東京都交通安全責任課

「きみに担当してもらう車は、東京都ナンバーの 55-3C4F から 57-7BA9。およそ一万台だ。よく把握しておきたまえ」

 都庁に就職した初日、交通責任課の課長はただひとりの新人であるわたしのために、わざわざ「新人のための業務説明会」なるスライドを作って説明をしてくれた。東京都内を走る自動車四十万台のうち、一万台がわたしの責任担当車になるそうだ。

「これらに交通事故があった場合、きみに責任をとってもらう事になる」

「責任をとる、というのは何をすればいいのですか」

「仕事を辞めてもらう」

「辞める」

「うむ。責任課というのはそのための部署だからね」

 と、課長は真剣な顔つきで言った。

 東京の役所や大企業に「責任課」という部署があることは就活をはじめた頃から知っていたけれど、いくら自動化技術で人の仕事が減る一方だからって、こんな奇妙な「仕事」が実際にあるということはやはり釈然としないものがあった。


 課長の説明が終わると、先輩課員がオフィスを案内してくれた。アルミ製の飾り気のない事務机に、国内メーカーのネット端末がずらっと並ぶ。いわゆる公務員的なオフィスの風景だ。

「まあ、普段はのんびり過ごしていいよ」

 この先輩はわたしよりも二つ年上だというが、大学を卒業してすぐに就職したので、もう勤続五年になる。責任担当の車はわたしの三倍もある。清潔そうな外観と社会経験豊富そうなその立ち振舞をみていると、家でずっとゲームばかりしている兄と同い年とはとても思えない。

「普段はどんな仕事してるんですか?」

「うーん、基本的にすることは何もないよ。まあ、日常から責任課員としての自覚をもってふるまって欲しい、ってことくらいかな」

 わたしがピンとこないでいると、彼はちょっと気まずそうに説明を加えた。

「あと、たまに課員が持ち回りで地区の子どもたちに、交通安全の説明をするイベントがあるかな。二ヶ月に一回くらい」

「わたしが喋るんですか?」

 はやくも不安になった。大勢のひとの前で喋ったことなんて、大学のゼミ発表会以来いちどもなかった。生来のあがり症が全面的に出て、思い出したくないような思いをしたことを覚えている。

「やっぱり人の講師が喋らないと納得できない、って親御さんが多いんだよ。いまの小学生の親世代だと、まだ教育も人の仕事だったからね。僕らの歳だと、もう学校に先生はいなかったでしょ?」

「校長先生と学年主任の先生はいましたよ」

「そうそう。責任のある仕事は人がやるってことになってたよね。僕のところもそうだった」

 と先輩は爽やかに笑った。


 仕事を見つけるために東京に行きたい。そう母に相談したのは、去年の秋のことだった。

 もちろん実際は順番が逆で、本当はただ東京で暮らしたかった。この田舎で生活局から基本金を受け取り、母と兄とずっと過ごしていくというのがどうにも受け入れられなかったのだ。でも任意転居では基本金が増えないので、物価の高い東京で暮らすのは難しい。そういうわけでわたしは「仕事」を探すことにした。

「仕事がしたい。この田舎にはもう仕事がない。」これなら東京に行く必要条件になるし、暮らすための十分条件にもなる。東京の労働者の最低賃金は、生活局の基本金よりもずっと高い。だから仕送りもできるし、前々から母の夢だった実家のリフォームもできる。そういう理屈で母を説得し、わたしは就職活動をはじめた。

 でも実際に探してみると、いくら東京でも人の仕事のあるところはほとんど無かった。いくつもエントリーシートを出して、何回もの試験と面接をこなして、最終的に受かったのが東京都庁だった。公務員なら人員削減も少なそう、と母もわたしも安心した。この安心が地方在住者の根本的な勘違いだったことを、わたしはすぐに知ることになる。

 春になって配属されたのは、「東京都交通安全責任課」というとてもゴロのいい部署だった。


「まあはっきり言って、交通事故が起きる確率はほぼゼロに近いんだがね。前に都内で交通事故があったのは十年以上前だ」

 と課長は言うけれど、わたしは交通事故なんてものがまだ世の中に普通に存在していること自体が驚きだった。凶作による食料不足を農業技術で克服し、細菌による感染症を抗生物質で撲滅し、超過勤務による過労死を徹底した労働管理システムで根絶し、征服し、駆逐し、撃滅し、アンドソーオン。「人の運転による交通事故」なんてものも、科学技術が葬った過去の恐怖のひとつに数えられるものだと思っていた。

