一話 今ある幸せを噛み締めて
疲れた身体に鞭打って家路を急ぎながら、ふと過去を思い出して、今の状況を考えていた。
あれから一年半。思い返せば色んな事があったと、穏やかな気持ちで物思いに耽る。
自分の世界の常識がまったく通用しない、この出鱈目な世界に来てから、右も左も分からないままによく頑張ったと自分でそう思う。
そして、あれよこれよとしている内に何とかこの世界に慣れる事が出来、今は定職にもつけて狭いながらも自らの持ち家がある。貧富の差が激しいこの国では収入がそこそこというのは暮らすには充分である。スラム街なんてものがあるのだから自分は恵まれてる方だ。
着の身着のまま放り出された事に最初は創造主を恨みもしたが、あれだけ願いを叶えてあげると言われながらたった一つでいいと強情になったのは自分自身だ。
今思えば、何故あの時、自分はあんなにも強情になっていたのかがわからない。何故だろう。そうやって心中で首を傾げた。
そう言えば、自分以外にこの世界に来ているという人々に会った事はまだない。
自分以外は思い思いの願いを叶えてもらったらしいので、今頃は順風満帆でスリル満点な、ワクワクドキドキ冒険ライフでも楽しんでいるに違いない。
なんせ、この世界には各地に無数の『迷宮』があるらしいのだ。形は大体が洞窟や不思議な建物の形を取っているのだそうで、いつの間にか勝手に出来ているものらしい。なんてファンタジックな。
お決まりというか何というか、中には不思議な、そして恐ろしいモンスターがうじゃうじゃ居て、その一番奥には何故か不思議で貴重な財宝が存在しているらしい。要するにトレジャーハンターみたいなものだ。
なので、強い武器や能力を持った人間など行く手数多だろう。デパートのセール品のように殴り蹴りの奪い合いだ。実際に何度かその現場に遭遇した事がある。
正直、あれには絶対に関わりたくないと言い切れる。主に取り合われる方として。あれを止めるのは骨が折れる。
自分には生死の境を彷徨うような戦いの日々に身を置くつもりなどない。そんなに強いわけでもないので、精々が接客や事務仕事がお似合いだ。
別に羨ましいわけではない。いや本当に、心の底からそう言える。
他所で勝手にやってくれ。別に自分はそんなのは望んでいない。
何度も言うが、自分にはチート武器も超人的な身体能力も無い。この世界に来た頃はぶっちゃけ、そこらの子供にも武器を持たれたら負けるかもしれないくらいには弱かった。
だから、あの時は死にかけた。自分を気遣ってくれる人たちにたくさんの心配をかけた。それが嫌だから、危険な冒険などは自分には必要無いと思っている。
そう、態々自分から体を痛めつけに行く必要は無い。なのでこれからも命を賭けた戦闘を行うつもりは無い。
でも、こんな物理的に理不尽だらけの世界で傷つくことに甘んじるという訳ではない。
最低限自分の身を守れるように、常にナイフを携帯してるし、店の常連さんや警備兵の人たちから色んな技術を教わっている。
ーーそう、例え光の乏しい夜に背後から飛びかかられようとも避けれるように。
背後から自分に対する『気配』を感じ取って咄嗟に身体を横に逸らす。すると、赤い影としか形容しようがない何かが元いた場所を恐ろしい速度で通り過ぎた。
その影はその場所の少し前で着地すると、すぐさま反転して自分へと再び飛びかかって来た。
そしてその何かの姿を眼が捉え、脳がそれをはっきりと認識する前に、反射的に体は既に回避の体勢をとっている。
紙袋を左腕で抱えながら、襲い来る何かの攻撃を避け、当たりそうなのを右腕で逸らしていく。まるで消えるように次々と違う方向から飛び出してくる攻撃は、普通なら目で追うことは不可能だろう。
かく言う自分も見ている訳ではない。『気配』が現れるところに腕を動かしているだけにすぎない。
相手はスピードも速く、それでいて攻撃を躱した時に空気を叩いた音がするほどの膂力を持っている。直撃すれば冗談では済まないだろう。
自分より土台となる能力が高い相手と対峙した際に有効なことは何か。
一つは相手を観察すること。動きをよく見て相手の癖を見抜き、それに対処する方法を瞬時に導き出すこと。
顔の前に現れた蹴りを躱し、そのまま通り過ぎようとする足の動きに自分の腕の動きを合わせ、力を逃した状態で足を掴む。そして少年を地面に叩きつけた。
「ぶぐっ!」
