二話 夢見 心矢の爽やかな朝に

 朝、生き物たちが動き出す音で一日の始まりは告げられた。

 日記を書いたまま机で眠っていたようだった。

 ふと、自分に毛布がかけられていることに気づく。たんぽぽの刺繍が入ったそれはレイミーのお気に入りだ。

 台所の方から音が聞こえた。レイミーはもう起きて朝食を作っているようだ。朝から気を遣わせてしまって申し訳ないという気持ちになりながらも、そんな小さな優しさに自然と頬が綻ぶ。

 机の上を適当に片付け、寝間着から着替えて居間へと向かった。

 部屋を出ると、肉の焼ける音と煮立てられた香草の香りに気づく。


「おはよう」

「おはようシンヤさん」


 居間のテーブルの一席に座っていたのはルインだった。ルインは魔法道具屋をしているため朝早いのも慣れているから、別段起きていることに驚きはない。

 レイミーは台所の方で忙しなく動いている。監督役をつけなければいけなかった時と比べたら危なっかしさは皆無だ。

 手伝えることは無さそうだし、ルインと何か話でもしようかな。さて、強いて言うことがあるならば一つだろうか。


「珍しいね、ルインがレイミーを手伝っていないなんて」

「僕はそのつもりだったんだけど、レイミーがもう一人で出来るから大丈夫って聞かなくて」

「難しいお年頃なんだね」


 ルインは真面目な性格故に誰かに何かをしてもらうというのを酷く嫌っている。なので泊まりに来た時はいつも食事の準備や部屋の掃除などを率先してやってくれるのだが、最近は家事スキルの上がってきたレイミーの所為で手持ち沙汰になることが多かった。


「レイミーもすっかりこの生活に馴染んでいますよね。僕とシンヤさんが一つずつ教えてあげなければ、掃除すら出来なかったのが懐かしいです」

「もう一年近くも経つからね。でもそうか、妹分が成長しちゃってルインは複雑な気分?」

「まあ、兄貴分としては何とも言えない気分ですね」


 可笑しそうにルインが小さく笑うので、自分もそれにつられて笑った。

 初めて会った頃のルインはこんな風に笑うことはなかった。信じられるのは己が創り出す魔法具のみ。それが彼の興味で、嗜好で、仕事で、全てであって存在意義であった。

 あの頃のルインは心をどこかに置いてきてしまった、さながら探究心のみで動くロボットだった。そう思えば、今こうやって自分に心を開いてくれているのがとても嬉しく思える。

 まだ少し頭が堅いところもあるが、それもルインという人間の良いところなのだと思う。魔法具の製作を手伝った時も、色々な視点から柔軟に考えることで用途によって使い分け出来る魔法具を試作していた。

 自分とレイミー以外には、頑なに開くことのなかった心も、最近は人と触れ合うことで徐々に開き始めている。良い兆候だと思う。


「そうだ、最近のお店の方はどんな調子?」

「どうしたんですか藪から棒に」

「いや、この前に酒場の空気清浄用魔法具を整備してもらった以来、暇が無くてあんまり行けてないからさ」


 突然話題を変えた自分に戸惑っていたルインはそれを聞くと、ああ、そういうことですかと合点が行ったという顔をした。


「一時期は注文がかなり増えましたが、最近は基本的に気に入ってくださった方が定期的に来る感じで何とか落ち着きました」

「それはよかった。これで新作の魔法具製作の方にも時間をかけられるね」


 そう言うとルインは嬉しそうに、はにかんだ笑顔を見せた。


「はい、作業の程度を見てからまた試作品を持ってくるので、シンヤさんその時は……」


 ルインにしては珍しく、おろおろとしてはっきりと物事を言わない。いや、言えないのだろう。この反応は己のアイデンティティと格闘しているのだと経験上から予想できるから。

 ルインはお店を敬意しているために経営のノウハウも持っているし、本人の能力も高いので大体のことはこなせる。年齢不相応にもしっかりとしているためについつい忘れがちだが、そんな彼は自分より五つも歳下なのだ。こんな風にちゃんと年齢に相応しい幼さを感じさせられる時だってある。

