三話 大人なのか子供なのか

 レイミーとの昼食の後で、自分は仕事の為に酒場へと向かっていた。人通りの少ない我が家から数分歩くと商店通りに差し掛かり、昼時に相応しい賑わいが見られて自然と心も弾むようだった。

 今日はカームもルインも家に来ないとのことなので、帰りにレイミーの為にこっそり甘いものでも買っていこうか。笑みが溢れるのを自覚しながら、そう考えていた時だった。


「おーい、シンヤ」

「あっ、おはようございますルイズさん。今日は一人で巡回中ですか?」


 見知った声に挨拶を返すと、相手は人の良さそうな笑みを浮かべた。鉄製の鎧に身を包み、腰には長剣、背中には盾を担いでいるそれは、街の治安を守る警備兵である証拠だ。

 ルイズ・カーペンター。年齢は自分の三つ上であり、何かと気にかけてくれる兄貴分みたいな人である。

 警備兵としてはかなり優秀らしいが、何度も昇進の話が出ているというのにいつも断っているらしい。本人曰く、「お偉いさんのとこでずっと立ってるより、街を歩いてる方が俺には向いてんだよ」だそうだ。

 この時間はいつも同じ警備兵の人と巡回をしているはずだ。なのに一人でいるなんて何かあったのか。


「いや、巡回じゃない。うーん、ちょうど良いや」

「えっと、どうしたんですか?」

「なぁ、シンヤお前さ、スラムの子供たちと仲良いよな。グーグル騎士団とか名乗って、カームが子供たちの独立を支援してるんだろ?」


 あまり見せない真面目な顔をするルイズさんに、若干戸惑いながら答えた。


「はい、そうですけど……」

「うーん、いや、お前になら話しても良いよな。そんなひょろっとした見た目でも、一応あいつらの保護者みてぇなもんだしな」

「まあ、十九ですから一応成人してますし。そういうことになるんでしょうね」


 ルイズさんは辺りを見回すと、ちょっとこっち来いと人通りの少ない路地へと入った。自分もそれについて行った。

 あまり聞かれない方が良い話かとそう思い、声のボリュームを落として自分は訊ねた。


「……もしかして、レイミーへの刺客がまだ残っていたんですか?」

「いや、そうじゃない。近頃、スラムを中心に細々と活動していた盗賊団が、中央街まで活動範囲を広げてるらしくてな」


 スラム出身者の盗賊団。前にちらっと聞いたことはある。近頃はいたとしてもコソ泥程度だったので、てっきり解散したものだと思っていた。

 しかし、今になって活動範囲を富裕層のいる中央街まで広げているとはどういうことか。


「でも、カームたちからは何の話も聞いてないですよ?」

「お前のとこの子供騎士団は、カームも含めて頭おかしいくらい強いのが多いからな。標的ははあいつらが関わらない大人連中に絞られてたらしい」

「それは、手口が狡猾というか周到というか」


 つまりは結束力が強く、ついでに馬鹿みたいに強いやつらが多いグーグル騎士団との真っ向勝負を恐れたわけだ。懸命な判断ではある。

 それはスラムの中でのヒエラルキーが、グーグル騎士団だけに大きく傾いている現状が仇となったというのか。ある意味ではそれはスラムの子供たちの在り方を自分とカームで考えたことによる代償とも言える。


「とりあえず今は被害は少ないみたいだが、これからもそうとは限らないからお前にも伝えておきたくてな」

「そうだったんですか。ありがとうございます」

「んじゃ、俺は聞き込みに戻るからな。また稽古つけてやるから暇見つけて来いよ」

「はい、それじゃあ」


 そう言って足早に去っていくルイズさんを見送りながら、彼との稽古が洒落にならないほどキツイということよりも、いきなり盗賊団が活動範囲を広げ出した理由が気になっていた。






 木組みの年季を感じさせる内装、所々に補修の跡が見えるところがまた何とも言えない。

 木製の円形のテーブルに丸型の椅子の組み合わせが並ぶ店内は、陽の光が入り込んでランプを点けずとも明るい。夜になると、各所に吊るされたランプの灯りにここは橙色に染め上げられる。

 酒場『うぐいす亭』に入ると店長以外にまだ人は見えなかった。これは自分が一番だったか。


「ああ、来ましたか」

「どうもです、店長」


 スッとした背の高い見た目、そしてにこりと微笑む優しげな雰囲気は荒事が苦手そうなイメージを受ける。しかし、この店長が本気を出したならば、そこらにいる冒険者なら軽く捻ることが出来るのを自分は知っている。それでもう五十代後半だというのだから笑えない。


「今はシュリィさんとゴーグ君に追加の買い出しに言ってもらってるので、シンヤ君は棚の整理を手伝ってもらえますか?」

 「わかりました。すぐに着替えてきます」


 荷物を更衣室に置き、酒場の制服に着替えてから店長と棚の整理を始めた。

 棚には芸術的な装飾の施された高級そうな食器や店長秘蔵の十年物のワインなどがある。それを割らないように丁寧に移動させ、埃や汚れを掃除していくのを週に一回行っているのだ。

