ひらがなで喋る女の子
みさきちゃんは私のクラスの生徒だ。お花係をつとめていて、毎朝早く学校に来て花瓶の水を替えている。
「せんせい、おはようございます」
といつも元気に挨拶するし、クラスのみんなとも仲が良い。成績も良いしスポーツもできる。喋るときに漢字を使わないこと以外は、ごく普通の良い子だ。
ところが家庭訪問で要田さんの自宅領域に行ったら、お母さんはいくつになっても漢字を喋らない娘のことが心配で仕方ないようだった。
予習熱心なみさきちゃんは小学校に入る前に2年生の漢字まで覚えてしまったのだけれど、1年生のときに担任の先生に「学校で習ってない漢字はしゃべらないようにしましょう」と言われて、それ以来ずっとひらがなで喋るようになったらしい。
そんなルールを律儀に守っている子供はあまりいないのだけれど、予習熱心であると同時に根が真面目なみさきちゃんは、どれが習った漢字なのかが分からなくなって、区別を諦めて全部ひらがなで喋るようになったようだ。
おかげで男子からは「3年生にもなって漢字がしゃべれないやつ」とからかわれたりするけど、その日の帰りの会で
「せんせい、きょうのおひるやすみに、もりたくんがうわばきのままこうていにでていました」
と仕返ししたりする。
みさきちゃんは作文やテストのときはきちんと正しい漢字を書くので、漢字が分からないという訳ではない。ただ喋らないのだ。
漢字を喋らないと何か困るのかといえば、やっぱり意味を取るのに少し不便なこともある。この前クラスでみんなの将来の夢を聞いたのだけれど、みさきちゃんが
「わたしはしょうらいはいしゃになりたいです」
と元気に答えて、「医者」なのか「歯医者」なのかが分からなかった時とか。
弟のケントくんは1年生なのだけれど、こちらはカタカナでしか喋らない。
休み時間になると、校庭領域でクラスの友達と元気に追いかけっこをしている。あまりお姉ちゃんと顔は似ていないけれど、「バリアシテタカラセーフ!」とカタカナで叫んでるのですぐにそれと分かる。ちょっと短気でときどき他の男子と殴りあいの喧嘩になったりするらしい。
お母さんによると、ケントくんは日曜朝にやっている特撮番組「暗号戦士サイファーマン」が大好きで、そのロボットを真似てカタカナで喋るようになったらしい。彼はまだ1年生なのでこれから自分の喋り方を身に着けていくのだろうけれど、PTAの間ではテレビの悪影響みたいに扱われている。
でも「サイファーマン」は低学年男子の間では大人気の番組だけど、他の子供でそういう影響を受けている子はいない。
もしかしたら、ひらがなでしか喋らないお姉ちゃんを見て育ったせいで「ひらがなは女子の言葉で、カタカナが男子の言葉だ」と思い込んでるのかもしれない。
小学生くらいの子は何かにつけて「男子のもの」「女子のもの」という区別をつけたがる。ランドセルの色は昔に比べるとずっと多様になったけれど、それでも「男子の色」「女子の色」といったものがなんとなく分かれている。学校やメーカーが指定したわけでもないのに、なぜか子供の間ではきちんとルールができている。
意思伝達に関して言えば、やっぱり弟くんの方が難しい。国語の時間に、
「ヨジカンメノコトデス。イチネンニクミノコドモタチガタイソウヲシテイルト、ソラニオオキナクジラガアラワレマシタ」
というような音読をするので、担任の村上先生も結構戸惑っている。
村上先生から聞いたエピソード。二学期の始業式に彼が真っ黒に日焼けしてきて、先生が「ケントくんは夏休みにどこに行ってたんだい?」と聞いたらガッと起立して「チューブ!」と元気に答えたので、どこの配管かと思ったら中部地方だったそうだ。
本人たちはいたって元気そうなのだけれどお母さんは心配なようで、やっぱりどこかで矯正をした方が良いのでしょうか、専門医に見せるべきでしょうか、と相談されたりした。
私の教員経験によるとそういう子供は結構いて、思春期になる頃にはみんな同じように漢字かな交じりでしゃべるようになりますよ、といってもやはり不安そうにする。
でも昔の人は音で会話していたし、いってみれば誰もがみさきちゃんやケントくんみたいな具合でずっとやってたのだ。だから何も問題はないと思いますよ、と言ったら、お母さんは少し安心したようだった。
ところで要田さん家には、もうひとり歳の離れた弟がいるそうだ。名前は要田
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