未知との遭遇 in 会議室

 西暦2089年、欧州連邦チェコ共和国の首都・プラハ。この人口150万の都市に、いま全世界の注目が集まっていた。スプートニク衛星から実に132年、人類の宇宙開発史に大きなマイルストーンが今刻まれようとしていたからだ。宇宙生命との邂逅である。


 日本の生物学者ヨシダはプラハのホテルにつくと、ひとまずカレンダーを確認した。ラマチャンドラン博士との面会は6時半、場所は彼の泊まるホテルのレストランだ。現在時刻は夕方5時。窓の外はまだ明るいが、日本時間は深夜の1時。普段のヨシダはとっくに寝ている時間で、体内時計とベッドに張られたシーツが彼を強引に睡眠の座に引きずり込もうとする。だが眠る訳にはいかなかった。あのインドを代表する研究者との面会は、ある意味で今後の日本の生命科学を左右するほど重要なのだった。

 お湯のあまり出ないシャワーで体を洗うと、どうにか眠気が少し収まった。それから資料を確認する。ラマチャンドラン博士の経歴。これまでの研究内容。これは問題ない。問題は博士の宗教のほう。インドに多数ある宗教のうち彼がどれを信仰しているのかは事前調査で判明しなかった。個人の信仰心について公の場で触れることはタブー視されているが、だからといって相手の宗教のタブーに抵触することもタブーとされていた。全方面において配慮が必要だった。写真にターバンがないところを見るとシク教徒ではなさそうだ。ひとまずヒンドゥー、イスラム、ジャイナ。このあたりのタブーを押さえておく。

 ああ、こんな交渉は科学者の仕事じゃないだろうに、と彼はホテルの壁にむかって悪態をつく。少年時代から人間関係が苦手で、だからこそ科学の道に進んだのだ。だが今では研究予算獲得のために西へ東へ振り回される毎日だ。ほとんど研究室に居ることもできず、人類史上初となる宇宙生命を発見して歴史に名を残したいという夢もどうやら明日潰える。生まれるのが少々遅すぎたのだ、としか言いようがない。


 21世紀も終わりが見えてきたこの時代、唯一の超大国であったアメリカ合衆国の力はもはや衰え、世界の中心は中国やインドといったアジア圏に移りつつあった。莫大な人口を擁するこの両国は世界のあらゆる生産と消費においてイニシアチブを握り、世界経済はこの両者の動きに巻き込まれるという形となった。それは科学研究の場においても例外ではない。もはや独自に研究資金を用意する力を失った日本において、研究者はこれらの2国が運営する国際公募型の研究費を獲得することが第一の目標となっていた。

 そして、とくに生命科学界において絶大な影響力を持っていたのが、これから面会するラマチャンドラン博士なのだ。彼の影響力は学会にとどまらず政界にまで及んでいると聞く。そして安保理の常任理事国入りを目指すインドにとって、日本との関係は良好に保っておきたいところなのだった。

「はじめまして、ドクター・ヨシダ。ラマチャンドランです」

 彼はインド訛りの強い英語で自己紹介した。60代ほどで癖のある白髭を伸ばした典型的インド人の風貌だ。

「はじめまして。ヨシダです」

 と、こちらは日本訛りの強いであろう英語で答えた。英米の覇権が失われても、科学者の共通語は相変わらず英語だ。おそらく今後も変わることはないだろう。ローマ帝国が滅びて久しい近世の知識人の共通語がラテン語だったように、いちど定着した共通語を変えるのは容易なことではない。

 ひととおりの世間話をしたあと、ヨシダは本題を切り出した。インド科学協会の研究費分配に対して、日本の取り分を減らすことを取りやめてほしい、という要望だ。日本の研究者人口が減ったために取られる予定の措置だったが、ただでさえギリギリの研究費をこれ以上減らされるのは、日本の科学研究の実質的な終焉を意味することだった。

「我々としても出来る限りの配慮はしたいところです。こちらの条件はごく簡単ですよ。明日の会議で、火星案を推していただければいい。それだけです」

 と博士は無表情で言った。

「はい。分かっております」

 とヨシダは答えた。こうして話は穏便に済んだ。ホテルに戻ると彼は眠気をこらえながら、明日の発表のスライドをもう一度確認した。


 翌日。世界を代表する宇宙科学者・生命科学者が集められた場で、人類初の宇宙生物との遭遇が何であるかを認定する国際会議がはじまった。提出されたのはインド・アメリカの推す「火星案」と、中国・欧州の「金星案」だ。

