第6話 記憶
その晩、ベッドに入っても眠れなかった私は、スマホを動かして、黒井アンにどんなメッセージを送ろうかと考えていた。
この前はごめんな。
何に対して謝っているのか不明瞭だ。挨拶して驚かせてごめん、という文面も、明らかにおかしい。「こんにちは」で驚くほうが悪いのだから。でも、ごめんなさいと謝罪したい気持ちは伝えておきたい。
スマホの電源を切っては、また、再びつけ、メッセージの内容が思いつかなければ、電源をもう一度切るという作業を繰り返した。これを私は、一晩中続けた。
とうとう、朝になると、顔を会わせて、ちゃんと話そうと考える気になった。
これから、毎日でも彼女と同じ教室で会えるから、いちいち、スマホを使う必要がない。
それならば、話は簡単だった。
教室には、もう、黒井アンが登校して、席に座っていた。
ホームルームが始まる前に、私は彼女に声をかけておきたかったので、つかつかと、彼女の席に歩み寄ると、勇気を振り絞って、こう言った。「この前はごめん。猪谷から話は聞いたよ」
「おはよう。斉藤クン」
今度は私が驚く番だった。自分の名前を呼ばれたとき、これは夢ではなかろうかと思ったぐらいだ。
黒井の声は、きれいに澄みきっていた。普段から何もしゃべらない彼女の声を、もっと、だみ声のようなものだと、勝手に思い込んでいたので、そういうイメージが一度に吹き飛ぶほどの、美しさがあった。
「ねえ、斉藤クン、謝らなくていいんじゃない?」
「あ、まあ、ね」
「ま、いいか。それより、放課後に話があるんだけど。スマホでもいいけど、直接聞きたいな、と思って」
「いいよ、今日の放課後、暇だから」と私はとっさに答えた。
実際、暇と言うのは事実だった。
「じゃあ、放課後、またね」
「あ、じゃあ」
私は、今までの会話を振り返ってみた。ミスがないかどうか、会話の内容を頭の中で
なるほど、会話によどみがなかった。自分の謝罪したい気持ちも伝えられたと思える。しかし、少し、ぶっきらぼうすぎなかっただろうか。フランクだ。慣れなれなしい気さえする。「あ、まあ、ね」という返答は、彼女にどのような感情を呼び起こさせるだろうか。親しみ?いや、違う。妥協だった。どうでもいいやという印象を彼女に持たせるには、十分すぎる言動ではないだろうか。
緊張のせいで、まともな会話と呼べなかった。
今度は、うまくできるだろうか。
放課後に、また、チャンスは巡ってくる。授業中は、さすがに、プレッシャーがあって、口を動かすことすら、ままならないだろう。だから、人のほぼ、いない放課後というのは、プレッシャーを感じずにいられる最適な時間と言えるだろう。
学校の教室は、放課後ともなると、日直当番を除いては、帰宅か部活などで、ほとんど人がいなくなる。日直も、仕事を終えて帰るときには、夕日が沈みかかる。そんな、たそがれ時に、黒井アンと私は、二人きりになった。
黒井は、自分のイスに座っていたが、しばらくすると、一冊の薄い雑誌を脇に抱えて、私の席へ来た。
そして、目の前で、雑誌を見せて、こう切り出した。
「斉藤クン、これ、読んだことがある?」
「いや、読んだことない」と私は述べた。
「本当に?」
「うん」
「ねえ、本当に?まじめな話として」
「うん、本当に、まじめ話として」
興味もなかったし、見たこともない雑誌だった。その、薄い雑誌の表紙を、赤で「月刊 アトランティス」という大きな文字が覆っていた。さらに、目立つような白抜き文字で、「月の光は古代文明のメッセージだった」と書いていた。背景の月の写真は、ピンボケしてて、プロが撮るような物ではなかった。あるいは、わざとピントをずらしているのかもしれない。おどろしさを強調するために。
黒井は、品定めをするように、私の目をじっくりと見つめた。
私は無言だった。
こんな事態は、想定外だった。
あっけに取られて、何も言えずにいた私を見て、彼女は、追い討ちをかけた。
「そう、本当に何もおぼえていないのね。あなた、前世では、戦士だったことも覚えてないの?」
身に覚えがありません。
「だったら、記憶を覚醒させてあげる。いい?」
私は首を横に大きく振った。
「よし」
なにが良しなんだ。黒井さん。
「前世の記憶を呼び覚ますには、いくつかの手順が必要なの。いわゆる、古来より伝わりし儀式ね。そこまではOK?」
前世の記憶は、私の頭の中にありそうもなかった。
とはいえ、このときの私は、目の前の欲望を優先させたかった。彼女のオカルト趣味に、支障がない範囲で、付き合いたかった。「どんな手順だ?」
黒井が説明するには、誰もいない部屋で、静かに、
「銀河系?」
「そう、コスモス」
「ええと、黒井さん、ちょっと、話を整理させてもらえるかな」
「今言ったことに、何か問題でも?」
問題が大ありだった。
混乱した頭を静めるため、深呼吸をしながら、さっきの会話を
「まず、前世というのはいったいどういうこと?あれだよね、人間は死んだ後、別の生き物に生まれ変わると言う
「そう」
「で、自分の前世が、戦士だったと?」
「そう、私もあなたも、異世界でともに戦った偉大な戦士だったのよ。私はよく覚えている」
「夢に出てきたとか」
「そう。忘れもしない。夢の中で、偉大なコスモスの恩恵を受けながら、私はあなたと一緒に、銀河を滅ぼそうとする大魔王バースと死力を尽くして戦い続けた。そうして、戦いが終わった後、二人は眠りについた。現代社会に転生したら、私のほうが、先に記憶の封印が解けたの」
あ、新しい単語が出てきた。これはいけないと感じた私は、何か、別の話題を挙げようとした。「猪谷カオルは無関係なのか」
「カオル?カオルは無関係。ただの親戚が、前世の戦士なはずがないでしょう」
「でも、自分のIDを渡したろ?。そのときにやつに、前世の話はしたのか?」
「してない。いい、これは銀河系の命運がかかっているかもしれない、重要な軍事機密だから」
「誰も知らないんだね、黒井さん」
「そう、あなたと私だけの秘密」
「そうか。なら、いい」
二人だけの秘密を共有している心地よさは、たとえ、その秘密が妄想から生まれ出たとしても、私にとって、抗いがたいものだった。
こうなったら、最後まで付き合おう。
「こうして、いい?こうよ」と彼女は、先ほどの手順を体で、示してくれた。
「こうかい?」
「そう、手を合わせて」
「こう?」
「違うわ。全宇宙から受け取るべき波動が何も感じられない。全身全霊をこめて、銀河系を思い浮かべて」
「目をつぶるのか?」
「もちろんよ。エナジーと波動が一体化したときに、目が開いていたら、大変なことになる。それは恐ろしいことになる。さあ、呪文を唱えて」
「まて、呪文は教えてもらってない」
「そっか。私の言葉の後に続けて、
「はい」
「イアイアクトゥルフ」
「イアイアクトゥルフ」と続けて、私は彼女の言葉を復唱した。
「ジョウチャクコンバット」
「ジョウチャクコンバット。...これでいいのか」
「そう、いまの言葉をよく覚えて、記憶を呼び覚ますための鍵となるのだから」
忘れそうだったので、メモを取ろうとしたが、彼女に止められた。
「ダメ。記録はダメ」
「どうして?」
「邪悪な意識に感づかれてしまうから」
外は、もうすでに日が暮れていた。
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