第31話 うたう

放課後、カラオケの誘いを断ろうと、それとなく、隣の席に座っていたカオルに言ってみた。

「あのさ、今日のカラオケなんだけど……その、急用が――」

カオルは学生カバンに、勉強道具を詰め込んで、支度したくをしていた。「あ、君、来るんだろ?アンが参戦してくれることになったんだ。他の子は、ダメだったけど」

「黒井が来るのか?」

「ああ」

すぐさま、私はカバンに荷物を詰め込んで、臨戦態勢りんせんたいせいを取った。

「いつでもいいぜ。さあ、さっそく、カラオケに行こうか。どこの店なんだ?」と私はカバンをたたいた。「さあ、うたげの始まりだ。俺はいつでも準備ができているぞ!黒井はどこだ」

「ここよ」

私が振り返ると、そこには、帰る準備を済ませた黒井が立っていた。昨日に比べて、不機嫌には変わりがなかった。腕組みをして、カオルの方をにらんでいる。

彼女の視線に気づいて、カオルは目をそらした。「や、やあ。これで、皆そろったな」

この二人は、何か隠し事をしている。私はそう直感した。

それでも良かった。

久しぶりに、黒井と外出して遊べるのだから、文句は言うまい。

ここ最近は、テスト続きで、ろくに彼女と遊べなかったのだ。こういった機会に、思い出を作っておかないと、なんのために、高校生活を送っているのか、わからなかった。

カラオケの店は、私の家の近くが良いだろうとカオルは言った。すでに、私の住所はカオルに教えてあった。「斉藤クンのところは、家の門限が厳しいんだろ?だったら、君んちの近くの、あそこの店がいい。バスに乗らなければならないけどね」

「それだったら、あたしの送り迎えの車がある。それに乗って行けばいい」と黒井が金持ちらしい提案をした。それに私とカオルは賛成した。

黒井の車は、校外にあった。

学校を出て、校門をくぐると、例の幅広い坂がある。その坂を下りていって、コンビニの駐車場に、マツダの黒い車が停められていた。セダンタイプだったが、中が広かった。それが彼女を送迎そうげいする車だった。

彼女が言うには、あまりネットでうわさにならないように、学校から離れた場所に、車を停める必要があるのだ。ネットで取り上げられたら、いじめや、ひがみの対象になったりして、逆に良くない結果を招く。それで、一人で坂を下りていたのだと言った。もちろん、坂道が安心というわけではないので、大急ぎで通り過ぎなければならない。

前に、私がバスの中で見ていたのは、車へ急いで向かう彼女の姿だったわけだ。

私たち三人は、黒井の自動車に乗り込んだ。カオルだけが助手席に乗った。というのは、前に座る運転手が、金髪の美しい女性だったからだ。スーツ姿なので、様子を見るかぎり、黒井家お抱えの運転手のようだった。

「車を出して」と黒井が命令を出した。それから、スマホを取り出して、カラオケ店の名前が載っているページを表示させた。「このお店に行って」

「わかりました」と運転手は、ハンドルを回して、カラオケ店に向かった。

しばらくして、お店に着いたら、「1時間で終わるから、適当に流しといて。帰るときは、スマホで連絡する」と黒井が、車の窓越しに、運転手に指示した。

車が去ると、それをなごりしそうに見ていたカオルが、「もっと、フランス語を学べばよかった」と、美人とあまり話ができないことに、後悔の念をつのらせていた。

カラオケ店の室内は、予想よりも狭かった。

何度かカラオケで遊んだ私でも、この店は狭すぎるのではないだろうかと思うくらいだった。

さっそく、カオルが機械を操作して、何を歌うかを決めていた。「君から歌うか?斉藤クン」

「じゃあ、俺から歌うよ」と歌いたくて、うずうずしていた私は、彼から入力する機械を奪って、ネットで流行はやっている曲を選んだ。

久しぶりに、人前で大声を出せた。

私が歌い終わると、カオルが「上手だったよ!」とほめてくれた。「プロも真っさおだ」

「ありがとう」

今度は、黒井の番だった。彼女は、私の聞いたことがないような歌を熱唱した。テレビ画面に、アニメーションが流れたので、昔のアニメソングらしかった。

それが終わると、カオルが歌い始めた。

最近、高校生で流行しているといわれる恋愛ソングだったが、それを甘く切なく、彼が歌い上げるので、いている私の耳がくすぐったくなった。

つい、思わず、私は笑い出してしまった。「耳がかゆい!すっげーな。カオル!すっげー低音ボイスだ」

黒井は、オレンジジュースをストローで飲んでいた。私の笑う姿を見て、ジュースを吹きこぼした。「やだ。なんてことを」

「ごめん、黒井」と私は笑いながら謝った。「だって、カオルの声が低すぎて、耳がこそばゆいだもん」

「むしろ、心地よくないの?」

「気持ちいいのとは違うよ」と私は答えた。

カオルの歌声は、普段しゃべっている声とは明らかに違っていた。のどの奥底から、声を震わせていた。その力強く低い声が、大音量で鳴る大きいスピーカーのそばに立ったかのように、私の鼓膜こまくを刺激した。