 火星案についてはラマチャンドラン博士が直々に発表を行った。インドが2052年に打ち上げた火星探査機が回収したサンプルをアメリカのチームが分析した結果、ある種の鉱物が火星にわずかに存在する水を利用して結晶化し、内部で代謝的な化学反応や自己複製を起こしていることが明らかになった。この岩石の増殖能力は地球に持ち帰るとすぐに気圧のため失われてしまったが、放射性元素の測定により10万年に1度のペースで分裂していたことが明らかになった。これはまさに地球でいう生命に他ならない、というのがインド・アメリカチームの主張だ。

 金星案の主張はこうだ。中国による表面観測の結果、金星の厚い大気の下では幾つかの化学振動パターンが存在する。これは金星の地域によって違うパターンを見せ、パッチワーク状に金星表面全体を覆っている。このようなパッチワークが存在する理由は、化学振動パターンが伝播性を持つからである。金星上のパッチワークは、さながら植物がその種子を伝搬させ地球表面を覆うのと同様の形で、金星表面を覆っている。中国の観測データを元にドイツのチームが2048年にこれを論文発表した。

 ここでのポイントは金星案のほうが発表が早いという点だった。つまり両方が生命と認められた場合、「ファーストコンタクト」の栄誉は中国・欧州チームのものとなる。しかし金星の化学振動パッチワーク説はあまりに一般人の考える「生物」とかけ離れていたため、否定の余地は大いにあった。一方で火星案については、時間スケールこそ地球生命と桁違いであったが、直感的にも生命らしい挙動をしていると言えた。要するにインド・アメリカチームの勝負は、この金星案を否定することだった。

 両者がそれぞれ1時間の持ち時間でプレゼンを終えると、昼飯休憩を経て午後の部がはじまった。ヨシダの専門は細胞膜の形成であったため、彼は生命の定義における「表面」の重要性を説いた。金星案の弱点は、化学振動パッチワークは金星表面で多分に混ざり合っており、明確な境界線を持たないということだった。

「…というわけで、21世紀半ばの深海探査の進展により、熱水噴出孔からRNAのみで増殖する細菌が発見された点や、また超巨大ウイルスの発見によりウイルスと細胞性生物とのリンクが確立されたことにより、生命の定義は著しい拡張を見せております。この状況において生命と非生命を区別するものとして重要な点、それは明確な表面を持ち、内部と外部を区別する境界があることなのであります。以上の点より、私は火星の分裂鉱物こそが人類にとってはじめて遭遇した地球外生命にふさわしいと考えております…」

 といったことを日本訛りの英語で喋った。会場の反応は冷ややかだった。ヨシダがインドチーム寄りの内容を喋るということは既に分かっていて、内容にも特に新しい点はなかった。ただヨシダ自身だけが、この発表の内容に強い不満を持っていた。彼自身は生命の本質とは境界が存在することではなく、にあると思っていたからだ。それは細胞膜の研究を長年行ってきた彼にとってある種のイデオロギーですらあった。彼自身はこの火星の石コロが生物だなどとは全く思っていなかった。

 彼にとっての一縷の希望は、3年後の2092年にインドが打ち上げるエウロパ探査船だった。液体の水が豊富に存在すると見られるこの木星衛星ならば、彼の望む「膜を持った細胞」が見つかる可能性はあった。だがここでインドの機嫌を損ねては、日本人研究者がサンプル解析に参加する可能性すら失われてしまいかねなかった。ヨシダは不満を飲み込んで、火星の鉱物が「生命」であると主張した。


 ひととおりの講演が終わると、投票が行われた。200人の参加者の誰がどちらに投票するかは、ほとんど事前に分かっていた。火星案が112票、金星案が74票、棄権が14票。こうして金星の化学振動パターンは生命として認められず、火星の鉱物が「人類がはじめて遭遇した宇宙生命」ということが正式に認定された。

「何か質問・意見はありますか?」

 と議長が言うと、ひとりの女性が挙手をした。ネームプレートによるとオーストラリアの科学ジャーナリストとある。

「2064年のコルカタ条約によると、動物に対して"基本的動物権"を認めて保護するように定められています。この条約はこの火星生物にも適用されるのでしょうか?」

 会場はざわめいた。この鉱物のような「生物」が動物であることはあまりにも直感に反するが、コルカタ条約では動物を進化系統にもとづいて定義していた。地球外生命に対する動物・植物の定義は、このたび新たに認定された火星生物に適用できない。

「では、次回の議題は、この火星生物を動物とみなすかどうかについてとします。他に何かありますか?」

 会場は静かだった。そもそもほとんどの議論は、この会議が始まる前に済んでいたのだった。

「それでは、これにて閉会します」

 かくして西暦2089年、国際会議の末に、宇宙生命とのファースト・コンタクトが2052年に行われたことが決定した。2102年にはファースト・コンタクト50周年を記念し、世界宇宙生命年として大規模なイベントが行われる予定だ。

 これが人類と宇宙生命との遭遇であった。

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