飛ぶ男

 親譲りの超音速飛行能力で子供の頃から損ばかりしている。

 小学校のときに遅刻しそうになってベランダから学校まで0.8秒で飛んでいったところ、衝撃波で近所のガラスが全部割れてひどい騒ぎになった。全校集会が開かれ、教師が家に来て親父は頭を深々と下げ「今後は超音速で登校しません」と反省文を書かされた。

 それ以来クラスのやつらから「やーいやーい、とびっことびっこ」と罵倒され消しゴムとかを投げられるようになった。体育の時間で持久走があったりすると「飛べるくせに足は遅い」とよく足掛けをされたので大変厄介だった。

 超音速というのが不便なところだ。せめて新幹線くらいの速さで飛べれば良かったのだが、どうも鳥やコウモリと違って人間の体は低速飛行に向いていないらしく、音速を下回った瞬間に回転しながら地面に落下してしまうのだ。危ないので離陸と着陸はそれなりに広い場所を確保せねばならない。

 大学を卒業すると新宿の会社に就職することになった。内房線で通勤しているフリをして、近所の空き地から十分に高度をとって東京湾を横断し、3分かけて新宿御苑に着陸し徒歩で会社に向かっていたのだが、ある日経理にバレて通勤手当を打ち切られた。

 確かに交通費がかからないので通勤手当を受け取るのは不当だが、摩擦熱ですぐにスーツが駄目になって頻繁に買い換えているのだ。そのぶんの手当を会社が出してくれても良いと思うのだが、言い争うのも面倒なので止めた。

 飛行能力があることがバレると「お前は終電ないから大丈夫だよな」と仕事を押し付けられる機会が増えた。徹夜あけのフラフラした頭で飛んで、羽田空港から出てきた飛行機にぶつかりそうになったことが2度ほどあった。

 入社3年後に結婚し妻の都合で都心に引っ越した。離陸に良い場所が近所になく、せっかくなので電車通勤することにした。おかげで通勤手当は無事に支給されるようになったが、毎日ぎゅうぎゅうの箱に押し詰められるのでまったくもって理不尽だと思った。たまに飛ばないと勘を忘れるぞ、と親父に言われたが、毎日残業ばかりでそんな余計な能力にかまっている暇はないのだった。

 やがて子供が二人生まれた。次女は4歳のときに超音速飛行ができるようになって、妻がちょっと目を離している隙に浜名湖までブーンと飛んでいってしまいギャーギャー泣いているのを静岡県警に保護されてうちに電話が来た。おれは電車で代々木公園まで行って、十分に周囲の安全を確認してから静岡まで飛んで次女を連れて帰った。久々の飛行だったので2日後にひどい筋肉痛になって会社を休んだ。

 あなたがちゃんと能力について説明しないからこんな事になったのよ、と妻がおれを叱ったが、おれが飛べるようになったのは7歳のときで、ある程度は分別がつくようになっていたのだから致し方ない。

 以後、妻は次女が勝手に飛ばないようにハーネスをつけるようになった。長女はそれを見て、お母さんはどうして妹ばかり大事にするのと泣いた。長女のほうは母親似で飛行能力は持っていないようなのでおれは安心した。面倒が少なくて良い。

 ある日の夕方、大阪の取引先がうちの会社にパソコンを忘れていって、今夜中にどうしても必要だから届けて欲しいと言われた。それならあいつに持たせて運ぶのが一番早いですよ、と同僚がおれを指して言い、それじゃよろしく頼む、と梱包したマシンを渡された。どうせ残業代出ないんだろうな、と思っておれは同僚を睨んだ。

 しかし精密機械を運ぶときは加速がきつすぎてはいけないので、わざわざ電車で荒川の河川敷まで行って、十分に加速距離をつけて飛ぶことにした。

 20分ほどで名古屋に来たあたりで雨が降り出して視界がほとんど無くなり、そこから大阪に着くまで1時間かかった上に、土地勘もないのでいい感じの着陸場所を見つけるのに苦労し、上空をぐるぐる回って伊丹空港の滑走路に勝手に降りたら警察が集まってきて散々な目に遭った。

 東京に戻ってその旨を報告すると「これじゃ新幹線で行ったほうが良かったな」と言われ、ブチ切れて辞表を叩きつけたうえに会社の屋上から飛んでいき、新宿オフィス街のガラスを何枚も割った。翌日新聞に怪事件としてでかでかと載ったが原因は特定されなかった。範囲が広かったのでうちの社屋が震源であるという事さえ分からなかったようだ。

 それ以来、おれは香港のマフィアから白い粉を日本に運ぶ仕事をしている。着陸地点を事前に調べておけばまず警察に見つかる心配はない。満員電車に乗る必要もない。事務所で働いていると家族には言っているが、なんの事務所なのかは説明していない。

 収入もだいぶ増えたので、飛べない長女は私立中学に通っている。次女は反抗期まっさかりで、おれと同じ能力があることを大変嫌っているので飛ぶことはない。おれとしても年頃の娘が超音速で飛び回るのは感心しない。

 親父はよく孫の顔を見に飛んでくる。健康だけが取り柄なのでもう還暦を過ぎてるのに未だに音速を下回る気配がない。定年退職して暇なのか週に一度は来る。おれが大学のとき「羽目を外すのはいいが、飲酒飛行は絶対にやめとけよ」と言った張本人のくせに、最近はうちのビールを勝手に飲んでそのまま飛んで帰る。お袋もたまに内房線に乗って来る。あの人ばかり飛べてずるいねえ、と言っている。

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