「お前はどうなんだ?黒井?」と私は聞いた。「耳がおかしくならないのか?」

ストローをつつきながら、彼を眺めていた黒井は、「気持ちいいくらい。とても」とうっとりした目で言った。

私たちはそれぞれ、何曲か、自分の好きな曲を歌った。

黒井が熱心に歌っているときに、私がこう言った。「なあ、なぜ、お前、黒井を誘うのを嫌がったんだ?黒井のやつ、歌うのが結構、好きみたいじゃないか」

「君は、アンとカラオケに行ったことがないから、そんなことが言えるんだ」とカオルが気になることを言った。「まだ、おとなしいけど、そろそろだな」

私は左手についている腕時計を見た。この部屋に入ってから、50分以上は経っている。彼の言う「そろそろ」とは、そろそろ潮時だという意味だろう。

しかし、終了時刻になったから、どうということはない。部屋を出ればいいだけの話しだ。

では、「おとなしい」とは?

黒井がネコをかぶっているのだろうか。

突然、ロックのような激しい曲を歌い始めるのだろうか。

「はーい、じゃあ、ラストの曲といきますか」と黒井が腕まくりをした。

それを聞いたカオルは、ついにきたかと、裁判の判決を聞いている囚人のように、首をうなだれて、黄色いコルク栓のようなものを出した。それは、親指くらいの円柱えんちゅうみたいな形でやわらかそうだった。「斉藤クンも、これを付けるかい?」

「なんだい、そりゃあ?」と私は目を丸くした。

耳栓みみせんだよ」とカオルは答えながら、黄色い耳栓を使って、両耳をふさいだ。

「おい!おい!」と私が叫んでみたが、耳栓の防音機能はすばらしい性能らしく、カオルには、私の声が届いてないようだった。

どうしても、これから流れる黒井の歌を聞きたくないようだ。

カラオケの機械が、テレビ画面に電気信号を送り、それを画面がキャッチして映し出した。画面に表示されたのは、人前で歌ってはいけないとネットで評判の曲名だった。

歌詞があまりにも過激すぎた。

「死」という言葉が30回以上も出てきた。過激なんてものではなかった。人を不快にさせるには十分すぎた。もし、これが、私の好きな彼女でなければ、私は、逃げ出すか、カオルのように、耳栓をしたに違いない。

ようやく、カオルの謎の言動がわかった。

黒井が平気でこんな歌を歌う人間だとは思わなかった。歌い終わったとき、私は黒井に、これはやめるべきだとアドバイスした。

だが、彼女の答えは明確、かつ、シンプルだった。「いいじゃん、別に」

「いや、良くないんだよ」と私は即座にさとした。

「ひと、それぞれ好きなものがあるんだから。あれこれ、他人に指図されてまで、好きになったりしない」

「そうだよ。別に歌ってもいいんだ。でも、それはね、一人で部屋で楽しむべきものなんだ」

「えー。あたし、子供のときから、ずっと、これをカラオケで歌ってきたよ?カオルは知っているよ」

子供のときからか。

重症だ。

カオルは歌が終わったことすら気づいていない様子で、我関われかんせずとばかりに、カラオケ装置を眺めていた。

それを見て、私は彼の耳栓を無理やりはがした。「おい、カオル。お前からも、黒井に言ってやれよ」

「あ、ごめん。曲が終わったんだね」とカオルは周りを見回した。私が怒っているのを見て、ちょうど今、状況を悟ったかのような顔をしていた。

マイクを持ったまま、黒井がカオルに助けを求めた。「あたし、ラストは必ず、この歌で締めるのを、カオル、あんたは知っている。だから、斉藤クンに言ってやって。子供のときから、これを歌わないと気がすまないんだって」

