幻想心理のディファレントワールド
黒星 ヒビキ
『自分』の生き様を問え〜異世界生活の二章〜
プロローグ ただ、そう願っただけ
何かに惹かれるように夜空を見上げた。
ああ、今日は天気が良い。
稀に見る晴天の夜空、その満天の星空に浮かぶ光を掴もうとして手を伸ばした。そしてすぐに手を引っ込める。
馬鹿な事をした。幾ら手を伸ばそうとも星を掴めるはずなどないのに。そう己への嘲笑を浮かべる。
何が自分をそうさせたのか。わからない。何故だろうか。
考えてもわからないなら大したことでは無いのだろう。
だったら忘れよう。
記憶と忘却の連鎖で人という生き物が形作られているのならば、自分の鎖は互いに絡まらずにただ繋がっているだけだろう。確かに削って整えたはずなのに、適当な溶接の跡がどこかに残ってしまうぐらいには歪な鎖の束。
だからこれは独り言だ。
人を信じたくても信じられずに、子供なのに大人ぶって、自分の才能では土台無理なはずなのに、どうにかしてやってのけてしまう。
そんな不器用な『自分』という『少年』の物語。
やっと手に入れた何かを守りたいと願う不器用な『自分』の物語。
思い出すのは今から一年半前。
決定的な何かが『死んで』、この『自分』が産まれた日のこと。
ーーーーーーーーーーーー
閉じていた眼をゆっくりと開いた。
止まっていた思考が働き出す前に、自分の目に飛び込んできたのは白い場所。
ここが建物の中だというならば必要なはずの壁は見当たらず、ここがどこだとしても最低限あるはずの物質の感覚がなく、石ころも水も雑草も距離感や感触すらもなかった。今自分は何かの上に立っているはずなのにその感覚が無い。
そんな非現実的な無の中にもただ一つだけあるものがあった。
それはーー人間だ。
男女合わせて数十人規模の集団がいた。とは言っても見る限り学校のクラス一つ分くらいの人数だろう。五十はいない。
容姿も体格も人種も勿論、性格だって違うであろう人間の集まりであるその集団は不自然なほどに静まりかえっていた。
いや、この不可思議な場所にはお誂え向きな程良い不自然さだ。
人が動こうとも何一つ音がしないのだから。これは充分な超常現象だ。
その集団の、自分以外の全員の目線はある一点に注がれていた。
そこにいたのは、この何も無い場所で宙に浮きながら金属製の椅子に座る少年。
薄い笑みを貼り付けたその顔は、思わず吐き気を催してしまいそうなほど整っている。百人いれば百人全員が必ず眉目秀麗だと答える確信を持つようなそんな完璧。
「あっ、最後の子が来たみたいだ」
それだけ世界の理に反したような、柔らかな声音で紡がれたその言葉に、集団の目線が一斉に自分へと向けられる。音のしない騒めきが起こった。
不安、恐怖、驚愕。みんな同様にそんな顔をしていた。
「じゃあ、始めようか」
立ち上がり、人の波の最後尾に自分が混ざったところで、その白髪の少年はそう告げた。
「神聖なる、変革の儀を」
どよめきはない。否、聞こえない。少なくとも自分には認識出来ないというだけ。
「聞きたいことは山ほどあるだろうけど、ここではお分かりの通り僕しか喋れない。だから一方的に喋らせてもらう形になるのでよろしく」
それは宣言だ。
『今から言うことでお前らに選択肢などない』という言外の表示だ。
「まず君たちの最後の記憶はどこで終わっているかな?」
この意味不明な状況による無意識の混乱から冷静になりかけていた脳が、意図せずに自分の記憶を掘り出していく。
そして、思い出す。何故あんなことを今の今まで忘れていたのか、深い負の感情とともに心の最奥から掘り起こされる。
それは他の人たちも同じだった。名も知らず、関わりもない人たちだが『未練』という一つの共通点があったのだろう。
