第23話 松島

松島海岸駅を降りると、そこはもう、海だった。

目当ての松島は、目と鼻の先にあった。だが、その間には、海が長く横たわっていた。渡るには、船がいる。今回は、船に乗らないつもりで来たので、遠くから眺めるだけだ。

駅を降りたカオルは、さっそく、持ってきたデジタルカメラでぱしゃと、島全体を撮影していた。

「昼飯はどうするんだ?」と私が聞くと、どこか近くの食堂で取ればいいという答えが返ってきた。

すでに、お腹が減ってきていた私は、すぐにでも食事がとりたかった。

地元の人がいたので、尋ねると、それなら、南にいけばあるだろう、大きな店があるからと教えられた。

私たちが南の方へ歩き出すと、途中で、大きなファミリーレストランがあったので、そこで、昼ごはんを食べることにした。

店内で、注文を済ませた後、カオルが聞いてきた。「僕は質問したいことが山ほどあるんだ」

それならば、ここに来る列車で話せばよかろう。

あれだけ、時間があったのだから。

私はそのような抗議をした

「斉藤クン、落ち着いたところの方がいいと思ってね」

「それで、何が知りたいんだ?」

「君は、水鳥レイのことを知っているね。アンから、屋上のことは聞いたよ」

私は、思いがけないことに戸惑って、口をぱくぱくさせた。

カオルが説明した。

黒井アンから聞いた話では、私と水鳥の会話から、二人に並々ならぬ関係があったことは間違いない。明らかに、私の態度がおかしかった。顔を真っ赤にさせながら、水鳥に文句を言っている姿が、日頃ひごろのものとは違っていたと、黒井は言うのだ。

黒井の推測は当たっていた。

彼女とかつて、交際していたのだから。ほんの二週間足らずだけども。

しかし、それはどうしても、黒井には知ってほしくなかった。今、私が好きなのは黒井一人だけだ。水鳥先輩ではない。過去のことは過去なのだ。それをほうむり去りたかった。

そのことを、目の前のカオルに言うべきかどうか迷った。考えあぐねた末、ついに、取り返しの付かないことを決心した。

「俺は、確かに、彼女と、仲の良い先輩と後輩の間柄あいだがらだった。でもね、それ以上は発展していないんだ」と私は嘘を押し通した。「黒井にも言ってやってくれ。俺たちは何でもないんだ。彼女が誤解しているだけなんだよ」

「それは当然だ。アンの奴、とんでもない誤解をしている。あんな美人がお前と付き合うはずがない。それこそ、非科学的だ」

胸がちくりと痛んだ。

注文していた生ハムのサラダが、並べられると、カオルはそれを上品にフォークで口に運んだ。「君らは知らないかもしれない。水鳥先輩は良くない噂が付きまとっているんだ。僕は、それを知っているからこそ、君を心配しているんだよ」

カオルはによれば、バスケ部の二年の先輩たちの間では、水鳥レイがときどき噂にのぼっていたらしい。いずれも、だれかに告白した後、一日足らずで振ったのだとか、ひどい言葉でののしったのだとか、失恋した男性が自殺したとか、ゴシップにしては悪意のあるほうだったようだ。

「これらの噂は嘘だと思う。あとで、誰かが面白おかしく脚色きゃくしょくしたんだろうね。だが、バスケ部の先輩一人と、マネージャーが実際に痛い目にあったんだ。あの人は誰かからも愛される才覚がある。それを悪用しているんだ。僕はそれを非難しないけど、そもそも、そんな資格もないけど、僕の知り合いが巻き込まれたら、救い出すために、どんな方法でも取るよ」

「やめろ。ひどいじゃないか。どうして、そんなに彼女を責めるんだ?お前に、水島先輩の何が分かるんだ?」

「いいや、責めていない。僕と、彼女は同じなんだ。あの人は、かわいそうな人なんだ。僕と同じでね」

「お前がかわいそう?これだけ、才能にあふれているお前が、か」

「そうだよ。君も知ってるだろう?僕がどれだけの女の子の告白を受けたか。そして、断ってきたか。それでも、僕は女の子と話がしたくてたまらないから、自分から彼女たちに近寄っていくんだ。そういう意味で、かわいそうな人間なんだ。だから、これだけは言わせてくれ。水鳥先輩には、近づかないでくれないか」

