第16話 レイ
6月が過ぎて、私たちは、テスト勉強に追われる日々を過ごしていた。黒井も、カオルも休日を返上して、試験勉強に取り組まなければならないほどに、テストが厳しかった。クラス替えのときに、成績ランキングに応じてクラスの教室が区分けされるため、成績が落ちれば、誰でも分かるような仕組みになっていた。
こうなると、もう、部活も遊びも恋愛も、すべて、お預けだ。
さて、クラスの雰囲気は勉強のための話題が多く、明るい話題が出てくるものではなかった。
昼ごはんを一緒に食べている私と黒井にも、それが影響を与え始め、暗記をしたか、どこまで覚えたかどうかなど、会話の内容がテスト一色になっていった。こんな味気ない会話では、とても、彼女との仲が進展するとは思えなくなった私は、秘策を思いついて、実行することにした。
昼ごはんの弁当を食べようとしている黒井に対して、「そうだ、今日は天気がいいから、校舎の屋上で食べようよ」と私は提案した。
彼女はすぐに、その提案に賛成した。よほど、クラスの重い雰囲気に耐えられなかったと見える。手をたたいて、はしゃぎながら、「では、いざ、屋上へ!」と叫んだ。
私と黒井は、自分たちの弁当を持って、階段をかけ上がり、屋上へ向かった。
校舎の屋上は、立ち入り禁止ではなく、生徒が自由に出入りできた。先生が見回りに来ることはめったになかった。また、見晴らしが良く、気分も
私たちが屋上に上がったとき、すでに、複数のカップルらしき生徒たちが、お互いに肩を寄せ合ったり、腕を組んだり、一緒に座り込んで、思い思いに、楽しそうに語っていた。こういう雰囲気ならば、彼女との仲が進むだろうという、私の考えがあった。
「ねえ、斉藤クン、ここに座ろうよ」と黒井が座った。「はやく、座って」
彼女に
私たち二人は、まず、弁当を取り出すと、互いに、おかずの品評をしあった。どれが一番おいしそうなのかをチェックして、お互いのおかずを交換した。
続けて、今日の占いについて、話し合った。
星座の占いから、血液型占いまで、自分たちの運勢がどんなものかを話した。もちろん、オカルトを信じていない私は、否定も肯定もせずに、ただ、黒井の話を聞いているだけだった。
「え、今日の恋愛運と仕事運はマックスだって。マックスよ」
「本当に?」と私は、黒井の調子に合わせるように、驚くふりをした。
「そう。今の私は絶好調。でも、この調子が続くことがないんだって。テストの日まで、運がもつといいんだけど。斉藤クンはどう?」
「
「げ、マジで」
「占いが当たらないことを祈るよ」
これは、私の本心から出た言葉だった。
黒井は、後ろを振り返った。屋上からの眺めは、
「ほんとうに、すごいね。あ、そうだ、スマホ持ってるから、二人で写真を撮ろうよ」と私はスマホを制服のポケットから取り出した。
このタイミングをかねてから待っていたのだ。
二人で写真を撮るためには、どうしても、二人の肩どうしを寄せ合う必要がある。必然的に、黒井の顔は私のほうへ近づいてきた。チャンス到来。あとは、写真を撮りつつ、自然な形で、彼女の肩を抱いていけばいい。と、この前図書館で借りたデートのハウツー本に書かれていた。
すると、黒井がぱっと頭を離した。
しまった。下心が丸見えだったか?
違った。
写真をとろうとする私たちの目の前に、背のすらっと伸びた、大変美しい女性が立っていた。男性でも、こんな身長の人はざらにいないほど、高かった。肩まで伸びたストレートの、光り輝きそうな黒髪が、風にあおられ乱れた。
「ねえ、斉藤クン、この人は?」と黒井が尋ねてきた。
私は何も答えられなかった。知らなかったのではない。逆に、よく知っている人だった。忘れようとしても、決して忘れることができない美しい顔だった。
「こんな屋上で何してんの?斉藤?」
女はそう聞いてきた。顔をよく見ると、怒っているようにも見える。
「斉藤クンの知り合い?」と黒井が不思議そうに私のほうを向く。
「ええ、知り合いよ。ね、斉藤?」
美しい顔がにやりと笑った。
恐怖さえ覚えた。
意を決して、私は黒井に説明した。
この女性の名前は、
私にとっても。
そうだった。
この人は、私の憧れだった。
今年の4月に愛の告白をされて、ほんの短期間だったが、付き合っていた人だった。
ひとまず、先輩と交際していた事実は伏せておいた。たぶん、黒井に説明しても信じてもらえそうにない。こんな美人から告白されて、付き合った
それにしても、なぜ、屋上で一人でいるのだろうか。
風であおられた髪を束ねた水鳥は、私たち二人に向かって言った。「あんたたち、弁当を、こんな所で食べてんだ。意外ね。私たちのときは、屋上に何度か来たことあるけど、食べたことはなかったのに――」
あわてて、私は水鳥の話をさえぎった。
「水鳥先輩こそ、こんなところで、なにをしているんですか?」
「あたし?デートに決まってるじゃない」
「誰と?お一人ではないのですか?」
「もうすぐ来るの。そのあいだ、暇だから、
ひどい。ひとでなし。
時間つぶしのために、カップルの楽しい語らいを邪魔するなんて。
こんなに自分勝手な人だとは思わなかった。私は、ある決心をすると、水鳥にこう言い放った。「すいません、先輩。写真撮りたいんで、どけてもらえますか。それとも、先輩が俺たちを写してくれますか」
言い放った直後、後悔した。水鳥のきれいに整えられた眉が、大きくつりあがったからだ。間違いなく、彼女は怒っていた。
原因は自分の言葉だろう。後輩から生意気に命令されて、不快に思わない先輩がいないわけがない。
すると、今度は、黒井が怒りはじめた。
「斉藤クンが言いすぎ」
「あ、ごめん」と素直に私は謝った。
「違う。私じゃなくて、水鳥先輩に謝って。いくらなんでも、冷たく当たりすぎだよ」
「水鳥先輩、ごめんなさい」と私は、もう一度、水鳥のほうに向かって謝罪した。
そのとき、後ろから、先輩の恋人らしき人がやってきた。「ごめん、ごめーん。購買部が混んでてさ。なかなか、頼まれたパンが買えなかったんだよ」
あら、そうなの、と言って、水鳥は、満面の笑みで恋人の男から、パンを受け取った。その男は、大柄の体格をした、茶髪の男だった。日に焼けた肌が、つややかに光った。
私の知らない人だった。3年の先輩だと考えられる。
私はショックを受けた。
水鳥の、今の彼氏は、私とはまったく違うタイプの男性だった。
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