第2話 出逢い②

「……は?」


 呆気あっけに取られる勇希を尻目に、男は更に続けた。


「ようやく首を吊るのに丁度良い大きさの木を見つけたのに、先に吊られると困るんだけど」


 男は死んだ魚のような目で、勇希を見つめていた。それはもう、勇希のことが邪魔だと言わんばかりに。


「……アンタ、誰?」


 突如現れた謎の男に戸惑いながら、勇希は尋ねた。


「君、初対面の人にアンタ呼びは失礼だよ」

「え、いや、初対面の相手を殴る方が失礼だと思うけど?」

「それに、人に名前を聞く時はまず自分から名乗りなさいって教えられなかった?」

「あれ、俺の言葉は無視?」


 男は無表情のまま、勇希の言葉には一切反応を示さない。その態度に、勇希はいらだちを覚えた。


「ていうか、アンタは俺のことを助けてくれたわけじゃないのか?」


 勇希がそう聞くと、男は首を横に振った。


「違う。俺がその木で首吊りしたかったのと、君に『死に変る者』になられたら面倒だったから、しかたなく殴っただけ」


 男は悪びれる様子もなく答えた。あまりにも淡々とした男の言い方に、勇希は驚きあきれてしまう。


「……アンタが俺を助けてくれたわけじゃないってのは良くわかったよ」


 勇希は深いため息をつく。大して長くない会話なのに、妙な疲労感が溜まっていた。


「という訳で、君はさっさと帰って。今ここで他の『死に変る者』に出てこられても困るし」


 男の言葉に、勇希は眉間にシワを寄せた。


「……なあ、その『』って何だよ?」


 さっきから何度も男が口にしている、「死に変る者」という言葉。

 男はさらっと言っているが、勇希には何のことだかさっぱりわからない。


「ああ、そっか。君は知らないよね。『死に変る者』っていうのは──」


 その時だった。



 ズゥゥーン…… ズゥゥーン……



 遠くの方から、地響きが聞こえた。それに従って、地面が次第に揺れ始める。


「な、なんだ? 地震か?」


 揺れはどんどん大きくなっていく。更に、地響きに混ざって「バキバキッ」という木が倒れるような音も聞こえてくる。


「……あー、説明する手間が省けたね」


 男はそう言うと、ロープがぶら下がっている木の奥を指差した。


「ほら、あれが『死に変る者』だよ」


 男が示した方向に、勇希は顔を向ける。



──そこには、がいた。



 周囲の木々よりも高い背に、灰色の皮膚に覆われ、筋骨隆々とした体躯。そして、耳まで裂けた大きな口に、顔の半分以上を占める巨大な目。


 巨人は木々をなぎ倒しながら、少しずつ勇希達のいる方へ近づいて来ていた。


「な、なんだよ、あれ……」


 思わずそう呟いた勇希の声は掠れ、震えていた。


「だから、あれが『死に変る者』だって言ってるじゃないか。君、耳悪いの?」


 勇希とは対照的に、男はひどく落ち着いた様子だった。


「な、なんでアンタは平気なんだよ?」

「は?」

「あの化物、俺達を食い殺す為に近づいて来てるに決まってるだろ!?」


 興奮している勇希の発言を聞いて、男がわずかに目を細めた。


「……へぇ、さっきまで死のうとしていた人の言葉とは思えないね」

「な……」


 男の言葉に、勇希は何も言い返すことができない。そんな勇希を男はジッと見つめていた。


「……まあ、別にどうでもいいよ」


 しばらく勇希を見つめていた男は、やがて興味無さそうにそう言った。


 男は勇希から顔を背けると、巨人の方を見た。勇希もつられてそちらを向くと、巨人がさっきよりも近づいて来ているのが見える。


 その時、巨人の目が勇希達の姿を捉えた。ニタァと笑った口から、鋭い牙が覗いている。


「もうこの状態か。ちょっとだけ厄介だね」


 男が勇希と巨人の間に立った。男の背中越しに、巨人がスピードを上げて近づいてきているのが見える。


「さぁて、俺の仕事を増やした罰を受けてもらおうかな」


 そう言うと、男はロングコートの内側から、細長い何かを取り出した。


「ショットガン……?」


 男の手の中の、黒く光る長い銃身。それは、映画やドラマでよく見るようなショットガンに似ていた。


──いやいやいや。まさか、本物なわけないよな?