 ならば、ここは歳上として気遣いをしてあげるべきだろう。それが自分の責務だ。


「うん、使っての感想と意見だよね。専門的なことはいつも通りわからないけど、一般人としての感想なら任せてよ」

「あ、いえ、専門的な知識の無い人の意見の方が的を得ていることが多いので、改良するときの一度構想を練り直すのにかなり助かります」


 変な先入観の無い方が純粋に、素直な視点から見れるということだろう。そういう点では料理も作る側より食べる側の意見が大事なので似ていると言える。そう思った。


「そう言えば前にもそんなこと言ってたよね。でもいつも口だけじゃあれだから、少し自分でも何か作ってみたい気がするんだよなぁ」

「火炎魔法の魔法式を刻んだ金属板を使った簡易ランプくらいなら簡単に組み立てられますよ。今度やってみますか?」

「そうだね。今度レイミーと料理の練習をする約束してるからその時には味見も兼ねて呼ぶよ」


 話が一区切りついたところでレイミーから朝食の準備が出来ましたよー、と声がかかった。


「よし、手伝おっか」

「ですね。じゃあ僕はカームの馬鹿を起こしてきます」

「うん、それはいいけど、あんまり朝から大暴れしないでよ」

「ぜ、善処します」


 ルインとともに席から立ち上がった。

 自分がレイミーとともにお皿を用意したりスープをよそったりとする最中、子供たちの寝室からはルインとカームの早く起きろ、うるせー今起きるわ、二人はもう起きてるんだぞ、だっからお前は警備兵のおっちゃんかなんかかよ、という怒鳴り声の高速キャッチボールが早速聞こえてきた。

 一応釘は刺しておいたのに、その釘は二人の喧嘩を止めるには至らなかったようで、思わず溜め息を吐いた。


「喧嘩するほど仲が良い、ってことなのかな」

「け、喧嘩は良くないよ。ど、どうしようお兄ちゃん」

「レイミー、毎度のことながらあれはあの二人独自の挨拶だと思おうって」


 狼狽えるレイミー。そのどうしたら良いのだろうという表情とは裏腹に、朝食の準備を進める手は正確だ。なんだそれ料理が好きすぎて最早職業病の領域ですか、超可愛い思いっきり愛でたい。


「お、お兄ちゃん……」

「そうだね、殴った蹴ったの喧嘩になる前に止めてくるよ。まあ、二人とも引き際はわかってると思うけどね」


 うるうるとした眼で助けてアピールをするレイミーに、仕方なさげを装ってそう決めた。

 そんな未だに続く生産性の無い言い争いに呆れながらも、どこかでこの状況を楽しんでいる自分を感じていた。

 自分が部屋に入っても熱戦を繰り広げる二人は気づかないようなので、コツコツと足音を立てて近寄ると二つの頭に拳骨を落とした。


「二人ともいい加減にせいっ」


 あでっ、いっ、という謎の奇声をあげた二人への説教もそこそこに、心配そうにしていたレイミーにさあ、朝御飯にしようと自分は声をかけた。

 こんなしょうもないやり取りが出来ることに、平和と幸せに心内で感謝をしながら。






 酒場での自分の仕事は主に給仕だ。人手が足りないときは厨房の方を担当することもあるが、給仕として接客をし、サーブーー料理を運び、問題のある客への適切な対応を行う。

 酒場は主に夕方から夜にかけての時間、冒険者たちが帰ってくる時間に最も繁盛する。その時間は猫の手も借りたいほどに、ほとんど息つく暇もなく注文が殺到する。

 故に、メインターゲットであるその時間に対応出来るように、酒場の店長さんは仕込みを前から行っており、自分も含めた従業員は昼過ぎから出勤して買い出し、清掃などの手伝いをする。

 つまり、朝から昼までは時間にかなり余裕がある。と言っても、家事全般で時間はかなり削られる。しかし、最近はレイミーの手際が良くなってきたのでかなり手間は減ってきた。

 朝食の後、店があるのでとルインは帰り、今日は月一のグーグル騎士団の幹部会議だからと言ってカームがスラム街に向けて出かけたので、家に残ったのは自分とレイミーだけになった。