音が聴こえずとも、視界に映る人々は皆、様々な変化を見せた。
頭を抱え、涙を流し、虚無を殴り、呆然と立ち尽くしていた。
かく言う自分も、深い後悔の念と何処にやればいいのかわからない怒りで今にも発狂しそうだった。
本来変換されるはずの物になれない感情が行き場を無くし、世界を侵食し、白い空間は少しずつ黒ずんでいく。
「そう、君たちは世界に絶望したはずだ。運命を恨んだはずだ。不条理に怒ったはずだ。そんな可哀相な君たちを見ていて、僕は居た堪れなくなった。だから僕は君たちをここに呼んだんだ」
黒く染まり続けるその場所の中で少年は両手を広げて語った。
その言葉を聞いていたのが自分も含めて何人いたか。
だが、その次の言葉は間違いなく全員の耳に届いていたのだろう。
「君たちにはチャンスをあげたいと思う。もう一度人生をやり直せるチャンスを!」
黒に場所が塗り替えられる寸前で紡がれたその言葉に、全員が顔を上げ、再び場所を鮮やかに白く染め直した。
動揺は隠せない。もうわからない。理解しえない何かが起こっているのはわかる。
今この少年は何と言ったのだ。
ーーもう一度人生をやり直させてあげるよ。
もう少し違った言い方だったとは思うが、自分には確かにそういうニュアンスで聞こえた。
「と言っても、元の世界には戻れないよ。君たちの魂はあの世界とは完全に切り離された。僕でもそれは変えられない。あっと、紹介が遅れたね。僕は君たちのいう神様、みたいなものだと思ってくれていい。呼び方は、そうだね、
『
次々と言われる言葉の一つ一つに対応するのが苦しい。
そんな心境を知る由も無くーーもう既に知られてるのかもしれないがーー話は続いた。
その少年ーー創造主が話したことを要約するとこうだ。
ーー曰く、ここに集まった者たちは、運命の神に愛されなかった者たちだと。
ーー曰く、残念ながら、そんな者たちを愛してしまったのはこの世界の負の側面にある者たちなのだと。
ーー曰く、それを可哀相に思った創造主はほぼ同時期に死んだそんな者たちに違う場所、『異世界』で新たな人生を送ることを許可してくれると。
ーー曰く、魔法と幻想によって形作られたその世界に行くにあたって、三つまで何でも願いを聞いてくれるのだと。
ーー曰く、その世界に行った後は脅威から世界を救おうが、国を作ろうが、迷宮に挑もうが何をしてもいいと。
そんな荒唐無稽な話についていくことが出来たのは、ある意味奇跡だったのかもしれない。
「以上、わかってもらえたかな? なら、時間がないからそこの君から始めようか」
集団の先頭にいた小太りの男が呼ばれた。
身を折りながら泣いていた男は、創造主の提案が真実であれ何であれその希望に乗るのを決めたようだ。
その顔には隠しきれない喜色が貼り付いている。
そう、ほとんどがその男ほどでは無いにしても先ほどまでとは一転して、この先に活路を見出したような顔をしている。
声に出ずとも、その心境がこの場所を明るい色に変えていた。白よりも明るい眼を焼くような色に。
この事態を希望のように感じていない自分のようなのは、果たして他に何人いるだろうか。
そうだ。自分は、喜べない。嫌われ、疎まれ、騙し、欺き、壊し、最後には殺した。
その報いを受けて死んだはずの自分が、新しい世界でのうのうと生きていいのか。
もう楽になりたくて、生きているということが苦痛でしかなくて、偽りの仮面に隠した狂気に呑まれて成したことに未来を見れなくて。
死んだはずなのに、勝手に連れてこられて同情されて、挙句に「もう一度チャンスと力をやるから、違う世界でやり直してこい」だってよ。
そんなの笑えてくるじゃないか。やってられるか。自分は死にたかったんだ。天国でも地獄でもいい。死者として消えたかったんだ。