「とはいえ、日本全体で事故がゼロ件だった年はまだないんだよ。残念ながらね。だから君は都民の代表者として、担当の車に事故があったときに辞職してもらう」

「つまり、責任課というのは辞職するために存在する役職というわけですか」

「うむ。交通安全の技術的なことを言うことはもう出来ないからね。事故の被害者が納得できるよう、責任をとることが我々の仕事なのだよ。機械には絶対にできない仕事だ、誇りをもって取り組んでくれ」

 と、課長は真剣な顔つきで言った。わたしは「はあ」と気合の入らない返事をした。

「人が車を運転していたころは、交通安全の責任は運転手にあった。まあ当然だな。だが、当時は人命に関わるほどの交通事故がたくさんあったから、責任も個人では負いきれない。だから強制加入の自動車保険があって、責任を市民で分散することが義務付けられていたわけだよ」

 その話は社会科の授業で習っていた。二十世紀の終わりごろは、日本だけで年間六千人もの人が交通事故で死んでいたという。とんでもない数だ。いくら人口が一億人もいたからって。

 人が時速六十キロものスピードを制御するわけだから、事故が起きない方がおかしいし、そんなものを法律で認めているのがわたしには不思議でならなかった。車による経済効果がそれを上回っていたから、と説明されたので「お金が人命より優先されるのが理解できません」と教科書に聞くと「価値観は時代で変わるものですから」と言われた。

 その後、運転自動化の普及に反比例して交通事故は減っていったけれど、それでもグラフの線がゼロの軸に接することは無かった。いちばん問題になったのが事故の責任の所在で、最高裁まで争ったうえで「メーカーの責任にする」という判決が出た。

 でも次第に製造業の方もどんどん自動化が進んで、今は国内の自動車メーカーはどこも人の従業員がいない。事故の補償で株主がちょっとずつ損をする形になるのだけれど、被害者が恨むべき特定の責任者というのがいない。

 というわけで巡り巡って、「責任をとる」のが自治体の仕事になった。それが東京都交通安全責任課であり、わたしの職場だ。もちろん実際の自動車製造や運転制御にコミット出来ることは何もなく、「問題が起きたら辞める」ための人間をストックしておく、というのがこの責任課の存在意義らしい。なんだかずいぶん無駄なことをしているように思うのだが。


「もちろん無駄なことだよ」

 先輩はしゃあしゃあと言う。

「無駄であることが肝心なんだ。無駄な仕事なのに、きちんと労働者扱いされて給料をもらっている。みんなが辞めてほしいと思ってる。だから交通事故で辞任すると、責任を果たしたと思ってもらえるんだ」

「メーカーの社員、という扱いにならないのはどうしてですか」

「欧米だとそうらしいけどね。でも江戸時代の公務員はサムライだったわけで、責任をとってハラキリするっていう文化が日本人のDNAにしっくり来るんだろう」

 その日は仕事をはじめて二ヶ月ほどで、梅雨の晴れ間のいい天気だったので、わたしと先輩は都庁ちかくのカフェで一緒にランチを食べていた。カフェは労働者しか来ないような高級店だ。このあいだまで生活局の基本金で暮らす消費者だったわたしからすれば、椅子から転がり落ちるような価格設定だった。

「昔は、責任をとるっていうのは神様の仕事だったんだよ」

 と先輩はエスプレッソを飲みながら言った。

「日照りになればお天道様のせい、洪水になれば龍のせい。昔の人は、自然界のどうしようもない理不尽を精神的にやり過ごすために、自然現象を擬人化した神様を用意して、責任の所在を明確にしていたのさ」

「それじゃ、科学が発達してみんなが神様を信じなくなったから、その仕事を人間が代行する事になったってことですか」

「そうだね。たしかに自然界の理不尽は科学技術で大体追いやったわけだけど、いくらガンの死亡率が一パーセント以下になっても、その一パーセントに該当した本人や家族にすれば、どうしようもなく理不尽な百パーセントなんだ。だから、そういう理不尽の責任を投げつけられる相手ってのが、いつの時代も必要なんだよ」

