば金魚すくいだってんで探し回って、ようやく見つけたのがココってことらしい。

「ごめんね、オバさんたちが仕事しちゃいけないっていうんだ」

「お、ね、え、さ、ん、でしょ?」

 肉マッチョの片手アイアンクローをくらって、自分の頭蓋骨が、ありえない音をたてている。

「ずびばぜん……」

 楽しみにしてた金魚すくいができないってんで、女の子の顔がみるみる崩れた。

「うええええん」

 涙がぽろぽろこぼれ落ちる。

 お姉さんがハンカチで顔をふいてやるんだけど、この世の終わりとばかりに声をあげて泣き止まない。

――こんな小さな女のコを泣かしやがって!

 自分の胸にドスンと衝動がきた。そっからの血が、一気に頭に集まった。

 なんとかしてやりたい。でもどうする。どうすればいい。

 そのとき親父がいつも言ってる言葉が脳裏に浮かんだ。

『迷ったときは、お客さんの気持ちになれ』

 そうだ、この子がいちばん望んでいることをしてやればいい。

「よっしゃ特別だ! どうせ今日はもう仕事にならねぇ。お金はいらないから、子どもは好きなだけ取ってくれ」

 まるで油を差した機械のように、自分の口から言葉がほとばしっていた。

「うちの金魚は愛知弥富のカワイ子ぞろい。ワキンにコアカ、シュブンキン。日焼けしてるは黒デメキン。採れない子には、お兄ちゃんが一匹プレゼントだ」

 きょとんとする少女に、お姉さんが耳元でささやく。たちまち涙がとまって、笑顔になる。

「ほれほれ、お兄ちゃんが手本を見せてやるからな」

 おそるおそる寄ってきた少女の隣に座り、小さな手をとってコツを教える。

「これがコツ」

「コツ!」

 少しは日本語がわかるようだった。

「それを素早く、しゅっとね」

「シュっ」

 金魚がとれるまで、モナカの皮は、何度でも交換してやる。

「商売じゃないってんなら、仕方ありませんわね。今日は大目に見ますわ見ますわ」

 さすがに外国の子どもまで泣かすのは気が引けたのか、PTAのおばさんたちは文句をやめ、けんに徹しはじめた。

 一人が遊びはじめれば、ぼくもわたしもと客は増えていく。

 楽しんでもらわなきゃ百年のリピーターはつかない。どのガキんちょにだって懇切丁寧にすくい方をレクチャーだ。

 金髪の女の子は誰よりも不器用だったけど、他の子どもたちが加わるにつれ、ますます一所懸命になって、次第にうまくなってった。

 一人で一時間はねばったおかげで、彼女が採った金魚もフタケタになったところで、さすがにお姉さんがとめた。

「満足シタ?」

「うん!」

 素直でいい返事だ。

 まわりの大人たちも、PTAのおばさんを含めて「よ、名人」「がんばったな」と手をたたき、女の子は、はにかんだもんだ。

「コンナニたくさん。店長サン、このうち二匹だけ持って帰りマス」

 遠慮がちにお姉さんがいう。

「じゃ、また今度きてくれたときサービスしますんで」

 店長という言葉の響きをくすぐったく感じながら、いちばん良さそうな二匹をプラスチックの容器に入れてやる。

「こんど泣きそうなことがあったら、この金魚に相談してごらん。きっとモリモリいやなことを食べてくれるから」

「ほんと?」

「この神農さんに誓って」

 神農さんというのは、頭に牛の角が生えた商売の神様だ。

 自分が胸からぶらさげてるお守りを見せると、刺繍で描かれた異形の姿に圧倒されたのか、こくこくと女の子は何度もうなずいた。

 返された金魚を休憩用の小さな水槽に戻すと、女の子が「またね」と手をふり、名残惜しそうに帰っていったのが可笑しかった。


 親父が戻ってきたのはそのスグ後で、事情を詫びると、むしろ「よくやった」とめずらしく褒めてくれた。

 親父は神農会からPTAに話をつけて、「親が席を外れたときは営業しない」ことを条件に、翌日の夜も商売を続けられた。

 前日さんざん採ってった子ども達がまた遊びにきて、今度はしっかりお金を置いてってくれる。

「あれー、昨日あんなにとれたのに」

「昨日はなぁ、みんなで追い回したから疲れてたんだろぅ。一晩きっちり休んだから、また元気になってんだぞぉ」

 親父がそんなこと言いながら、ちょっと手練れてそうな子どもには、しっかりベテラン向けの壊れやすいモナカを渡していたんだ。まあハンデというやつだね。

 金髪の女の子は、もう来なかった。他の観光地に足を運んだのか、それとも故国へ帰ったのかも。

 ちょっと寂しかったけど、願わくば昨晩の記憶が、彼女の心の支えになってくれればありがたい。


 それは真冬の縁日の、ささやかな思い出。

 だけど自分にとっては、唯一といえるほどの武勇伝になって、ずうっと胸の内に残り続けたんだ。


 以来、テキ屋こそ、自分の天職だと思いはじめていた。

 それまで親の手伝いと割り切ってたのが、輝いてみえはじめた。

「親父、テキ屋は夢を売ってるんだね」

「おうよ。でもな、これからの時代はあんま喰ってけねぇ商売だから、お前は勉強して、まっとうな職についてくんな」

 親父がどんな手をつかったのか、自分は地元の進学校に推薦で入れた。

「でもやっぱ、オヤジの仕事を継ぎたいよ」

「テキ屋になったらよお、俺とお前は他人になるんだぜ?」

 テキ屋は、親子の血縁より、親分子分の絆を優先する。親方の一家を実子は継いではいけないというルールがある。

「親子の縁をいったん切って、別んとこの親分さんのもとで暮らして、きっつい修業するしかない。その覚悟があるんなら、オレは止めねぇがな」

 それでも自分は構わないと思った。自分の大切なものを守るためなら、少しの分かれくらいツラくないと信じていた。


 なんで、そんな夢なんか見たんだろうなぁ、本当に。


「れきっち、れきっちー」

 肩を揺さぶられて自分は、現実世界に引き戻された。

「ああ、ハンゲ半夏、おはよう」

 学年番長格の男に、自分は両肩を揺すぶられていた。細身のくせに、やたら力があるのは、ボクシングをやってるせいだろう。。

「寝てる場合じゃねえ。いい話と、悪い話があるんだ」

 自分は起きたことを後悔した。こいつはいつもロクでもない話ばかり持ってくるんだ。

「じゃあ、いい話から」

「喜べ、担任の先公が……殺された」

 ハンゲが両肩を押さえてなければ、天井まで飛び上がるところだった。

「それ、全然いい話じゃねーだろ!」

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