 勇希は顔をひきつらせる。


 さらにスピードを上げた巨人は、木を体当たりで倒しながら、凄まじい勢いで男に向かって突進してくる。

 男は右手に持っていたショットガンを構えると、向かってくる巨人に照準を合わせた。


「オァァァッ!」


 巨人が雄叫びを上げ、男に飛びかかろうとした瞬間。



 一発の、乾いた銃声が鳴り響いた。



「ヒギャアアアア!」


 巨人が悲痛な叫び声を上げる。鼓膜が破れそうなほどの大声に、勇希は思わず耳を塞いだ。


 目を撃たれた巨人は、両手で大きな目を押さえて悶絶もんぜつしている。そこに追い討ちをかけるように、男は巨人の腹に銃口を押し当てた。


「さようなら」


 男の呟きと共に、樹海に二発目の銃声が鳴り響く。


「アァァァ……」


 巨人の叫び声が、次第に小さくなっていく。余りにも弱々しくなったその声は、人間が慟哭どうこくしているようにも聞こえた。


 男は構えていたショットガンを下ろし、黙って巨人の姿を見つめている。一方、勇希は一連の流れをただ呆然と眺めているだけだった。


 巨人の声が、遂に聞こえなくなった。その瞬間、巨体がグラリと揺れ、そのまま仰向けに倒れた。


「……や、やったのか?」


 大きな音を立てて巨人が倒れたのを見て、勇希は巨人の姿を確認しようと身を乗り出す。

 すると、巨人の身体に異変が起き始めた。


「煙……?」


 まるでドライアイスが昇華するように、煙を上げながら巨人の身体がどんどん小さくなっていく。


 しばらくして煙が消えると、巨人の身体も消えて無くなっていた。


「討伐完了、と」


 男は、右手に持っていたショットガンを再びロングコートの内側にしまった。


「……アンタ、一体何者なんだ?」


 勇希の口から、そんな疑問が漏れていた。


「あ、そういえば、まだ名乗ってなかったね」


 男は目を丸くしている勇希に近づくと、その目の前にひざまずいた。男の目線が勇希と同じ高さになり、自然と目が合ってしまう。


「俺の名前は『ソバ』っていうんだ。君の名前は?」


 「ソバ」と名乗る男に問われ、勇希はたどたどしく自分の名前を口にした。


「盛岡、勇希……」

「そう、勇希君っていうのか。よろしく」


 ソバはそう言うと、勇希に向かって左手を差し出した。


──本当に何者なんだろう、この人。

 勇希は、男を見つめながら考えていた。


 自分のために俺の自殺を止めたとか言っていたし、あの化物のことも知っているみたいだ。それに、本物の銃を持ってるなんて……。


「……どうかした?」


 ソバの声に、勇希はハッとした。


「い、いや、何でもない」


 勇希は慌てて差し出された手を取った。ソバはその手を握ると、勇希を支えながらゆっくり立ち上がらせた。


「……ありがとう」

「どういたしまして」


 ソバがわずかに口角を上げた。初めて見る、ソバの表情だった。


「……それじゃ、行こうか」


 再び無表情に戻ったソバの言葉に、勇希は怪訝けげんな顔をする。


「行くって、どこに?」

「どこって、勇希君の家だよ?」

「ああ、なんだ俺の家か。──って、は?」


 勇希は動揺を隠しきれないまま、ソバに尋ねた。


「ま、待てよ、何でアンタが……」

「アンタじゃなくて、『ソバ』だってば」

「……何で、ソバが俺の家に来るんだよ?」


 勇希の質問に、ソバは不思議そうな顔をして答えた。


「何でって、勇希君に説明するためだよ」

「説明って、何のだよ?」


 ソバは「んー」とうなり声を上げた後、


「……まあ、色々とね。勇希君にはちゃんと説明しておいた方が良さそうだし」


 と、言葉をにごした。


「説明するだけなら、ここでもいいんじゃないか?」


 勇希がそう言うと、ソバは首を横に振った。


「ダメだよ。ここだと、また死に変る者に襲われかねないし。それに……」


 ソバは、ある一本の木を指さす。


「俺が目をつけてた木とか、かなり大量の木がさっきの死に変る者に倒されちゃったんだよね」


 ソバが指さしたのは、勇希が首を吊ろうとした木だった。


 ロープが結び付けられた木は無残にも根元から折れていて、下に置かれていたリュックサックをペシャンコに潰していた。


──ん、リュックサック?


「…………お、俺のスマホがぁぁぁ!」


 勇希の嘆きはしばらくの間、樹海中に響いていたという。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る