私は絶句した。

どう言っていいものやら、分からなくなった。

ただ、承知しょうちした、もう二度と近づかないと彼と約束した。

カツ丼がきたので、私を親の敵をとらんばかりに、それを食べつくした。少し、胸がすっとした。

「やけ食いはよせよ。体に悪い」とカオルは言った。

「今度からそうするよ。ところで、カオル、さっきの話を黒井にするのか?」

「しない。するつもりはない」

「そうか。それを聞いて安心した」

「まだ、質問はあるんだ」

何だと聞くと、食事を済ませて、ナプキンで口をぬぐったカオルは、さらに、私に関するプライベートな質問をしてきた。私の家族のこと。私の誕生日。私の友達。学校なら、あまり話さないだろう事柄も、旅による気分高揚こうようも手伝ってか、私はすらすらと話せた。

たとえば、中学のとき、友達が一人いた。でも、別の高校へ行った。残念だったが、ネットがあるので、お互いそれを使って、今でも連絡を取り合っている。ただし、最近は会わないし、連絡も取らなくなったので、同窓会を開きたいなどなど。そんな、家族にすら言ったことがない私的部分なのに、カオルの前では、素直にしゃべる事ができた。ひょっとすると、これが彼一流の話術テクニックかもしれなかった。

彼が注文したコーヒーが届いた。それがいかにも、おいしそうだったので、私もコーヒーを頼んだ。「彼と同じコーヒーを一杯」

「斉藤クン、コーヒーは飲めなかったのではないのか?」

「ああ、いままではそうだったんだよ。でも、大人を味わいたくてね」

しばらくして、コーヒーが来た。コーヒーが苦そうなので、砂糖を多めに入れたが、甘くてしつこい味になった。「俺、ブラックはやめた方がいいな」

カオルはそれを見て、笑った。

「なんだよ、カオル、笑うなよ。客が見てるから、みっともないじゃないか」

「いや、僕も初めて飲んだとき、砂糖を入れすぎたものだよ」

顔を見合わせて、二人は笑った。

すると、ふと、私はカオルの父親を思い出した。勉強会のときに、聞きそびれた疑問だった。

「なあ、カオル。もし、嫌なら、答えなくてもいいんだが、あれ、お前の親父さん、いるじゃん?大学の先生だって話を黒井から聞いたんだけど、本当なのか?」

「本当だよ」とカオルは、空になったカップをテーブルに置いた。「じゃあ、いい機会だし、今度は僕の家族の話をしようか」

カオルは自分の家族の話をし始めた。

「僕の家は、代々医者の家系だった。曽祖父も、祖父も医者だった。開業医だった祖父には、子供が母さん一人だけだった。だから、自分の病院を継がせたくて、母さんにも医の道を歩ませた。一方で、父さんは、東京の大学で研究助手として働いているところで、母さんと出会った。で、僕が生まれたときに、助教授になっていた。最初は、母と父と交代で、保育園の送り迎えをやっていたのだけれども、どうしても、母さんの仕事の都合が付かない。人の命がかかっているものね。それに、祖父と病院を継ぐという約束しているんだ。やむをえず研究の道を捨てて、僕を育てることにした父さんは、今、専業主フとして、ときどき野菜に水をやりながらも、僕の面倒を見てくれているというわけさ」

「ベビーシッターがいるだろ?」

私は、家政婦の話を思い出しながら、そう言った。赤ちゃんだけでなく、子供も預かってくれるバイトが探せばいいし、学童保育サービスに預けるという手段もある。「その人たちに任せればいい。なぜ、お前の親父が、わざわざ仕事をやめる必要があるんだ?」

「他人に子育てを任せるのが怖かったんだと思う。性犯罪から美少年だった僕を守りたかったのかもしれない。それに僕を医者にさせたいと考えて、小さいころから英才教育をしたかったのかもしれない。ま、どれも推測に過ぎないけどね」

「その話だとすると、ゆくゆくは、お前も、じいちゃんの病院を継ぐのかい?」

「祖父はそのつもりだ。だけど、母さんは、反対している。研究を断念した父さんの負い目があるからだろう。僕が医者になることには賛同している。だけど、もっと大きな病院で働くべきだって、母さんは」

「カオル、それは親の願いであって、お前の願いじゃないんだろ?なにか、ほかにしたいことがある。俺には、そう聞こえるぜ」

「違うよ」

「違わない」と私は甘ったるいコーヒーを一気に飲み干してから、こう言った。「そろそろ、出ようよ」

カオルは自分で昼飯の会計を払うと言った。私の分までおごってくれるそうだ。金欠だった私は、彼の行為に甘えることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る