第13話 兄との遭遇
「ひょっとして、君のお兄さんは、未来から送り込まれた
私が手に持っている写真には、ほとんど裸で、筋肉が盛り上がった男が、両手を広げていた。さながら、ボディービルダーのようだった。身長も、並みの人間ではなかった。どう考えても、2メートルは越しているだろう。巨人と言う名前がふさわしい。
「失礼ね。人の兄貴を兵器みたいに言わないで。兄貴は普通の人間だから」
黒井は、「普通の」と言う言葉を強調した。
その言葉に妥協して、「普通」だったとしよう。だが、写真の中で、あなたのお兄様が手に持ってらっしゃるのは、ライオン。そう、百獣の王ライオンをネコのごとく、背中をつまんで持っているのだ。
「このライオンはぬいぐるみじゃないよね・・・」
「そうよ。サファリパークで撮ったんだもの。ちょうど、寄ってきたオスのライオンを、兄貴が捕まえたから、その記念にと思って」と黒井は答えた。
「まさかとは思うけど、クマを素手で殺したってことは、ないよね?」
「さすがにない」
良かった。
そう、お兄様は、動物をかわいがる、慈悲深いお方。そんなお方が、動物をいじめたり、殺したりするはずがない。
たとえ、私のような、妹に近づく人間であっても。
「あ、でも」と思い出したかのように、パンと手をたたいた黒井は、無邪気にこう言い放った。「北極で遭難したとき、白くまを氷山にたたきつけて、その毛皮をはいで、泳いで日本に帰ったと言ってた」
「白くまの毛皮を着て、海を泳いで帰国したの?」
「そうよ。ベーリング海を渡って」
なるほど、どうして、玄関の、白くまの毛皮が、あそこに置いてあったのかという謎が解けた。船も飛行機も使わずに、泳いできたのだから、税関を通さずにすむ。
残された謎も、すぐ解けそうだった。
「木のテーブルを、素手で割ったことは?」
「もう、しょっちゅう。居間のテーブルを
どうせ、殺されるんだし。
そんな風に聞こえた気がした。
「あ、兄貴が帰ってきた」
玄関のドアを、開ける音がした。
自分の身の危険を感じた私は、とっさに、ロフトに隠れるべきか迷った。今は、逃げるときだ。逃げなければ、黒井の兄に消される。
もともと、これは罠だったのだ。
かわいい妹に近づく人間がいる。どんな人間だろう。場合によっては、交際を認めるわけにはいかん。こう、黒井公彦は考えたのかもしれない。ならば、自ら自宅に呼んで、不純な動機で付き合っていると分かれば、抹殺するというシナリオだったのだ。
私は、はじめから、うまくできすぎていると思った。
こんなに、かわいい子が、男と付き合ったことがないなんて、おかしいと思ったのだ。
兄弟である黒井公彦が、彼女に寄り付く男を、次々と葬り去っていた。考えるだけでも、恐ろしいことだ。たぶん、指先だけで、私の顔を吹き飛ばせるのだろう。
とつぜん、地響きが、部屋中に鳴り響いた。
地震ではなかった。
「もう、兄貴のやつ、走ってる!ゆっくりそっと、歩かないと床が抜けるって、前も文句を言ったのに!」
このマンションの床は、私が知る限り、固い鉄筋コンクリートだった。抜けるような木ではない。
黒井の部屋まで来たらしく、地響きが止まった。
やつがドアをノックする。
「兄貴、入っていいよ!斉藤クンも来てるから!」と黒井は言った。
逃げ道をふさいでくれて、ありがとう、黒井さん。
これでは隠れることもできない。どうするべきか。
追い詰められた私は土下座した。「お世話になっております。はじめまして」
「あーら、いい男じゃない。さすが、アンちゃん、いい目をしてるじゃない」
恐る恐る、顔を上げると、白いズボンを着ているものの、上半身裸で、胸の筋肉がミミズのように脈動している大男が立ちはだかっていた。その大男が、体をくねらせながら、色っぽい声を出していた。
「やだ、斉藤クンだっけ?そんなに見つめられると、興奮するわ。やめて、見られるのがダメなの。公彦、恥ずかしい」
彼の顔をみると、いかついが、化粧をしていた。まつげはマスカラで持っているので、瞳が大きく見えた。口紅が鮮やかだった。さらに、見事な、ちょび髭を生やしている。
