第25話 映画
松島旅行から帰ってから、私とカオルの関係に、微妙な変化があった。
あれほど親しくしていたカオルが、私に距離を置き始めたのだ。勉強会のときですら、以前ほど話しかけてこなくなった。よそよそしくなった彼の態度について、私は何の推測も持ち得なかった。
夏休みが終わると、それは目立ってきた。
初めての席替えで、カオルと私は隣同士になった。
授業中にわからないところなど、勉強を教えてもらえると喜んだ私に対して、彼はこう
なぜ、そんな冷たいことを言うかと問いただすと、彼は黙った。以前ならば、得意の論法で、私をぐうの音が出ないところまで説得していただろうに。
不思議だ。
彼の心境に、どんな変化があったのかは分からなかった。でも、原因が、旅行にあるのは間違いなかった。
将来を話したとき、自分のプライバシーにずけずけと入り込む私に嫌気がさしたのか。もしかすると、好きな人がばれるのを恐れているのだろうか。
やはり、私が詮索しすぎたのが良くなかったのだろうと反省した。
昼食の時間、私よりもカオルのことをよく知っている黒井に、カオルの変化を相談してみた。
私は、自分の弁当とイスを持って、彼女の席に押しかけた。弁当を彼女の席で食べるのは久しぶりだった。
「なあ、カオルのやつ、最近、変じゃないか?」
「そうなの?別に変わったところはないけれど・・・」と黒井には、思い当たる節がない様子だった。
「俺に冷たくなってないか?気のせいか」
「いや、それは前からだと思う」
「なんかこう、俺を避けているというか、会話を早めに打ち切りたがっているというか」
「いつも、口げんかしてるから、それに飽きただけとか?」
「うん、そんなんじゃないな。松島へ行ってから、明らかに俺と距離をおきたがっているように見えるんだ」
「旅行中に何か、あった?」
カオルの家族や水鳥レイのことを秘密にしておきたかったので、旅の途中、カオルと将来について話し合ったことだけ、かいつまんで私が話すと、なにかを黒井は悟ったらしい。「そうね。それは、俗に言う
私は黒井の言葉に耳を疑った。
ある程度、恋人として付き合い始めたカップルが、相手の欠点ばかりが見えてきて、恋愛に
だが、それはあくまで恋人同士に使われる言葉だ。私とカオルは、親しい友達である。友であっても、恋人ではない。
「は?お前、なに言ってんの」と私は抗議した。「
「そうか」
「まあ、カオルが俺を避けているのは事実だから、仲直りのきっかけがほしいという点では、同じである」
「仲直りか。あ、そうだ。だったら、いいものがある」と黒井は、自分の机の横にかけてあった学生バッグを持ち上げた。そして、バッグから、二枚の細長くてひらひらとした薄い紙を取り出した。「これ、あなたにあげる」
二枚の細長い紙を、よく見ると、「特別試写会 プレミアム観覧 招待券」という文字が金で打ってある。薄い紙だが、高級そうな光沢を見せていた。
「これ、兄貴からもらったんだけど、今度の日曜でも、カオルを誘ってみたら?」
「映画だったら、俺はお前と一緒に行きたいな」
「私と仲直りしてどうするの?」と黒井はあきれるような声を出した。「映画でも見れば、また、仲が元通りになると思う。映画の感想でも言い合えば、会話がつながるかもね」
「ふうん、そんなものかな」
映画のタイトルは、科学に関する内容のものだった。黒井は興味なさそうだったが、カオルはこういうのが好きだろう。ダメでもともとだった。
教室で、弁当を食べている人間は、私たち二人を含めて数人だった。残りは、学校の食堂で、食事をしていた。
食堂の近くにある購買部の店で、パンを買って、食堂のテーブルで食べるのが彼の日課だった。早く食べ終わると、教室に戻ってきて、クラスメイトたちと話を始める。最初は、二、三人の女子と会話をすることが多かったが、夏休みを過ぎてからは、その数が八人にまで増えていた。
このグループに割って入る気は起きなかったので、昼休みが過ぎて、授業と授業のわずかな隙間を見つけ、その間に誘うことにした。
授業が終わり、カオルが教科書を片付けていた。ためらいがちに、私はこう声をかけてみた。「なあ、今度の日曜、カオル、暇か?」
「僕はバスケの練習があるんだ」
「そうか、なら、無理だな」
「なんだ、気になるじゃないか。ちゃんと話してくれ」
「ええとだな、ここに映画のチケットが二枚あるんだ。黒井からもらったんだが、黒井は行きたくないといっている」
「回りくどいよ。斉藤クン、奥歯に物が
「つまり、日曜日に、俺と映画に行かないかということなんだ」
「なるほど。それはいい考えだ。君と一緒にねえ」とカオルはあごをさすった。「いいよ。練習は午前だけだから、午後以降だったら何とかなると思う」
「じゃあ、午後二時に、駅前で」
「わかった」
カオルは、どんな映画なのか内容も聞かずに、映画を見る約束をしてしまった。
少なくとも、私と友達づきあいをしていきたいという意思表示をしていると考えていいだろう。と同時に、私の話にさして、関心を持たなかった可能性を秘めているわけだ。そう分析した私は、すぐさま脳内で、シミュレーションを行った。
映画を見る。
そして、映画館を出て、ああ、これは面白かったねとカオルに感想を言ってみたとしよう。
まあね。
この一言で、カオルは済ませるはずだ。
本当に面白かったね。特に、あのシーン。
まあね。
こんな具合に会話を繰り広げらたら、それは地獄絵図だ。張子の虎と映画を見に行ったほうがまだいい。ネットで映画の感想コメントを見たほうがまだ楽しい。
返事を、まあねで済ますのなら、いいほうだ。一方的に、私がしゃべり倒す展開になったら、もう、耐えられるはずがない。
本当に、もう一回、映画を見てみたいな。あのシーンの迫力たるや、音響とCGの勝利だね。いやあ、黒井のおかげだね。彼女がいなければ、こんなに面白い映画を見逃していたんだね。カオル、お前、さっきから一言もしゃべらないんだね。どうしたんだい?