そうやっていくら不満を言おうとも、状況を呪おうともそれは音にならない。
ふとして周囲を見渡せば、残っていたのは自分一人だった。
「さあ、君が最後だね。もう他に人もいないから音を出してもいいよ」
近寄ってきた創造主がそう言うと、自分に課せられていた何かが外れたイメージが脳裏に浮かんだ。
「何なんだよこれは」
自分の声が聞こえたことに驚いて、咄嗟に口を押さえた。さっきのイメージは音を出せるようにする合図だったとでもいうのか。
「君も大変だったろう。大丈夫。次はきっと上手くいくよ。僕が保証する」
「そんな、そんなはずないだろ。自分の何を知ってるっていうんだよ。意味わかんないんだよ。何が創造主だ? 異世界で新たな人生を送るだ? 反吐が出る。勝手しやがってふざけんなよ」
思わず激昂した。冷静で努めようと、意味不明を理解しようとした結果の感情の吐露。それは精一杯の足掻き、故に激昂たり得るもののはずだ。
「知ってるさ、僕は上位存在だ。君が望めば僕は答えよう。何かを求めるならばそれに見合った『力』を君にあげよう」
そんな八つ当たりにも、創造主は優しく応じた。何もかも知ったような顔で、何もかも包み込むような穏やかな声で、泣き喚く幼子を諭すように微笑んだ。
だが、それが自分には途轍もなく苛立たしかった。本当に創造主と名乗るこの少年が神様みたいな存在だったとしてだ、自分の人生のその一端を知っただけだというのにこんなにも馴れ馴れしく、まるで旧知の友人のように、長年時を過ごした家族のように接してくるのは。
「そんな、わけないだろ」
「いいや、本当さ」
言葉が刺さる。なんて事ない普通の言葉のはずなのに、創造主の慈愛に満ちたその声が自分の心の壁を刺してくる。
「だったらなんで今なんだよ!」
「ああ、済まなかった」
言葉が壊してくる。壊れた壁から抑えつけていた思いの全てが溢れ出してくる。
それは止められない。歯止めの効かない歯車が深々と心の中を抉り出して。
「『俺』は裏切られたんだぞ。あんな風になって、誰も信じられなくなって」
激流として流れ出して。
「『僕』はどうしたら良かったんだ。なんで、なんで教えてくれなかったのか」
溢れた悲壮が渦を巻いて。
「貴方が神様だというならもっと早く『私』を助けてくれれば良かったのに。なんで今更、こんな意味わかんない形で助けようとするんだよ!」
心の中を駆け巡って、感情の粒が降り注ぐ。
「遅すぎるだろ……」
心の中に溜まったものを吐き出して、それで少し楽になった気がした。一度死んでいるからか、それとも抑えつけていた感情を吐露した結果出来た心の空白のお蔭か、自分の記憶に真っ向から立ち向える気がした。
「もう気は済んだかい?」
そう掛けられた声は依然として優しかった。温かくて、柔らかい、包み込むような声。
ああ、やっと気持ちの整理がついた。
「はい、すみませんでした。やっと気持ちの整理が出来ました」
「しょうがない事だよ。異世界で新しい人生を送れるとして、前の世界で文字通り死ぬほど絶望した人の中には君みたいにナーバスになる子もいるだろうさ」
そう言うと、創造主は自分の頭を撫でた。それも赤子をあやすような優しい手つきで。
「若いのに大変だったろう。辛かったろう。まだ成人もしてないっていうのに、君の心は疲れて老衰しきっている。何度も壊されて、それでも何とか修復してきた代償だ」
『良く頑張ったね、偉いぞ』
小さい頃の思い出が蘇る。あの壊れる前の、まだ純真でいられたあの日々のあの人の声が聞こえた。
自然と嗚咽が漏れる。涙が溢れる。抑え込んで、壊して、我慢して、無くしてしまった温かい何かが戻ってくる。
