第33話 情報をください

大震災が起きたとき、高校生だった私たちは、それでも日常生活を送れるのだと無邪気むじゃきに信じていた。

スマホがつながらなかったが、いずれ、復旧ふっきゅうすると私は信じていたし、午後の授業がなくなってラッキーだと、楽観らっかん的な見方さえした。

先生たちは、保護者に生徒たちを迎えに来させるように決めた。

勝手に帰ってはいけないと教師に言われた生徒たちは、不平をらした。携帯電話がつながらない状況では、親や保護者がいつ来るのかわからなかったためだ。場合によっては、彼らの仕事が終わって、夜に迎えに来るという可能性もあった。

黒井は例外だった。

すぐさま、長い金髪の女性が運転していたセダンが校庭に現れた。運転手が外国語混じりで叫んだ。

「アンお嬢様、乗ってください!」とだけ、聞き取れた。

それを皮切りに、他の保護者の車も、続々と校門へと並び始めた。

日がかたむいて、すっかり寒くなると、教師たちは生徒たちを校舎へ入れた。私も連絡が取れた母親を、校舎の玄関で待っていた。

待っている間に、私はつながり始めたスマホで、ニュースをチェックしていた。

ネット上では、流言飛語りゅうげんひごが飛び交っていた。

私は「インチキを疑え」というカオルの教えに従って、あからさまなウソを疑っては、その情報源をたどっていた。

誰かが飢えて死んだ。その根拠を調べてみたら、あやふやなうわさが一人歩きしたものだった。

地震の予兆をとらえた。それも、元をたどれば、いいかげんな作り話だった。

このやり方は時間がかかった。

しかし、真実にたどり着く、唯一の方法だった。

明らかな真実を選ぶのではなく、明らかなウソを選んでつまみとるのが、いまの私にできる方法だった。これが最善だった。

その結果、否定しようもない事実が導き出された。とても真実だとは思えなかった。

大規模な津波が太平洋の沿岸えんがんを襲いかかったのだ。

津波で襲われる動画を目にしても、信じたくなかった。

スマホでその映像を見ている生徒たちの中には、え、え?ウソ?と驚きの声を上げるものも少なくなかった。なにしろ、子供のおもちゃのように、大きな自動車が波に流されていったのだから。

やがて、ネットもつながりにくい状況になった。

頼れるのは、先生がたと、彼らが持ってきたラジオのみだった。

もちろん、先生たちの中には、右往左往うおうさおうしている人たちもいた。この状況で、冷静に動ける人間はいなかっただろう。

学校は、小高い丘の上にあったので、震災に見舞われた仙台市内を見ることができた。停電していたため、星が見えた。普段は夜のネオンで隠れているが、本当は、あんなにも光るのだと初めて知った。

母親が迎えに来たのは、夜遅くだった。

職場を車で出たが、渋滞じゅうたいにつかまってしまったと母は言いわけをした。そのことを私はうらまなかった。

生きているだけで良かったからだ。

父親とも連絡が取れたので、私の心細さがやわらいだ。

その後の混乱は筆舌ひつぜつがたい。ガスも電気も、水道すら途切とぎれた。私はなにもかも、日常生活を送るすべを失ってしまった。

朝になる前に、私の地域では、電気が復旧した。水道も元に戻った。徹夜てつやした私が、さっそく、テレビをつけてみると、まだ、こういったライフラインが復活していない所が多いという報道が流れた。私たち家族は運がまだ良かったのだ。

だが、目をおおいたくなるような光景が、テレビの画面に映し出された。

それは、川をあがっていく津波の姿だった。

やめて!

母親と父親が大声で叫んだ。

彼女たちが取り乱したのは、後にも先にも、このときだけだった。

私は理解できなかった。

あの水であふれ出す平野のどこかに、人がいるのだということが。

親にうながされて、私は自分の部屋で眠った。

翌朝、私が起きて、スマホを見ていたら、黒井アンからのメッセージが届いていた。

それは、無事を知らせるメッセージだった。

私はすぐに返信した。

いまや、私たちは、大嵐の中を、なく海上を突き進む、小さな船だった。お互いが、自分たちの存在を確認しあいたかった。

しかし、彼女は、不吉なことをメッセージに書いた。

ーーカオル知らない?いないんだって うちに親から電話

ーー本当に?

そのメッセージを受け取った私は、居間に行って、テレビを見た。行方不明者の名前がずらずらと並んでいた。

個人情報がうるさいので、本来ならば、このような名前を出すことはできなかった。しかし、今回は緊急事態ということで、行方不明者名を流し始めたのだ。

私は祈った。

猪谷ししやカオルの名前がありませんように。

ばかげている。

おととい、私たちは松島へ旅行しようと一度は考えた。だが、私はカオルに行かないと断言した。ゆえに、彼が旅に出るわけがないのだ。

ありえない。

その希望を、次の、黒井からのメッセージが打ちくだいた。

ーーカオルが部屋に手紙を置いてた。海へ行きますって。なにか知ってる?

