多摩川にはダークマターが流れている

 多摩川にはダークマターが流れているという話を聞いたのは大学に入ってまもない頃だった。サークルの新入生歓迎会で多摩川でバーベキューをやった時に2年生男子のひとりが悪酔いして川に落ちてまわりの人が「ダークマターだ」「ダークマターがつくぞ」と大声で囃し立てて小学生かよこいつらと思って私はすぐにサークルを辞めた。

 小学校のクラスという場所は小学生レベルの頭脳の持ち主による小学生レベルの民主主義によって運営されるので色々と変な小学生的概念が創造される。私の小学校では椅子の裏面についてる細い鉄の支持棒のことを「じょじょんぼ」と呼んでいてそれに触ると呪われるというルールがあった。休み時間に男子どうしがその棒を無理やり触らせようとしてるのでうるさくて仕方がなかった。ある日他のクラスで椅子の脚で歯を折った生徒が出たのでついに全校集会が開かれて「じょじょんぼ禁止令」が出された。そうして小学生のじょじょんぼブームは消え去ったわけだけれど「じょじょんぼ」という言葉がどこから来て呪われるとどうなるのかについては一切合切謎のままだった。他の小学校にそういうのは無いしうちの学校の完全なオリジナル概念だったことを中学のときに知った。

 多摩川にダークマターが流れているという話も大体そんな感じなんだと思う。ジンクスとか、都市伝説とか。でも妙なのはダークマターが一体何であってそれに触るとどうなるのかという設定がぜんぜん出来ずに「多摩川にはダークマターが流れている」という事実だけがのそのそと伝搬されていることだった。「横断歩道を白いところだけ踏んで渡ると幸せになれる」と言われても「私にとっての幸せとは一体何なのか? 都税で作った横断歩道ごときが人間の幸せに対して明確な答えを持ちあわせているのか?」という疑問を挟みたくなるけど、ダークマターが流れてると言われてもより困る。

 というわけで私は大学の授業中の暇な時間に多摩川ダークマターの設定を考えることにした。大学の授業中というのはだいたい暇な時間だ。人間の恨みを集めた怨霊というものがあるけれど多摩川の周りにあまり怨念を形成するほどの人間がいるとは思えないし、どちらかというと河川敷でぼーっとしてる人とか犬を散歩させてる人とかバーベキューをしている学生とか要するにみんな暇そうにしている。そうなると暇さ加減がダークマターとなって川を流れているんじゃないかと思う。そして川に落ちた人間はその暇さ加減がまとわりついて暇になってしまう。こうしてうちの大学生はみんな暇そうにしているのだ。

 そんなことを考えて、考えたことを忘れたころに2年生に進級して自宅のポストを見たら「水道水のダークマターを除去するリング」というチラシが入っていた。蛇口に取り付けるだけでダークマターが除去されるのでそれで肩こりが治ったりアトピーが治ったり万馬券をあてたり大金持ちからプロポーズされたりするらしい。すごいなダークマター、と思いながら「チラシはこちらに捨ててください」という箱に捨てて、そのあと多摩川の水って上水道につながっていたかどうかをちょっと考えた。小学校の社会科で習ったような気がするんだけどいまいち思い出せなかった。部屋に入ってパソコンで「水道水 ダークマター」で検索してみると「真実を語るブログ」というのが一番上にヒットして見てみたら有名なレンタルブログなんだけど全文を太字にしている上にあちこち赤文字を使ってるので目がチカチカしてすぐに閉じた。「政治も大手マスコミも沈黙している」と書いてあったのが見えたけどもう興味が失せた。ブラウザを閉じて来週提出となっている1万字のレポートを書き始めた。

 レポートを書いて提出して単位を取得して進級して3年生になると大学はますます暇になっていった。郵便ポストに投げ込まれるチラシをいちいちチェックするくらい暇だったから驚くべき暇さだ。多摩川のわきに3年も住むと相当な量のダークマターを取り込んでいるに違いない。分譲マンションの広告なんて学生アパートに入れてどうするんだろうと思うけれどチラシを投げるアルバイトにそのレベルの知性を要求するというのも無理というものだ。みんなダークマターで暇を持て余しているのだ。「水道水のダークマターを除去するリング」の通販は定期的に投げ込まれていた。「期間限定価格」の期間が2年くらいずっと続いていた。

 3年の後半になって就職的な活動をぼちぼち始めると暇な大学生活もさすがに忙しくなってきた。面接マニュアル的な本を買って「あなたを漢字一文字で表すと何ですか」みたいな質問の答えを用意することに勤しんだ。いくら暇な大学生だからって漢字一文字に要約されたくはないんだけれど忙しい社会人たちは要約を求めているし暇な大学生のダークマターな文化と時間のスケールに合わせる訳にもいかないようだった。

 就活を終えて4年になって残りの単位を揃えるために大学に行くと大学生協で「ダークマター水」というものが売りだされていた。いつのまにかダークマターは健康にいい存在ということになったらしい。テレビでもダークマター水の効能みたいなのが紹介されるようになった。なんかダークマターの多いところにいると寝覚めがスッキリしたりお通じが良くなったりするらしい。「水道水のダークマターを除去するリング」の胡散臭そうな広告とは打って変わって洗練されたスタイリッシュなイメージを打ち出していたので、多分あの広告はもう刷られないだろうなと思った。

 ダークなマターというのが語感的にダークすぎてあまり健康に見えないんだけど、泥の洗顔フォームとか備長炭みたいに黒っぽいものが逆に汚れを取るくらいの意味合いで流行ってるんだろうかなと考えた。テレビによると九州の球磨川くまがわがダークマターの聖地らしくて芸能人のレポーターが「すごくダークマターを感じますね!」と言っていた。たしかに「多摩川」より「球磨川」のほうが語感的にダークマターを感じる。チャンネルをころころ変えながら見たので結局ダークマターが何であるのかは分からなかった。

 私が昔考えた多摩川ダークマターの設定はどんなものだったかな、と思って昔のノートを引っ張りだしてみるとどうも私はダークマターというものを江戸時代の妖怪みたいな何かだと思っていたフシがある。というかまさに「ダークたまー君」という名前のゆるキャラみたいなキャラのイラストまで載っていたし暇になると「たまー」と鳴くとかいう細かい設定まで作りこんであった。結構かわいいし今ネットに「ダークマターを擬人化した」とか言ってアップしたらウケるんじゃないかなと思ったけどしない。暇を持て余した4年間はもうすぐ終わり。配属先が滋賀県なのでしばらく多摩川にダークマターが流れていることを思い出すことはないだろうと思う。


(おわり)

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