第19話 試合
テストから開放された高校生の私たちに待っていたのは、楽しい夏休みだった。
そのはずだった。
しかし、テストで赤点を取った私は、高校一年目にして、休暇中であるにもかかわらず、補習授業に出なければならなくなった。
夏ともなると、けだるい暑さが仙台を襲う。休みの間、原則、エアコンが作動しないため、蒸し風呂のような教室で、補習を受けなければならない。しかも、授業でテストを受けて、それに合格しない限り、別の日にこなくてはいけないと言う監禁に等しいシステムだった。このシステムを考え出した人間を呪いながら、私は、必死で勉強した。
といった事情で、黒井と会うことすらできない状況に
黒井は、さらに続けて、バスケの応援をどうする気なのかと、スマホで、質問してきた。
私は行けると答えた。
バスケの試合当日、約束どおり、補習を合格した私は一目散に、会場となっている国際センターの体育館へ向かった。
カオルの応援がしたかったと言うよりも、むしろ、黒井に会いたかったからだ。
バスケットボールは室内スポーツである。体育館でおこなわる競技で、ボールを壁に設置したリングと呼ばれるゴールに入れたら、得点が入る仕組みだ。あらかじめ、私はバスケの知識を予習しておいたが、それも黒井と会話するときに、困らないようにするためだった。
私が体育館の観客席に行くと、大きな歓声が上がっていた。
すでに、試合は始まっていたようだ。
カオルの言うとおり、彼は先発の選手だった。コートの中で
広い体育館は、吹き抜けの構造だった。つまり、二階の観客席で、一階を見下ろすようになっていた。観客席には、まばらに、客が座っている。固まっている高校生の集団がいたが、それは私のクラスメイトたちであった。
集団から離れた席で、「カオル、何やってんのよ!」とけなしているのか、尻をたたいているつもりなのか、よく分からない応援を黒井はやっていた。「あら、遅かったじゃない。待ってたのよ。はい、隣に座って。ここからの席なら、試合が良く見える」
「ほんとだ」と、私は、黒井の席の隣に座りながら、言った。
相手のチームは強かったが、カオルの活躍で、こちらのチームが10点ほど多く取っていた。優勢なのかどうかは、バスケ素人の私に分からなかったが、ほとんどの得点をカオルが取っていたのは確かだった。彼がボールを投げると、かならず、ゴールに吸い込まれようにして入る。驚くほど、正確なシュートだった。
問題は、他のメンバーだった。シュートを外すのが目立っていた。しかも、体力が尽きているのか、歩いている者すらいた。私は、うちの高校が進学校だったのを、つくづく思い知らされた。他校よりもテスト期間が長いので、体力づくりがおろそかになりがちなのだった。
「やった!!」
カオルがシュートを決めるたびに、我がことのように喜んだ黒井は、私の手を握りながら、目を輝かせて言った。「これ、勝てそうじゃない」
「いけそうな気がするね」と私は、黒井の熱さを帯びたやわらかい手の感触に浸っていた。「本当に、いけそうな気がする」
コートでは、汗だくのカオルがボールを受け取ると、すぐに、シュートを決めていた。髪だけではなく、まつげまで汗で濡れていそうだ。
ゲームが終盤に差し掛かって、応援のボルテージも上がっていった。
クラスの女子も男子も、ほとんどが応援に来ていた。
むしろ、男子の声援の方が大きいくらいだった。
「カっちゃーん、シュート!」と誰かが叫んだ。
すると、コートでプレイしていたカオルが、「よっしゃ!」と雄たけびを上げた。
カっちゃんと言うのは、カオルのあだ名らしかった。同じ男性バスケ部員が「カっちゃーん、俺たちをインターハイに連れて行ってくれ!」と叫ぶのを見て、どうやら、カオルの友達らしいなと、私は思った。
それを聞いたカオルが、親指を一本だけ立てて、腕を高らかに上げた。OK、分かったと言う意味なのだろう。
次の瞬間、目に止まらない速さで、リングの下に駆けていったカオルの手に、バスケットボールがぱっと渡された。そのまま、180センチ以上ありそうな背の高い敵選手を飛び越える勢いでジャンプして、ゴールのリングにボールをたたきつけた。
「ありえない」と黒井は口をあんぐりと開けた。私も同感だった。
ゴールのリングの高さは3メートル以上あるはずだ。大人二人分の高さのはずだ。そこに手が届いても、ボールをたたきつけるのは、かなりの難しさである。
カメラがフラッシュをたく。報道関係者が撮影をしている。
カオルは、もう一度、片手を大きく上げた。今度は、こぶしを握り締めながら。
女だけではなく、男ですら彼の
試合結果が明らかになった。
カオルのチームの勝利だった。