 今は二人で洗い物、洗濯を終わらせて、居間の掃除をしている最中である。


「ねえお兄ちゃん。ちょっと見て見て」

「うん? どうしたレイミー」


 物置小屋の天井の掃除中に突然レイミーから呼ばれたので、木組みのはしごから降りて口当ての布を取った。

 早く早く、そう急かすレイミーのもとへ精神的に光速で歩いて近寄ると、レイミーは顔の前で何かをぐいっと広げた。


「どう、かな?」


 広げたのは黄色くハンカチの形に縁取られた線のある白いハンカチ。しかし、ただのハンカチではない。レイミーがこよなく愛するたんぽぽの刺繍が入ったものだ。

 この場合のどうかな、はハンカチのデザインではなく、たんぽぽの刺繍の出来であると見た。


「刺繍も前より上手になってるし、良い出来なんじゃないかな。ところでそれをどうするの?」

「エミルちゃんにお誕生日にあげる約束してるの。それが明日だから、お兄ちゃんに上手に出来てるか見てもらおうと思って」

「へぇ、きっとエミルも喜んでくれると思うよ」

「そ、そうかなぁ。そうかな、そうかなぁ」


 えへへ、と顔をだらけさせるレイミーを可愛い抱きしめたいと思いながら、エミルのことを考えていた。

 エミルとはスラム出身の女の子だ。歳はレイミーと同い年で十歳だが、既に働いている。自分が贔屓にしているパン屋で接客の仕事をしているのだ。

 これは別に珍しいことではない。場所云々ではなく、どの貧困層の間でも一定の年齢を越えれば子供を出稼ぎに行かせる家庭は多い。あの世界でも科学技術の発達していなかった頃にはそんな珍しくはなかったという。魔法などの超常現象が当たり前に存在するこんな世界だからこそ、そんなどうしようもない現実が身近に突きつけられる。

 だが、エミルの労働条件はまだ良いほうだ。朝は早いが、夕方には定刻に帰れるし、賃金も出稼ぎ相当としては世間一般的に充分と言える額だ。スラム出身で知識と経験が乏しいため、まだ本格的な仕事はさせてもらえないが、もう少しで売り物にするパンを作らせてもらえるらしい。

 炭鉱で不眠不休で働かせられたり、危険な魔物のいる森で採集をさせられたりなどがザラである。しかし、これはここ最近少しずつ改善の兆しを見せている。

 きちんと休みを貰えたり、賃金が高くはないが安すぎない額になったりなど、自分としては当たり前のように思うことがしっかりと貧困層から働きに来る人にも適用され始めたのだ。

 服飾の仕事で一日十八時間労働をさせられていた頃のエミルはとても暗い性格だった。今ではその面影もないほどに楽しそうに笑う、そうレイミーは言う。喜ばしいことだ。


「じゃあ、明日休みにしてもらえるか店長に聞いておくから、明日騎士団のみんなのところに行った時にエミルに渡そう」

「うんっ」


 レイミーは嬉しそうに笑った。気づけば自分も笑みが溢れていた。

 自分がこの世界に来た一年半前、その頃に出会った人たちはみんな何かに苦しんでいた。この世界でもう一度生を受けた自分はそれを助ける義務があるのではないか、そんなことを考えて精一杯に努力してきたつもりではある。

 だから、それがみんなの笑顔に繋がっているのだと思うと、自分の行いは決して無駄ではなかったのだと、そう思える。

 そんなことを考えていると、ふとレイミーが嬉しそうに自分を覗き込んでいるのに気づいた。


「うん? どうしたレイミー」

「えっとね、最近のお兄ちゃん前より自然に笑うようになったから私も嬉しくて」

「えっ? そ、そうかなぁ?」

「うん。お兄ちゃんが助けてくれた御蔭で今の私がいるから、今の私が出来るのは頑張ってるお兄ちゃんに幸せになってもらう事なんだよ」


 だ、抱きしめてぇ。お持ち帰り、はしているようなもんか。くそっ、この気持ちをどうにか表現したい。

 上目遣いプラス花が咲くような笑顔を向けられたので、無性にレイミーを抱きしめて愛でたい衝動に駆られたが、どうにかそれは自重した。

 でも、そうか。そういう事もあるのか。どこかで自分は遠慮していたのかもしれない。


「ありがとうレイミー。自分もレイミーやみんなを幸せにするためにこれからも頑張るよ。それが自分の幸せだからさ」


 それを聞いてレイミーはその笑みを一層深くし、両手をグッと胸の前で握り締めた。


「じゃあ家事くらいはお兄ちゃんが楽できるように私頑張る!」

「よし、じゃあ今日も一日頑張りますかね!」

「おー!」


 この一年半で変わったのはみんなだけじゃない。自分も知らずの内に変わっていたのだ。

 自分には向こうの世界での事があって、それで無意識にどこか一歩引いた状態でみんなに接していたのかもしれない。例え自分にはそんなつもりはなかったのだとしても、だ。


 もう、良いのだろうか。創造主が言ったようにもう我慢する必要はないのだろうか。

 己を隠して『自分』という殻に引き篭もる必要はないのだろうか。


 だとしたら、みんなに話すべきだろう。今までは突然の神隠しにあったと言って、自分の境遇を隠してきた。しかし、いつまでも隠していては駄目だと思ってきた。

 そう、こことは違う『異世界』から来た人間だと話すべき時だ。

 こんな荒唐無稽な話をして信じてもらえるだろうか。今までと同じように接してもらえるだろうか。

 そんな、大丈夫だと信じきれない自分のことを歯痒く思った。





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