「それで、君は必ず、友達を失っているんだけどね」

「それは言わない約束」

「何回目の忠告かどうか、知らないけれども、僕は何度も言ったよね?それを歌うと、人の心が離れていくって。ネットで許される範囲と、一般社会で許される範囲は違うんだよ」

彼女に欠けているのは、一般常識だった。だが、何が常識かをどこで線引きすればいいのか、そのときの私たちは知らなかった。

仮に、大人たちに教えてもらっても、反抗するだけだろう。

言っているカオル本人ですら、どこまでを常識の範囲としているのかは怪しかった。現に、私に何も知らせてくれなかったのだから。

彼の秘密主義もここまでくると、りっぱな非常識だった。

私は彼にも抗議した。「お前もお前だ。カオル。ちゃんと、俺に教えてくれたら、俺のほうでも、心の準備なり、なんなり、できたんだぜ」

「すまん。斉藤クン」

彼は謝罪したが、もうすでに、口火を切った私の舌が止まらなくなっていた。「すまんで済んだら、警察はいらないよ。黒井のは個人の趣味で済ませられるけど、こうなったのは、猪谷ししやカオル、お前が原因なんだ。そうだ、そもそも、このカラオケは、お前から誘ってきたんだぞ。謝罪のために、カラオケを誘ったんじゃないのか?」

自分でも、私は言っていることがおかしいと気づき始めていた。

カオルに落ち度はなかった。なぜなら、黒井を参加させようとしたのは、ほかならぬ私だからである。

黒井を責めるのは忍びないと考えた私は、あえて、カオルを攻撃対象に選んだ。

なんて、我ながら、卑怯<ひきょう>なんだろう。

カオルは、攻撃されるがままになっていた。反論もしなかった。

それでも、私は舌を止めはしなかった。

「何とか言えよ。え?カオル。いつも、そうなんだ。お前は秘密主義で、なんにも語らない。彼女のオカルトの件にしてもそうだ。前もって教えてくれたらよかったんだ。そうやって、人を見下して、秘密をかかえ込んで、誰からも助けてもらえずに困ればいいんだ。自分の家族も、好きな人さえも」

ちがう。

これは、自分へのあてつけだった。

「ま、今日のところはこの辺で、散会さんかいね」と見かねた黒井が、ようやく止めに入った。「カオルに言いたいことがあるんだったら、ここじゃなくて、帰り道に、二人で話しなさい。あたし、今日は一人で車で帰るから」

「え、じゃあ、俺たちは?」と私はびっくりした。

「斉藤クンは、カオルに送ってもらえばいい。あんたの家がこの近くなんだから」

すると、彼女は、さっさと店を出て、近くで停まっていた車へ向かって、「もういいので、出して」と運転手に命令を出した。私たちに別れの挨拶もしなかった彼女は、そのまま送迎車に乗って、帰ってしまった。

残された私たちは、歩いて、自宅に帰ることにした。

「送ってあげるよ」とカオルが優しく言った。

だが、さきほどの怒りが冷めやらぬ私は「いや。いい」とそれを断った。

「じゃあ、そこまで」

カオルはそう言うと、私が断ったにもかかわらず、私の横へ連れそって歩きだした。

すでに、時刻は夜になっていた。

はあとため息をついて、私は自宅へ帰り始めた。彼を伴<ともな>って。

「カオル、お前、お前は本当にバカなんだな」

「何を言い出すんだ?急に?」

「皆がうわさしているけど、黒井が好きなのか。そうなのか?」

カオルは叫ぶように否定した。「ちがうんだ!」

私はカオルのひとみをのぞきこんだ。ウソをついていないかどうか、目に不審ふしんな動きがないかどうかをチェックするためだった。

カオルの目は、ひとらぎもしなかった。

「君には、君だけには信じてほしい。僕の好きな人は、他にいる」

「だったら、なぜ、告白しないんだ?」

「それができたら、こんなに苦労はしない」とカオルはつぶやくように言った。「僕はもだえ苦しんでいるんだ。君にもその苦しみを味あわせてやりたい。でもね、それはできない。今日はできない。いつか、君に話す時が来る。絶対に」

絶対。

その言葉に、私は嫌な予感を覚えた。

カオルは何を苦しんでいるのだろうか。

よっぽど、恐ろしい秘密をその胸に隠していた。

そして、その秘密は、あまり考えたくなかったが、私に関係があることらしかった。

私の家が見えたので、私は「バイバイ、また、明日な」と言った。カオルと別れて、自分の部屋に戻ると、私はどっと疲れが出たのか、制服を着たまま、眠ってしまった。

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