報道関係者の一人らしく、ワッペンを付けたスーツ姿の男が、監督とカオルの元へ走り寄った。明日の地方新聞にでも、今のシーンを写真として載せるつもりだろう。私は、スマホのカメラで彼のカッコいいシーンを撮らなかったことを悔やんだ。
彼の運動神経がいいことは、体育の時間で知っていた。でも、これほどバスケの才能があるとは、思いもしなかった。
今まで、よくサボるくせに、なぜ、レギュラー選手の座を勝ち取れたのか、不思議でたまらなかったが、ようやく、今度の試合で理解した。
「あいつは、あたしたちと違う世界に立っているんだ・・・」
黒井がそう、つぶやいたのが、胸に残った。
第二試合では、全員の体力が尽きて、あっさり負けてしまったが、それでも、カオルは満足げだった。それだけの仕事を彼はやってのけたのだ。
帰り道、私と黒井は、試合の感想を話した。
「すごかったね」と黒井が興奮気味に言った。
「びっくりした。あんなに人間って飛ぶことができるんだって」
「ほんと。羽が付いているのかってぐらい、飛んだし。ほら、あいつって、普段、勉強ばっかりしているし、練習もあまり出なかったとかなんとかで、レギュラー取れるかどうか五分五分だったという話だったし、もう、あんなふうになるなんて、信じられない。実際にはスポーツ万能でも、試合で活躍できる選手って、そうそう、ざらにいないよ」
「そりゃ、いないよ。あいつガリ勉かと思ったら、そうでもないんだな。俺、知らなかったよ。黒井さんはどうだった?子供のときのあいつって、あんなだったのかい?」
「小学校と中学校が別だったから、知らなかったの」と黒井は首を振った。
こんなによくしゃべる黒井は初めてだった。試合中も興奮して、私の手を握ったりしてきたので、どうやら、熱中しだすと、前後の
黒井が悔しがるように声を出した。
「あー、私、バスケ部のマネージャーになればよかったのかな」
「どうして?」
「いつでも、カオルの事、応援できるから。走っているカオルめがけて、ファイトーって大声で応援してやるんだ」
「へえ」
「へえって、そういえば、あなたはどうなの?あれから部活決まらなかったの?」
突然、話の
「それを誰かに相談した?」と黒井は聞いてきたが、私は黙って首を横に振った。医者には相談してOKが出ていたが、そのことは黒井に話さなかった。話すべきでもなかった。
私はためらいがちに、「どの顧問も、『他の部に行ってくれ。うちでは無理だ』の一点張りだったんだ」
「親や校長先生には?」と、なおも黒井は食い下がった。
そこまで、問題を大きくしたくなかった私は、どちらにも相談しなかった。これは私のプライベートな問題だった。他人が立ち入ってほしくない領域だった。「なあ、黒井さん、これは俺が解決するべき課題なんだ。誰かに気軽に相談できるようなもんじゃないよ」
「相談するべきだと思うよ。斉藤クン」
「今日はいつにも増して、お節介焼きだな」と私は言いながら、自分の言葉に後悔した。
「あ、そう」
そのあと、黒井は黙ったままだったので、沈黙に耐えかねた私は白旗をあげた。「わかった。お前の言うとおりにする。まず、カウンセラーの人に相談してみる」
「よかった。じゃ、いい方法が見つかるといいね。斉藤クン、それで、カオルの恋人のことなんだけどさ、あいつ、バスケ部のマネージャーの子と付き合っているのって、本当かな」
またしても、急に、話の
「さあ」
「さあって、今日、女子マネージャー、応援席にいたのを見たんだよ。結構、かわいい子だった。あれ、怪しくない?彼女さ、試合している間、かなり、瞳が
「まじで?いや、噂は聞いていたんだけど、カオルの奴、ラブレターとか、そういうのは、読まずに片付けてしまうもんだから、誰とも付き合ってないと思ってた。俺の前では、いい子ぶっていたのか」
「あいつ、ああ見えて、秘密主義だからね。昔から、本心を隠したがるタイプの男」
私は、優等生として振る舞う、カオルを思い出した。確かに、裏では、部活をサボって、こっそり、校則違反のプレイヤーで曲を聞いていた事実を考えると、黒井の言うとおりなのかもしれなかった。そこで、ふと、疑問に感じたことがあった。
カオルが、女子との交際を秘密にしたがる理由である。もし、事実だったとしたら、彼に、どんなダメージがあるというのだろう。芸能人ではないから、自身のイメージを大切にする必要はないのだ。
「でもさ、黒井さん。そうだったら、隠すことないんじゃないか?」
「もしかしたら、親が反対してるのかも」と黒井は言ったが、確証があるわけではなかった。
その後、バス停に着くまで、カオルの恋人について、いろいろな仮説を立ててみたが、どれも、根拠がないため、
今度の夏休みに、カオルの家で、勉強会がある。そこで、恋人の話を聞けばいい、ということで、黒井が話をまとめた。
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