第36話 告白と真実

私がトイレで黒井を見つけたとき、彼女は他の利用者と並んで、室内の鏡で化粧けしょうを直していた。

私を見た彼女は、大きな声を上げた。「あら、斉藤クンじゃない。空港まで来たの?」

「お前の兄貴と一緒に来たんだ。ちょっと、表へ出て来い。話したいことがあるんだ」

「わかった」と言って、彼女は素直に出てきた。「で、話したいことって何?」

さすがに、トイレの手前は、人が出入りして気まずかったので、私たちは人気ひとけのない廊下へ移動した。

「外国へ行くってのは本気なのか?」と私は聞いた。

「本気」

「また、日本に帰ってくるのか?」

「さあ?知らない」

そして、私はノドがつぶれそうなくらいの力強い、はっきりした声で、こう叫んだ。

「俺は男なんだ!」

「知ってる」と彼女は無表情のまま、言った。

「でも、戸籍上こせきじょうは女なんだ」

「それも知ってる」

「じゃあ、これは知っているか?俺はお前が大好きなんだ!愛しているんだ!」

「知ってた。全部」

そう言うと、黒井は天をあおぐかのように、天井を見上げて、柱に背中がぴったりとなるくらいに体を寄せた。そのまま、そこへ力なく、もたれかかった。彼女はため息を大きくついた。

「子供のときね、夜よく夢を見た。別の世界で、私が男性で、もうひとり、男の友達がいるの。これが自分の前世と信じてた。入学したとき、教室で、あなたと初めて出会ったとき、なぜ、女の子なのに、セーラ服を着ていないで、男の子の格好をしているんだろうか?不思議に思った。うちは、女子と男子で制服が異なっているのが決まりなのに。そのとき、こう考えたの。この子は、男性としての、前世の記憶を引き継いでいるんだって。後から思うと、笑っちゃうんだけど。あなたに声をかけてもらったら、妄想から確信に変わった。やっぱり、生まれ変わるまえ、男性だったんだ。女性に生まれ変わったあとでも、その記憶をまだ引きずっているんだ。でも、どうやって、知り合いになればいい?自分から声をかけるのが恥ずかしくて、幼なじみのカオルに頼んだ。それがすべての始まり。カオルは、あなたへ、あたしを紹介してくれた。すると、彼自身が、あなたに興味を持ち始めた。自分が斉藤クンを好きだとこっそり打ち明けてくれた。もう、そのときには、あたしは、あなたが前世の記憶を持っていないことに気が付いていた。あなたが男子の部活や、運動に参加しようとがんばっているから、ああ、この子、私と違うんだ。男子として生きようとしているんだ。前世は思い込みだったの。あなたがオカルト趣味に付き合ってくれるものだから、うれしくて言い出せなくなっていた。すでに、引っ込みがつかなくなっていたの。雑誌から適当に情報を拾ったんだって、今さら言えなかった。あたしは、カオルを助けたい一心いっしんで、友達であるあなたと、彼をくっつけようとたくらんでいた。おろか者だ!あたしって。屋上で、水鳥レイとあなたの会話を聞いて、雰囲気が、明らかに別れた恋人のようだと、こんなふうに、直感ちょっかんした。あなたは女性が好きだったのね。そう考えると、今までのことが別に見えてきた。あの買い物は、あなたにとっては、女性とのデートだった。あたしにとっては、単なる同性との友達づきあいだったのに。友達をやめることができない。今までの関係を続けたかった。一方で、あたしね、あなたがあたしをあきらめて、別の人を好きになってくれればいいなと思った。その点、魅力のあるカオルは、申しぶんなかった。だからなの、カオルにいろんなアドバイスをして、勉強会にかこつけて、部屋に呼ばせたり、二人きりで旅行させたり、映画のデートに誘わせたりした。でも、カオルがオクテだったのが、本当に、計算外。いつまでたっても、告白をしない。屋上のときなんて、水鳥レイに、自分が好きなのは、こいつですって、叫べば、それで終わり。でも、やらなかった。まあ、あなたが他の女の子と違うから、彼も口説くどきにくかったとは思ったけど。あたし、怒って、誰もいない体育館裏に、あなたとカオルを呼び出した。けど、やっぱり告白しない。とうとう、見放すときがきたわけ。あたし、彼にこう言ってやったんだ。カラオケの帰りに告白しないんだったら、手を貸さない。勝手にして!それから、彼はふさぎこむことが多くなった。あたしも幼なじみに甘い顔ができなかった。あなたは知らないだろうけど、正月になって、彼は将来に自信がなくなったから、高校を中退するとか言い出して、大変だったの。そしたら、あの日、彼は海へ向かった。皮肉なものね。ちょうど、地震が起きるなんて。なんという運命のいたずら。ね、分かった?あたしはあなたの気持ちに気づいていた。でも、あなたとは、ずっと友達でいたかったのよ」

私の胸を、「ずっと友達」という言葉がえぐりとった。私は、声を震わせた。「じゃ、じゃあ、恋人として付き合って……」

「ムリムリ!だって、あたし、そんな気はないもの。あなたと?100パーセントありえない。あなたがもし本当に男だったとしても、ぜったいに交際しない。だから、ね?友達でいましょう」

「わかった」

そのまま、私たちは別れた。

そのあと、どこをどう歩いて、黒井公彦のところまで歩いたかはおぼえていない。

はっきりと、記憶に残っているのは、公彦を見たとたん、カオルの顔が浮かんできたことだ。

公彦の腰にしがみついた。

私の目には、涙があふれてきた。

「俺……………………………どうして……………………………カオルに、なんで…………………………………………………………あんな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ひどいことを・・・・・・・・・・・・・・・どうして・・・・・・・・・・・・・・・・・」

泣いていた私を、公彦は「そう、恋の苦しみに、性別なんて関係ないのにね。帰りましょうか」と優しく手で抱いてくれた。

帰り道に、車の中で、泣きじゃくっている私を、彼はいろいろな言葉でなぐさめてくれた。そして、カオルのことを言い出した。

「あなた、カオルちゃんについて、大きな誤解をしているわ。あの日起きたことよ、私の友人の話には、続きがあるわ。聞きたいかしら?」

「……」

「カオルちゃんはね、私の友人とともに、高台へ逃げたのよ。これは聞いたわよね。でも、そのあとよ、彼はね、『さくら、桜』とあなたの名前を呼びながら、海岸の方向へ向かったのよ。津波がすぐそこまで来ているにもかかわらず」

斉藤さくらというのが私の本名だった。私は、胸がつぶれる思いがした。「だったら、彼は自殺したんだ!」

「違うわ。彼は自殺なんかしていない」といつの間にか、公彦も涙を流した。「いもしない、あなたの姿を見たのよ。波に流された別の誰かを、あなたと見間違えたの」

「あいつが、そんな危険なことをするわけがないんです。臆病おくびょうで、小心者だったから、津波に向かうなんてできるわけがない。俺を助けるわけがないんだ」

「あの子は臆病おくびょうすぎたのよ。自分の命を失うよりも、あなたを失うことのほうが、よっぽど、怖かったんだわ」

私はじっと足元を見た。

大きなダンプカーが、私たちを乗せた車の横を通り過ぎていった。ガレキを集めて運んでいた。それらはかつて、無駄なエネルギーを使って、無駄な時間をかけて作り上げていったものだった。

カオルの命がけの行動は無駄だった。黒井が恋を応援したのも、私が彼女を愛したことも、実が結ばなかった。

すべては無駄な努力だった。


すべては人間のこころだった。


だから、このすばらしい世界は、努力して生きるにあたいする。

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