ちがう。

でたらめだ。

彼女はウソをついているのだ。

でなければ、なにか、勘違かんちがいしているのだ。

私は旅行の約束などしていない。彼が一人で松島へ行ったとしても、そこには私はいない。旅行しても、無駄だ。

無駄な努力というカオルの言葉を思い出した。

まさか、震災があった昨日、松島に向かって旅に出たというのか。

松島は太平洋側にある。津波に巻き込まれた地域だった。

とはいえ、あそこには、大きな島が海岸近くにあるから、それが防波堤になる。

ネットで、情報を検索したが、松島の大きな被害は、まだどこからも挙がってこなかった。半日かかって、調べてみると、無事だという松島の観光客らしき人による報告を見つけた。テレビで言うよりも、そこまで津波の被害はありませんでしたというメッセージを送っていた。

私はそれを信じた。

確かに、真実だという根拠はなかったが、ウソではないと信じたかった。信じなければ、狂ってしまいそうだった。

そのときの私は、どんなデタラメでも、カオルの生存情報にかかわるものであれば、事実だと思いたい気持ちになっていた。それは喪失そうしつ感を埋め合わせ、罪悪感を消すためだった。

あれほど、疑ってかかることを教わった私ですら、このときばかりは、理性を投げ捨てた。心の底から、津波に巻き込まれていないのだと思い込むようにした。

生きていてほしかったからだ。

たとえ、真実から遠ざかったとしても。

そのとき、学校の担任から、電話で連絡があった。

学校は市の避難所に指定されたため、当分、授業を行えないということだった。つまり、春休みが繰上くりあげとなった。ただし、特別な登校日が一日あるので、ぜひ出席するようにという要請ようせいだった。詳しいことは、その日に話しますと言って、電話が切れた。

おそらく、その日にカオルがこなければ、いや、来るはずだったが――もし、来ないようなことがあれば、それは、彼が、よくない事に巻き込まれたことを意味していた。

その夜に、大きな余震があった。あの日の大地震よりも小さかったが、家族の目をますには十分だった。

「無事か?」と父が聞いたので、私と母は、寝ぼけまなこで大丈夫だと答えた。

いっしょに寝ようかという父のアイデアについて、私は断った。もう、子供ではないからだった。

ベッドで横になったが、目がさえて眠れなかった。

目を閉じると、暗い海底でもだえ苦しむカオルの姿が浮かんだ。浮かんで、消えた。消えたかというと、急に彼のあえぐ声が、海底から聞こえてきた。すべて、夢だった。夢のはずだった。

恐ろしさのあまり、私は汗で、かけ布団をぬらしてしまっていることに気づいて、不快になった。

私は呪文をとなえるようにして、自分に言い聞かせた。

あいつが死んでいるはずがない。あいつが死んだなんてウソだ。

そのまま、深い眠りに入った。

震災から二日たった日曜日となると、被害の深刻さが増していった。

行方不明者数は、千から万の単位にふくれ上がっていた。

ネットの情報もそれに比例して、シャワーのように、たくさんの被害情報が流されていった。

その中に、猪谷カオルの情報はなかった。

私はスマホにしがみついて、それこそ、寝食を忘れて、彼の情報を探し回った。だが、それらしき書き込みがないのを知って、がっかり肩を落とした。都合よく、カオルを見かけました、という目撃情報を見つけられないのは分かりきっていることだった。

情報があふれていた。

にもかかわらず、私のほしいものは手に入らなかった。

私の願いは、カオルが生きていること、ただそれだけ。

私の家族は無事だった。そして、黒井も無事だった。

だから、お願いだから、カオルも生かさせてください。

そう、神仏しんぶつに祈るしかなかった。

数日たって、一日だけの登校日がくると、私は母に連れられて、学校へ向かった。他の同級生も同様だった。

黒井は兄の車で、学校にやってきた。

いち早く、私は黒井の車へ駆け寄った。「カオルは?」

車の中から、黒井が「いない。あの日から行方知れず」と淡々たんたんと言った。それはまるで、古ぼけたオルゴールが同じ音だけを鳴らし続けてきて、すり減ったような、かすれ声だった。

「ねえ、斉藤クン」と運転席から声をかけてきたのは兄の公彦きみひこだった。今日は灰色のスーツを着ていたが、体が大きいために、服のボタンが引きちぎれそうだった。「ちょっと、学校が終わったら、いいかしら?用事があるの。ダメかしら?そう、じゃあ、携帯に連絡してちょうだい。今から、電話番号を言うわ」

彼は自分の連絡先を告げて、車を市内へ走らせた。

どんな用事だというのだろう。

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