 ふと、店長と目が合うと店長は掃除をしている自分を見て温和な笑みを見せた。


「すっかりその服を着こなすようになりましたね。最初の頃は少し馬子にも衣装なところがありましたが」


 思わず制服を整えてしまい、それが何処か恥ずかしくて自分は笑った。


「一年以上も経てば自然とそうなりますよ」

「そうですね。いやはや、最近は時間の感覚が早いもので。やはり歳を取るというのは嫌なものです」


 そう言って手元のグラスの水を拭き取る店長は、遠い何かを懐かしんでいるように見えた。

 あの狭くて苦しい世界から抜け出して間も無い自分に、店長の思考は到底読み取れるはずもない。自分には人の表面に貼りついた『偽物』を読み取るので精一杯なのだから。


「そうそう、最近のあの子供たちはどんな様子なのですか?」

「カームやグレイスが睨みを利かせている御蔭で、あの家に集まっている子供たちの暮らしは平穏そのものですよ」

「そうですか。それなら、もう私が手助けをする必要もほとんど無くなったのですね」


 それは良かった。そう付け加えたのとは裏腹に、店長は嬉しくもどこか悲しそうだった。

 それはそうだろう。一年そこらしかスラムと関わっていない自分なんかより、ずっと昔から店長はスラムの子供たちに支援をしてきたのだ。

 以前、店長は自分にこう言った。「私はただ、ある人との約束を守り続けているだけなんです。食べ物を分け与えていると言っても、所詮は店の余り物ですからね。完全に自己満足なんですよ」と。

 約束とはなんですか。ある人って誰ですか。なんで冒険者を辞めてまで酒場を経営しているんですか。聞きたいことはたくさんあった。どれも結局は聞けなかったが。

 しかし、『異界人』という特殊な境遇が無ければ、自分はスラムの子供たちのことを見て見ぬふりをしていた可能性は高い。そんな自分が、何か意思を持って事を為そうとしている人を詮索して良いわけが無い。そう思った。


「そんなことはありませんよ。少なくともカームたちグーグル騎士団の幹部、直接食べ物をもらっていたやつらは誰一人として店長からの恩は忘れていません」

「シンヤ君がそう言ってくれるなら、私も少し気が楽になりますよ。ええ、こんな自己満足でも私のやったことは、決して無駄ではなかったのだと思える」


 自分は何も特別なことはしていない。貧困層の飢えた子供たちという昔からこの国にある問題に、たまたま自分というこの世界から外れた人間が入り込んだことで、偶然にも大きな変化が生まれただけだ。

 自分は先駆者たちの仕事を引き継ぎ、運良く成功させただけだ。

 何一つ、自分の確固たる意志で始めたものなんてあったろうか。いや、無いだろう。自分から深く踏み込むことを恐れているからだ。

 自分が人に踏み込むことで碌でもないことが多く起きる。それがあの世界でのの経験から、そしてこの世界に来てからの経験でも身に染みていることだ。



 壊したくはない。やっと手に入れたこの日常を。

 無くしたくはない。あの世界では手が届かなかった幸せを。

 もし、今の生活を自分から奪おうとする者が現れたとするなら、その時に自分は……。



「シンヤ君、何か無理はしていませんか?」


 思考を遮ったのは店長だった。反射的に「えっ?」と振り向いた。


「私には君が何もかもを背負おうとしているように見えるのですよ。君を兄だと仰ぐ子供たちを幸せにしようと、君の力の及ばないところの手助けをしてくれる大人たちの優しさに報いようと」


 ドキリ、胸の中がそう強く反応した。


「それは君の良いところなのかもしれない。でも同時に悪いところだ。君はまだ若い。世間では大人として扱われていても、まだ子供の部分が抜けきっていない。だから、『大人』を頼ることを忘れないでほしい。悩んでもがいて、それでもどうしようもなくなったとき、こんな私でも良ければ相談に乗りますから」


 柔らかい笑みを崩さない店長に自分はすぐには答えることは出来なかった。少し間を空けて、「はい、ありがとうございます」と自分なりに取り繕った顔で答えた。

 店長が何か返事をする前に、入り口の扉が開くのを鈴の音が報せた。


「あっ、グレイルさん」

「うーっすシンヤ。いや、すんません店長、少し遅れましたぁ」

「またですか。今日はどうしたんですか?」


 グレイルさんは既に制服に着替えている。金髪で軽そうな印象を受ける歳上の男の人だが、こう見えても元冒険者という経歴を持つ。何でも店長の人柄に惹かれ、冒険者稼業を辞めてまで店で働きたいと言ったそうな。


「道で見かけた腹を空かせた野良猫にパンをあげてましたぁ」

「君の言うことはいつも本当か嘘かの判断に困りますねぇ」


 店長はグレイルさんと話す時には、あまり見せない戯けたような喋り方をする。多分に弄るのが楽しいのか。


「そりゃねぇっすよ店長。俺はいつも清廉潔白、広く純粋な心で……」

「シンヤ君、そろそろ準備をしましょうか。買い出しの二人も戻ってくるでしょうし」

「はい、じゃあ厨房で待機してます」

「鳥骨で出汁をとったままなので、灰汁をとってから、隣の鍋に準備してある具材を入れておいてください」

「わかりました」


 一人芝居を始めようとするグレイルさんに、見切りーーボケの放置とも言うーーをつけて店長は自分へと指示を出した。でも、自分には店長が薄っすらと笑っていたのが見えていた。


「シンヤ! お前先輩を裏切りやがったな! 後輩としての自覚は無いのか!」

「はいはい、グレイル君。君はテーブルを拭いて、椅子を直して、さっさと開店の準備をしてください」


 ぶつくさ言いながらも素直に開店の準備をするグレイルさんは、歳上に失礼だけどとても面白かった。


 そして厨房で店長の指示通りにスープを作りながら、店長に言われたことを考えていた。


 ーー世間では大人として扱われていても、まだ子供の部分が抜けきっていない。


 まだ子供、なのだろうか。一通り生活していくのに必要なことは出来る。だから、それは精神性についてのことなのはわかる。

 自分のどこに子供っぽさが残っているというのだろう。

 いくら考えても自分ではそれを見つけ出すことは出来なかった。

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幻想心理のディファレントワールド 黒星 ヒビキ @brackstar_hibiki

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