膝を落として泣き崩れた自分を創造主はその胸に抱き寄せた。眉目秀麗に作られた体が、小さく頼りなさそうな体だとしても、その芯にあるものはとても大きく感じた。
なら、今、この瞬間くらいは弱音を吐いてもバチは当たらないだろう。
どれくらい経っただろうか。
泣き止んだ自分は創造主からゆっくりと離れた。
「もし、新しい世界に行けたとして、自分はそこで上手くやれるでしょうか。また、失敗してしまうのでは無いのでしょうか」
「絶対に大丈夫、とは言えない。でも、それをどうにか出来るようにするために、足りないものを補う為の『願い』だ」
「それさえあれば大丈夫と」
「君が心からそう望むのなら、待っている場所に後悔は無いはずだ」
「本当に、ですか?」
「ああ、約束するよ」
そう言い切った創造主への感情は感謝だ。例え、その正体がわからなくともさっきまでの温もりは信じたい。
「さあ、他の人たちは色々なものを望んでいたけれど、君は何を望むんだい?」
その問いかけに自分は少し逡巡した。
僅か数秒、特に長くもない沈黙だったが、その間も目の前の笑みは揺るがなかった。
そして、自分は答えた。
思い描いた、そのたった一つの願いを。
その答えに不敵な笑みが一瞬揺らいだ気がしたが、思い過ごしだったのかすぐに元に戻った。
「本当にそんなもので良いのかい?」
「はい、それで良いんです」
戸惑ったような声にきっぱりと答えた。今度は、多少の疑心はあろうとも敬意を持った答えで。
だが、戸惑いは続く。向こうは納得いってないようだ。
「もっと他に、最強の武器とか、天賦の才覚とか、特殊な魔法とか、見目麗しい容姿とか、そんなのがたくさんあるでしょ?」
「そんなものは必要無いです。そんな戦闘なんてする気は無いですし、これで充分です」
「しかも、一つだけって。三つまで願いは良いんだよ? 一つだけなんて前代未聞だ」
断りを入れようとも、創造主は執拗に食い下がってくる。
だから、自分はこう提案した。
「それなら貴方が適当に決めてくれれば良い」
「えっ? そ、それなら、君の願いにあった、そうだな、自衛手段にしとこうか。自分の身は自分で守れた方が良いだろう?」
「はい、そうですね」
何か言いたげな顔をしてくる創造主に反応することなく、静かに次の言葉を待った。
今、自分の頭は落ち着いている。今までにない感覚だ。
「はあ、初めてだよ君のような子は」
「それはすいません」
「なら、すぐに転送を始めよう。異存は……特にないね?」
「はい」
その瞬間、自分の体が光りだした。
擽られるようで叩かれてるような、引っ張られるようで押し出されるような奇妙な感覚。
それは次第に強くなっていく。
「じゃあ僕の役目はこれで終わりだ。他の人たちも異世界にいるけど、多分会うことはほとんどないと思うよ。なんせ、あの世界はとても広いからさ。地球なんて狭い世界より何倍も広い世界だ。これからはそんな世界で君は生きていくんだ」
そう言われて、今まで引っかかっていた事を尋ねた。
「でも、貴方はなんでこんなことを。いくら考えてもメリットがあるとは思えない。例え、神様とかのどんなに凄い存在だったとしても」
「さっきも言ったはずだよ。君たちが可哀相だったからって。そこにメリットもデメリットもない」
体を包む光が一層激しさを増した。
そろそろなのか。
「そろそろだね。さあ、これから始まるのは新たな人生だ。自由に感じ、行動し、生きてもらいたい。これが僕の願いだ」
光が完全に体を包み、視界が白く染まる。
「健闘を祈るよ。
最後に聞いた言葉は、とても、とても。
とても優しかった。
これが自分の異世界への旅立ちであった。
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