第8話 針と花
猪谷カオルは男子バスケットボール部の部員だった。彼は部活動に積極的に出ていたように思う。女子に人気があって、マネージャと付き合っていると言う噂が、真偽が定かでないが、ネット上で出回っていた。
廊下ですれ違うと、いつも、女子と楽しそうに話していた。
一方、口下手で何のとりえもない私は、部活には出ずに、帰宅部として、授業が終わると、すぐに帰る習慣を続けていた。ときどき、部活をサボったカオルが、教室で、私を捕まえて、音楽の感想を言ったり、黒井との仲を探ったりもした。
最近の彼女の動向はどうかと問われると、ほとんど、ミス研(ミステリー研究部)の部活動で忙しそうだった。
黒井アンは、最初のうちは、私のありもしない前世の記憶を、引き出そうと一生懸命努力してくれたが、無理だと分かると、やがて、オカルト雑誌をコピーして、私に渡してくれるようになった。その記事の内容は、宇宙に関することや、読者の神秘体験など、どうでもいいことばかりだった。
あるとき、放課後で二人だけになったとき、これを席に座っているカオルに言うと、彼は笑いながら、「君を理解しようとしているんだよ、あいつなりにね」と私に教えてくれた。
私は教壇に腰掛けていた。今の時間、先生は教室にいなかった。
「理解?自分の価値観の押し付けじゃないのか」
「違うよ」
「よく分からないなあ」
「ふむ、斉藤クン。サボテンという植物を知っているかな」
しばらく考え込んだ末に、妙なことを言い出したカオルの顔を、私はじっと見た。彼は真剣な表情だった。
「サボテンというのは、砂漠で生えている植物なんだが、針をつけている。この針は、葉が変化したものだ」
「それぐらいは、俺でも知ってらあ」
「じゃあ、花をつけるのは、知っているかい」
「花?」
「そうだよ、意外だが、サボテンは、雨季が来ると、黄色いきれいな花をつけるんだ」
「砂漠に雨季が?」
「そうだよ、初めて聞いたとき、僕も意外に思ったよ。そうして、あの不毛な大地と、サボテンの不思議な生態に思いをはせたものだ」
「雨が降って、サボテンに花が咲くのは知らなかったな。俺、勉強になったよ。でも、それが黒井さんと、どう関係するんだ?」
彼はじれったそうに、私を見て言った。「関係大ありさ。アンがサボテンだとすると、君は、黒井アンの針を見ているんだ。とがっている針。触れると痛そうな針だから、近づきがたい。でも、彼女には、もう一つ、別の面がある。それは観察しただけでは分からない。まわりの状況が変化しない限りね。雨が降ると、きれいな花を咲かせるんだよ」
彼のたとえは、遠回りではあったが、愚かな私の頭でも、なんとなく理解できるようになった。
「なるほど、遠くから観察するより、近くに寄って水を与えてみろ、というわけだな。コピーを彼女が渡したのも、俺がどんな反応を示すか知りたかったわけだ。けれど、俺は不器用だから、うまく、彼女に合わせるなんてできやしないよ。オカルトが嫌いなわけじゃない。ただ、自分が、いやになるくらい、疑いの目で見てしまうのは、避けようがない」
「そうじゃない。彼女の非科学的な態度を、懐疑的な目で見ることが間違っているとか、彼女に調子を合わせろとか、そんなことを言っているんじゃない。もっと、別のことだ。君の行動だ」
「俺の行動?」と、思わず私は聞き返した。
確かに、振り返ってみると、私の行動は、ただ彼女の命令に嫌々ながら従っているように見えただろう。不満しかなかった。
本当に、それで良かったのだろうか?少しでも、彼女の趣味を深く知ろうとしただろうか?
オカルトと言う針だけ、見ていたのかもしれなかった。何らかの別のリアクションを取れば、花を咲かせたかもしれなかった。
そこまで、私が考えたとき、これからどうすればいいのか、少しずつ、明らかになってきた。
お互いを知るための、方法を考えるべきだった。彼女が何を好きで、私が何をしてほしいのか、お互いに伝えやすいような環境を作ればいいのだ。
「斉藤クン、そこで、僕からのお願いなのだが」と考え込む私を見かねて、カオルがこう提案した。「アンを買い物に連れて行ってほしいんだ。僕からも彼女にお願いしてみる。君を買い物へ連れていってくれないかと、ね。いいかい?よし、さあ、行動だ」
私の答えも聞かないうちに、席から立ったカオルは、教室を出て行ってしまった。
残された私は、彼の提案を、頭で冷静によく吟味しながら、黒井アンと手をつないでデートを楽しむ自分の姿を、思い浮かべて、ただ一人、薄笑いを浮かべた。
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