体が化け物だった。規格外の大きさだった。格闘技でもやっているのだろうか。
いや、それ以前に、言動が化け物だ。
「ねえ、自己紹介させてくれない?あたしの名前は、黒井公彦、キミヒコって呼んでちょうだい。デザイナーよ。あなたの服もデザインしてあげるわよ。さあ、正確なサイズを測るから、手を上げて。いいの?だめ?えー、けちね。年は、あら、やだ、年齢は秘密。こう見えて、花も恥じらう17才かも、よ」
「斉藤クン、兄貴は、あたしより、十以上離れてる」
「やだー、アンちゃん!人が秘密にしておきたい年齢を教えるなんてサイテー、公彦、大ショックだわ。そんな妹に育てた覚えはなくってよ」
「兄貴に育ててもらった覚えはない。それに、斉藤クンに、余計なちょっかいを出さないで」
「いやねえ、この子、学費と生活費は私が面倒を見ているのよ。あんたの生活を知るのも、兄たる役目でしょうにね」
「妹にも、プライバシーが」
「公彦、そんなわがまま言うアンちゃん、とっても大好きよ。でも、反抗期は、中学生ぐらいで済ませておきなさいよ。私は、あんたの年ぐらいには、反抗期を終わらせていたわ。ねえ、そう思うでしょ、斉藤くぅん」
さらに、公彦は体をくねくねとよじらせた。そのたびに、太くて割れた腹筋がしなる。
震える声で、「は、はい」と私は答えた。
いまや、私は、命の危険よりも、別の危険におびえなくてはならなくなった。
この大男は、ありとあらゆる意味で、常識の範囲外に生きている人間だった。次の行動がまったく予想できない。クマのほうがまだ、対処する方法がありそうだった。なぜだ。なぜ、この生物兵器が、よりにもよって、黒井アンの兄なのか。本当に、血がつながっているのかどうか疑問だ。実の兄弟ならば、
「ところで、私に会いたいというのは、どんな御用でしょうか?」と、私は相手を刺激しないように、できるだけ丁寧に聞いた。
「もちろん、妹のアンのことよ。もう、決まってるじゃなーい」
「何をでしょうか?」
「そうね、学校で皆と、うまくやっているのかとか、勉強はまじめにやっているのかどうかしら。妹の生活ぶりを知りたいのよ」
公彦はそう言うと、私の顔をじっと見た。
その後ろで、黒井が、私にウインクをした。うまく、ごまかしてね、ということだろう。
私は、彼女の学校生活を、こまやかに説明した。授業をまじめに受けていること、友達はクラスに二人(私とカオル)いること、ミステリー研究部でいろいろ活動していることなどを伝えた。
もちろん、その際、オカルトや前世云々の話は伏せた。
私の答えに満足したのか、うんうんとうなずいて、公彦は妹のほうを見た。「この子、学校のこと、なにも話してくれないのよ。ひどいでしょ。カオル君以外に、友達ができたら、必ず、つれてきなさいって言っておいたら、あなたの話が出たの。まあ、でも、良かったわ。こんなにすばらしいお友達ができただなんて、公彦、感激だわ」
そう言うと、突然、のどの奥底から獣のような大声で叫びだした公彦は、泣き出した。「いやだ、公彦、泣いちゃう。おねがい、アンのこと、これからも、ずっと、よろしくね」
案外と、いい人だった。
居間に移って、三人で話をしたが、ときおり、兄と妹がけんかをするだけで、むしろ、見ている私からすれば、ほほえましくもあった。黒井アンは、兄に対して、オカルトの話題を極力避けているようだったし、兄のほうも、そういったことを避けている傾向が見られた。
料理も上手だからと、私の夕飯も食べてと懇願してきた公彦に対して、丁重にお断りさせていただいた私は、彼の車で、夜、自宅まで送ってもらった。
公彦の愛車はフェラーリだったが、それが去るのを見ている間、自分が夢を見ているのではないかと疑い始めて、ほおをつねった。痛いほおをさすりながら、なおも、浦島太郎のような気分で、私は、家に入っていった。
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