 東京都には医療衛生責任課もあった。医療システムの過誤による事故にたいして責任をとる部署だ。百人以上の課員がいて、責任課のなかではもっとも忙しい部署だった。いくら技術が進歩しても人は最終的に死ぬのであり、その過程に医学がまったく関わらないことはほとんど無い。たいていの人は医療システム群の待つ施設をくぐり抜けて死んでいく。だから身近な人の死という理不尽に直面したとき、まっ先にやり玉に挙がるのは医療衛生責任課だった。

 その点、わたしの配属された交通安全責任課は都庁屈指の暇な部署だった。独立した課としての存続が危ぶまれるほどだ。都議会の予算審議があるたびに、都市インフラ責任課と統合して人員を削減すべきという議論が起きていた。でも高齢者の「交通事故」への恐怖心はいまだ根強いものがあり、責任課がきちんと存在することは都民の精神的平穏のために非常に重要である、と課長は熱弁し、なんとか課の存続を守っていた。そう考えると頼りになる上司なのかも知れない。


 ほとんど仕事らしい仕事のない「責任課」だけれど、たまにちょっとした実務がある。イベントや市民デモ活動の申請があった場合に交通規制を課す、というのがその一つだ。昔はおまわりさんが立って交通規制の旗を振っていたそうだけれど、いまはシステムに登録しておけば、車が勝手にそのあたりを避けてくれる。

 わたしは先輩に教えられて、デモ申請書にあるとおりにデモの範囲を指定し、規制開始時刻と終了時刻を入力してシステムに登録した。これを何人かの課員がダブルチェックした上で、課長の許可をもらって実行する。間違っていたところでシステムから警告が出るのだからそこまで厳密にやることもないと思うのだけれど、とにかく責任課は時間が余っているのだった。

 その日は都庁前で消費者によるデモ行進があった。窓から外を見下ろすと、色とりどりのプラカードを持った都民が楽器を鳴らしながら路上を練り歩いているのが見える。プラカードには「行政は都民の労働を保証せよ」「人の仕事をかえせ」「生活基本金の減額反対」「安心して暮らせる東京に」「労働者と消費者の格差解消」「都知事は用途不明金の責任をとって辞任せよ」といった内容が書かれていた。

 新米とはいえ労働者であるわたしは、文字通り上から目線で彼らを見ているわけだけれど、あの人達の主張は結局「働きたい」のか「お金がほしい」のかはっきりしない。生活局の基本金をもらってるから生活費はあるわけだけれど、労働者と消費者ではやっぱり生活レベルが結構違うし、子供の教育の選択肢も限られる。だから「お金がほしい」と言うなら分かるけれど、「責任課」のように都庁で一日中座ってるような仕事をする人をこれ以上増やしても仕方がないのではないか、と思う。

 そうなるとだんだん自分の将来が不安に思えてきて、もっと生産的な仕事はないのか、と都庁のネット端末で求人情報を探してみた。でも民間企業にしたところで事情は同じようなものだった。都庁と同じような「責任をとる仕事」のほか、受付窓口や、性産業としか思えない怪しげなもの。要するに「人間であること」自体が必要とされるものだ。

「クリエイティブな仕事をしたいんですよ。芸術のセンスや資格があれば良かったのですが」

 と先輩に相談してみると、

「あれ、知らないのか? いまは作曲も演奏も自動システムがやってるんだよ。自動作曲だと知るとリスナーが嫌がるから、音大を出た人を表向きの作曲家として割り当ててるけどね」

 と言われた。

 転職先の有無は別にしても、そもそも責任課を自主的に退職することはあまり好ましくないらしい。都庁の職員という地位を手放したくないからこそ辞職に責任感が発生するのであり、自主的に辞めるような人が多い職場では「責任をとって辞職」の効力が薄れてしまうのだ。

 それを聞いて、わたしがどうして都庁に採用されたのか分かった気がした。おそらく面接にあたった人事システムは、わたしが東京に住むことに固執しているのを見ぬいたのだろう。そうなれば自主的に退職される可能性は低く、責任課のイメージが維持される。