ーーそしてもう一つは力の差を覆し得る、繊細た合理的で圧倒的な『技』だ。
己のスピードそのままに地面に叩きつけられ、くぐもった声をあげている少年に自分は声をかける。
「はぁ、大丈夫?」
「うがーっ! ちくしょーまた負けたー!」
声をかけると赤い髪の少年は跳び起きた。自分は握りこぶしを作って少年の頭に軽く打撃を浴びせた。
頭を押さえて小さく唸る少年に、自分は少々語尾を強めて話しかける。
「カーム、夜で人が少ないとはいえ、こんな街中でいきなり飛びかかってくるなよ。周りの迷惑になるだろ」
自分より年下の赤い髪の少年ーーカームに、弟に諭すようにするとカームは困ったように頭を掻いた。
「だって、いつも真正面からじゃ勝てないからさ、暗いところで後ろから襲ったら勝てるかなって」
「いくらなんでも発想がおかしい」
ていっ、と頭に軽く手刀を落とすとカームは我慢の限界に近い時の表情を浮かべた。
あー、これはきっとお腹が空いているのだろう。紙袋の中から明日の朝食にと譲ってもらったパンを取り出して渡す。すると、カームは口を大きく開けて頬張り、あっという間に食べきってしまった。
「本当は朝御飯分のパンなんだから、レイミーにこの事は内緒だからな」
「んー、りょーかい。ていうかそうだ! 腹減って我慢出来なくなったから迎えに来たんだよ!」
「えっ? 家に居ればレイミーが夕飯作ってくれてるだろう?」
この時間帯ならとっくに家にはレイミーが帰っているはずだ。今日は夕飯の当番は自分ではないから、てっきりもう食べたのかと思っていた。
「明日はワーグナーの勤労祭だから、いつもお仕事お疲れってルインと一緒にこっそりとご馳走を用意して驚かすんだってさ」
「いや、それは本人の前で言っちゃいけないやつじゃん」
「あっ、やべっ」
基本的に本能で生きてるカームはとっても口が軽い。こんな風に気づいたら喋ってしまっていたなんてのは日常茶飯事だ。
軽く溜め息を吐いてから、自分はカームの前で目を瞑ってみせる。
「ったく、あーあー、自分は何も聞いてません。はい、これで何も聞いてないからな」
「うす! おれも何も喋っておりません!」
びしっ、という効果音が出そうなほど勢い良く敬礼したカームに、行くよと声をかけて家へと向かった。
「お兄ちゃんいつもお仕事頑張ってくれてありがとう!」
「いつもお疲れ様、シンヤさん」
「二人ともありがとう」
最近漸く買えたばかりの新居(と言っても、古くて立地条件もあまり良くない小屋みたいだが)に帰ると、待っていたのは沢山の手料理と光る三角帽子を被ったルインとレイミーだった。
魔法具製作屋を営むルイン特製の魔法具でライトアップされ、レイミーの装飾で過剰にデコレーションされた我が家は、何というかとっても派手だった。
あんまり派手なのは好きではないが、二人とも善かれと思ってやってくれただけに何とも言えない。デコレーションが中だけだったことを幸いと思おう。
「おー、スッゲーウマそー!」
買ってきた食材は明日の朝食分に全部まわすかと考えていた時、先に扉を開けて家の中に入っていったカームが声をあげた。それに釣られて自分も中を覗き込む。
「確かにこれは凄いな。お腹も空いてヘトヘトだからありがたい」
いつも使う食卓に、作業台や空の木箱を繋げ、その上にテーブルクロスを敷いた簡易テーブルに並べられているのは様食欲をそそる料理の数々だった。
一仕事終えた達成感、その代償に溜まった疲労の影響でさっきから空腹で、このままでは限界を超えて自分の身体をエネルギーに変えてしまいそうだ。
「食材は僕持ちだけど、料理はほとんどレイミーが作ったものだよ」
「そっか、最近料理の練習してると思ったらこのためだったんだ」
今まではあくまで自分の調理の手伝いだったけれど、先々月辺りのある日から、料理は全部任せてほしいと言ってくるようになった。
最初の内は具材の形が歪だったり、大きさがまちまちだったり、生過ぎたり焦げ過ぎたりなんて様だった。が、持ち前の手先の器用さでメキメキと上達し、最近は調理のほとんどを任せられるようになっていた。家事も含めて任せっきりも申し訳ないので、一定周期の当番制にしている。
「う、うん。美味しくできたかは、わからないけど、食べてくれる?」
「レイミーが頑張って作ってくれたんだろ? 美味しくないなんてことはないよ」
