第34話 キミヒコ

仙台市の中心となる町は、海岸から、かなり離れた内陸部にある。

このため、私が住んでいる場所も、高校がある場所も、内陸部は津波の被害をまぬがれていた。私の町では、建物がばらばらに壊れたという話は聞かなかった。だが、それゆえ、被災した人間がどんな目にあったのかを知るには、ネットかテレビに頼るしかなかった。

私たちの高校では、グラウンドが無事だったので、そこで朝礼が行われた。

ライフラインがまだ復旧に至ってないところから通う生徒もいたが、校舎のトイレが使えることを知って喜んだ。当たり前のことがうれしかったのだ。

体育館には、津波から避難していた人たちが一時的に休むために、毛布がかれていた。数は多くなかったが、これから多くなるだろうと校長は朝礼で述べた。

私たち高校生の中で、疲れていない者はいなかった。

生徒たちだけでなく教師たちも、目に黒いクマができていた。

朝礼をしている最中に、小さな地震が襲った。だれも悲鳴を上げることができなかった。ほとんどが、頭を下げて、その場でうずくまった。

その日は、朝礼と荷物の片付けと、春休みの宿題が先生からたんまりと出されるだけで、生徒たちは夕方には解放された。

春休みの期間が延長されたわけだが、けっして誰も喜ばなかった。

教室に戻って、ある者たちは、抱き合って、涙を流し喜んだ。お互いが無事だと目で確認できたからだった。

カオルの席は、一日中、誰も座っていなかった。欠席の理由を探る勇気を持つ者は、誰もいなかった。教師も何も触れなかった。

放課後、スマホで調べてみた。そして、行方不明者のリストを載せるウェブサイトで、シシヤカオルという名前が出てきたとき、私は自分で自分の頭をなぐった。

そうしなければ、気が済まなかったからだった。

黒井は、私がどんな言葉をかけても、「平気、大丈夫」という同じ言葉を笑顔で繰り返した。彼女の精神はくずれかかっていた。

私が支えるべきだと考えた。

だが、支えるべき、その私がカオルの死につながる原因だとしたら、彼女は私をどれだけ憎むだろうか。

考えるだけで、恐ろしかった。

私は、公彦きみひこから今朝けさ教えてもらった電話番号へ連絡した。

彼と話をすると、すぐに車で妹を迎えに行くと言ってきた。

彼女のためにも、そのほうが良かった。

公彦の高級車が校門にとまったので、私は黒井を連れ立って乗った。彼女はなすがされるままだった。

「ごめんなさいね」と妹を気づかいながら、公彦が言った。「アンちゃん、ずっと、こんな調子なの。誰かがそばにいないとね」

私はだんだんと、彼の言う用事が気になり始めた。「公彦さん、話というのは何ですか?」

「カオルちゃんのことで、聞きたいことがあるの」

私は胸をわしづかみにされた気持ちになった。

公彦は車を発進させた。

もう後戻りはできそうにない。

「ねえ、斉藤クン、あなたって、猪谷ししやカオルちゃんと仲がよかったんでしょ?」

「はい」と言って、私は公彦の言葉が過去形になっていることに気が付いた。「彼とは親友の仲です」

「親友だったのね。だったら、いいこと?今から、大事な話をするから、斉藤クンもアンちゃんも一語も聞きもらさずに、よく聞いてね。ふに落ちない話なのよ。仲良しだったあなた達なら分かるかもしれない」

運転席で、彼は、大きく息をはいた。前を向いたまま、こちらを見向きもしなかった。それが不気味な印象を私に与えた。

「手短に話すわ」と彼は前置きをした。「私の親友で、実直な男がいるの。あなたたちの高校を卒業したOB。だから、信用のおける話よ。今日ね、避難所へ行って、私、彼に会ってきたの。そこで、不思議な高校生の話を聞いたの。あの日よ。塩釜港を海岸沿いに北へ行くと、古いトンネルがあるけど、そこで、一人、高校の制服を着た青年が歩いていた。先輩である親友は、懐かしくて声をかけたわ。高校生は彼に、カオルと名乗った。松島から歩いて帰る旅の途中らしかったわ。親友は平日なのに?と疑問を口にすると、高校を中退して、音楽学校へ入学するんだって。そのとき、津波が襲いかかったので、二人とも高台へ逃げたわ。でも、いったん逃げた高校生は、ふたたびーーいい?もう一度、海の方へ向かったのよ。そして、波に抱かれるように姿を消した。状況から見ると、カオルちゃんなのね。でも、そんなはずがないんだわ。だって、彼は医者になりかったのだから、高校をやめるなんて」