 なんといってもわたし達は「神様」の代行者なのだ。あまり安易に人間に戻られては困る。


 わたしの住むアパートは都庁まで徒歩十五分のところにある。就職してすぐの頃は健康のためになるべく歩くようにしていたが、梅雨に入る頃には車を拾うようになった。田舎ならあらかじめネットで車を呼んでおく必要があるけれど、東京はそこらじゅうを一人乗りの空車が走っているので、アパートの玄関で手を挙げれば車がすっと止まる。都庁の前まで来たら、ICカードをタッチして料金を支払った。

 確率的に考えれば当然だけど、四十台に一台はわたしの責任担当ナンバーがついている。そういう車が来るとわたしはちょっと嬉しくなり、そのボディが他のものよりも可愛らしく思えてくる。いつもよりちょっと愛情をこめて座席に座って行き先を入力する。

 梅雨の間だけのつもりだったけれど、一度この快適さに慣れてしまうと、夏が過ぎて涼しい季節になっても車通勤を続けることになった。食欲の秋が終わるころには、体重計は洗面台の下の棚に放り込んで、そんなものは世界に存在しないのだ、と心のなかで言い張った。


 年末年始の「帰ってこい」という親のプレッシャーをなんとかやり過ごしたある日のことだった。朝のニュースでは「昨晩、東京都は数十年ぶりの氷点下を記録しました」と伝えていた。いつもどおり暖房のきいた車で出勤すると、早めに来ていた課員たちがいつになく騒がしくしていた。「何かあったんですか?」と聞くと、みんなが一様にぎょっとした顔でわたしを見た。

「課長のところに行って直接聞くといいよ」

 と先輩が言うので行ってみると、課長は神妙そうに

「事故が起きてしまった」

 という。

 事故の内容は以下のようなものだ。数十年ぶりの寒さで路面が凍結し、車の制動距離が大幅に伸びていた。それでも車のシステムは十分な安全を見込んで、速度を落として運転していた。ところが、氷結してる路面をすべって遊んでいた子供が交差点から飛び出してきた。車が急ブレーキをかけると、後ろを自転車で走っていた中学生が、止まりきれずにそのまま車に追突。転倒して擦り傷と打撲を負ったのだという。そして、その該当ナンバーが、わたしの責任担当になっているものだった。

 その日の午後、被害にあった中学生の父親が都庁に乗り込んできて課長に都の道路行政の怠慢についてひととおり怒鳴りつけると、課長は「自動車生産システムに対する規制を徹底します」とかなんとか定型文のコメントをした。その後わたしが「責任をとって辞任」する旨を述べると、父親は納得した顔で帰っていった。

 事故は翌日のニュースでも取り上げられた。原因は、見通しの悪い道路にもかかわらずカメラが設置されていない事だった。カメラがあれば車はその情報を共有するので、事前に子供の存在に気づけるはずだった。このような場所にカメラがないのは行政の怠慢だ、都市インフラ責任課長は責任をとるべきだ。と、都内のある新聞は指摘していた。この指摘文も自動で構成されたもので、都民の怒りを煽るためのレトリックが短い文にきれいに埋め込まれていた。

「ひどい話だ。そもそも行政による過剰な都民の監視を懸念していたのはこの新聞の方じゃないか」

 と先輩はいつになく怒っていた。でもわたしはそんな事はどうでも良かった。自動で生成されるテキストに怒りをぶつけても仕方のないことだ。

 とにかく責任課を辞任した以上、もう東京に住むだけの家賃が払えないので、実家に強制送還される形になる。もちろんそれがわたしの職務であり、そのために今まで一年近くも給料を受け取っていたわけなのだ。納得しなければならない。

 でも考えてみるとどうしても納得できないところがあった。事故の起きる確率はほとんどゼロである、と最初に課長も説明していたし、もう六年も勤続している先輩よりも、一年目で責任担当台数も少ないわたしが先に責任をとるのが受け入れられなかった。

 わたしは意を決した。この理不尽の責任をとってもらうことにした。都庁のエレベータを昇り、「雇用人事責任課」のドアを叩いた。そもそも労働者のほとんどいない東京で、交通安全責任課を押しのけて「都庁で最も暇」と言われている部署だ。仕事をしてもらおう。





(2018/05/25 追記)

本作をもとにした長編小説『未来職安』が7月20日に双葉社から発売します。

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