自信なさげにしているレイミーの頭をいつものように優しく撫でてあげる。すると、ぱぁっと満開に花が咲くような笑顔を見せてくれるのだ。癒される。
「それじゃあ、待たせちゃったみたいだし、早速夕飯にさせてもらおうかな。……おい、カーム」
荷物を置き、上着を脱いでラフな格好になる。そして、料理に手をつけようとしているカームの襟首をつかんで、奇妙な呻き声をスルーしたまま裏口にある井戸まで連れて行き、渋るカームにしっかりと手を洗わせた。
そして全員が席に座ったところで、今にも料理に飛びつきそうなカームを視界に入れながら自分が一言、「今日も一日を無事に過ごせた事に感謝して、いただきます」と。
テーブルの中央を陣取る鶏肉のから揚げが盛られた皿に、一番に手を出したのはやはりカームだった。
自分もそれに習って取り皿に二、三個乗せた後、木製のフォークで突き刺した。口に近づければ、植物油で揚げた香ばしい匂いと食欲を誘う肉の香りが早くと急かす。
「うんめぇ!」
「カーム、もう少し声の大きさを下げてくれ。騒ぐにしても限度ってものがあるだろう」
「細かいことは気にすんなよ。どうせ他んとこも今はお祭り状態だろうしさぁ」
「それならせめて料理くらいは落ち着いて食べれないのか」
「ったく、いちいちうるせぇな。お前は警備兵長のおっさんかよ」
生真面目で現実的、感情優先で楽観的。いつもルインとカームの二人は性格的に馬が合わない。あーだこーだの口喧嘩は日常茶飯事だ。
二人の声をBGMにしながら、から揚げやサラダ、シチューを堪能する。口の中に広がる肉汁、噛み応えのある鶏肉の食感が充足感を演出し、採れたての野菜が生み出すみずみずしさとシャキシャキ感は疲労感を和らげてくれる。少し酸味のあるドレッシングも良いアクセントだ。そして、煮込んだおかげで少し具材が溶け出したクリーミーなシチューが、ゆっくりと体の中に入り込んできて芯まで温まっていくのがわかる。
使われている素材が違うのだから、どの料理も向こうの世界と味付けはところどころ違う。しかしながら、これはこれでまた味わい深いものがある。寧ろ、その微妙な違いを楽しむのが乙なものなのだ。
うん、美味しい。思わずそう呟かずにはいられなかった。
テーブルを挟んで向かいに座るレイミーはそれを聞いて、安心そうに胸を撫で下ろした。なにそれ可愛い。
「良かったぁ。サラダの味付けにはしそを粉末状にしてからいつものに加えてみたんだけど大丈夫だったかな?」
「味の濃さは自分的には良かったと思うよ。野菜の味を損なう感じではなかったしね」
「ねぇお兄ちゃん、今度時間があったらまた料理教えてっ! お兄ちゃんの故郷の料理っていうの私も作れるようになりたいから!」
「そうだね、最近は仕事ばっかりだったしね。店長にお休みをもらえるか聞いてみるよ」
そう言うとレイミーはまた嬉しそうに笑った。本当に料理が好きなんだな、と思う。
その後、料理している時の発見や感動を笑顔で語るレイミーに、味の感想を時折交えながら自分は話していた。一日の出来事などを言いあって笑い、カームとルインの様子に苦笑を浮かべ、それぞれが食事を楽しんでいた。
あんなにあったテーブルの上の料理はいつの間にか無くなっていた。
洗い物や飾りの片付けを終えて、お風呂を沸かして順番に入った後、夜も遅いからとルインを家に泊まっていくように勧めた。
自分は三人が眠った後、ランプの明かりで仄かに照らされた部屋で日課となっている日記をつけていた。
日記の一行目は、今日も楽しい一日だった。そう綴った。
絶望に終わった向こうの世界では得られなかった幸せ。平和な日常というほんのささやかな幸せ。
大変だけどとても賑やかな酒場で仕事が出来て、行きつけのお店の人達や街を歩く衛兵の人達、スラムのグーグル騎士団の子供達とも仲良くなれた。
この一年半の間に色々なことがあったが、それもこの日常を手に入れるための試練だったのだと思える。
だから、この世界に来た日からつけている日記も、ここ最近は何を書こうか迷うほどに毎日が充実している。
今日はこんなことがあった、明日はどんなことがあるだろうか。まだ見ぬ明日、けれども希望に満ちた明日に想いを馳せる、そんな日々。
ただ今は、そんな幸せを噛み締めていたかった。この幸せがいつまでも続くものであると信じていたかった。
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