「それは……カオルです」

すべてを話すときが来たのだと悟った私は、観念かんねんして、去年の松島旅行から、今に至るまでの話を公彦にしゃべった。カオルの夢が医者になりたいというだけではなく、作曲にも興味があったこと。震災の前日に、松島へすぐに旅行しようと言い出したことなど。そして、私がそれを断ったことなど。そのたびに、黒井の顔が真っ赤になったり、真っさおになったりした。

その話を聞いて、合点がてんがいったらしく、公彦はにっこりと笑った。「ありがとう。話してくれて。これで、はっきりと事実だと分かったわ。カオルちゃんのご両親にさっそく知らせないといけないわね」

「親に謝罪がしたいんです」と私は消え入りそうな声で言った。

「それは無理な相談ね。だって、カオルちゃんが悪いんですもの。後のことは私に任せてちょうだい。あなたには悪いことにならないように、うまく取りはからうわ」

「そんなこと」

「心配しないで」

公彦は車にブレーキをかけた。

後ろを振り返った彼は、「よくって?あなたはカオルちゃんから旅行の日程を聞いただけ。彼を旅に誘ったわけじゃないんでしょ。あなたたちを大人と見込んで、頼みがあるわ。今日、車の中で話したことは、誰にも話しちゃダメよ。あの子の父親にも母親にも。絶対にね。アンちゃん、ちかえるわよね?」とおどすように妹に問いかけた。

黒井は、はいと答えた。そして、とうとう泣き出した。「死んだなんて、信じられない!」

「私もよ」と公彦はアクセルを思いっきりんだ。

車が夕闇ゆうやみの中を突き切った。

黒井が何を考えているのかは分からなかった。

彼女は車の後部座席で、窓の外をじっと見ていた。

何も話そうとはしなかった。

私に対する憎悪。

それもあるだろうし、なによりも、カオルの最期を聞いてしまったショックもあったのかもしれない。

さっきの話の中で、私は、カオルに押し倒されて告白されたことや、ふったことはしゃべらなかった。これは彼と私の名誉のためだった。失恋のショックで自殺したと思われたくなかった。

私は家の前で車を降ろされた。

両親は留守だった。二人とも、震災のせいで増えた事務処理をこなすために、残業が多くなっていた。

玄関のドアに、カギをかけた。

カチャリという音が、家の中を響きわたった。私は恐ろしくなった。世界でたった一人で立っているような気がしたからだった。

私が彼を死なせたのです。

そうさけんだ。

叫ばなければ、罪の重さに押しつぶされていた。

私は親友を失った。

この事実を受け入れたくはなかった。それをごまかすためには、罪で自分の心を黒く塗るしかなかった。心をけがして、彼の死という死を、私の胸から消し去りたかった。永遠に、自分を呪い続ければそれでよかった。

キッチンで、リビングルームで、わめけばよかった。

そんなことでカオルが戻ってくるわけがなかったのに。

自分の部屋で、宿題に出されたノートを、ぐちゃぐちゃにって投げた。

こんなことでカオルが生き返るわけがなかったのに。

私は涙をひとつぶたりとも流さなかった。

どうして悲しくならないのだろうかと、逆に私は驚いた。

三月が過ぎて、四月になっても、震災の報道はずっと続いていた。

平生へいぜいに戻れるのはいつになるかと、親たちは、日常のもろさをなげいた。

日常に戻れたとしても、私の精神が、震災前に戻ることはないことを確信していた。

そのころになると、私は、自分でも不思議なくらい、勉強にはげんでいた。それが、震災やカオルを忘れることができる手段だからだった。事情を知らない親は喜んだ。

日がたつに連れ、私たちは、じょじょにではあったが、日常を取り戻しつつあった。

まず、学校が再開した。

春休みが終わり、私は高校二年へ進級した。

体育館はまだ使用できなかったが、勉強できる環境があることほど、心強いものはなかった。

報道番組ばかりを流していたテレビも、いつもどおりの番組を提供し始めた。希望ときずなという言葉が、新聞やテレビに踊り始めていた。

クラスえで、教室が黒井とは離れ離れになった。

スマホで連絡を取っても、彼女はうん、そう、など一言で返すことが多くなっていたのが気がかりだった。

直接、彼女と会って話をしても、考え事をしていて、うわの空だった。

このとき、彼女は秘密をかかえていた。それが分かったのは、半年も過ぎた9月のことだった。

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