・・・。
しゃべらないね。
・・・。
畜生。これでは、私がおバカに見える。松島旅行の電車のときみたいに、ずっとだんまりを続けられてしまっては、さすがに、私の
現に、これが妄想に過ぎないと分かっていても、腹が立ってきた。
妄想の相手に、怒りを感じるのは、ずいぶんと変な感じだった。独り相撲だ。おおよそ、幻覚と戦うようなものだ。
これが果たして正しいかどうかは、今度の日曜日に分かる。
それから、カオルと話をする機会はついに得られなかった。休憩中も、隣のカオルは、ひたすら、勉強をしているか、そうでなければ、別の席にいる女の子と、楽しく話を弾ませているかのどちらかだった。
映画の内容について、私は、ネットで知りえたことを、カオルに伝えたかったが、向こうから話しかけることもしなかったし、こちらから話しかけることも、あえてしなかった。だから、カオルはどんな映画かを知らないままでいた。
とうとう、日曜日がくると、私はおしゃれをして、駅へ出かけた。
カオルは先に待っていた。「チケットは?」
「ここにあるよ」と私は持っていたチケットを一枚、彼に渡した。
そのまま、お礼を言わずに、映画館がある方向へ歩き始めた。ありがとうとか、君の服、似合ってるねとか、そういうお世辞を言う心境ではないらしい。
我慢できなかった私は、「なあ、カオル。お前、最近さあ、嫌なことがあったのか?」と尋ねてみた。
「別に」
「いつものお前らしくないぜ。しっかりしろよ」
「しっかりしているさ。君以上に」とカオルが謎めいたセリフを告げた。
「どういう意味だ?」
「どうもこうもない。僕は僕だ。おおかた、アンが、映画で仲直りができると君に吹き込んで、変な入れ知恵をしたのだと思うが、僕は何にも変化しない」
「なんだ、お前、すべて、見通しだったのか」
「まあね」
映画館の中に入ると、観客が大勢いた。一般席に座ろうとすると、腕に「コンシェルジェ」というワッペンを付けた白い制服を来た人間に止められた。「お客様はあちらでございます。私どもが案内いたしましょう」
映画館の関係者らしき男は、丁寧な言葉としぐさで、私たちをエレベーターに乗せて、二階にあるバルコニー席まで連れて行ってくれた。「お客様は、プレミアム席ですので、この席でごらんいただけます。ドリンクはサービスとなっておりますので、席に備えてあります、そこのインターホンで、係りの者をお呼びください。避難路はこちらです。楽しい一日となりますように」
白い制服の男が去って、映画が始まるのをバルコニー席で待つことにした。
席を立たずに、ドリンクを注文できるのは楽でよかった。まるで、王侯貴族になった気分だった。
しかし、カオルにとっては、不満な様子だった。「やれやれ、一般席で、迫力のあるスクリーンを間近で見たかったよ」
映画館のスクリーンは、大きな白い布幕を垂らして映写機で写す。圧巻の音と映像が目の前に迫るというのが通常、映画館の宣伝文句である。考えてみると、このバルコニー席が、それとは相反する存在だということには気が付いていた。
「おそらくは、最近は、映画人口も減っているらしいから、いろんなサービスで客を取り込もうという腹だろう」と私は推理してみたが、自信はなかった。
「サービスの多様化が、多様な客のニーズを満たせるとは思えないけどね」
「ちょっと待て。映画館にまで来て、そんな議論をしたくない」
「僕も同感だ。斉藤クン」
「お、映画が始まったようだぞ」
周囲が暗くなって、映画が始まった。
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