第3話 勇希君の友人です

 樹海を出ると、暖かな夕日が周囲を赤く染め上げていた。


「俺のスマホ……四月に買ったばっかなのに……」


 そうブツブツ言いながら、勇希は家までの道を歩いた。


「全く、勇希君は女々しいなあ。新しいスマホを買えばいいだけじゃないか」


 勇希の隣を歩いていたソバは、呆れた様子でそう言った。


「俺にそんな金あるわけないだろ……」


 そう言って、勇希は肩を落とす。


「ニートだから?」


 ソバの容赦ない言葉に、勇希は苦々しい顔になる。


「……今、たまたま働いてないだけだから」

「たまたまっていうか、辞めちゃったからでしょ?」


 その瞬間、勇希の足が止まった。


「……なんで、そのこと知ってんだよ?」


 前を歩くソバが、勇希の方を振り返る。


「実は、勇希君のこと、前から知ってたんだ」


 そして、ソバは眉一つ動かさずに、


「盛岡勇希、十九歳。高校卒業後、東京の会社に就職。しかし、劣悪な労働環境から体調を著しく崩し、わずか二週間で退職。その後、働き口を探すもなかなか見つからず、結局実家に帰ってきた」


 と、紙に書かれていることを読み上げているかのような調子で言った。


「俺が今言ったことに、間違いはある?」


 勇希は目を見開き、呆然とする。


「……無い。全部、本当だ」


 ソバが語ったことは、全て事実だった。

 法律を無視しているとしか思えないような超ブラック企業に就職してしまった勇希は、やむなく辞職した後も東京で再就職先を探していた。しかし、短期間で辞めてしまったことが仇となって再就職することも叶わず、勇希は失意のうちに実家に帰ってきていたのだ。


「でも、なんでそんなことまで知ってるんだよ?」


 勇希がそう尋ねると、ソバは辺りをキョロキョロと見回してから、


「……ここじゃ話しづらいから、早く勇希君の家に行こうよ」


 と言って、足早に歩き始めた。


「あ、ちょっと待てよ!」


 勇希も、ソバの後を追って走り出した。


────────────────────


 しばらく経って、勇希はある家の前で立ち止まった。


「……着いたぞ。ここが、俺の家だ」


 勇希の家は、二階建ての一軒家である。家の前には小さな花壇もあるが、長い間手入れされておらず、雑草が生い茂っている。


「ふーん、ここが勇希君のお家か。まあまあ汚いね」

「……いや、初めて来た家に対してその感想はないだろ」


 ソバの発言にツッコミを入れつつ、勇希は家の扉を開けた。


「ただいまー」

「……あら、勇希。あんた出かけてたの?」


 玄関の前には、勇希の母親が立っていた。


「あ……うん、まあ」


──そうだ、何も言わずに出てきたんだった。


「どこ行ってたの?」

「あー、えっと……」


 首を吊るために樹海に行ってたなんて、口が裂けても言えない。

 勇希がどうやって誤魔化そうかと考えていると、


「こんばんは、勇希君のお母さん」


 ソバが、勇希の前に進み出た。


「あら、どなた?」


 今までその存在に気付いていなかったらしい母親が、いぶかしげな目でソバを見ている。


「俺は勇希君の友人で、ソバと申します」


──え、友人?

 勇希がソバを見ると、ソバは人が良さそうな笑みを浮かべていた。


「あら、勇希にこんなお友達がいたなんて知らなかったわ」

「と、東京で出来た友達だから!」


 何故ソバが「自分は勇希の友人だ」と言ったのか分からないが、取り敢えず勇希はソバの話に乗ることにした。


「なんだ、そうだったの。勇希のことを心配して来てくれたのかしら?」


 母親が嬉しそうに、ソバに尋ねた。


「はい、そんなところです」


 そう言って、ソバは微笑んだ。


──さっきまで無表情だったくせに、なんだこの代わりようは。


 勇希は驚き呆れた様子でソバを見るが、ソバは勇希の方をチラリとも見ず、母親に笑顔を向けている。


「すみません、お母さん。これから勇希君と大事な話があるので、お家に上がってもよろしいでしょうか?」


 丁寧な口調でソバがそう聞くと、母親は更に嬉しそうな顔になった。


「ええ、もちろん! こんな汚い家でごめんなさいね」

「いえ、そんなことは無いですよ。とても綺麗にしてらっしゃるじゃないですか」


──さっき汚いって言ってたのはどこのどいつだよ。


 勇希は横目でにらみつけたが、ソバは素知らぬ顔で勇希の母親と会話を続けた。


「そういえば、どこで勇希と話をするの?」

「ああ、勇希君の部屋で話をしようかと」


 母親の質問にソバがそう答えると、


「あら、それなら部屋の中を片付けたほうが良いんじゃない?」


 と言って、母親が勇希のことを見た。


「……もう片付けてあるから、大丈夫だよ」


 家を出る前に、勇希は身の回りのものを整理していた。もちろん、後腐あとぐされ無く自殺するために。


「本当に? ベッドの下の卑猥なものは捨てた?」

「ああ、それもとっくに──って、なんで母さんがその事知ってんの!?」


 心配そうな顔で言う母親に対し、勇希は恥ずかしさから顔を真っ赤にする。


「……勇希君、卑猥」


 そんな勇希を見ながら、ソバがぼそっと呟いた。


「お、俺は卑猥じゃない!」

「あのDVDも捨てたの? 『幼なじみがなんちゃら』っていうタイトルの」

「もう母さんは黙っててくれない!?」


 勇希は涙目になりながら母親を見た。その母親はくすくすと笑いながら、


「それじゃあ、今お茶を準備するから、先に勇希の部屋に行っててもらえる?」


 と言って、そそくさと部屋の中に入っていった。


「あ、お構いなく……って、行っちゃったか」


 そう言うと、ソバは再び無表情に戻った。


「じゃあ、勇希君の部屋に案内してもらえる?」

「……別に良いけど。でも、その前に一つ聞いてもいいか?」


 勇希は目に浮かんだ涙を拭きながら、ソバに尋ねた。


「何?」

「なんで母さんには笑顔だったんだ?」


 ジトリと睨みつけるように、勇希はソバを見る。


「第一印象を悪くしないように、だよ。まあ言わば、営業スマイルだね」

「俺の時は最初から無表情だったじゃないか」


 勇希は不満そうに顔をしかめた。


「あの時は怒ってたからね。興奮してたから、笑顔を作るとか考えてなかった」


 母親と話していた時とは打って変わり、淡々と話すソバ。その姿を見ながら、勇希はため息をつく。


「……まあ、いいや。取り敢えず、俺の部屋に案内するよ」


 ソバが何を考えているのかさっぱり分からなかったが、勇希はそれ以上聞くのを止めた。というか、聞いても無駄な気がしたのだ。


 そんなこんなで、勇希はソバを連れて二階にある自分の部屋へと向かった。

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